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3.遺言

 楕円の卓に、総勢十九名の顔ぶれが並ぶ。内訳は十七人の王子と王女、王妃が一人と、執事が一人。執事とは国王のおもに私的な事柄についての秘書である。彼だけが王妃の傍に控え、席には座さない。

 空いている椅子は一つ。母の横、最奥にある父の席だ。行方不明の五男の席は以前に片付けられた。

「この部屋にこれだけ人が揃うなんて、初めてじゃないかしら」

 九女のグレーテが、左隣に座る八女のコルドゥラにひそひそ話しているのが、右隣にいるアニエスにも聞こえた。

 男女で左右に分かれ、兄弟は一応順番通りに奥から座っている。ただしクリスタとエリノアの間にだけ三女のステラが配置された。

 少し背が低い、愛嬌のある三女を挟んでおけば、長女と次女は互いにそっぽを向き合いひとまず衝突はしない。ステラはイェルクと同母の姉だ。この姉弟は和を保つ能力に長けていた。

 急きょ娘息子らが集められたこの場所は、ニコラス王が家族全員で食卓を囲むため特別に拵えた部屋である。壁には様々な花を描いた絵画が四面に飾られ、極力場を明るく和やかにしたい、父の心遣いが窺えるようであった。

 しかし、これまで彼の家族が一堂に会したことはない。いつも、誰かしらが欠けていた。そもそも、それぞれ母の違う子らが真に家族全員で食卓を囲むことなど、叶うはずがないのだ。

 ニコラスは子供たちだけでなく、妻たちにも自由を与えていた。すべての側室が王城に暮らしているわけではなく、例えばシャルロッテの母は国民的な歌姫として日々国中を飛び回っている。一方で、子がなくとも王城で暮らしている側室もある。

 無論、中には王の権威を貪らんと城に入り込む悪女もあったが、それらをまとめてディートリンデが制し、後宮の秩序を厳密に保った。

 温厚な老婆に見えて、ディートリンデは女傑である。そうでなければ、己が生んでもいない子供らに、穏やかな眼差しを注ぐことなどできはしない。

 アニエスも、母と言えばディートリンデの顔がまず浮かぶ。それだけ、よく心をかけてもらってきた。彼女はニコラス王がその生涯で見つけた、最も貴重な宝である。

「それでは、読み上げますよ」

 小さな眼鏡を鼻にかけ、ディートリンデは分厚い手紙を開いた。


『愛する子らよ。不甲斐なき父に対し、思うところは様々にあろう。私が貴殿らに望みうる親でなかったことは明らかだ。にもかかわらず、我が子らは誰しもまこと立派に生まれ出でてくれた。私はそれが嬉しくてならない。

 しかし、この身は二度と貴殿らの生誕を祝うこと叶わない。その無念をいかばかり晴らさんがため、どうか、最後にささやかな贈り物をさせておくれ。


 まず、カイザー。貴殿には王冠と杖を授く。杖は私が手ずから製作した。貴殿の治世に平穏が絶えぬよう祈りを込めた世に唯一の物である。先祖代々の王冠と共に、どうか大切にしてほしい』


 すると執事が横の台車から細長い包みを持って、己の名が出た時から立ち上がっていたカイザーに恭しく手渡した。

 カイザーが包みを取れば、美しい青緑色の石が嵌められた、見事な意匠の杖が現れる。

 もともと、ニコラスは詩を詠み絵も描く、芸術面に秀でた人物だった。とはいえ、複雑な彫刻を施した杖を作るのには多大な時間を要したことだろう。

 さらに、これはすでに決まりきったことではあったが、カイザーが次の王となることをここで明確にした。


『デュオニス。貴殿には聖槍を授く。武功一等の貴殿には、世に変事ありし際に無双の活躍を期待する』


「おおおっ!」

 かつて、戦時にスヴァニル王国を救った古の英雄の武器を授かることは、国一番の戦士と認められたことを意味する。デュオニスは腹の底から、歓喜の雄たけびを上げた。


『クリスタ。貴殿には治水工事に長けたビーレル一家を。彼らは山猿のようにかしましいが、少々の辛抱で貴殿の憂いを取り除いてくれるだろう。

 そしてエリノア。貴殿には南の海域への航行権を』


「っ、さすが父様!」

 エリノアは言葉の途中で手を叩く。

 クリスタは動かず、ただ、その眼を大きく見開いていた。

 遺言書が読み上げられていくたびに、兄姉たちが驚き、嬉しさに悲鳴を上げる様を、アニエスは不思議な想いで眺めている。

 父の用意したプレゼントの多くは、ちょうどまさに相手が欲している物だったようだ。ということは、

(父様は、死期をご存知だった・・・?)

 計画的に準備していた。

 そうかと思えば、それまで何も感じていなかった胸の内が、じくりと痛み出すようだ。

(少しも私たちには悟らせなかった・・・)

 病の兆候があったのだろうか。毎日王を診察する医師にでも宣告されていたのだろうか。しかし、父は奔放に振る舞い続けた。そして誰も、死ぬまで彼を案じることなく過ごせた。


『グレーテ。貴殿にはノルベルト・ブラーシュを』


「は!?」

 隣の悲鳴で、アニエスは物思いから我に返った。

 グレーテは呆然としたまま、耳を朱に染めていく。

 聞こえたのは男の名だ。アニエスには覚えがない。だがその名が意味することはわかる。すなわち、結婚の許諾であろう。ノルベルトという彼はグレーテのまったく知らない相手ではないはずだ。

「おめでとう」

 困惑しきりのグレーテに、ディートリンデは最高の微笑みを向けている。彼女は事情を知っているらしい。

(グレーテ姉様・・・二十二だったかな、確か)

 ボーダーラインは超えているものの、あの父が娘の結婚を斡旋するなど、革命的事変だ。兄弟たちは少なからず衝撃を受けていた。

 そして気づけば、次はアニエスが名を呼ばれる番である。

(私が欲しい物・・・なんだろう)

 これといって浮かばない。給料を得るようになってから、趣味の本や必要な物はすべて己で買えている。父に斡旋してもらう意中の相手もない。そんなものは十八年の人生で一度もいたことがない。

(本しかないか)

 それ以外に父にねだったものはないのだから、どうしたって他には考えられないのだが、アニエスは妙に緊張して続きを待った。


『アニエス。貴殿には、私の遺産一千万ガルと、エインタート領の統治権を授く』


 その瞬間、長男から四男までが椅子を蹴った。

 当のアニエスは、わけがわからず固まっている。真っ白な頭でただ、かろうじてわかったのは、

(本じゃ、ない・・・?)

 執事が音もなく傍に来て、アニエスの前に薄い箱を差し出した。

 震える指で蓋を開ければ、そこには書類と、莫大な金額の小切手。

 それから、小さな手鏡が入っていた。

 真っ先に鏡を取り、そこに映る自分の姿を見て、アニエスの脳裏に幼いある日の情景が浮かぶ。

 母に会いたいと唯一願った八歳の誕生日、父は手鏡を贈ってくれた。それで母はお前の中に在ると諭された。

 今、アニエスは鏡の向こうの書類に目を落とす。

 母を表す手鏡が添えられた、土地の権利証。

(・・・母様が、ここに?)

 どくん、と心臓が脈を打つ。


『シャルロッテ。貴殿には人形と揃いの百着のドレスを授く。ハイニ。貴殿には素晴らしき毛並みの馬を授く』


「えっ? あ、嬉しいです、けど、あの・・・」

「馬? 馬って言った? やったぁ!」

 ハイニ以外、シャルロッテすら事態の異常さに動揺しているも、ディートリンデは構わず続きを読み上げる。

 アニエスにはもう、何も聞こえない。


『最期まで長くは語るまい。ただし、これだけは言わせておくれ。

 愛している。

 私はとても幸せだった』


 すべて読み終え、ディートリンデは手紙を閉じた。

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