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35.確執と親愛の間

 即位パレードが行われた大通りから、一本外れた道の交差点に、エリノアの経営する会社の事務所がある。

 まるで大きな箱の、真白な壁に、女の顔の半分だけが描かれている奇怪な建造物だ。王都に初めて訪れた者は、まずこの目に度肝を抜かれる。

 女の一つだけの瞳の中には、十三の色が渦巻いていた。

 とある小心者が、かの大胆不敵な女社長に腹を据えかね、深夜に石を投げつけたところ、この奇妙な瞳から火が噴き出し、不届き者を丸焼きにしたという。魔女の本拠ともなれば、そんな根も葉もない怪異の噂まで人々の口の端にのぼる。

 好奇、羨望、妬み恨み、世間のあらゆる関心の上に、ハイヒールを突き立て君臨するのが、エリノアという姉であった。


 ハイニはビルの前でアニエスを降ろし、「じゃあね!」とそのまま馬を降りずに王城のほうへ駆けていった。彼の仕事はここで終了らしい。

 アニエスが一人で中に入れば、白いエントランスに秘書が待機していた。

「ようこそ。お待ちしておりました」

 この秘書とはアニエスも面識がある。エリノアの腹心、カトリナ・シュミットだ。

 まったく隙のない完璧な微笑みを常に貼りつけており、どこか人形のような、生活感のない雰囲気を持つ。年齢もいまひとつわからない。

「・・・お久しぶりです。お出迎えと、諸々の手配と感謝いたします」

「いえ、弊社のほうではほとんど何も。アニエス様におかれましては、お怪我などございませんか?」

「はい。ところで、私の付き人たちのことなのですが」

 アニエスが言い終わらないうちに、秘書は先回りして懐中時計を取り出した。

「お付きの方は五分後にこちらにご到着の予定です。ニーナ記者が飛行船の発着場まで馬車を回してくださっています。ご到着次第、御前へお連れいたします。また、その後のご予定につきまして、お付きの方のご衣装も購入されたいとのお話を伺いましたので、王都の人気店をいくつか別室に呼び待機させております。よろしければご利用くださいませ」

 ほとんど何もしていないと言いつつ、各方面への調整内容を滑らかに秘書は報告してくれた。

(仕事できるなぁ・・・)

 シュミットの有能ぶりにひとしきり恐縮し、彼女の案内で二階の社長室へ行く。

 扉を開けると、表の巨大な瞳と同じ目力を持つ姉と、さらに妹もいた。

「お帰りなさいませ姉様!」

 カップを置き、シャルロッテが真っ先に飛びついてくる。

 アニエスは反射的に首をのけぞらせ、彼女の髪飾りを避けた。が、今日は柔らかいリボンだけで、顔に突き刺さるような装飾品は付いていなかった。

「シャル? こちらに来ていたの?」

「エリー姉様がお店のほうを呼ぶとおっしゃったので!」

 はしゃいだ声が耳元でキンキン響く。

 実はアニエスはお供たちの服選びをシャルロッテに依頼していたのである。若い娘の服のことなら、この妹が最も詳しい。

 ひとまずアニエスは妹の背を軽く叩き、離れるよう促した。

「姉様、少しお痩せになりました?」

「そう? ・・・シャルは、背が伸びた?」

「え、そうです? 靴のせいかもしれませんわよ?」

 シャルロッテは一歩下がり、スカートを持ち上げ黄色のハイヒールを示す。普段より若干高いものを履いているようだ。

(なんとなく大人っぽくなったような)

 特に何かが変わっているわけではない。いきなり抱きついてくるなど子供のような行動もそのままだが、どこかに違和感がある。

 心の中で首を傾げつつ、アニエスは続けて姉へ挨拶した。

「エリノア姉様も、お久しぶりです。このたびは何かとお気遣いいただき、感謝いたします」

 黒い革張りのソファで足を組むエリノアは、機嫌良くカップを持ち上げた。

「調子は悪くなさそうね」

「今のところは、どうにか。なかなか思い通りにいかない現状ではありますが」

「破綻してないだけ上出来よ。王都じゃ興味本位の外野がうるさく言ってくるでしょうけど、全部無視してなさい。無礼な新聞屋は撒いていいわ。まともな奴だけ相手にしなさい」

「はい。・・・発着場では、助かりました。レギナルト兄様がいらっしゃるとは思いませんでしたが」

 なぜ兄をよこしたのかとの疑念が言外にこめられているのを察し、エリノアは笑った。

「あの子が自分で行ったのよ? ちょっとは妹に懐かれたいんでしょ。あなた、昔からあの子のことは嫌いだものね」

「いえ、特に、嫌いなわけでは」

 言いつつアニエスの視線は隅に泳ぐ。

「そういえばアニエス姉様はレギー兄様がいらっしゃると、いつの間にかいなくなっているのですよね。何かあったんです?」

「そういうわけではなく・・・」

 アニエスはどう説明したものか迷っていた。

(私ではなくて兄様のほうが、私を気に入っていないのだけど)

 互いに性が合わないことは確実である。しかしエリノアとクリスタのように対立しているわけでもない。

 アナグマと大声で呼ばれたり、そのあだ名を学院中に広められたりしたことも、アニエスはさして恨んではいないのだ。ただそう呼ぶ兄の苛つきが、声から表情から伝わってくるため、つい避けたくなってしまう。

 何に苛つかれているのかは、おおよそ見当がついている。

 例えばアニエスの陰気なこと、常に反応が薄いこと、黒い服しか着ないこと、感情を表に出さないこと。そんな自分の中のどうしても変えられない部分が、かの享楽的で直情的な兄にとっては許容し難いものなのだ。

 しかし、こんなことをわざわざ人に説明するのは億劫である。よって、アニエスは思いきり話を逸らすこととした。

「それよりもシャル、私の付き人たちが間もなく到着するの。私はエリノア姉様とお話があるから、その間に彼女たちの服を選んでおいてもらえる?」

「はい、おまかせくださいっ」

 実は兄の話など、さして興味がなかった彼女は頼もしく応じる。

「うちの新しい看板娘が面倒をみるのだから安心しなさい」

 エリノアからのお墨付きに、しかしアニエスは引っかかった。

「・・・看板娘?」

「あら、まだ見てなかった? シャルにはうちの広告のモデルをしてもらってるのよ」

 アニエスは驚きをもって妹を見た。

 彼女はやや気恥ずかしそうに、はにかんでいる。

「私も、新しいことを始めてみたくなったのです」

 そう語る表情は晴れやかでもあった。

「エリー姉様のもとで、服もお化粧も改めて学んでいるところなのです。普通のお勉強は嫌いでしたけど、皆をきれいにするお勉強は楽しいわ。それでアニエス姉様のお役にも立てるのですから、こんなに幸せなことはありません」

 シャルロッテは喜びを押さえきれず、姉の手を取った。

「ねえ、アニエス姉様? 私、姉様からお手紙をいただいて、とっっても嬉しかったのです。だって昔からお願いをするのは私、叶えてくださるのが姉様だったでしょう? ささいなことですけれど、まさか姉様に頼っていただける日が来るなんて」

 妹の薄桃色の頬を見つめ、その時になってアニエスは、はじめに抱いた違和感の正体に気がついた。

(人形がない)

 シャルロッテが大人びて見えた理由。それは彼女が、幼い頃から常に放さなかった人形を持っていないためだ。

「シャル、人形はどうしたの?」

「え?」

「もしかして、また壊れてしまった?」

 やはり修復が雑だったかと反省したが、シャルロッテは笑顔で首を横に振った。

「壊れたら困るので、持ち歩かないことにしたのです。だって、もし壊してしまったら、エインタートまで送るのは大変でしょう?」

 シャルロッテは姉を責めるように口を尖らせてみせる。

 アニエスは軽く吹き出してしまった。

「どうして私に修復させようとするの」

「だって姉様は修復士ですもの」

「古書のね」

「嘘。姉様はなんでも直せるの。いつだってこの手で、私を助けてくださったのよ」

 シャルロッテは何もかもわかっているような口振りだが、アニエスからすれば、それは真実すべてではない。

「・・・助けられていたのは、私も同じ」

 妹の手を握り返し、初めて打ち明けた。

「あなたの願いを聞いているうちは、私は自分が城にいることを許せたの。あなたが頼ってくれたから、私は、自分をわずかでも価値のある人間だと思えた」

 妹の世話係という役名が、所在のないアニエスに居場所を作ってくれていた。たとえ、こじつけに近い言い訳でしかなかったとしても、それさえもなければ、幼い心はきっと疎外感に押し潰されていただろう。

「どういう意味です? 姉様がお城にいて良いのは当たり前のことですわ」

 アニエスが自身を王家の人間ではないと思い込んでいた事実など、すっかり忘れたシャルロッテは、盛大に疑問符を飛ばす。

 アニエスはまた少し笑み、

「・・・ありがとう」

 愛すべき妹へ、十年来の感謝を捧げた。


「仲が良くて何よりね」

 目の前の平和な光景を、二番目の姉はカップに口を付けつつ眺めている。

 何か思うところでもありそうな響きが声に含まれており、それをシャルロッテが敏感に察知した。

「エリー姉様はクリスタ姉様と仲直りなさったらよろしいのに」

「絶っっっっ対に嫌」

 長い年月をかけ刻まれ続けた姉妹の溝は、一朝一夕で埋まるほど浅いものではないのだった。



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