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29.巨大魚vs.傭兵vs.・・・

 秋風吹き込む穏やかな入り江に、その日、厳戒態勢が敷かれた。

 海に突き出た崖の上には、鉄の矢を放つ設置型の巨大な弩。さらに凶悪な返しのついた極太の銛を搭載した小舟が十艘、海岸で準備している。

 エッダらに言われた通り、アニエスが資材を調達すると、彼らはあっという間にこれらの即席武器を組み立てた。

 作戦では異界魚ヘウズギットを追い払い、その間に船を入り江に呼び込み荷下ろしを行う。

 船が出港するまで魚を暴れさせず、一か所に留めおくことが理想だ。

 そこで、アニエスらはエインタートにあるもう一つの入り江、魔物の森に食い込むようにしてできた場所に目を付けた。

 荷下ろしを行う入り江からは北に離れているため、ヘウズギットをそこへ追い込み、閉じ込める。もともと場所が場所だけに、その入り江は使い道がなかった。多少暴れて壊されたとしても、大勢に影響はない。

 この作戦を遂行するのは、エッダが王都から呼び寄せた工人ギルドの総員五十余名。

 報酬はすでに半分、前払いさせられている。成功した暁にはそこへ成功報酬が上乗せされる契約だ。その辺りは、さすがにエッダはちゃっかりしていた。

 それでも、必要な資材等の調達をアニエス側が行うということで、報酬についてはレーヴェに奮闘してもらい、可能な限り値切った。

 彼らも大口の顧客には多少甘くなる。とはいえ、アニエス一人では到底エッダに太刀打ちできなかった。

 そんな水面下での闘いを経て、ウルリヤから来る商船の運航日程と調整し、秋も深まりきった十月末、作戦決行に踏み切った。

 予定通りであれば、船は昼頃にやって来る。それまでにヘウズギットの追い込みを完了させ、合図の花火を打ち上げるのが本日のアニエスの役割だ。

 作戦がうまくいけば緑の花火、失敗すれば赤の花火を上げて船に知らせる。失敗の際はエインタートへ船は来ず、安全を見てトナディア湾の入り口にあるラウシャン港で荷を降ろすことになっている。

 そこから運ぶとなると、牽引用の馬をいくつも手配し何日もかけて輸送しなければならないため、なんとか作戦を成功させたいところである。

 今回はエッダらがいるため、領民は出動しない。アニエス側のメンバーはすでに森の入り江に行っているコルドゥラら研究員たちと、その研究を流れで一部手伝っているリンケ、警備主任のジークと、騒動を聞きつけはるばる王都からやって来た記者のニーナがいる。

 ニーナとは定期的に手紙のやり取りをしており、今回の大仕事を知らせると即座に飛んで来た。

 二日かけて各方面への事前取材を済ませ、今は小さな手提げ鞄のような黒い箱をいじっている。

 雑誌の売り上げで会社が購入したという、手持ち写真機である。

 新聞などに写真が用いられるようになってきたのは、ここ数年のこと。それなりに高価で扱いが面倒であるが、やはり写真が衆人に与えるインパクトは大きい。

 エインタートの記事が各誌の一面に取り上げられたことを受け、さらなる話題を呼ぶべく最新のメディアを導入することにしたようだ。

 目的は怪物魚の姿をおさめることだが、ついでにアニエスも試し撮りに姿を使われてしまった。本来は肖像画を描かれることも好まないほうだったが、恥の上塗りが過ぎてもはや感覚が麻痺している。もうすべて好きにしてくれと、ほとんど投げやりな気持ちで被写体を引き受けた。

 取材熱の強いニーナが出過ぎないよう前を注意しつつ、今はそんなことよりも、アニエスは背に刺さる視線に全力で耐えている。

「魚なら~、ファニたちだって狩れるぞ~」

 たっぷり恨みのこもった声が耳元に落ちる。

 同時に右肩にのしかかる重みは、銃を担いだ赤毛の女戦士の顎である。また、後ろには他にも不平不満の言いたげな瞳が九組はある。

 あらかた傷の癒えた傭兵ギルド《血眼狼》の面々である。彼らは作戦遂行を他のギルドに依頼されたことが、非常に気に喰わないでいるのだった。

「まったく使ってもらえないうちに、よそに頼られるってのはさすがにねえ。どうなんすかねえ」

「お、おお俺らだって、人数は少ないですけど役立たずじゃないですよ!?」

 恨み言泣き言を受けるにつれ、アニエスの背は丸まっていく。片手は胃の辺りを押さえている。

 何度か試みた説得は一向に通じていない。ほとほと困り果てている主を見かね、この場ではジークが間に入り、防波堤の役目を買って出た。

「ほらほら、そんな恋人に裏切られた奴みたいな目をするな」

 ファニを主の肩から追い払い、陰気な視線も手で払う。

「あんた方を雇ったのは魚退治のためなんかじゃないさ。他のところで十分役に立ってもらってるよ」

 現状では部下となっている彼らへ、ジークは噛み砕くように言って聞かせた。

「怪我が治ったばかりの奴も多いだろ? ここでまた怪我されちゃあ、他の仕事に支障が出る。だからアニエス様はあえて他に依頼されたんだよ。あんた方を大事してる証だ、ふてくされるなんて罰当たりだぞ?」

 持ち前の人当たりの良さを存分に発揮し、不満たらたらな狼たちをうまく丸め込もうとしている。その笑みには妙な説得力があった。

 実際のところ、たった十人しかいない彼らに、今回の作戦をまかせるのは物理的に難しいことと、フォス一家が総員で来たため、人手がもう足りてしまったというのが、彼らを特には出動させない理由である。

 無論、重機搬入と同じくらい大切な、害獣駆除という仕事が彼らにはあるのだから、ジークの言っていることも決して嘘ではない。

(そのまま大人しくしててください)

 アニエスは祈っていた。

 だがそのやり取りを、浜辺で準備をしている工人ギルドの面々が聞いていたのだ。

「子犬ちゃんはいい子で待てしてなー」

 思慮のない軽口一つが、火山を噴火させることは容易かった。

「あ゛あ゛!?」

 笑顔に丸め込まれかけていた男らが即座に牙を剥く。アニエスはびくりと肩を震わせ固まった。

「今喋ったのどいつだ!」

 特に前に出るのは血気盛んな若者たち。年配のヨハンらも決して穏やかな顔をしていない。

「うるせえなあ。役立たたずが吠えんなよ」

 一方の工人ギルドの男も、にやにやしながら立ち上がる。太い腕に紋章ではない刺青が彫られおり、見るからに柄が悪い。

「誰が役立たずだ!」

「現にそうだろぉ? 戦地で幅ぁ利かせてたのはじいさんの代までで、今はお嬢様の飼い犬だ。ほらお手しろよお手」

 刺青の男は、ひらひらと手を上に向けて揺らしてみせた。

 その動作一つで狼たちはさらに煽られる。

「おおこっち来いよ! 食い千切ってやらあ!」

「工兵の猿ごときがイキってんな!」

「そ、そうだそうだ! 馬鹿にすんなよ!」

 仲間たちにやや遅れ、リーダーのセリムも声を震わせながら口論に加わった。

 ファニは無言のまま肩から銃を降ろし両手に持ち直す。

 工人ギルドの面々も、最初に立ち上がった一人に続き、近くにいた者たちが妙に嬉しそうに寄ってくる。

 そして逃げ遅れたアニエスは、メンチを切り合う彼らの間に挟まれた。

「ちょづいてんじゃねえぞごるぁさるども!」

「あ゛あ゛!? くそいぬぁかえるのけつのあなかいでろぶぁかが!」

(なんて?)

 人の言語なのかもよくわからない、怒号が頭上を飛び交う。

 アニエスの周りにはこれまでいなかった種類の人間たちだ。ひたすらその声量と迫力に身が縮む。

 気も声も小さい領主に、荒くれたちの喧嘩を止められるはずもない。

 それができるのは、彼らを上回る迫力を持つ者だけだ。

「――やめな!」

 刺青を入れた男たちの頭に、背後から女親分の鉄拳が落ちた。

 同時に、セリムらの鼻先を白刃がかすめる。

「静まれ。主の御前だぞ」

 完全に笑みを消し、ジークは冷ややかに命じた。普段は人の好い従士も、底には厳しい軍人の顔があったのだ。

 工人ギルドの男たちは頭を抱えて悶え、血眼狼の面々は突き付けられた刃に思わず息を呑む。

 だが、喧嘩を止めた暴力と凶器に、この場で誰よりも慄いていたのはアニエスだった。

「躾けがなってなくてすまないね」

 拳を握り固めたエッダが、朗らかに言う。なお最初に喧嘩をふっかけ、真っ先にエッダに殴られた男は彼女の息子の一人である。

「・・・いえ」

 それになんとか答えるアニエスは、痛いほど鳴る心臓を押さえていた。

(怖い・・・)

 隣のジークが剣を収め、ようやく少し安堵できた。

 もう帰って静かな部屋に籠っていたい。だが、そうもいかない。

 アニエスは緊張の息を長く吐き出してから、怒られてさらに不満そうなセリムらを見やった。

「皆さんの、意欲はよくわかりました」

 また逆鱗に触れることがないよう、言葉を選び最大限に気を使いながら話す。

「今回の作戦の主たるところは工人ギルドにおまかせしますが、皆さんには万一の時のための予備兵力として、森の入り江のほうに待機していただきたいと思います。よろしいでしょうか」

「え・・・ええ、まあ、それは別に」

 セリムの了承を得て、アニエスは続けてエッダらにも確認の視線を送る。

「そちらも、よろしいですか?」

「うちは構いませんよ。邪魔さえしなきゃ見学はいくらでも」

 態度は自信に満ちていた。セリムらの手を借りることにはならないと暗に言っている。

 息子たちを諫めはしたものの、エッダ自身も元弱小ギルドを嘲る心があるようだった。

「では準備が整い次第、配置についてください」

 再び場が剣呑になる前に、アニエスは素早く言って人を散らした。

 それでひとまず、騒ぎは収束となる。

「ご苦労されてますね」

 人がいなくなってから、写真機を抱えたニーナがひょっこり傍にやって来る。アニエスは声もなく頷いた。

(こんな調子でうまくいくんだろうか)

 連携が取れていないどころではない、険悪な仲の兵たち。そこにきて、相手はまだまだ得体の知れない異界の化け物だ。

 作戦決行の前に、暗雲が立ち込めてきた。

「アニエス様、今さらではあるのですが」

 そんなところへ、さらにリンケが思い出したように申告する。

「森の入り江で騒ぎを起こすと、魔王が来るかもしれませんよ」

「・・・」

 アニエスは一瞬絶句し、しかしややあってかぶりを振った。

「いえ、ですが、最後に起きたのは八日前でした。まだ、眠りが深くなっている周期です、よね?」

「ええはい、これまではそうでしたが、アニエス様がエインタートへいらした頃から、彼女の睡眠周期は変化してきています。眠りが浅く、覚醒している時間が長くなっている。力が回復し眠る必要がなくなってきているのか、あるいは、意識的に眠らないようにしているのか」

「・・・」

 原因は定かでないという。

 ともかくもアニエスが今、リンケに思うのは、

(早く言ってほしかった)

 それに尽きた。この大人はなかなか報連相が身に付かない。

(もう無理な気がする)

 始まる前から、アニエスはすでに半分諦めた。



 ◆◇



 やがてすべての準備が整った。

 波打ち際に立ち、アニエスは、ふ、と息を吹く。

 コルドゥラら王都の研究員たちも、横で同じ動作をする。

 広く薄く、生じた精霊の風を帆に受け、舟が静かに出航した。

 入り江を出て、帆と櫂を操り、海底の巨影を速やかに取り囲む。

 全員が配置に着いたところで、船首に立つ男たちが三方向から、桶を蹴落とす。

 中に炸薬を詰め鉄板で蓋し、重りを括り付けた爆弾だ。時限信管が付けられており、海底へ沈む間に火がゆっくり炸薬へ届く。

 どん、と舟底が揺れた。

 さほど威力のない爆弾であるため、海面に大きな変化はない。しかし、海中には轟音が響いたことだろう。

「来る!」

 紋章術で海上に出たコルドゥラが注意を発した時、海面が激しく波打った。


 ホエェェ――


 たまらず怪魚が海底から頭を出し、慌てふためきながら北へ向かって尾ひれを漕ぐ。

 舟は素早くその左右に付き、弩を放つ要領で長い銛を船首から発射した。鱗をかすめぎりぎりで当てず、魚の進路だけを調整する。

 コルドゥラの見立て通り、ヘウズギットは確かに臆病な生き物のようだった。

 己を襲う者に対し、反撃ではなくまず逃げに徹する。それは、ごく一般的な生物となんら変わりない性質だ。

 混乱と焦りを含む異世界生物の叫びを背後に聞きつつ、アニエスは急いで森の入り江へ飛んだ。

 その入り口は切り立つ崖と崖の間にある。幅はあまり広くはない。まずはそこにヘウズギットを入れられるかどうかが第一の関門だった。

(来た)

 崖の上に立ち、アニエスは勢いよく泳ぎ来る魚に目を瞠る。

 そして空中の姉を確認した。

「コルドゥラ姉様!」

「はいはい、まかせて」

 コルドゥラは右手を前方に伸ばし、

「――はっ!」

 気合とともに、魚の進路にある海を大規模に割った。

 派手に吹き上がる水柱が鼻先をかすめ、泡を食ったヘウズギットは進路を転換させる。

 そして横にちょうど逃げ込めそうな、崖に挟まれた狭い入り口を見つけたのだ。

「よっし入った!」

 アニエスと同じ崖の上に立つ、エッダが勇ましく拳を握った。

 だが喜んだのも束の間、すぐさま表情を鋭いものに戻し、巨大な弩のトリガーに手をかける。

 狙いを澄ませ、タイミングを計り、

「発射!」

 エッダの号令とともに、崖の左右から次々と太いワイヤーを付けた矢が、凄まじい勢いで放たれた。

 ぶおんと空気が鈍く鳴る。

 さらに長鳴りし、やじりは向かいの崖の壁面に突き刺さった。

 矢についていないほうのワイヤーの端は、固定された弩の支柱に繋がっている。

 左右の崖の上と下から放たれたワイヤー付きの矢は、互いに交差し合い、まるで蜘蛛の巣のような鉄の網を作り上げた。

 ヘウズギットは入り江の奥に進んですぐに頭が突き当たる。

 入り口同様、中もその巨体にとっては狭く、方向転換もできない。ヘウズギットは後退もできる魚だったが、そうしようとしても尾びれが網に当たって下がれない。

 つまり、どうにも動けないのだった。

「成功だ!」

 エッダらが歓声を上げる。

(思ったより、うまくいった)

 少々意外だったが、アニエスは呆けず、すかさず崖上に準備していた緑の花火を打ち上げた。

 第一段階は成功。

 だが問題は、ここからなのである。

 入り江に閉じ込められたヘウズギットは、当然ながら暴れ出した。

 尾で海面を打ち、ホエ、ホエェと鳴いて体を岸に打ちつける。海底に隠れようにも入り江は浅く、魚からすれば何をしてくるのかわからない、敵に囲まれた状態で身動きが取れずにいるのだから、落ち着いていられようはずもなかった。

 ここからは、荷下ろしが終わるまで恐怖の持久戦。

 すでにロープを腰に繋いだ工兵が崖に降り、矢が抜けないよう壁面で補強を始めている。崖上に残った者はその援護をする。

 戦地での工兵の仕事は後方支援だけでなく、前線で敵の攻撃をかいくぐり任務を遂行する。そんな彼らであればこそ、暴れる怪魚にも生半可なことでは怯まない。

 アニエスも気休め程度ながら、風の障壁を数人の作業員の周りに作り、尾びれが跳ね上げる水飛沫や岩の破片を防いでいた。

(頼むから大人しくして)

 眼下で暴れる魚を祈るように見つめる。

 そんなアニエスの隣に、大役を終えたコルドゥラが降り立った。

「ねえ、今サンプル採ったらだめ?」

「おやめください」

 姉のほうを見もせずに即答する。

 実際、その判断は正しかった。

 その時、ひと際高く上げられた尾びれが、海面を強く叩いたのだ。


 大波が立ちのぼり、空を、魚が舞った。


 太陽の光を鱗が弾き、きらきらと虹色に照る。それを大口開けて見上げたアニエスらは、潮水を頭からかぶった。

 ヘウズギットは後方に半回転し、入り江に落ちた。再び高潮が崖の上を襲う。

 それになんとか流されず耐えたアニエスらだったが、状況は一変していた。

 崖に刺さった矢は外れていない。しかし、ワイヤーの網の前には、鰐のような鋭い歯を持つ怪魚の口がある。

 不安は的中し、ヘウズギットはさっそく邪魔な網に咬みつき始めた。

「っ、全員上がってください!」

「早く上がれ!」

 まだ崖の壁面で作業をしていた工員に急いで指示を出す。同じことを横でエッダも叫んでいた。

 あまりにタイミングがまずかった。

 重機を乗せた商船はもうすぐやって来る。まだ入り江には辿り着いていない。ジークらに頼んでいたその合図がないからだ。

 もしヘウズギットがここから出て南下すれば、ちょうど商船とかち合うかもしれない。

 そうなれば最悪だ。人命の危機もさることながら、ウルリヤの高価な商品を満載積み込んだ大型船が沈んだら、その責任を負うべきはアニエスである。

 弁償金はいかほどになるだろう。領主になってから金の計算ばかりしているアニエスは、一瞬でそこまで想像し、絶望した。

「発射!」

 万一の時のため、入り口を塞ぐのとは別に準備していた、やはり矢にワイヤーが付いている拘束用の弩を、すかさずエッダが発射させる。

 今度は明確に怪魚へ狙いを定めていた。

 岩をも貫通する威力を持つよう設計されたものだ。当然、魚の胴体にも刺さったが、浅い。もともと鱗自体が厚く固いうえ、水中には抵抗もある。

 痛みにヘウズギットが暴れれば、かえしの付いている矢でも容易にはずれてしまった。

 その弩は構造上、連射ができなかった。ワイヤーを巻いて矢を回収するにも時間がかかる。その間に、ヘウズギットは力任せに目の前の網を食い千切ってしまう。

「ちっ・・・」

 顔に焦りが滲む工兵たち。

 しかしその背後には、正反対の顔をしている狼がいた。


「ざまあ!」

「ファニのでっばーん!」


 余計な雄叫びを上げ、血眼狼のメンバーらが喜々と崖から飛び降りた。

 銃口がラッパ型の短銃を構えたファニ、その肩に掴まるセリム、さらにナイフとボウガンを構える二人は、先ほど工兵たちにふっかけられた喧嘩を率先して買いにいった、ハンネス、リーンという若い兄弟だ。

 助走をつけ思いきり飛んだ四人は、ヘウズギットの前方に落ちていく。

 アニエスは咄嗟に助けに行かねばと身を乗り出したが、彼らの落ち方は不自然に遅く、どうやら精霊の力が働いていると見えた。

(紋章術、使えたの?)

 彼らが来た今月はずっと作戦の準備で忙しく、まだ全員と面接を済ませていなかったため、アニエスはその能力をすべて把握してはいなかった。

 ワイヤーを咬む魚の金色の目を狙い、ファニが短銃の引き金を引く。銃口から飛び出したのは、石やら鉄くずやら。銃弾を撃ち込むのでなく、そこらで簡単に手に入る礫を銃身に詰めて浴びせかける、散弾銃だ。

 大した威力はない。だが宙にまき散らされたそれらに向かってセリムが片手を掲げると、礫の一つ一つが小規模な爆発を起こした。

 爆竹のように激しい光と音が目前で弾け、ヘウズギットの鰐のような瞳孔がきゅっと縮まる。一瞬、気絶したように動きが止まった。

 そこへすかさず、ハンネスが鼻先に刃を突き立てる。すると青白い閃光が走った。

(雷の紋章術だ)

 初級でも攻撃性の高い属性である。

 先ほどセリムが使ったものが火の紋章術であったため、空中に浮く風の紋章術も含め、彼らはチームで三つの属性を扱えるというわけだ。

 電撃を受けたヘウズギットは、大きくのけぞった。

 怪魚の悲鳴が轟く。

 また飛沫に濡れながら、しかしアニエスは希望を見た。

 ワイヤーの網はもう切れかけだが、ヘウズギットはまだ入り江を出ていない。弩の再装填もそろそろできる。このまま、もたせられるかもしれない。


「――楽しそうだなあ?」


 心臓が、止まった。

 突如、頭上を覆った異形の影。この場で最も聞きたくなかった、声に。

(魔、王・・・?)

 振り返れば、宙にある。

「っ、出やがったか!」

 崖に残っていたヨハンらが素早く武器を構える。

 ギギはそんな人間たちと怪魚を視界に収め、心底嬉しそうに笑った。


「我もまぜろっ!!」


 一直線に海面へ飛び、振りかぶった拳が水に触れるや否や、大爆発が起きた。

 再び、ヘウズギットが宙を舞う。

 入り江に溜まった大量の潮水と、海底の瓦礫まで舞い上がる。アニエスらの体も衝撃で宙に投げ出された。

 風の紋章術を使える者は、咄嗟に助けられる範囲で人を受け止める。

 だが全員の行方はわからなかった。

 崩れた崖下に落ち、雨のように降り注ぐ海水を浴びて、アニエスは今度こそ心の底から諦めた。

(もうだめだ)

 この入り江は放棄し、急ぎ商船に知らせ進路を転換させる。この場は怪魚の拘束よりも救助と避難が優先だ。

 あるいは、うまくいけばギギがヘウズギットを退治するかもしれない。その後なら再び商船を呼ぶことができるだろう。

 代償として地形が大幅に変わるかもしれないが、実際すでに変わりつつあったが、いずれにせよギギを止めることができない以上、どんな被害も受け入れるしかなかった。


 ホエェェ――


 海面に叩き付けられたヘウズギットが鳴いている。新たに現れたわけのわからない最強生物に、魚も混乱しているのだろう。

 商船のほうには空を飛べる研究員を使いに出し、救助を急ぐアニエスには、やはりその声が寂しく聞こえた。

 助けを求めているように聞こえた。

(・・・思えば、ヘウズギットはこの世界で孤独なんだ)

 元の世界でどのように生きていたのか、無論アニエスは知る由もないが、意図せず知らない世界に一匹だけで放り込まれ、さぞや不安であったろう。

 そこにつけて、この世界の得体の知れない生き物たちにおどかされ、痛めつけられている。

(可哀想なことをしてしまった)

 アニエスらにも切羽詰まった事情がある。魚の気持ちまでいちいち汲んでいられる余裕はない。

 だがもう少し、別の方法を探しても良かったのかもしれないと、今は思えた。


 ホエェェ―――


 ヘウズギットが鳴く。

 遠く、空の高きを通ってどこまでも響き渡る。

 雲に反響し、風に運ばれ、長く伸び、


 キュゥゥイ―――


 不思議な声を、引き寄せた。


 ヘウズギットに殴りかかるギギの拳を凪ぐように、その時、大火が入り江に舞い込んだ。

 瞬いて見れば、それは火ではない。

 噴き出したばかりの溶岩のようにあかく輝く、一羽の巨大な鳥である。

「オペルギット!?」

 歓喜の悲鳴を上げたのはコルドゥラだ。

 エインタートからは遠く離れた、ダラムタル山で溶岩を吸う滅多に飛ばない異界の鳥が、なんの脈略もなく現れたのだ。誰しも驚愕せずにはいられない。

 もともと火を苦手としていたギギは、炎の色をしたその鳥の姿に思わず拳を引いていた。

 オペルギットは、その羽ばたきのたびに羽の先から炎が散る。

 入り江を小さく旋回し、まるでわざと炎をギギとヘウズギットの間に降らせているかのように見えた。

「まさか、ヘウズギットを助けにきたの?」

 呆然とした姉のつぶやきを聞いたアニエスは、思い切って宙に浮き上がった。

「魔王様」

 火の粉に顔をしかめるギギの前に身を晒す。

「お騒がせして申し訳ございません。ですがこの場は、もう収まります。後でお詫びのケーキを必ずお持ちしますのでどうか、ここは私におまかせください」

 興奮状態のギギを止めることはできない。

 よって止めるのならば、オペルギットの登場に不意を突かれた今しかなかった。

 勇気を振り絞り、アニエスは異界の怪物たちの盾となった。

 緊張した灰色の瞳と、それから特に向かって来ようとするでもない鳥と魚とを見やり、ギギは、ふんと鼻を鳴らした。

「・・・つまらん」

 言い捨て、失望したように森へ帰ってゆく。大きかろうが小さかろうが、戦意のないものは彼女の相手にはなり得ないのだ。

 アニエスは胸をなでおろし、怪物二匹のほうを振り返る。

 危機は去ったと見たのか、オペルギットは崩れた岩場に降り立ち、キュイキュイ鳴いた。それに合わせるように、ヘウズギットのほうもホエェと鳴く。

 二匹で向き合い、まるで会話をしているかのようだ。

 暴れていたヘウズギットが嘘のように大人しい。

 この光景を見れば、コルドゥラの予想通り、種族は違えどやはり、彼らは同じ世界から来た生物だったのだろうと思える。

「もしかして、共生関係にあるどうしなのかしら」

 空を飛び、アニエスの隣に来たコルドゥラが所見を述べた。

「ヘウズギットは、この世界に来てからずっと仲間を呼んでいたのかもしれないわね」

「・・・そうですか」

 何がどうあれ、アニエスはどっと疲れた。

 オペルギットは一度降りるとなかなか飛ばない。重い体はそう簡単に飛び立てないのだ。そしてヘウズギットのほうも、どうやら鳥の傍から離れたくないらしい。

 アニエスたちは仲間の救助の傍ら、商船が無事に荷下ろしを完了するまで怪物たちを見張りつつ、何やら気の抜ける彼らの会話を数時間、聞くともなしに聞いていた。

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