27.無謀勇者
「――魔王をダシに腕試しの連中を募り、こちらは宿や装備等の必要な店を出し金を落としてもらう、というのも案の一つにはございましたが」
レーヴェが無感情に床を見下ろし、抑揚のない声で話している。
包帯や軟膏を人に渡してから、それに応じるアニエスは、ひどく疲れた顔をしていた。
「・・・おそらく、誰も二度と来ないでしょう。こちらとしても、気が気ではありません」
憂鬱な瞳に映るのは、領主館の一室で手当てを受けている、満身創痍の傭兵たちである。
ジークが慣れた手つきで速やかに止血や骨折の処置を行い、研究室から急遽引っ張り出してきたリンケには、できる範囲で診察をしてもらい、意識のない者はグスタとクルツが協力してベッドに寝かせ、気が動転している者にはルーがハーブティーを配っている。
午後の就業をすべてストップし、館のほぼ総員で看護にあたる羽目になった、これが魔王に挑んだ勇者たちの惨憺たる結果である。
北の森から館まで何度も往復し、怪我人を空から運んだアニエスもまた、疲労の色が一段と濃い。
「強かったなー」
肌の見えるところにはほとんど、包帯を巻かれたファニ・ベルネという女戦士が、カーペットに足を投げ出して座り込み、暢気に呟いていた。
彼女の傍らには、スヴァニルでは珍しい、銃が横たえられている。銃身が剣のように長く、肩にかけて運べるよう革紐が付けられていた。
また腰のベルトにも、先がラッパのように広がった短銃が吊られている。いずれも外国で入手した代物だろう。
銃は暴発するもの、との思い込みが頭にあるスヴァニル人のアニエスにとっては、それが目に見えるところにあるだけで落ち着かない。
念のためファニに安全性を確認したが、「これボルトアクション。ハンドル上がってれば大丈夫」と言われたところで意味はわからなかった。
大型の動物や魔物さえ仕留められる威力を持つ銃らしいが、どうやらギギには通用しなかったようである。
今、手当てを受けている魔王退治一行は、最初に館を訪れた時の二十数人から実に半数以上が減り、十人となっていた。
ギギに殺されたわけではない。挑む直前に、仲間どうしのいざこざで離脱したのである。
意気揚々と魔王退治にやって来た彼らに、アニエスはまず二ヶ月ほど前の対決の顛末を話し、すでに退治が必要なくなっていることを説明した上で、それでも挑むというのであれば、誓約書に署名をしてもらい、森へ入る許可を出すと伝えた。
誓約書とは、森で勝手に資源の略取を行わないことと、たとえ生命を脅かされる事態に陥ろうと、一切は自己で責任を負うことを承知する証書である。
魔王退治の行為自体は、魔王当人の希望により今も禁止はしていない。
退屈な彼女は討伐隊の到来を心待ちにしており、やって来た時には彼らの挑戦を阻まぬよう、アニエスは日頃からよく念を押されていた。
万が一にもギギが退治されてしまっては、むしろアニエスらは困るのだが、純粋な戦いにおいてギギが負ける要素は見当たらないため、そこまで心配していない。
いっそ、その魔王の強靭さと好戦的な気質を商売に利用できないか、レーヴェなどはあれこれ策を練っていたのだが、どう考えても挑戦者のメリットが小さ過ぎる。
ギギを退治されたくないアニエスが、討伐隊に報奨金を出すことはなく、さらに世間ではエインタート領主がすでに魔王を下したことになっており、今さらそれを倒して得られる名誉もほぼないときている。
骨折り損以外の何にもならない。
これに話が違うと憤慨した魔王退治一行のメンバーが、次々に離反したというわけである。
それでも残った者は、わずかに得られる栄誉を求め、なかばやけくそ気味に森へ突入し、あえなく玉砕。
案内と様子見に付いて行ってもらっていた、ジークとクルツの知らせを受け、アニエスも救助に向かい、現在も手を煩わされている。
もともと彼ら《血眼狼》は解散寸前の弱小ギルドで、先代のギルドマスターの息子のセリム・アベーユという若者を中心にした、十人程度の団体だった。
他は今回の魔王退治のために集めた俄かメンバーだったらしい。そのため、なんの未練もなく見限られてしまった。
エインタートの領民とローレンの兵士と、最上級の紋章術士であるファルコを咆哮だけで圧倒した魔王に、いくら魔物退治の経験があるとはいえ、たった十人で挑んだことがすでに間違っている。
はじめから、結果はわかりきっていた。
「わ、大丈夫ですか?」
やや大きなルーの声が聞こえ、見やればファニと同じく床に座り込んでいる青年、セリムが目に腕を当てがっていた。
「痛いんですか? 大丈夫ですか?」
ハーブティーのカップを持ち、心配そうに声をかけるルーにも答えられないほど、えずいている。
(泣いてる)
自分よりも年上と思われる男性が、本気で泣きじゃくっている様に、アニエスは慄いてしまった。あまりに見慣れない光景だったのだ。
だが見て見ぬふりもできず、仕方なしにそちらへ様子を伺いに行く。
「大丈夫ですか」
床に膝をつき、セリムに声をかけてみる。
さすがに領主に対しては応えようとする素振りを見せていたが、口を開くと泣き声になってしまう。しばらく会話は無理そうだった。
「あー、すんませんね」
すると横合いから、年配のメンバーがフォローに出てきた。
顎のところに大きな古傷がある、ベテラン風の中年男性で、泣きじゃくる青年の頭に片手を乗せ、アニエスに詫びる。
「こうなると長いんですわ。ほんとすんません。ご迷惑は承知の上で、しばらく休ませてください。お願いします」
「それは、構いませんが、お体は大丈夫なのですか? ここに正式な医師はおりませんので、もし痛みが強いようならローレン領の医師のもとまでお送りしますが」
「あー、いえ、こいつはただベソかいてるだけなんでお構いなく。色々と目論みが外れたおかげで、この先どうしていいかわからなくてね・・・」
フォローしているベテランのほうも顔色が悪い。
辺境へ来るのもタダではない。どうやらギルド存続の望みを魔王退治にかけていたらしく、聞けば路銀もほとんど残っていないという。
(どうして皆、身一つで来るんだろう)
一度きりの人生をそう容易く田舎にかけないでほしいと思う。かけるのならば、十分に情報を収集し、熟考してから決めてほしい。
これまでなるべく堅実な道を選んできたアニエスからすれば、信じられない話だった。
「セリム泣くなっ。金なしでも食うもんあれば、どこだって行けるっ」
長い銃を片手で掲げ、一人元気に言うのはファニだった。
彼女だけ、他のメンバーとは違って落ち込む様子がなく、アニエスに白い歯を見せていた。
「なあなあ、アテマ――鹿、撃っていいか? 食えばセリム、元気出る。あんたにもあげる。だめか?」
やや片言に、無邪気に話しかけられ、アニエスは少々面食らう。
「猟もできるのですか?」
「できるぞっ。魔王むりだったけど、鹿も魔物も獲れるっ」
「ほう」
と、真っ先に反応を示したのはリンケだった。
「ちなみに、魔物の生け捕りはできますか?」
「そりゃモノによりますかね」
細かい話にはベテラン風の男が答える。
(害獣の駆除、先生の補助、か)
アニエスが考え始めると、それを察したかのように、処置を終えたジークがそっと右手を挙げた。
「アニエス様、もし可能であれば、彼らを雇い入れてはいただけないでしょうか」
「え・・・」
セリムが涙に濡れた顔を上げた。真っ赤な目が驚きに見開かれ、ジークとアニエスを交互に見やる。
ジークは挙げた右手を頭の後ろにやり、やや弱ったような笑みを浮かべていた。
「正直、俺一人では手が回りきらないところがございまして。獣の駆除や、魔物研究の手伝いに、領内の見回り、館の警備と修復作業にもう少し人がいると助かります。それに加えて、現在無人の領境の見張り塔にも人を配置し、領地の出入りを管理したほうが警備上良いのではないかと」
改めて仕事内容を並べられ、アニエスはいかにこの人の好い従士を酷使していたかを自覚できた。
中には彼が自分で判断し、自主的に追加したものも含まれているが、いずれも必要な仕事である。
「それに女性の護衛がいれば何かと便利ですよ。例えば男が入れないところでも、アニエス様をお守りできます。魔王との戦いぶりを見る限り、彼らの実力はおおむね問題ないと思われました」
「・・・そうですか」
結果は惨敗であったが、そもそもの相手が悪過ぎるのだ。ジークが言うのであれば、アニエスはそれを信用する。
「まあ、あと、これは関係ないことですが、個人的に同情してしまうと申しますか、できれば助けてやってほしいのです。俺も一応、エインタートに生まれた者として、行き場のない辛さはわかります」
ジークの実家は現在王都にあるものの、三歳までは両親とともにエインタートで暮らしていた。
避難所にもしばらくいたが、八歳の時に王都へ引っ越した。よって、ジークにはおぼろげながら、アニエスの母とふれあった記憶もある。
そして王都に移ってからはずっと、両親の郷愁の想いを聞かされ育ってきたのだ。住んでいた期間は短くとも、彼の故郷はまぎれもなくエインタートであり、他の領民たちとその想いは変わらない。
故郷を失った、寄る辺ない心を底に抱えて生きていた。
王城で母も生まれの場所も知らずに暮らしていたアニエスもまた、同様である。
(・・・ここには行き場のない人が集まって来るのかな)
立場的に、心情的に、経済的に、どこにも行けない者ばかりだ。
アニエスは一つ頷き、改めてセリムに向き合った。
「エインタートには仕事がいくらでもあります。皆さんさえ良ければ、ここで働いてもらえませんか?」
セリム含め、彼らは唖然としていた。
アニエスに仕えることになれば、ギルドは解体ということになる。その状態が一時的か、永続するかは彼ら次第だが、とにかく今のアニエスには一人でも多くの人手が必要だ。
「こいつぁ・・・ある意味、魔王の首を獲るより良い展開じゃねえか?」
ややあって、ベテラン風の男が呟き、セリムは震えながら言葉を紡ぐ。
「い、いいんですか? 本当に俺らみたいな弱小ギルドの連中でも? 《血眼狼》じゃなくて《涙目犬っころ》って呼ばれてるのに?」
(それはすぐ泣くからでは)
詳しいことは何も知らないが、アニエスは反射的に、セリムに原因があるのではないかと思った。
「・・・ええ。こちらが頼む仕事を、なんでもしていただけるのであれば。もちろん内容に不満があればご相談とはなりますが」
「もともと俺らは何でも屋ですよ。おまかせくださいっ」
まだ気絶している者はいるが、起きているメンバーたちはすでに乗り気のようだった。それほど切羽詰まっていたのだろう。
ならず者も多いと言われるギルドで、彼らがどれだけ信用できるかは、今後の仕事ぶりを見て判断していくことになる。
しかし、狼が犬っころと呼ばれているのであれば、頼もしさに欠ける分、害はなさそうである。
「――そういうことで、大丈夫でしょうか」
念のため、アニエスがレーヴェを窺うと、「承知しました」と無機質な声音が返ってくる。
「ではさっそく雇用契約書を個別に作成いたします。ひと月は仮契約とし、その期間中に働きが不十分であった場合は無条件で解雇する旨を記載、でよろしいですね?」
「・・・はい」
レーヴェがわざわざ解雇という言葉を口にしたのは、思わぬ幸運に浮かれる彼らに水を差すためだ。実際セリムなどはあからさまに動揺していた。元来、気の弱い性質なのだろう。
それでも生まれの立場上、集団のリーダーをまかされていた彼に、アニエスは少々親近感を覚えた。
ともかくもこの出来事により、エインタートは初めて、ごくごく小規模ながら兵団と呼べるようなものを、持つことになったのだった。




