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26.異界魚調査

「いい風ね」

 秋の青空を映した入り江の前で、コルドゥラは潮風に流れる黒髪を軽く押さえる。

 健康的なこの姉には、自然の景色がよく似合う。と、横で青白い顔をしながらアニエスは思った。彼女のローブの裾も、緩やかな風にはためている。

 エインタート領西方にある入り江は穏やかで、波もほとんど立っていない。港を作るには最適の場所である。事実、かつてのエインタート領主はここに港を設置し、漁や物資の輸出入を行っていた。

 しかしある時、台風による高潮が直撃し、すべて粉々に砕いてしまった。今では港の影もない。

 そうして長年、人の手がつけられなかったエインタート周辺の海域には豊かな生態系が構築され、それを狙う他国の密漁者にたびたび領海を侵されていた。

 これらの情報は、アニエスがゴードンから教えられたものである。

 領内の復興が順調に進めば、いずれこの面倒な外交問題にも着手せねばならないことを、先んじて兄に予告されていたのだが、期せずして異界の巨大魚が現れた。

 入り江に近頃やけに流れ着くようになった木片や金属片は、それらの船のものではないかと思われ、そのうち死体でも流れてきはしないか、アニエスは毎日不安で、定期的に見回るようにしている。

 これでは、港の設置など危険で到底できはしない。

 コルドゥラらには、ぜひとも巨大魚の生態を明らかとし、あわよくば、よそへ追い払う方法などを見つけてもらいたいところである。

「――さて、じゃー、まずはサンプルを採りましょうか」

 妹の期待をどこまで叶えられるかはともかくとして、コルドゥラは研究チームの若者たちとともに、海の上へ生身で飛び出した。

 チームの人間は皆、紋章術を習得しており、この入り江にも空を飛んで来た。

 アニエスも調査初日ということで、姉たちの様子見に一人付いて来たのである。

 コルドゥラを含めて六人のメンバーのうち、四人が海の上へ出て、二人が岸に残り、そこで何やら八方にアンテナが伸びた四角い機械を鞄から取り出し、セッティングしている。

 その作業を見ていてもよくわからないため、アニエスも姉を追って海の上へ出た。

 巨大魚はその巨体のために、入り江には入って来ない。だがすぐ近くを回遊している。

 澄んだ海の下を見やると、島のような魚影があった。

「すごい大きさね!」

 姉の傍に行くと、興奮した声が聞こえてくる。

 他の研究員たちも一様に驚きながら、目を輝かせているのだから、恐怖よりも好奇心のほうが先に立つ性質なのだろう。アニエスはそこで妙に感心してしまった。

「どうされるのですか?」

 尋ねると、姉は魚影から目を離さずに答える。

「サンプルを採るには水面に上がってきてもらうしかないわ。あんまり時間もないことだし、ちょっと強引な手を取るわよ。危ないからアニエスは離れてて」

「姉様、危険なことはあまり・・・」

「大丈夫。他の兄様や姉様たちほど無謀な生き方してないわ」

 頼もしく言うので、アニエスは一応信頼し、高度を上げて場を離れる。

 反対にコルドゥラは海面に近づき、片手を魚影の真上にかざした。


「はっ!」


 短い気合とともに、海が割れた。

 跳ね除けられた水が、壁のように高く左右にそそり立つ。

 そうして露わとなった巨大魚の背に、すかさずコルドゥラや研究員たちが我先にと取り付いた。

 魚は仰天して泳ぎ回る。だがそれで背が浮き沈みをしても、必ず一部が露出するように、コルドゥラらの周囲の水だけ、跳ね飛ばされ続けた。

(これは、無謀と言わないんだろうか)

 怪物の背にいきなり飛び付く行為が、果たして思慮に基づくものなのか甚だ疑問である。とはいえ、彼らが王国最高峰の研究機関の人間である以上、これが最も効率的で賢明な手法ということにはなる。

 なかなか振り払えない小さな者たちに、巨大魚は業を煮やしたのか、海面に激しく尾を叩き付けた。

 水柱が上がり、入り江へ高波が押し寄せる。そして尾が深く海中に潜るとかわりに、浮上した鰐のような口から、鳴き声が発せられた。


 ホエェェ―――


 それは禍々しい姿から想像されるものよりも、ずっと高く、どこかか弱く、少しばかり気の抜ける声だった。

 空の遠くまで、まっすぐに飛んでいく。

(・・・どことなく、寂しそうな)

 上空で聞きながら、アニエスはそう感じた。ただの気のせいかもしれない。

 やがて全身ずぶ濡れになったコルドゥラらと、入り江の岸で合流する。巨大魚は人間たちが離れてからもしばらく暴れ回り、やがては海中深くに身を隠してしまった。

「さっそく分析していきましょ」

 コルドゥラは、ナイフでわずかに削いだ鱗の欠片を瓶に入れて持っていた。そして他の研究員たちに成果を確認する。

「体長はどう? 計算できそう?」

「はいっ、大体は」

 何やら目盛りの多い巻き尺を持つ研究員二名が、元気に頷く。

「鳴き声も録れました」

 岸で何かの機材をいじっていた研究員は、訊かれる前に申告した。

 コルドゥラはそれらに満足そうな顔をし、一人手持ちぶさたにしているアニエスのほうを振り向く。

「あと何回か、こんな感じでサンプルを集めていくわ。分析はここでもできるし、夜の様子も見たいから、しばらくこの辺りに野営するわね」

「館には戻られないのですか?」

 まさかそこまでするとは思っておらず、アニエスは驚き、眠そうな目を見開く。

「魔物はともかく、この辺りは獣も出ます。少人数での野営は危険かと」

「大丈夫、慣れてるわ。紋章術もあるしね」

 ウインクまでされ、アニエスは続く言葉を失ってしまった。

 姉は海さえ割れる。怪物におののかない度胸もある。心配無用と言われれば、確かにそうなのかもしれない。

「せいぜい野営は二、三日の話よ。材料が集まり次第、館に戻るわ」

「そうですか・・・わかりました。ですが、あまり無理はされないでください。必要なものなどありましたら、今すぐ手配しますので」

「ええ、その時はお願いするわ。ありがとう。こっちはまかせて、あなたは自分の仕事に戻っていいわよ」

 コルドゥラはてきぱき言い、さっそくサンプルの分析作業に移っていく。

 これ以上はアニエスがここにいても意味はないため、忙しそうな彼らに会釈だけして、その場を後にした。


(コルドゥラ姉様はさすがに頼もしい)

 エリノアしかり、フィーネしかり、社会で活躍している姉たちはそろって性根が男前だ。普通の人間とは胆力が違う。

 一方のアニエスは、ごく狭い世界で、双子の老師匠に守られぬくぬくと働いていた。あまり胆力を鍛えるような場面はなかったのである。

 領主として務めてゆけば、いずれは自分も姉たちのようになるだろうか。

 ぼんやり想像しながら空を飛んでいくと、間もなく館の屋根が見えてくる。

(・・・ん?)

 アニエスは着地の前に、空中で止まった。

 門の前に、人だかりを発見したためである。

 ざっと見る限り、十か二十人ほど。はじめは領民たちかと思ったが、よく目を凝らせば、格好も様子もまるで違った。

 皆、武装している。

 アニエスはとにかく状況を把握すべく、空から門の内側に降り立った。

 そこで正体不明の訪問者を一手に対応していたのは、留守番を頼んだジークである。

「! アニエス様、お帰りなさいませ」

 すぐ後ろに降りた主を振り返った従士の顔は、特に緊張しているふうでもない。彼が警戒していないのであれば、少なくとも危険な客ではないのだろう。

「どうされたのですか? こちらの方々は」

「はい、なんでもギルドなんだそうですが」

「あぁ」

 ギルドの単語を聞いただけで、アニエスは得心できた。

 しかしすぐ、眉をひそめる。

(工人ギルドが下見に来るのは五日後のはずだけど)

 しかも代表者が数名程度という話だった。

 不審に思いつつ、アニエスはひとまずこの集団の長を探す。

 そこで真っ先に目に付いたのが、見上げるほど長身の、鎧を着た女戦士だった。

「――私は、エインタート辺境伯のアニエス・スヴァニルです。失礼ですが、あなたがエッダ・フォスさんですか?」

 レーヴェを介して手紙でやり取りをした、工人ギルドの代表者の名を出してみると、赤毛に褐色の肌を持つその女戦士は、大げさに首を傾げた。

「フォス違う。ファニだぞ? ファニ・ベルネだ」

 辺境伯を名乗ったアニエスに対して、平然と不作法な口をきく。ただし、その態度に嘲りや、傲慢さのようなものは窺えない。

 純粋に、訊かれたことに答えているだけといった様子だ。発音に独特な癖があり、異国人の雰囲気を感じる。であれば、スヴァニルにおける敬意を表す態度や、言葉遣いをそもそも知らないのかもしれなかった。

 彼女はあまりリーダーらしくはない。では誰がと再び目を動かすと、

「我々は傭兵ギルド《血眼狼》と申します!」

 女戦士のすぐ横にいた、小柄な男戦士が声を張った。

(血眼狼・・・目が充血してる狼・・・結膜炎かな)

 などと、どうでもよいことがアニエスの脳裏をよぎる。

 うっかり思考が飛ぶほどに、なぜこの場にいるのか意味不明な相手だったのだ。

「・・・傭兵ギルドの方、ですか」

「はい! 俺が隊長のセリム・アベーユです!」

 男戦士は、はきはきとよい声で話す。まだ若い、青年だった。

 他に彼より年上らしい者はいくらでもいたが、誰も口を挟まないところを見ると、彼がリーダーなのは間違いないようだ。そう思って改めて立ち位置を確認すれば、彼は代表者らしく一番前の真ん中にいる。

 あまり目立つ体格でないため、すぐに気づけなかった。

(傭兵ギルドが何をしに来たんだろう)

 その疑問をアニエスが口に出すより先に、セリム青年が勢いのままに話し出す。


「このたびは魔に支配されし地を王女様が継承されると聞き及び、我ら魔王退治に馳せ参じた次第にございます!」


「・・・」

 アニエスは唖然とする。

 横でジークなどは、完全にやらかしてしまった人間を見るような表情をしていた。

(一体いつの話を・・・新聞、読んでないんだろうか)

 アニエスを王女と呼ぶこと自体が、すでに間違っている。

 呆れ返ってしまいそうになったが、ややあって、王都で話題になっている情報が、必ずしも同時期に王国全土へ広まるわけではないことを思い出した。

 辺境地でもあれば、ひと月ふた月前の情報が最新のものとして届けられることも珍しくはない。実際、アニエスも王都での評判についてコルドゥラが教えてくれなければ知らなかった。

 世に数多いギルドの拠点がすべて王都にあるわけではなく、また彼らは依頼内容によっては、長期に渡り地方、あるいは外国へ赴くことさえある。

 最近になって、彼らはようやくアニエスがエインタートを相続した情報を掴み、魔王退治で報奨金をいただこうと考えたのだろう。

(次から次へと余計なものが・・・)

 アニエスは、小さく息を吐いた。

「――事情はわかりました。では、中へどうぞ。簡単にご説明と、手続きを済ませていただきます」

「? 手続き?」

 怪訝そうな彼らの案内をジークに頼み、アニエスは二階の執務室へ、《魔王退治ご一行対応マニュアル》を急いで取りに行った。

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