裏側
その男について行くと、エントランスホールの端にある、階段脇の、どうあっても開かなかったドアへと真っ直ぐに向かっていた。
それは開け放たれていて、防護服に身を包んだ人達が忙しなく出入りしている。
どうやら、今までもここから出入りしていたようで、皆慣れたように動き回っていた。
ちなみに防護服の者達は、辺りを掃除したり冷蔵庫の中にあった物を折り型コンテナに入れて運び出したりと手際が良い。
恐らく、こんなことをしたのはこれが初めてのことではないらしいことは、その様子で分かった。
そのドアを入ってすぐの所にも広い部屋があり、別棟なのだと分かったが、その男はその広い場所には行かず、すぐ横にある下へ向かう階段へと足を向けた。階段の他にも、エレベーターのドアもチラっと見えたので、エレベーターでも下へ行けるのだと開には分かった。
階段を降り切った所で、鉄製の隔壁が見えた。目線の当たりに、コントローラーのようなものが付いていて、男はそこに自分が持っているカードキーを通した。そして、何か筒状の物を覗き込み、ピーッという音を共に、カチリと音がしてその隔壁でしかない場所が、横へとスライドして開いた。
「ここから、我々の管理エリアです。」
男は、そう言って歩き出す。
そこは、これまで通って来た建物の内部のゴシック調とは全く違う、無機質な金属で囲まれた、機能的な場所だった。
コツコツと足音を立てながらそこを歩いて行くと、ふいに横の隔壁のドアが横へと開き、見覚えのある顔が飛び出して来た。
「開!壮介、光一!よくやったな、勝ったじゃないか!」
「英悟!」光一が、嬉しそうに駆け寄った。「ああよかった、やっぱり生きてたんだな。」
英悟は、笑って頷いた。
「オレだけじゃないぞ。」
英悟が振り返ると、同じドアから慎一郎が、全く普通の様子で出て来た。
「ずっと見ていたぞ、光一。それにしても、面倒なことになりそうだったじゃないか。もしかしてもう一日かかるかと思ったが、案外に早く終わって良かったよ。」
「慎一郎!」
三人が、同時に叫んだ。慎一郎が、生きている。間違いなく死んでいて、その遺体を重苦しい気持ちで運んだのは、つい数日前のことなのに。
「嬉しいですよ、慎一郎。死なないと教えてくれていたけど、確信がなかったから…傷はどうですか?」
慎一郎は、笑って首を前にして見せた。
「ほら、跡もないだろう。薬が投与されてたし、それに人狼だからあんなの一瞬で治ってしまうさ。とにかく、こっちへ。オレ達のボスが話してくれる。」
開は、ハッとしてここへ連れて来てくれた男を振り返った。男は、開達の再会をただ眺めていて、イライラしているようでも無かった。
開達の視線を受けて、その男は笑って首を振った。
「オレじゃないですよ。ボスは、ジョン。中で座って待ってます。」
「ジョン?」
慎一郎が黙って頷いて、三人を促して部屋の中へと入る。
するとそこには、普通の会議に使う長テーブルと、その回りに椅子が置かれてあり、正面の位置には、キリリとした東洋人の顔の、30代前半ぐらいの見た目の男が、座ってこちらを見ていた。
座っているだけで、何やら圧迫されるような雰囲気のあるその男は、薄っすらと穏やかに笑っているにも関わらず、こちらを嘲っているように見えた。
促されるままにそれぞれ椅子へと腰かけると、ここへ案内して来た若い男は、そのジョンと言われた男の横へと腰かけた。開達が緊張している中、そのジョンが口を開いた。
「人狼の諸君、お疲れ様だったな。私は、ジョン・スミス。ジョン・ドゥでもいいぐらいだが、まあここでは苗字など意味はない。ジョンと呼んでくれ。」
開は、それを聞いてそれが偽名なのだと悟った。アメリカでジョン・ドゥというのは、日本で言う名無しの権兵衛という感じの意味あいがあるのだ。
ジョンは言った。
「こっちが要。私の研究所では皆、好きな名前を付けていいのだが必ず英語名にしてもらっているのだ。が、要は本名を使っている。面倒らしい。」
要と言われた若い男は、笑顔で軽く会釈した。思わず皆が返礼し、ジョンは先を続けた。
「で、君達だが、人狼になった。要も軽く説明したかと思うが、君達は今の技術ではヒトには戻れない。研究所にはまだ、数名の人狼が居て、中にはヒトに戻りたい者もいる。なので私達は、人狼をヒトへと戻す研究もしているのだ。まず、君たちの希望を聞こう。人狼から、ヒトに戻りたい者はいるか?」
壮介が、手を挙げた。
「オレは、戻りたいです。あの、人狼のままだと、聴覚も味覚もいろいろと鋭敏になって、傷も早く治るし便利なのですけど、やっぱり、ヒトに戻りたいと思います。そもそも人狼のままだと、どんな弊害があるんでしょうか。」
ジョンは、フッと笑った。
「そうだな、まず、ヒトとの間に子供を残すことは出来ない。だからといって、人狼同士の繁殖もまだ行ったことがないので、人狼同士ならどうかと言われても答えようがないのだがね。そのほかと言えば、今は自分で人狼に変化することが出来ないだろうが、君達の細胞はもう、人狼のそれだ。なので、適切なメンテナンスをしていないと、慣れないので街中でいきなり変化するというようなことが起こり得る。慣れてくれば、そんなことは起こらないが、稀に精神が人狼の体について行かずに、発狂するようなことも有り得る。」
壮介は、顔色を青くした。開も、光一も表情をこわばらせる。ということは、このまま帰っても普通に生活が出来ない可能性があるということだ。
「それって…会社の健康診断とかどうなるんですか。あの、受けないと仕事続けさせてもらえなくなるし、人狼ってことは、いろいろ変な数値が出たりするんでしょう?人狼でなくなるまで、家に帰れないってことでしょうか。」
開が言うと、ジョンは何でもないことのように答えた。
「ああ、健康診断とやらは外部の病院で個別に診断書を書いてもらうと言えばいいんだ。うちの系列病院が請け負うし心配ない。」
壮介と英悟、光一と開は顔を見合わせた。
「それなら…家には、帰れるということですね?じゃあ、オレ達はどうしたらいいんでしょう?」
開が言うと、壮介が隣で、いきなり立ち上がった。
「そんな…もとに戻ることも出来ないのに、こんな体にするなんて!しかも、発狂したりいきなり人狼化したりする可能性があるなんて、どう責任を取るつもりなんですか!オレ達に断りもなく、勝手に人狼にして!」
開は壮介の言葉を聞いて、初めてその通りだ、と思った。今まで、そのことに思い当たらなかったのか不思議だったが、確かにそうなのだ。いきなりこんな所へ騙されて連れて来られて、人狼ゲームに参加させられて本物の人狼へと体を変えられてしまった。それまでは、普通に生きていたのに。
ジョンはそれを聞くと、驚く様子もなく、フッと嘲るような笑みを浮かべて、椅子の背へともたれ掛かった。
「今頃それに思い当たるとは君達も頭は優秀な方ではないらしい。まあ誰でも人狼になれるわけではないのだ。私だって真っ先に自分を検体にしようとしたが、私の細胞はこの薬には適さないことが分かった。君達が人狼に選ばれたのは、何もカードの運ではない。事前に君達の細胞を調べさせてもらい、適応する検体だけを人狼にした。つまり、君達だな。優秀な体にしてやったのだから、感謝してももらってもいいぐらいだと私は思っている。だが、帰りたいと言うのなら止めはしない。君達の同僚とやらと同じように、記憶を改ざんしてそのまま帰すことも出来る。あくまで、君達次第だ。」
しかし、じっと険しい顔でそれを聞いていた、光一が口を開いた。
「さっきそっちの要さんが言ってましたが、オレ達には薬は効かないって。記憶の改ざんなど出来ないでしょう。」
ジョンは、ふふんと笑った。
「生きている者を思うように出来ないなんてことがあるものか。君達にだって効く薬はある。ただ、使ったら後々君達が生きて行くのに面倒になるだろうから、これはあくまで、こちらの好意だ。希望を聞いてやっているんだぞ?立場をわきまえろ。」
光一がぐっと黙ると、じっと聞いていた要が口を開いた。
「彰さん、これらの考え方は知っているでしょう。こちらが合わせてやらないと。真正面から押して行っても分からないものは分からないんですよ。」と、四人を見た。「とにかく、あなた達の選択肢は三つ。このまま普通の生活に戻りつつ、研究所に極秘に通い、人狼からヒトへと戻るための研究の検体になり、ヒトへ戻る道を探すか、研究所に入り、検体として研究に協力しつつ研究所の仕事をするか、それとも今話していたように、使ったら大概が残念な結果になる薬で記憶を消して、仲間達とバカンスに行ってた時に残念な事故にあって…という形で全て忘れて元の生活に戻るか。処置には時間が必要ですし、今ここで選んでください。どれを選んでも、すぐに対応します。」
すぐに対応と言われて、開は初めてまだ腕輪が自分の腕にある事実に気付いた。一瞬にしてこちらを動けなくする手段があるからこそ、この二人は落ち着いてこんな法外な事をズケズケと言えるのだ。
他の三人もそれは悟ったようで、ただ黙って硬い表情をしている。
開は、覚悟を決めて、口を開いた。
「…もう事ここに至っては、あなた達と行動を共にするより他にオレ達の未来はないでしょう。仮に協力すると言って元の生活に戻り、あなた達の事を警察に告発しても、逃れるだけの術も持っているという事なんでしょう?」
それには、ジョンがクックと笑って答えた。
「思ったより利口ではあるようだな。その通りだ。そうなっても誰が信じるものか。調べたところで今の医者には君達の細胞の某かなど理解出来ず、結局は奇異な者として研究される対象にしかならない。そして、それが何によってなされているのかもまた、理解出来ない。不可能だと判断されるからだ。そして、そのうちに人狼である君達は変化を意思とは別のところで繰り返し狂い、最終的には検体として意識を剥奪されたままになるか、危険生物として処理されるかになるだろう。世間はまだ、己の理解出来ないものを排除する風潮がまかり通っている。その世の中に生きていた君達なら、それが分からんはずはないだろう。」
開は、唇を噛みしめた。何を言っても無駄だ。恐らく、この二人は知っている。自分達が、そんなことをする勇気もないことを。そして、やったところで誰も信じないことを。こうなってしまったからには、自分達は検体として研究に協力し、一刻も早くヒトへと戻るための方法を編み出してもらい、ヒトに戻るより他、この運命から逃れる術はないのだ。
「…こんな体で、普通に働きながら研究所に通う自信はありません。」開は、観念して言った。「研究所で、働かせてください。」
それを聞いた、要はジョンを見た。ジョンは、特に驚く風もなく淡々と頷いた。
「分かった。ならばそういう風に計らおう。で、他の三人は?」
壮介は、思いつめたような顔で、言った。
「…研究に協力したとして、どれぐらいでヒトに戻れるんでしょうか。」
ジョンと要は、顔を見合わせた。そして、それには要が答えた。
「今、その研究を任せているのはオレなんですがね。いいところまでは行ってるんですが、今のところ見通しは立っていません。数カ月かもしれないし、数十年かもしれない。こればかりは運もあるし、あなた方が生きているうちに元へ戻せると言い切ることはできません。」
それを聞いた壮介は、ますます顔色を青くした。英悟が、思い切ったように口を開いた。
「…オレは、今の仕事を続けながら研究所に通います。ここへ定期的に来ていれば、いきなり人狼に変わったりすることはないと慎一郎から聞いているし…」慎一郎が、英悟に頷く。英悟は続けた。「今のマンションは買ったばかりでローンもこれから払って行かなきゃならないし、ここで働いたからって給料もどれほどもらえるのか分からないし。」
開は、そろそろさくらと結婚を考えてマンションを二人で選んで購入したのだと英悟から前に聞いていたのを思い出した。しかし、この状態ではもう、結婚も出来ないだろう…。
ジョンが、軽い調子で言った。
「ローン?ああ、家を買うのに分割払いにしているということか。そのことなら特に気にすることはない。こちらで、住宅手当としてその分を支給できるようにしておこう。全て、自分が好きなようにしたらいいと思う。私は別にどちらでもいいが、それでも下界の連中には週に二回ぐらいの休みがあるとかで、その上仕事といったらストレスになるようなことばかりをさせられているとか何とか。ならばその週に二回の休みはかなり貴重なものであるはずなのに、研究所に詰めるとなると続かないのではないか?あくまで、これは私の考えではあるが。」
英悟は、驚いたように顔をした。開も、それには驚いていた。仕事とは、そんなものではないのか。時にストレスもあり、やりたくもないことも、しなければならず…。
光一が、言った。
「仕事なんてそんなものだと思いますがね。好きなことを仕事にしているなんてほんの一部の人だろうし。」
しかし、そんな光一に、ジョンは驚いた顔をした。そう、演技でもなんでもなく、本当に驚いていた。
「なんだって?なぜにしたくもないことで稼ぐことを選ぶのだ?下界の者達は、それほどに自分を追い詰めたいのか。」
それには、要が横から苦笑して言った。
「それなりに、需要がないと自分が好きなことで稼ぐことを選べないものなのですよ、下界では。学ぶのに金も要りますしね。それを稼ぐのにまた、仕事をしなけらばならない。大概が、面倒なので手っ取り早く稼げる仕事について行きます。自分が好きでなくても、そうしなければ食べていけませんからね。彰さん、覚えてませんか?あちこち大学を回っていて、就活している人達だって居たでしょう。彰さん自身、どこかの研究所とか企業から引きがあったんじゃありませんか?」
なぜか彰と呼ばれているジョンは、思い出すように顔をしかめた。
「ああ、別に探さずともあちらからいくらでも仕事を差し出しては来たが、私は興味が無かったから就職などしなかった。しかし学びたければ、いくらでも金を出してくれる機関が政府も含めていくらでもあるのにな。」と、英悟と光一、壮介を見た。「で、どうするんだ?ここで決めてもらわねば、帰るなら他のヤツらと一緒に帰したいからな。あの薬を投与した結果次第であれらに刷り込む記憶も変わって来るし…つまりは、事故の記憶を足さねばならんからなのだが…早く帰りたいだろうが。私達だって早いところ撤収したいのが本当のところ。さっさと決めてくれないか。」
少しイライラしているようだ。
隣りの要はといえば、落ち着いていてそんなジョンを気遣わしげに見ているだけなので、こっちの方がいくらかは話が分かりそうだった。
光一は、なので要に言った。
「これからの人生がこれで決まると思うとオレ達も慎重になるんだ。一時間でいい、時間をくれないか。オレ達で、話し合うから。」
ジョンが抗議するように横で口を開きかけたが、それを要が制した。
「ここはオレが。」そして、要は続けた。「お気持ちはわかるつもりです。今回のことも、私が新しい検体を欲しいと言ったばかりに行ったことなので、ジョンに無理を言えないのですよ。なので、30分だけ。こちらのゲームの後の片づけが、あと1時間ほどで終わります。30分で結論を出して頂いて、残りの30分で処置を終えます。そして、元の場所へ戻ってもらって残りの日数を楽しく過ごしてもらい、船で日常へ戻ってもらいましょう。研究所へ来ると決めた人も、一旦は戻ってもらいます。その後、あちらの会社を退職してもらって、改めてこちらからお迎えに上がるということになりますから。それでは、私達はこれで席を外します。」
要は、立ち上がった。ジョンは、納得いかないようだったが、それでも立ち上がって、そして要と一緒にそこを出て行ったのだった。




