争い
開は、そっと居間を出た。
このところ、よく眠れていない。
それなのに、体は非の打ち所がないほど元気で、食欲もあり、食事を作る時に少しぐらい傷をつけても、一時間もしない間に、気が付くとその傷は跡形もなくなっていた。
自室へ帰って自分が着ているジャージを放り投げると、急いで持って来ていた服へと着替える。
本当はここの備え付けのジャージなど着たくはなかったが、毎夜気をつけているはずでもあちこち汚れていて、それを必死に洗濯するので、洗い替えが無くなって来ていたのだ。
幸い、それを指摘する人もここには居ない。というか、皆そんなことに気が回らないのだ。
何しろ、人狼が居る。その人狼が、毎夜襲撃しては人を殺して行くのだ。
信用出来るはずの占い師も、どちらが本物が分からない。霊能者までそうなのだ。
そうなって来ると、村人は村人同士疑心暗鬼になって殺し合う。そんな様を見ていると、開は日ごろの関係など稀薄なものなのだなとばかばかしくなる。
何もする気力がなくなって、今出て来たばかりの自室のドアを開こうとすると、後ろから声がした。
「開。」
開は、振り返った。そこには、慎一郎が立っていた。それを見た開は、顔をしかめて声を抑えた。
「…なんだよ。表立って話をして来るなよ。」
慎一郎は、フンと嘲笑うように息を漏らした。
「怖いのか?お前、完全潜伏しているつもりかもしれんが、そろそろ疑われるぞ。共有も長くは狐探しで時間を取ってはくれないようだ。黒を消すと言っていたし、オレはグレーを精査して行くことを押すつもりでいるが、どうなるか分からない。言い訳を考えておけ。」
開は落ち着かないように体を動かして、回りを見た。
「おい…廊下でそんな話。」
慎一郎は、笑いながら手を振って、歩き出した。
「ここは完全防音だ。ドアが閉まっていたら普通の人間には何も聞こえないんだよ。じゃあな。」
慎一郎は、自分の部屋へと戻って行った。開はため息をついて、自分の部屋の鍵をカードキーを使って開くと、逃げるように中へと駆け込んで鍵を掛けた。
ベッドの上に倒れ込むと、軽いめまいがした。
体調は悪くないのに、自分の体に劇的なことが起こったのにまだ慣れておらず、時に視界が狭くなったりあり得ないほど広くなったり、聴覚が異常なほど鋭敏になって普段なら聴こえるはずのない音まで聴こえたりする。
そうすると、体は元気なのに脳が自分の能力を理解し切れなくて、混乱するのか頭痛や眩暈などの症状が出て、イライラしたり、叫び出したくなったりする。
同じ仲間は涼しい顔をして会議に出ているが、自分など黙って座っているのに精いっぱいで、何を話し合っているのか理解するのも難しかった。なので意見を言うのも、たまたま耳に入った話に対してそれらしいことを何とかこじつけて言うだけだ。さすがに一言も発しないのはまずいと思い、その一言すら必死だった。
…普通の人間には、か。
開は自嘲気味にクッと笑った。つまり、廊下の音が微かにでも聞こえるオレは、普通の人間ではないってことだ。
その聴覚が、廊下の声を聞き取った。
『開、話がしたい。』
英悟の声だ。
開は、起き上がってドアへと歩いて行くと、鍵を開けた。
「どうしました、英悟さん?」
英悟は、入って来てドアを閉めてから深刻な顔で言った。
「すまない、誰も話を聞いてくれないんだ。お前なら、少しでも聞いてくれるんじゃないかと思って。」
開は、何事だろうと少し不安になったが、椅子を勧めた。
「座ってください。どうしたんですか、何か、バレたとか?」
英悟は、首を振った。
「いいや。オレは篤夫にいちゃもん付けられてるだけで、うまくやってる。村人には分からんみたいだから平気だ。お前は、体調はどうだ?」
開は、肩をすくめた。
「まあぼちぼちです。相変わらず会議の時はいきなり叫び出しそうで我慢ですが、段々落ち着いて来たみたいで、少し意見も言えるようになってきました。」
英悟は、頷いた。
「喋ってるなって思ってたんだ。初日と違ってあの薬が体に回ってからってもの、オレ達も頭がおかしくなったみたいに、単純なことしか理解出来なかったりして混乱したもんだが、今は元通りになってるような気がする。」と、息をついた。「…で、話っていうのは、今夜の襲撃先の事なんだ。」
開は、少し驚いたように目を開いた。
「え、今夜また下へ集まって決めるんでしょう。投票先とか発言とか今日どうなるかまだ分からないし。それとも、誰か襲撃したい人が居るんですか。」
英悟は、何度も首を振った。
「違う!その反対だ!オレは…さくらを、襲撃しないで欲しいんだ。」
開は、それこそ顔をしかめた。
「別に、理由もなくあなたの彼女を襲撃しようなんて言いませんて。昨日だって彼女は名前すら出ませんでしたよ?初日だって同じように寡黙なグレーの那恵、狐探しで噛んだのにさくらさんにはみんな見向きもしなかったし。それを、なんで今日なんですか?」
英悟は、深刻な顔をした。
「…慎一郎は、何か言ってなかったか?」
開は、首を傾げた。
「別に…共有が黒を吊るとか言い出したから、慎一郎はグレー吊りを押すけど、オレに何か言い訳考えとけってだけ。オレも、事前に何か考えとけば咄嗟に話を振られても多分答えられるだろうから。」
英悟は、言うか言うまいか迷っているような顔をしたが、しばらく視線を反らしただけで、思い切ったように開を見た。
「どうせ、お前にも言うだろうから話すが、オレ達は聴覚が鋭いだろう。慎一郎が自分の奥の部屋へ帰る時にさくらの24の部屋の前を通るんだが、朝の会議の後通りかかった時に、共有と話してるのが聴こえたようなんだ…腕輪で話してるようだったらしい。」
開は、そんなこともあるだろうと、頷いた。
「彼女は村人だから、何か考えでもあったんだろうね。彼女が、慎一郎を怪しんでたとか?」
英悟は、前に組んだ手を見て、首を振った。
「いや…さくらが話してたのは、昨日の護衛先だった。」
開は、目を見開いた。
「え、さくら…狩人だったのか!」
英悟は、完璧な防音なのに、辺りを伺うように視線を動かした。
「声が大きい!役職者なんて知られたと知ったら、あいつも襲撃が怖いだろうし。」
開は、顔をしかめた。
「だから完全防音ですってば。人狼に知られた時点で、かなり怖いことだと思いますけどね。でも、それじゃあ今夜は、さくらを襲撃ってことになりそうなんですか。」
英悟は、深刻な顔をして頷いた。
「ああ…慎一郎は、今夜は襲撃先に迷わないから時間が掛からなくていいって笑ってた。でもオレは…。」
英悟は、唇を噛みしめた。開は、ため息をついた。確かに、恋人をあんな風に殺すなんて出来ないだろう。だが、このゲームはリアルな人狼ゲームなのだ。このままだと、いつかはさくらにも手を掛けなければならない時が来る。今日しのいでも、明日明後日と、狩人は必ず人狼の障害になるはずなのだ。自分達が生き残るためには、情けなど掛けていられない…。
「英悟さん…」開は、同情した顔で言った。「人狼だった時点で、さくらとはもう敵同士なんですよ。さくらだって、英悟さんが人狼だと知ったら、きっと吊ろうとすると思う。襲撃は楽だよ、吊られるのに比べたら、意識もないし眠っている間に済んでしまうんだから。それを考えたら、人狼だとバレてオレ達が夜にしてることを知られるぐらいなら、先に眠ってしまった方が英悟さんにとってもいいんじゃないか?」
英悟は、分かってたのか、キッと顔を上げると、首を振った。
「お前までそんな風に言うのか!敵同士たって…カードの振り分けがそうなってしまっただけじゃないか!あいつが村人だって、殺さずにゲーム終了まで行くことは出来るはずだ!他の、そうだ征司とか舞花とか!共有だって手を掛けることが出来るだろうが!」
開は、ゆっくりと首を振った。
「駄目ですよ、英悟さん。その人達はみんな、狩人に守られてる可能性があるから、襲撃をかわされる可能性があるんです。狐を噛んでても、狩人の護衛成功なのかオレ達には分からないし、狩人が分かったならサッサと処分してしまうのは人狼側から見たら当然のことだ。慎一郎が言ったことが本当なら、今夜はきっとさくらを襲撃することで決まってしまうんじゃないですか…オレも、反対する理由が見当たらない。」
英悟は、何度も首を振りながら勢い良く立ち上がった。
「なんだよ!人が死ぬんだぞ!お前達は都合よく生き返るんだとか蘇生措置があるんだとか言ってるが、あんなに放って置かれた死体が生き返るなんて本当にあると思っているのか!オレはさくらを襲撃するのは反対するぞ!最後まで反対する!」
開は、慌てて出て行こうとしている英悟を追って言った。
「英悟さん!あなたに襲撃させようなんて誰も思ってないと思いますから!」
英悟は、ドアノブに手を掛けて振り返って怒鳴るように言った。
「オレはさくらを守るぞ!好きで人狼になったわけじゃないんだ、お前らの思うようにはさせない!」
「英悟さん!」
英悟は、ドアを勢いよく開くと出て行った。
開が慌ててそれを追って外へ出ると、廊下ではドアが閉じていても騒ぎを聞きつけることが出来た慎一郎と、光一が出て来て立っていた。英悟は、それを見たが無視して横をすり抜けて階下へと駆け下りて行った。




