死因
ノックしても聴こえないだろう思われたので、進はその10番の部屋のインターフォンを押した。普通のマンションなどなら中から漏れ聞こえて来るはずの、呼び出し音が全く聞こえない。壊れていないかと心配になった頃、ドアが開いた。
「…ああ、君か。すまんな、中からどうぞって言ったんだが、思ったら完全防音だった。入ってくれ。」
進は、軽く頭を下げた。
「はい、すみません。あの、下で話していて気になったことがあったんで、話に来たんです。」
角治は、頷いた。
「いいぞ。司も居るし、聞かせてくれ。」
ハッとして奥を見ると、ベッド脇の椅子に司が居た。幾分顔色はいいようだ。進は、ぎこちなく笑顔を作った。
「よお。少し気分は良くなったか?」
司は、肩をすくめた。
「ああ、少し。すまん、なんか取り乱してしまって。あの血の海を見て、正気で居られなかったんだ。」
進は、首を振って司の近くの椅子を引き寄せて、座った。
「誰だってそうだ。恭一だってあの光景が脳裏に焼き付いて離れないみたいで、下で話してても何だかおかしい感じだった。那恵の傷から、目が離せなかったからしっかり覚えてるとか言って。」
司は、眉を寄せた。
「傷?」と、角治を見た。「…忘れてた。あの出血だもんな、どこか酷く傷つけられたはずだよな。」
進は頷いて、角治を見た。
「部長、あの、もしよかったら那恵のことをもっとしっかり調べて来ようと思っているんです。相手が、どんな殺し方をしたのか見ておくべきじゃないかって。だって、情報は必要でしょう。オレ、すっかり仲間の中に人殺しが居ると思ってたんですけど、恭一が見たのは、動物に噛まれたような歯型みたいな穴だったらしくて。もしかして、人狼陣営は襲撃先を選んだだけで、直接手を下してないんじゃないかって。そうしたらこの、オレ達を閉じ込めてる相手ってのは、いったい何の目的でこんなことをしてるのか、分からなくなって。だから、那恵をしっかり調べておくべきだろうって話になったんですよ。」
角治は、ふーんと顎を撫でた。
「確かに、そういうことなら見ておいた方がいいな。」
司も、何かに思いたったように角治を見た。
「部長、確かにこれから先、呪殺と襲撃の見極めが、それでできやすくなるかもしれません。普通のゲームなら死体が出たってだけでどっちか分からなくなるところを、リアルで死体を見るから判断出来るんですよ!狼は、噛み合わせが出来なくなる。ってことは、狼にとって不利になります!」
司は、急に元気になって目がキラキラしていた。どうやら、それに思い立ってかなり嬉しいらしい。進は、そこまでは考えてなかったが、確かにそうだと頷いた。
「ほんとだ。あれが襲撃なのは、あの血まみれの様子からも分かるじゃないか。オレから見たら優花は偽だから占ったからって呪殺のはずはないんだ。襲撃の様子をしっかり見ておけば、死体が二体でたり、一体だけでも状態が違う死体が出たら、それが呪殺なのか襲撃なのか村人は知ることが出来るんだ!」
「幸先いいぞ。」角治が、笑って立ち上がった。「犠牲が出たのは悲しいことだが、それを生かして我々が勝ち残れば、もしかしたら何かの方法で蘇って来るかもしれないじゃないか。夢みたいかもしれないが、勝てば可能性がないわけではないだろう。進を信じたわけじゃないが、それでも今後違う状態の死体が出た時、判断する材料になる。さあ、調べに行こう。」
司も、メモを手に立ち上がる。進は、慌ててそれを制した。
「司、無理するな。オレと部長で見て来るから。」
司は、首を振った。
「大丈夫だよ。気を遣わせてすまん。オレも、憔悴してる場合じゃないのに。ちゃんと調べて考えないと。今日の吊りのことも考えなきゃならないのに。一緒に行くよ。調べよう。」
進は、急に元気を取り戻した司に、少しほっとした。そして、立ち上がって扉へ向かった。
「よし。じゃあしっかり見て来よう。」
そうして、進と角治、司の三人は19番の那恵の部屋へと向かった。
その部屋の鍵は、やはりかかっていなかった。
中へ入ると、ムッとした鉄錆の匂いがして途端に何かが胸の奥からこみあげて来て、進は窓際へと足早に進むと、窓を開いて換気した。少しでもこのこもった状態をマシに出来れば。
司は、口にハンカチをあてている。ベッドの方を見ると、女子達がかけたらしい真っ白いシーツが頭からすっぽりとかけられてあった。だが、首辺りはやはり、赤い色が染み出ていて、下の那恵の壮絶な様子が垣間見えた。
角治が、歩み寄ってシーツへと手を掛ける。司が、ハンカチを抑える手を強くしたのが見えた。進は、自分のある程度の覚悟をしながら、その瞬間を待った。
シーツの下の那恵は、青い顔をしていた。何か違和感があったが、もうこの世にない人間の体などじっと見つめたことがないのだから仕方がなかった。
傷の様子へと視線をやると、それは恭一が言っていた通り、大きな犬歯らしき穴が二つ、ガッツリと首筋に突き立てられた跡があり、その反対側を見るとまた、下の歯らしい幾分小さめな穴が並んでいる。
「…歯形だ。」
角治が、言った。司は、必死に口からハンカチを離して、メモ帳にその様子の絵と説明書きをしている。
「頸動脈にしっかり命中させてますね。那恵、起きなかったのか。抵抗して動いていたらこうはいかないだろうし。」
司の言葉に、進はハッとした。確かにそうだ。
「そうか…なんか違和感があると思ったら、それだ。」司と角治が怪訝な顔をして見上げるのに、進は続けた。「綺麗過ぎるんだよ、那恵が。きちんとベッドの上で横になって寝てるだけだ。噛みつかれたら、びっくりして瞬間目ぐらい覚ますだろう。でも、那恵の顔には苦悶の様子も、抵抗したような動きもない。まるで、寝てるみたいだ。もしかしたら、那恵はまだ自分が死んだことにも気付かず寝てるだけなのかもしれない。」
司と角治は、那恵へと視線を移した。確かに、そうだ。抵抗した様子も争った様子もなく、ただ首筋をひと噛みされただけ。
ひと噛み…。
「おかしくないか。」角治が、言った。「確かにこれは歯形だが、これだけ血が噴き出てるんだ、興奮してもっと体を損壊していてもおかしくはないだろうが。いくら躾けた戦闘用の動物だったとしても、所詮は獣なんだ。こんなに綺麗に頸動脈だけを噛んで、それでお終い、なんておかしい。なんだろう…理性を感じるぞ。この獣。」
言われて、進と司は、我知らず視線を合わせた。確かにそうだ…何がおかしいって、違和感だらけなのだ。綺麗に整った死体、ひと噛みだけの獣。だからといって、どこか別の場所で殺されてここへ運ばれた様子もない。この出血なのだ、襲撃されたのが別の場所なら、そこから点々と血痕が続いているはずなのだ。
「午後からの会議でこれを報告しよう。」司は、誰にともなく、言った。「みんなで情報を共有するんだ。誰か、的確な意見を出す人だって居るかもしれない。狼が、ぽろっと漏らすかもしれない。とにかく、これをみんなで共有して、話しておこう。人狼の特定に役には立たないかもしれないが、それでも後で何かの役に立つかもしれない。」
進は、ためらいがちに頷いた。どうなっているんだ…よく訓練された動物でも居るのか。それとも、動物に見せかけたロボットか何かなのか。そして犠牲者は、どうして抵抗しないのだ。薬でもかがされるのか。自分の襲撃される可能性がある村人の進には、那恵の最期がどうだったのか、それが知りたくて仕方がなかった。