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4.Back――背中――

「発見しました! ゼロです!」


 コンピューター室でゼロの行方を追う研究員達の動作をイライラしながら見ていたルビィは、その言葉を聞いた瞬間に、何処と叫ぶように尋ねていた。


「Z・Z研究所が察知できるギリギリの範囲です。此処から北に数キロ行くとゼロが倒れている筈です」


 その言葉が終わるや否やルビィは誰にともなく鋭い声で指示を出した。


「医療班S、早急に試作品ゼロを回収。直ちに治療を施し、傷を残さないようにして」


 指示を言葉に被せられた青年がルビィの剣幕にびくついていた。それにルビィはくっと笑い、青年に顔を向ける。


「困るのよ。折角上手くいってる試作品壊されちゃ」


「それは彼を『(イチ)』として認めるって……ことですか?」


 ルビィはほんの一瞬だけ口をつぐみ、いいえ、とかぶりを振る。


「ゼロは『壱』にはならない。ゼロは『(ゼロ)』であることを望んだから」


 ――俺は『壱』にはならねぇよ。


 それが挑戦的なゼロに心躍った時だった。あの赤い瞳が射抜くようにルビィを見上げ、ルビィも負けじと見下ろした。あの時、思った。

 記憶がなくても彼はまだ生きているのだと。そして、全てに諦めていたルビィに希望を与えたのだ。

 彼なら、成し得るかもしれないと。今までの“ゼロ”達とは違ったから。


「留美依様、紅茶を淹れました。少しお休みになった方がよろしいのでは?」


「……ええ、乙波留。そうするわ、ありがとう」


 オパールの申し出を受け、ルビィは部屋を出た。休まるとは思えなかったが、あの場にいてもルビィにできることはない。研究員達に気を遣わせるだけだ。それを見越して言葉をかけたオパールの言葉にルビィは乗った。


 疲れている。今まで幾度となく口にしていたが、今の疲れはいつも以上にルビィには感じられた。

 時が近づいている。耳に響く死者達の聖歌(コーラス)はいつ終曲を迎えるのだろうか。同時に、自分の心の叫びは泡となって消え失せるだろうか。

 天使は、一時(いっとき)でも目を閉じることは許されない。人の、あるいは世の末を見届けるまで絶対に眠れないのだから。

 神の代わりに目となる存在。神が全てを知る所以が天使を通して世界を見つめているのであれば。

 自分もまた、そのうちのひとつでしかないのだろう。ただそれだけのことだ。

 ルビィはカップを口に運び、熱い紅茶を飲む。そしていつしかうとうとと微睡んでいた――。



* * * *



 自然が溢れていた。春は桜で薄紅に染まり、夏は緑で青く染まり、秋は紅葉で橙に染まり、冬は雪で白に染まった。


 季節のあるその町で、ルビィはいつも駆け回っていた。いつもと同じ場所、いつもと同じ人と共に。

 彼はルビィの景色の中にいつもいた。彼がいない時は有り得なかった。

 いつしか二人は寄り添いあい、どちらからともなく永遠を誓った。ずっと一緒にいようと約束した。

 幸せだった。いつまでもこの幸せが続くと思っていたのに。光景は一見して紅蓮に染まり、ルビィの視界から彼の姿は消えた。


 燃え盛る炎の中、逃げ惑う人々の中に彼の姿は見つからない。それでも懸命に探し続け、ようやく見つけた時、彼は攻めてきた軍人に発砲され、ゆっくりと倒れた。


 まるで永遠の時間をかけるように、ルビィの目の前で彼は倒れ、生命(いのち)を手放した。


 もはや名前を呼んでも、体を揺すっても、彼は目を開かなかった。ルビィは自分の心にも穴が開いたように感じた。虚ろな穴の大きさに、深さに、涙を流すことさえ忘れて沈んでいく。

 もうルビィの景色に彼はいない。今までのようにこれから先、ルビィの名前を呼んではくれない。


 ルビィは腕を引かれ、初めて抵抗する。しかし男の力には敵う筈がなく、ルビィはあっと言う間に組み伏せられた。


 彼のいない世界で生きていくなんてできない。自分の名を呼ぶ人もいない世界で生きていくなんてできない。

 彼の時間は此処で止まってしまうのに、自分だけ進むなんて許せない。ずっと一緒にいようと約束したのに。置いて行かないでよ。


 ――殺して。


 碧い宝石の瞳がそう訴え、紅薔薇の唇が形を作り、小鳥の囀るような声がそう言葉を紡ぐ。


 一瞬の痛みの後、ルビィは心地良い波に揺られて意識を失った。


 永遠(ずっと)に一緒だと約束したの――。



* * * *



 ルビィはハッと目覚めた。部屋に戻り、オパールの淹れてくれた紅茶を飲んだ後、気が緩んでか眠ってしまったようだ。だが眠りは浅く、だからこそ夢を見た。

 はっ、と声を出してルビィは笑う。最近あの夢は見ていなかったのに。何を想ってあの夢を見続けるのか。

 そんなことは解っていた。ただ、ずっと分からない振りをしていただけだ。そうすれば、存在していられた。話していられた。


「でももう、隠すこともできないようね」


 オパールがかけてくれたのか、肩にかけられた毛布の下でルビィは自分の腰に手を回す。


「あたし、ずっと此処にいるんだよ。もうあの面影はないけれど、あたし達、此処から動いてなんかないんだから」


 ルビィは今触れている箇所に何があるのか知っていた。

 もう二度と戻ってこない風景。あの自然に恵まれていた街は今や不毛の土地と化し、死者が蔓延る大地となった。

 予想だにしていなかった人間達は次々と殺されていく。目に見えない恐怖に、憎悪を目に宿した彼らに引き裂かれて。かつて彼らがそうであったように。


 ルビィは毛布を体に巻きつける。寒いわけではなかった。そんな感覚はとうの昔に置いてきていた。

 人間の姿形をしていながら人間ではないもの。深い哀しみと、憎しみ、怒りを静かな碧い宝石(サファイア)の瞳に押し込めて、今までずっと耐えていた。


 もうそろそろで世界の終焉が訪れる。あの日に還れる日がすぐに来る。そのために急いてはいけない。待てば、全てが手に入るのだから。


 焦ってはいけない。もうすぐ、望んだものが手に入る。


 ルビィは長い睫毛を伏せた。


 眠りたい。早く、新しい世界へと。いつまでもこんな世界に留められるなんて真っ平だ。温もり以外を望むのは何度目だろう。段々と人間らしさを取り戻しつつある。

 世界が終わりに近づいていることに気付いている者はどれくらいいるのだろう。死者が蔓延る土地を抱えながらも、他の土地では平穏な日常が流れているのかもしれない。ルビィは此処から出たことがないから知る術も理由もなく、関心もなかった。

 ただの人間には分かりはしない。一度死に(まみ)えたからこそ、その時と同じ終焉が足音も立てずに近づいてくる終焉に、彼らは気づいている。否、終焉は足音を立てている。人間が耳を貸さないから聞こえないだけなのだ。死者達の(コーラス)びも、死者達の姿も、そうしようとしないから聴こえないし、視えない。何も分からぬまま死を迎えれば良いのだ。


 そしてあたしは、眠るだけ――。


「留美依様! 波留の発信機を頼りに医療班を向かわせましたがゼロがおりません! 波留があるだけでゼロの姿はなく、何者かが連れ去ったと思われます」


 部屋に駆け込んできたオパールの報告をルビィは黙って聞いていた。どうやらまだ眠るわけにはいかないらしい。


「根拠は」


「波留の傍には足跡と自動車のタイヤ痕がありました。足跡は成人男性のもの。身長、体重を割り出したのですが……」


 言い淀むオパールにルビィは眉根を寄せた。ロボット達が割り出した数値に大きな誤りはない。そして死者ばかりの土地で自動車を所有できる者は少ない。


「何かあったの?」


 尋ねながらルビィはどこかで答えを知っていた。ただ確かめたかった。オパールの出す答えと自分が察した答えが同じものかどうか。


「その……ゼロを連れて行ったのが……月読だったのです……」


「……あの、医師のクズみたいな奴ね」


 オパールに解雇するようルビィが命じた男だ。組織の中ではトップクラスの男だろうが、研究所内ではルビィに権限が与えられている。プライドを傷つけられ、自棄(やけ)でも起こしたか。しかし、ゾンビでない分、質が悪い。


「医療班はまだ其処にいるの?」


「はい。しかし、研究所が察知できる範囲を――故意によるものと思われますが――超えているので探索は困難になると思われます」


 チッ、とルビィは舌打ちをした。立ち上がり、衣服を整える。


「あたしも行くわ。乙波留、お願いできるかしら」


 オパールは心得たと頷く。ルビィはすぐに研究所を飛び出した。研究所所有の車に飛び乗り、運転席に乗り込んだ乙波留がアクセルを踏み込む。他に走る車はない。ゾンビも車相手では数がいないと対抗できない。ゼロが随分と減らしてくれたためか、以前は車にも群がった彼らは影を潜めている。


 だが瓦解した建物と道にも瓦礫が山積している悪路を進むには、時間がかかりそうだった。オパールが計算し尽された運転技術を駆使しているが悪路を超える方法はない。迂回したり遠回りしたりしながら進むしかないが、条件は向こうも同じだ。痕跡でも見つけられれば後をついていくだけで良いのだが。


 ルビィは鋭い視線を前方に向けながら考え込む。ツクヨミはゾンビではなく人間だ。その上、ゼロに手術を施したのもあの男だ。そしてルビィのことも少なからず知っている。あの男は危険だ。何故生かしたまま解雇してしまったのだろう。

 何かあれば、と思った。保険だった。彼に何かあれば対処できるのはあの男だけだと思った。

 ルビィはそっとかぶりを振る。今更後悔しても遅い。ただ、今しなければならないことをするしかない。ゼロに隠していたことが露呈する前に。

 どうか間に合って。今はまだ、知られてはいけないのだから。



* * * *



「う……っ、ううっ」


 ゼロは呻いて目覚めた。ひどい頭痛がした。


 硬く、冷たいところに横たわっているようだとゼロは朦朧としながら察した。最初に目覚めた状況と、とてもよく似ていた。躰も拘束されている。専用の道具がなかったのか寝台に固定はされていないが、後ろ手に縄で縛られ足も思うようには動かせない。


 自分は何故気を失っていたのだろう。何故こんなところにいるのだろう。それに自分の天使は何処に行ってしまったのだろう。


 夢と現実がごちゃごちゃになっている。混乱する。今はどっちだ。頭痛がひどすぎてゼロは顔をしかめた。

 そうだ、マリアは何処に行った? あの沢山いたゾンビ達は? パールは?


「お目覚めかね」


 突然の人の声にゼロはハッと両目を開けた。そして声のした方へ首を巡らせる。其処には男がいた。ルビィと同じ白衣を着た男だ。簡易的な寝台に載せられたゼロを見下ろして、意地悪そうな表情を浮かべている。


「あんた、誰だ?」


 ゼロは痛みに更に顔をしかめた。喋ると頭痛が増す。


「私か? 私は月読だ。ゼロ、お前に手術を施した医者だよ」


 肺を強化し、眼球を緋色にしたという――?


 そうゼロが問うと、ツクヨミはおかしそうにクックッと笑った。唇を歪めるように笑う男だ。若者と言うには歳を経て、壮年と言うにはまだ若い。黒髪を後ろに撫でつけて顔全体がよく見えるが、目も、口も、意地悪に形作られている。


「私は何もしていない。お前の眼球は元々緋色であったし、お前は肺を使わない。私はただたっぷりと時間を使ってお前を拘束した。今のこの状況を、作っていただけだ」


「何? どういうことだ?」


 ツクヨミは、分からないか、と言うように肩をすくめてみせた。


「唯一、人間の姿形を保つ者の存在を教えてもらわなかったか? 同じ、仲間から」


 ゼロの頭の中は真っ白になった。頭痛は収まらない。警告なのかもしれない。これ以上先へ踏み込むなという、自分自身からの。痛みで考えられない。否、考えたくないのか。その可能性を認めてしまえば彼女がそうであると認めることになる。まさか、彼女がそんなものである筈がない。


 黙り込むゼロにツクヨミは追い打ちをかけるように囁く。


「私は抹消された過去を知っている。お前がかつて此処に暮らし、名を持っていたことも。此処がどのような場所であったかも。何故このように姿を変えてしまったのかも。だが研究所に派遣される前に詰めてきたデータだ。彼女は知らない」


 気にならなかったのか、と男はゼロに問う。


「何故、この土地にしか死人は蘇らないのか。何故、この土地だけこんなにも荒れているのか。“外”から来た私は疑問に思うが、何故、とは思わなかったのかね」


 ゼロは言われて初めて気づいた。ルビィに説明は受けたが、全てを話していたわけではなかったのかもしれない。ただ、調査中のことも多く原因が明らかになっていないことも多いのだろうと思って受け入れていた。疑問に思うための情報も、ゼロには圧倒的に少なかった。


「所詮は“中”の感覚だ。私には分からんがね。だがかつてこの街が“ガーデン”と呼ばれ緑豊かな美しい街だったこと、化学兵器を抱えたがために国軍に攻め込まれたこと、街の住人達は全員皆殺しにされたことは知っている。だが、楽園だった街が破壊され呪われ死人蠢く街となった。化学兵器が何だったか、国は知らない。ただ確実にあることをガーデンの者が匂わせ、上層部が恐れた。ゾンビゾーンとなった今も恐れている。だから研究所が建てられた」


 ゼロはツクヨミの言葉に導かれ、膨大な情報を得る。かつて此処に暮らしていたという自分が、国軍に攻め込まれ、皆殺しの目に逢った……。同じような建物の瓦礫が続いていても見分けがついたのは、見慣れた街だったからとでも言うのだろうか。


「破壊からあまり時間をかけずに研究所を建てた。国軍の兵士も死人として返ってきていた……緊急に実態調査が必要になったことは言うまでもない。間もなく、血まみれの少女が訪れ、私が呼ばれた。しかし、彼女こそ全ての憎悪劇の生みの親、イヴだったのだ。


 やがて、お前が現れる。彼女が強く望むあまり戻ってきてしまったんだろう。死人は記憶を持たない。彼女だけが例外だ。例に漏れずお前も記憶を持たなかった。だが、お前は元から緋色の瞳だった。その点においては、やはりお前も例外なのかもしれないがな。

 私はお前に仲間を殺すよう彼女に提案し、彼女もそれを受け入れ、彼等を狩るようになった」


「そんなことは……嘘だ」


 ゼロはそれだけ言うのがやっとだった。口だけでも否定しておかないと、受け入れてしまいそうだった。もう何所かで納得している自分を否定するためにも。


 ツクヨミはニヤリと笑った。


「そうかね? お前は温もりを求めたのではないか?」


 ――誰に求められるわけでもなく、自ら求めることも何もない。唯一望むのは……温かさ。


 以前ルビィが教えてくれた言葉がゼロの頭をよぎり、ツクヨミの言葉を肯定する。そして、そう言った時のルビィの苦しげな様子。


 ああ、あれは、そういうことだったのだろうか。


「ゼロ――いや、“(キラ)”と呼ぶべきか? お前が死んだ後、彼女もお前の後を追って死のうとしたのだよ」


「……!」


 ゼロはツクヨミを睨むように見た。ツクヨミは唇を歪めるようにして笑う。この男は何がおかしくて笑うのだろう。ゼロの何が面白くて笑うのだろうか。


「嘘だ……っ!」


 尚も足掻くゼロにツクヨミは冷たく言い放つ。


「そう思うなら確認すれば良い。お前の背には“眠れぬ者”と刻まれている筈だ」


 ツクヨミはゼロの後ろ手に縛っていた縄をナイフで切り、解いた。ゼロはツクヨミの挙動を見張りながら恐る恐る背中に手を伸ばす。腰の辺りに触れた時、ゼロの躰がビクッと震えて硬直した。(リング)がある。


 指でなぞれば環と斜線が確認できた。廻る環から外れた者、故に、眠れぬ者。


「嘘だ……嘘だ、嘘だ……!!」


 Sゾンビである烙印は、背中(Back)に刻まれていた――。




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