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3.Maria――聖母――

 ゼロは狩り続けた。耳に聞こえる彼らの声には慣れてしまって、聞こえようが聞こえまいが、ゼロの行為には影響がなくなっていた。彼らを狩り続けることに、もはや抵抗を感じなくなっていた。


 死を求める生者がいて、死を求める亡者がいる。両者が納得しているのであれば、ゼロが何を言っても無駄なのだろうから。


 そして、ゼロが彼らを狩り始めてから数週間が過ぎた――。



* * * *



 ゼロはルビィがいなくても闘える程にゾンビと対峙し、斬ることに慣れていた。背後から襲われても、正面から突っかかってきても、左右から徒党を組んで襲いかかってきても、ゼロは臆せずに反応できるようになった。正確には、パールが、だったかもしれない。


「助けてくれ、俺を助けてくれ。もう人間を襲ったりしないからさあっ!」


 ゼロが初めて会ったA級ゾンビはそう言った。見た目は二十代半ばの男だが、指は腐りかけて悪臭がしている。騙された人間がいたのだろうか。女物のバッグを持っている。その持ち主が今どうしているのか、ゼロには判らない。


「……それは何に使うつもりだったんだ?」


「……」


 答えられない男ゾンビに冷たい目を向けてゼロは返答を待った。特に理由なく、ただ人間らしさを求めた故のことだろうとゼロは思う。自分がもう人間ではないことを知っているからこそ、少しでも人間らしくしようとしたのだろうか。


「お前はもう人間じゃない」


「……!」


 ゼロを睨む男はその目に怒りを燃やしていた。自分が生きていないことを彼はもう知っている。それでも尚、認めたくないのだろうとゼロは知った。彼は黙ったままで、言葉を忘れてしまったかのようだった。その彼に追い打ちをかけるようにゼロは畳み掛ける。


「あんたは偶然、黄泉返った死人返(ゾンビ)りだ。また眠れ」


「い、嫌だ!」


 ゼロがパールを振りかぶると唐突に彼は叫んだ。


「俺は死にたくなんてなかった! あれは事故で、たまたま殺されただけなんだ! 他の奴らだってそうさ! だから神様は俺にチャンスを与えてくれた。だから俺は生き返ったんだ!」


「違う」


 ゼロは残酷に言い放った。彼はびくんっと体を震わせるが、ゼロを挑むように睨みつけたままだ。


「別にあんたはそう思っていても良いが、一度死んだ者は帰ってきちゃいけない。それは変わらない。人はいつか死ぬ。必ず終わりがやってくる。

 それこそ、“神”が決めたルールだろう」


 ゼロは振りかぶったままのパールの柄をぐっと握る。真珠のような鈍い輝きを放ち、パールはゼロの手にしっくりと馴染んだ。彼はパールを見上げ、どさりと腰を抜かした。赤茶の粉塵が微かに舞う。


「もう眠れ。二度と(うつつ)に目覚めぬように」


 恐怖に引き攣るその顔を臆さずに見すえ、ゼロはパールを斜めに振り下ろした。ただの刃物で斬っただけでは、永遠の眠りを彼らには与えられない。パールだから眠りを与えられる。研究所が見つけた、彼らを現に繋ぎとめる鎖を解き放つもの。その力を与えられたパールとゼロが、彼らを眠りに(いざな)うことができる。

 ゾンビの躰が力なくくずおれた。多くの血は出ないが、パールにはしっかりと赤黒い物がこびりついていた。


「巡ることを止めた血は温かさを失くして固まってしまうもの」


 背後からした声に驚き、ゼロは振り返った。


 雨も降っていないのに真っ黒な傘を差し、喪服を着た少女が立っていた。僅かな陽の光にふわふわとした金色の髪が輝く。夢の中の少女に似た面影を見つけ、ゼロは息を呑んだ。

 ゼロがなぎ倒してきたゾンビ達の物言わぬ骸を避けながら彼女はゼロに向かってくる。


「……誰だ?」


 彼女は金を帯びた不思議な紫の瞳をゼロに向ける。美しいその両眼にゼロは惹きつけられ、目を離せなかった。


「貴方こそだぁれ?」


 紅い唇からこぼれた鈴を振るような綺麗な澄んだ声に魅了され、ゼロは思わず答えていた。


「ゼロだ」


「零?」


 彼女はくすっと笑い、ふわふわとした髪が揺れた。


「変わった名前ね」


 その笑顔が可愛らしくてゼロは胸が高鳴る音を聞いた。そして思わず本当のことを口走ってしまう。


「番号なんだ。本当の名前じゃない」


 きょとんと彼女はゼロを見つめる。大きな瞳でゼロを見つめる仕草は、随分と幼く見えた。


「じゃあ本当の名前は?」


 ゼロは返答に困った。何と言えば良いのだろう。素性の知れない少女に研究所の秘密兵器であるゼロのことを教えても良いものか。だがゼロが研究所に義理立てする意味はない。それに見たところただの少女だ。両手で傘を持っていて、丸腰と大差ない。一方で警鐘が頭の中で鳴る。こんな場所でただの少女が歩いている筈がない。しかし口は本当のことを彼女に告げていた。


「……分からないんだ」


「分からない?」


「そう。思い出せない」


「記憶喪失なのね」


 そうなのだろうか。彼女にそう言われれば、そうなような気がした。彼女の優しい優しい眼差しに、全てを赦されるような気さえした。


「可哀想に」


 近づいた白い指がふわりとゼロの頬に触れる。その細く柔らかな指に、慰めの言葉に、与えられる安らぎにゼロの躰からふっと力が抜ける。戦闘の緊張に強張った肩が静かに下がった。


 彼女の頬を流れるものを見た時、ゼロはやるせない気持ちになった。


「涙……? 俺のために泣いてくれるのか?」


 彼女は声もなく泣き、頷いた。


「どうかゆっくりと思い出して。焦る必要はないの。時が解決してくれるはずだから」


 優しい声音がゼロの躰に染み渡っていく。だがそう言われるとかえって早く思い出したくなる。ゼロは、ん、と返事にならない声を返した。


「私、そろそろ帰らないと……」


 彼女は身を引いた。そしてにこりと笑顔を見せる。


「ゼロ、今日は貴方に会えて良かった。また明日、会えるかしら」


「あ、ああ」


 彼女は黒い傘をくるりと回すと、ありがとうと残して歩き去った。森に向かって消えていく。何処から来て何処へ行くのか。そもそも何者なのか。そんなことを気にする余裕もないほど、ゼロの胸は高鳴っていた。夢の中の少女と、ふわふわの長い金の髪が同じだった。ただそれだけだが、それだけでも十分だった。

 ゼロは彼女の後ろ姿を見えなくなるまで見送った。


「あ、名前……」


 彼女の名前を聞きそびれたゼロだったが、また明日会った時に訊こうとゼロは思った。



* * * *



「名前? 真利亜(マリア)よ」


 荒廃した赤茶の大地に建物の瓦礫が続く。同じような瓦礫ばかりだが、ゼロには見分けがついた。そこで待っていれば少女はやってきた。マリアと名乗った少女は黒い傘を今日も差しながらやってきた。


 柔らかく笑った、優しい眼差しが自分を捉える。マリアの金を帯びた紫の視線が向いて、ゼロの紅と交わった。マリアといる間はゾンビ達が現れず、ゼロは時間を忘れてマリアと話した。マリアと過ごす時間はあっと言う間に過ぎ、気づけば一週間が経とうとしていた。


「最近ゼロの成績が良くありません。波留を持って出かけるのですが、日に四、五体程しか……」


 オパールの報告にルビィは眉をひそめる。妙ね、と赤い唇から疑惑が漏れた。


「調査しますか」


 オパールの問いにルビィは僅かに逡巡したが、微かにかぶりを振った。真っ直ぐに流れる金の髪がそれに合わせて揺れる。


「いいえ。一時的なことかもしれないし、また彼等(ゾンビたち)に何か言われたかして心に迷いがあるのかもしれないわ。すぐ戻るでしょ」


「それでは様子を見るということでよろしいのですか?」


「ええ。報告ありがとう、乙波留。仕事に戻って良いわよ」


 オパールの後ろ姿を見送ってルビィは息をついた。ルビィ自身、最近のゼロには驚かされてばかりだった。


 今まで無表情で出かけては帰ってくるだけだったゼロがあんなにも上機嫌、いやむしろ笑顔を浮かべ、楽しげな様子でいるのを見れば誰だって驚かずにはいられないだろう。

 以前より口数が増え、笑い声さえ出す最近のゼロにルビィは苦しめられている。


 伏せている写真立てを手に取り、ルビィはその煤けた写真を見つめた。何年経っても笑顔を崩さない二人は色褪せても尚、幸せそうだった。幸せな土地で、幸せな時間を過ごした。あの頃、幸せを幸せと言えたあの頃、いつもこんな風な笑顔でいた。


「あの人が幸せなら私が幸せじゃなくても構わないよね、留美依。自分で望んだことなんだから」


 過去を背負うのはあたしひとりで良い――。


 一時(いっとき)だけでも幸せを感じることができるなら、せめて夢を見させてあげたい。例え(のち)に絶望しても思い出として残るなら。


 そう願うことは罪だろうか。


 ルビィは自分がとても人間らしい感情を抱いていることに気付いてハッとした。そして自嘲的に笑う。


「まだ、残っているのね……こんなにも人間らしい感情が」


 常に冷淡であらなければ生きていけないこの世界で、人間の感情など持ち合わせてはいけない。常に心を殺し、冷酷であり続けなければ足元を掬われる原因となり、命取りになりかねないからだ。


 しかし今のルビィにとってそれは邪魔な存在などではなく、安息を与えてくれるものだった。心から冷めていると思い続けていたことを否定したからか、ルビィの心は温かかった。人間らしい想いが、ちゃんと残っていてくれたから。


 まだ、呼ばれる資格はあるだろうか。

 まだ、期待していても良いだろうか。


 ルビィは小さく笑った。それはもう、しばらくしたことのない笑い方だった。


 写真立てを恐る恐る立てて、ルビィは微笑を浮かべる。しかし、デスクに向かったルビィの表情は一瞬にしていつもと変わらない怜悧な印象さえ与える表情に戻っていた。



* * * *



「どうしたの、ゼロ? 何か楽しいことでもあったの?」


 マリアがゼロにいつもと変わらぬ笑顔を向ける。ゼロは何所か懐かしさを覚えながらマリアに疲れたように笑った。


「ううん、全然。むしろ逆だよ」


 ゼロはマリアにパールを見せた。刀身に赤黒く血がついている。しかしそれも直に乾いてパラパラと砂塵のように散ることをゼロは知っている。故にパールは輝きを失わない。


「また狩ってきた。此処に来るまでに必ず襲い掛かってくる」


 ゼロの瞳が暗くなり、顔に影が差す。マリアが心配そうにゼロの顔を覗き込み、眉根を寄せた。そうすることで涙をこぼしてしまわないように。


「本当は狩りたくなんてないんだ……でも襲ってきたら、俺は波留(こいつ)を振らないと()られるから」


「仕方なく、と言うの?」


 無邪気にマリアが切り返してくる。ゼロは頷いた。


「ゼロ、貴方は……」


 ゼロはマリアがその後何と言ったのか聞き取れなかった。突風が吹き、マリアの言葉を奪っていったからだ。一緒に舞い上げられた砂埃の中から現れたのは、無数のC級ゾンビとA級ゾンビだった。


「ようよう、赤い瞳の兄ちゃんよぉ、俺らの仲間をよくもやってくれたなぁ? たっぷりと礼してやるからな!」


 まだ若者の面影を残しているA級ゾンビが口を開く。鼻先が変色し、腐敗を始めていた。


「それはどうも。……真利亜、少し下がって。俺から絶対離れないで」


「……ええ」


「見たくなければ、見ない方が良い。あんま、女の子が見るもんじゃないから」


 ゼロはマリアの答えを待たずにパールで風を斬り裂くように薙ぎ払う。パールの威圧にA級ゾンビが少したじろいだ。しかし、もはや考えることも難しいC級ゾンビは臆することなくゼロに向かって襲ってきた。


 ゼロは極力その場から動かずにパールを振るう。ゾンビ達は道具を持たない。ただひたすらに噛もうとして愚直に向かってくるだけだ。A級ゾンビは様子を見ている。男と、女の二人組だった。何とかゾンビを斬り伏せねばならない。背後に隠れるマリアを助けなければ、とゼロは思う。


 絶対に、彼女だけでも救わなければ。

 彼女だけは触れさせてはいけない……俺の、天使を。


 ――違う、誰だ!?


 気付けば目の前にA級ゾンビの顔があった。顔立ちは少女だ。ゼロはハッと少女ゾンビの顔を見た。冷たい表情をしたその顔と、ある少女が重なって判断が遅れる。とっさに動いたのはパールだった。いや、もしかしたらそれはゼロの積み重ねた戦いの記憶だったかもしれない。


 パールが意志を持ったようにゼロの顔の前に飛び出る。それとA級ゾンビの攻撃がぶつかり合い、ゼロは奥歯を噛んだ。しかしゾンビは攻撃を切り返してくる。パールが反応して真珠色の刃が空気を斬り裂き、その延長線上にいたC級ゾンビをも払う。


 しかし瞬間、ゼロの頭に鈍痛が走って視界に星が散った。目の前からの攻撃ではなかった。背後からの攻撃に不意を突かれ失いゆく意識の中、少女ゾンビと重なった彼女の名を無意識にゼロは呼んだ。


「ル……ビィ……」


 ゼロは地面にくずおれた。ゾンビ達は満足したのか笑みを浮かべてゼロを見下ろしていた。C級ゾンビも噛みたい衝動を自制しているのか襲い掛かろうとはしない。


「ゼロ、貴方は……随分と人間らしくなったのね……」


 マリアが呟く。ゼロを見下ろす金を帯びた紫の眼差しは、哀れみを含んでいた。


「つらくなるだけなのに……」


 でも、と彼女は唇を歪めて微笑する。愛くるしいその微笑に引き込まれない者はいない。金が縁取る瞼が一緒に笑む。


「貴方は殺すことに抵抗を感じずにはいられない……人間らしさも考えものかもしれないわね」


 黒い傘をくるくると回してマリアは目を伏せる。そう言う自分は人間だろうか。死人返りが自分を襲わない。彼の血縁というだけで彼らは見分けるのだろうか。確かめてみたことはないが、彼がそうすることは十分に有り得ることだ。


 方舟を造りたいが故に二十七人の預言者(ことばあずかるもの)たちが残した宝に心を奪われる彼は、マリアをも宝にすることは考えられないだろうか。


 いや、とマリアはかぶりを振る。やめておくべきだろう。自らの大切な弟を疑うなど許されることではない。神の説いた愛にそむくことになるのだから。


 マリアは無意識のうちに胸の前で十字を切った。


 神よ、どうか異教の宝を持つ弟をお許し下さい。


 金を帯びた紫の瞳がそっと閉じられる。そして彼女は小声で彼らに命じた。


「ゼロをあの研究所の近くまで運んで。でも絶対にサーチされないでね」


 無言で彼らが頷くのを見届け、マリアは背を向けて歩き去った。



* * * *



 昏い地下の研究所で、彼は全てのデータを管理していた。扉に背を向けて仕事に没頭している彼にマリアは声をかける。


「お茶しない?」


 長い髪をひとつに括った彼が振り返ると、束になった髪も揺れた。モニタの光で銀青に輝くそれが小さく弧を描く。振り返った彼はふっと口の端で笑った。


「何かお願いでも?」


 マリアは肩をすくめた。


「そうよ。最近、彼らを狩っていた少年のデータを呼び出して欲しいのだけど……」


「良いよ」


 彼はモニタに向き直るとすぐにデータを呼び出す。モニタ一杯にゼロの顔が出て、横に細かいプロフィールがずらりと並んだ。それにマリアは見入った。


「本名はゼロなんかじゃないわね……。ねぇ、乃亜(ノア)?」


「僕はやめないよ、姉さん。姉さんが何と言おうと僕はやめない」


 マリアは息をつき、弟であるノアを見つめた。この子は忘れているのだろう。彼の姉は、聖母(Maria)であることを――。


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