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2.Obey ――従――


 ゼロは能力という能力の全てを検査された。頭脳、体力、超能力まで全てを数日がかりで測定されたゼロは、研究所内をたらい回しにされてくたくたになって自室へ戻ってきた。出会う研究員は人間なのか、オパールのように機械仕掛けなのか、遠目からではゼロには判断できなかった。お掃除ロボットのように明らかに機械のような外見であれば迷わないのだが、オパールは人間と違いが分からない精巧な機械人形だった。

 ゼロの部屋は拘束されていたあの無機質な部屋ではあるが、もう拘束はされていない。自由な出入りはできないが、寝るだけの用しかないゼロには事足りていた。

 数時間の眠りに就いた後、ゼロはそのベッドに腰掛けたままルビィから結果報告を聞いた。


「実に高い数値が出たわ。今までZero未満だった者達よりも遥かに高い。それが何故かは今後の課題として、ゼロには躰を――まだスムーズにとはいかないでしょう? それでこの値は十分凄いのだけど――使いこなせるようになってから奴らを倒すために力を貸してもらうわ」


 ゾンビを? とゼロは尋ねる。そうよ、とルビィが頷き、ゼロは背を丸めて膝の上に置いた手を緩く指を絡ませて組んだ。


「俺の……本当の名前とかを教えてもらえないか」


 しかしルビィはかぶりを振る。認められない、と呟いて。


「貴方の過去はもう既に抹消済み。貴方自身の記憶ですら抹消してしまったわ。もう貴方が過去を振り返ることはないのよ、ゼロ」


 その何所か諦めたようなルビィの口調に僅かに哀れみを感じ取って、ゼロはむっとした。


「俺はゼロなんて名前じゃない!」


「じゃあ何て名前なの」


 間髪入れずに尋ねてきたルビィの言葉にゼロはうっと詰まった。自分の名前が何だったかを訊いているのに、逆に問われては意味がない。反論できなくなったゼロの瞳を見てルビィが息をついて背を向ける。


「そうね……貴方が気付けば、教えてあげても良いわ」


 その後、ルビィはマスクでくぐもった声で何事か呟いたが、考え始めたゼロには聞こえなかった。


「それで貴方に何ができるとは分からないけどね……」



* * * *



 結局何も分からないままにゼロは約二週間、目覚めた部屋で過ごした。途中で武器の選定も行ったが、結果はまだ教えられていない。今日はあれから何事もなかったようにルビィからゾンビの見分け方をゼロは教わった。


「この前ゼロに襲いかかったゾンビはC級(クラス)のゾンビよ。ゾンビには四つ階級があって、下からC、B、A、Sと分けられるの。CとBはゼロ以外、ゴーグルがないと見えない。A級から上位は誰の目にも見えるようになって一見しただけでは人との見分けが難しい。けれど必ず何所かは死者として腐敗しているわ」


 ルビィは滔々と説明する。ほとんど事務的で感情の色も見せないが、中身はゼロの興味を引いた。


 彼らのほとんどはC級で、こちらが分かる有意味の発話もできない。B級になると外見の腐敗は目立つが、言葉を操るようになる。C級もB級もどちらも噛みついてくるので注意が必要である。噛まれれば同じようにあまり時間を置かずにゾンビと化してしまう。これまでは目に見えず噛まれては対抗できず、ゴーグルが開発されるまでは多くの国民や研究員を失ってしまった。

 A級はあまり噛みつかないが、道具を使ってこちらの命を奪いにくる。S級は普通の人間と何ら変わらない姿を保つ一方で、背中に印を持つ。


 記憶がないゼロにとっては見るもの聞くもの全てが新鮮だった。だがS級の見分け方に一際関心を持った目をゼロはルビィに向ける。


「印?」


 僅かにルビィがゼロを探るようにじっと見たが、ほんの一瞬のことだった。また事務的な声で後を続ける。


「私たちが烙印と呼んでいる黄泉返りの者のみ持つ印。それだけがSゾンビを見分ける唯一の方法よ。そいつらは目にも見えるし、悪臭もしない。最も人間に近い存在」


 死人でありながら最も生きている人間に近い存在。故に烙印がある。


「どんな印なんだ? 何所にあるんだ?」


 問いを重ねるゼロに、ルビィは表情も声の調子も変えずに淡々と続ける。


「Sゾンビにある印は体にあるわ。それは(リング)の形をしている。その環には刻まれているのよ。

 “眠れぬ者”と」


「眠れぬ者?」


 ゼロの繰り返した言葉に彼女は頷いた。


「死して尚、安息を与えられない者だからよ。体の中で細胞は死んでいるのに、意識も、表面上も生きている人間とは変わらない……」


 ルビィは苦しそうにそう言った。表情も調子も変えなかったルビィが苦しげに表情を歪める様子を見て、Sゾンビが知人か何かだったのかとゼロは思う。


「誰に求められるわけでもなく、自ら求めることも多くはない。唯一望むのは……温かさ」


 その言葉はゼロの心に響いた。本当に生きている人間の温かさに触れたいと願うのは、望んではいけないことだろうか。しかし、人間にしてみれば気色悪いこと極まりない。


「私たちはZ(ズィー)Z(ズィー)――ZOMBI・ZONE――研究所を設けて、彼らを永遠の眠りに就かせるために貴方をつくり、働いているの。それは国民。元国民のために行っている崇高な仕事……。ミイラ取りがミイラになる可能性もあるけどね」


 引っ掛かりを覚えながらも考えることが多すぎて思考がまとまらないゼロは口をつぐんだ。過去にそうなった人物がいるのだろうか。だとしたらその人物は未だ彷徨っているのかもしれない。ゼロに狩られるために。



* * * *



 ルビィは一通りの知識をゼロに教えた後、自室でくずおれていた。伏せた写真立てを立て、その写真に写る幸せそうな二人を見つめる。硝子の中の写真は土で汚れ、炎に煤け端が少し燃えていた。


 そう、幸せだった。まさか二人に永遠の別れが、あんなに突然訪れるとは夢にも思わなかった。だからだろうか。どうしても望んでしまった。

 ――欲しい、と。

 そう望んだ時、こんなにも苦しいと想像できなかった。それが傷つけて叫ばずにいられないものになっただなんて。


 私のことを覚えているなら呼んで、私の名を。貴方と私しか知らない、私の名を。

 どうか呼んで。私だけが貴方を知っているなんて辛すぎるから。


「……留美依様」


「何、乙波留」


 室内で待機していたオパールがおずおずとルビィに声をかけ、ルビィはうつむいて写真を眺めたまま答えた。


「……ゼロの武器は如何致しましょう」


 オパールが何事か言おうとしたが別の事柄に急きょ変更して尋ねたようにルビィには聞こえた。人工知能も此処まできては人間と大差ないのかもしれない。


 あぁ、とルビィは返事ともうめき声ともつかない声を出し、のろのろと立ち上がった。


一覧表(カタログ)は? 彼が軽く持てて尚且つ彼の能力を最大限に引き出せるものはあった?」


「え、あ、はい。一応、彼自身にも持って確かめてもらったのですが、この“カタナ”と呼ばれる物が一番……」


 両手でそれを差し出したオパールから細身の剣を受け取り、ルビィは振る。それはルビィが振ってもそこそこの威力があるように感じられた。


「良いわね。これでC級から狩らせましょう」


「いきなりでございますか?」


 ルビィは赤い唇を薄く笑ませ、その光る刀身を見つめた。その表情は何を考えているか分からない、否、分からせないための表情だとオパールは知っていた。今その表情を見せるということは、オパールにさえ知られたくないことがあるのだろう。もっとも。

 彼女をこんなにも苦しめるものはひとつしかないことをオパールは知っていたが。



* * * *



「なぁなぁ、教えてくれよ。あんた、あいつの傍にいっつもいるだろ? あいつの言う“気づいたら”って誰についてのことか教えてよ」


 先刻から諦めずにゼロが懇願しては取りつく島もない返答を繰り返していたオパールは、簡素なゼロの部屋を掃除する手を止め、驚いたようにゼロを見た。その赤い瞳の中でオパールは何かを見たのだろうか。金属の瞳に感情は乗らなかった。オパールはかぶりを振るとカタナを差し出した。


「これ、昨日のじゃん。俺にくれんの?」


 子どものように目を丸くしてゼロが嬉しそうな声をあげる。


「貴方の武器です。これでゾンビを狩ります」


「へぇ。名前は?」


 またオパールは面食らったようにゼロを見つめた。


「……名前、でございますか」


 ゼロは人懐っこい笑みでああ、と頷いた。


「あんたにだって名前があるだろ? 俺にだって……あったんだろうな。だったらこれにもカタナなんて名称じゃなくてちゃんと名前が欲しいだろ?」


 オパールはその言葉を呆気にとられて聞いていたが、くすり、と笑った。


「それで、どんな名前をお望みですか」


 オパールの返しに、真面目な色を湛えた目でゼロは真っ直ぐオパールを見つめた。


「宝玉の名が欲しい。お前の名の一部をくれないか」


 オパールは微笑んだ。金属の部品に人間のような繊細な表情を浮かべることは難しいと言われていたが、人口皮膚を表面に張り付けた最先端の技術の結晶は人間と寸分違わぬ微笑を再現してみせた。それは、モデルとなった少女の微笑であってオパールのものではなかったが。


「……お望みのままに」


「それじゃあ……こいつは今日から波留(パール)だ」


 少年が子犬をもらった時のような笑顔だった。オパールはその光景を知らないが、データとして残っていた。過去を記録する役割を担い、研究所内の出来事や技術、知識を研究所の外へ持ち出すための記録媒体として生まれたオパールはかつて記録した映像を勝手に再生していた。


 パールと名付けられたカタナはゼロの手の中で真珠の如く淡い光を発したように輝いた。

 その光に何故か親しさを覚え、オパールは不意に言った。


「貴方はさっき、留美依様の謎を“何”ではなく“誰”と言いました。それは貴方が彼女の問いの答えに近い証拠。身近にあるものほど、見つかりにくいと言いますが……貴方の求めている答えは貴方自身が握っていますよ」


 今度はゼロが面食らう番だった。鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしたその表情は、まだ何処かあどけなかった。


「俺が……握ってる?」


「はい。あの方は貴方のことを誰よりも知っている。抹消されたはずの貴方の過去や貴方の名前……総てはあの方がご存知です。

 貴方は謎々を解くための鍵を手にしながら、どの扉を開けて良いのか分かっていないのです」


 ゼロは少し考えてから、かぶりを振って否定した。


「俺は扉すら見つけていない」


 オパールは途端に意地悪な顔になり、嫌味を言った。


「それでは何の意味もないですね。貴方は留美依様を救うことは出来ない」


 救う? 俺が、ルビィを? どうして俺が。


 きょとんとした顔のゼロにオパールは言葉を続けた。


「彼女の名を呼んであげて下さい。彼女が呼んでほしいと、心から願っている名を」


 呼んで欲しい、名――?


 新たな疑問を抱えたゼロを残し、オパールは部屋を出た。ゼロはその背を視線でさえ追わず、覚えている限りの呼び方を思い出してみる。女性を指す意味を持つが個人を指さないそれらはどれも、ルビィには当てはまらないような気がした。


「なあ、波留。あいつは何て呼ばれたいんだろうな?」


 ゼロに握られたパールは当然のことながら変化はなかった。


「ゼロ、行くわよ」


 扉を開けて急に現れた当人が、冷めた青い瞳をゼロに向けて言った。美しい人形のようなルビィを見てゼロは更に考えた。


「ゼロ、聞いてるの? 初仕事よ」


「はぁ? 仕事? って、波留(これ)でっ!?」


 ゼロの言葉に呆れたようにルビィが息をついた。


「他に何があるの。貴方の力を最大限に発揮させられる“カタナ”で、まずC級から狩るわよ」


 ゼロはパールを見つめた。この美しいカタナでゾンビを狩る?


「で、でもさ。ゾンビって一度は死んだ奴の事だろ? そんなん殺せるのかよ」


 またルビィは息をついた。今度は溜息だった。


「何を聞いていたの。貴方には“力”を与えた。その力で貴方はゾンビを狩れるようになったのよ。それは冷たい氷のような炎の力。“カタナ”はその力を最大限に引き出せるような武器として選んでいるから、貴方はそれをゾンビに向かって振るうだけ」


 そうは言っても、とゼロは思う。未だにゾンビを狩る覚悟などない。いくらゾンビだとはいえ、人間であったものを狩ることには抵抗を感じる。

 明らかに迷いを見せるゼロにルビィは残酷に言った。


「貴方はこの事のためだけに生まれたの。他にはないわ。これは貴方にしかできないし、貴方以外じゃ駄目なのよ」


 それは有無を言わさず『行け』と命じていた。ゼロは抗えずにのろのろと進み出る。青い瞳の天使は、赤レンズのゴーグルをかけ、静かに告げた。


「それじゃあ……行きましょうか」


 ゼロの手にはしっかりとパールが握られ、ルビィの手にも彼女の武器なのか真っ黒な銃が握られていた。それはルビィの手には、ひどく似合わない武骨な銃だった。



* * * *



「ギャギャギョギュギェ」


 言葉にならないC級のゾンビは腕を振り回してがむしゃらに突っ込んできた。それを無情にもルビィは自分の武器で正確に眉間を狙い撃って倒していくが、ゼロは受け入れられずにいた。


 研究所から少し離れたところに建つフェンスの向こう。一歩出れば荒廃した赤茶色の土地が、遥か向こうまで地平線が見えそうなほど続いている。所々に崩れた建物の残骸が見える。元は何だったのだろう。奥には深い山がそびえ、木々の合間に十字架のようなものが見えた。

 フェンスは研究所をぐるりと囲むように建っている。背の高いドーム状のフェンスは研究所を守るためとルビィは説明していたような気がするが、ゼロには鳥籠のように見えた。研究所の背後から向こうはゾンビが出ないのだと、フェンスに向かいながらルビィが教えてくれた。フェンス内に侵入したゾンビも研究所より向こうには行かず、中を彷徨う。呪いよ、とルビィは呟いた。

 侵入したゾンビは瞬間的に冷却され、原型を留めないほど破片にしてから炎に罪を焼かれることになっているが、時折その装置を壊して侵入するゾンビもいるらしい。ゼロはそれに先日襲われたようだ。


 だがルビィが説明してくれるそのどれも、ゼロは何処か心此処にあらずで聞いていた。荒廃した土地か、乾いた風か、ゼロに胸を掻き毟りたくなるほどの切なさを覚えさせる。そして周囲の空気を震わせながら、声が、していた。その声が気になってゼロは集中できないでいた。


 ちらりとルビィを見てゼロは思う。ルビィには聞こえないのだろうか。此処に満ちる救いを求める声が。C級ゾンビはそれを言葉にすることは出来ないのだろうが、がむしゃらに突っ込んでくる様はまるで殺してくれとでも言っているようだ。それを黙って受け入れるルビィは、それはそれで救いの天使なのかもしれない。


 しかし、ゼロには出来ない。救いを求める者を無に還すことだけが彼らのためになることだとは思えないからか。体の内側から怒りが湧いてくる。それとも恐怖? 足が震えて膝が笑っている。これは恐怖なのかもしれないとゼロは何処か遠くでぼんやりと思う。


「……ゼロ」


 遂に愛想を尽かされたか、とゼロは思って顔をルビィに向ける。いい加減にしなさい、とルビィが言うのをゼロは身構える。しかしルビィは息をついただけだった。今はマスクをしていない。此処の空気は平気なのだろうか。


「ねぇ、ゼロ。音が聴こえる? 此処にある五月蠅すぎるほどの音が」


 ゼロはびくっと肩を震わせた後、ああ、とだけ答えた。ルビィは悲しそうに眼を伏せると絞り出すような声で言った。


「私にも聴こえる。でも雑音(ノイズ)がかっていて正確には聴き取れないのよ」


 ゴーグルの下で切ないような視線をルビィがゼロに向けた気がして、ゼロはふっとルビィから視線を逸らす。


「貴方には聴こえる? 何て言ってる? 何を求めてるの?」


 ゼロの言葉とルビィの言葉が重なった。


「――救い」、と。


 聞こえるんじゃないか、と目を丸くするゼロの言葉はだが、ルビィの切なそうな声に呑み込まれて消えた。


「感じるの。聴こえることはなくても寂しさや悲しさが伝わってくる。途切れて聴こえる言葉。だから私は――貴方も――狩らなければならないのよ」


 救いを求めているから狩ってやる――それは矛盾しているようでそうではなかった。


 死を求める者に死を与えて何故いけないのか。生き返った亡者に再び死を、と望むのは生者なのに、それを止めよと反対するのも生者なのかと。矛盾しているのは人間なのだ。

 矛盾した者が矛盾した行為を止める。ならばそれはもう、矛盾してはいないのかもしれない。


 あぁ、そうか。そうなんだ。


 何所かでゼロは納得した。今まで目の前にありすぎて見えていなかったものが何だったのかを知ってしまった。ゼロは冷めたような目をルビィに向けた。それは今のルビィと同じ、諦めを知った瞳。


「ギョギャギュギュギョ!」


 背後から襲われたゼロは振り向きざまにパールでそれを薙ぎ払った。間近で斬ったせいか、腐ったようなC級ゾンビの血をゼロは頭から被った。


 異臭の血を被ってゼロは機械仕掛けのような心に告げた。


 自分はただ、彼らの望みに従う(Obey)のみだと――。



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