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1.Zero ――試作品――


 彼の頭の中に映像が流れ込む。


 何だ……?靄がかかってるみたいで何も見えない。

 音声が入る。が、雑音(ノイズ)がかかってよく聞こえない。


『……かないで……オイテカナイデ……』

『目覚めなさい、ゼロ』


 少女の声が聞こえる。自分を呼んでいるらしいと察したが、彼は眉根を寄せた。

 ゼロ、だと? 俺はそんな名前じゃない。けど……思い出せない。俺は何処の誰で、どういう奴なんだ?


『目覚めなさい……過去を持たぬ者、ゼロ!』


 弾かれたように彼は跳び起きた。しかし、彼の躰には拘束具が厳重に施されており、躰は僅かに浮いてすぐに寝台に戻る。全く身動きが取れない状態だった。


「……くぅ……っ!」


 全身の動きを抑制された彼の赤い瞳に映ったのは、白衣を着た青い色の瞳を持つ少女だった。白皙の肌に赤く濡れた唇、真っ直ぐに背に流れる黄金に輝く髪、その美しい容姿に少女を“天使”だと彼は思った。


「あんた誰だ? 俺は何故此処にいるんだ?」


 それでも彼は尋ねなければならなかった。彼が知っていることはほとんどない。否、覚えていない。

 彼が拘束されている寝台の傍に立った青い瞳の天使は無表情な顔で、留美依(ルビィ)と告げる。青い瞳をした紅の宝玉の名を持つ天使を睨むように見つめ、彼は続きを促す。


「あたしは貴方の監視人よ。貴方はゾンビを“狩る”ために生まれ、そして目覚めた」


 ゾンビ? 狩る? 一体、何の話だろう。


「……最初から話すわ」


 彼がきょとんとした顔をしたせいか、ルビィが溜息と共にそう言った。


 この街で一年ほど前からゾンビが蔓延りだしたこと、街の敷地以外にはゾンビが出ないこと、そのため国が研究所を建てたこと、それが今いる場所であり研究員と戦闘員以外は生きている人間はいないこと、それでもゾンビにやられて研究員も戦闘員も随分減ってしまったこと、これまでゾンビを倒す手段を持っていなかったこと、これまで何度も試してきたがその手段は得られなかったこと、今回彼が作られそれは成功したかもしれないことをルビィは話した。今はまだ街の敷地外にゾンビは現れないが、いつ他の場所に出現するとも分からない。戦うことを知らない国民を守るために、彼は作られた。


「貴方はまだ試作品(プロトタイプ)。だから貴方には番号がないの。貴方が成功を収めてくれれば『壱』になれる。けれど今は実験段階。だから今は(ゼロ)なの」


 端正な顔立ちにも関わらず、つまらなさそうに説明されると目の前の彼女さえ作られた存在ではないだろうかと彼は疑いたくなる。けれど触れて確かめることはできない。


「番号が、俺の名前か」


「そうよ。ゼロ、それが貴方の名前よ」


 そして彼女が初めて笑顔を見せる。だがそれは今までたくさんの人間たちがみたものだろう。心からの笑顔ではない。それだけルビィにとって慣れたものであるようにゼロは感じられた。


「……で、どうして俺は拘束されてるんだ?」


 またルビィは元の無表情に戻ってしまい、手にした書類に視線を落としながら答えた。


「ゼロに新たな力を与えたからよ。人工的なものには拒否反応が起きてもおかしくないの。過去には力と上手く折り合いがつけられず、共存せずに研究者を襲ったケースがあるのだけど……それを考慮してね」


 ゼロが目を見開くのを見て、ルビィは大丈夫とゼロに言う。


「手術は成功。貴方は新たな力を受け入れる器を持っていた。でもまだ試作品(プロトタイプ)だから……いつ暴走してもおかしくはないの。

 しばらくはまだそのままの体勢で異変がないか様子を見て、落ち着いたら“力”を使ってみて。使いこなせれば『壱』として仕事をしてもらうわ」


 持っていた書類をくしゃくしゃに丸め、ルビィはゼロを見下ろした。ゼロもルビィを下から見上げた。青と赤の視線が交わり、ゼロは無意識にそこにルビィの意図を探ろうとした。しかし其処にルビィの思いは見えてこなかった。凪いだ海のような感情の見えない瞳だった。


 にやり、とゼロが笑う。ルビィの綺麗な眉が動き、表情が動いた。ゼロが挑戦的にルビィを見る。


「……何かしら、ゼロ?」


「俺は『壱』にはならねぇよ。どんなに成功したって、俺はずっと『零』のままだ」


「それでも良いわ。それじゃあ、最低一週間は此処のロボットたちが貴方の世話をするから。文句は言わないように」


 ルビィは歩き去り、ゼロは取り残された。相変わらず拘束具は厳重で、今のゼロ自身の力ではどうにもできなかった。諦めてゼロは硬い寝具に躰を預け、そのままとろとろと眠りに落ちていった。


* * * *


 閉まった扉にズルズルともたれかけルビィは荒い息をつく。すぐさま研究員たちがルビィに駆け寄ってきた。


「大丈夫か!?」


口々にそう叫び、マスクをルビィの口元にあてる。ルビィが段々と落ち着いてくると白衣を着た医者が責めるように言った。


「流石の貴女でも此処の空気は合わない……無理は禁物ですぞ」


ルビィはあえぐように言葉を繋げた。


「私……が、特別なら……放っておかない……でしょ……」


フンっと医者は鼻で笑った。ルビィの高飛車な発言を跳ね返そうとするかのようだった。


「くだらないな。貴女が何であろうと、我々は手を伸ばさない。貴女がどれだけ傷つこうと、我々には関係がない。我々にはあの少年がいる。私自らが手術を施した、あの少年が」


 ルビィに駆け寄った女性がふと顔を上げる。彼女の中からする僅かなモーター音がルビィの耳には届いていた。しかし見た目には人と大差ない。そういう意味では噛みつきはしないものの外をうろつくゾンビとも差はないのかもしれない。

 彼女が口を開く。


「だからと言って貴方が特別なわけでもありませんよね。ドクター……?」


月読(ツクヨミ)だ。このイカレたロボットめ、いつになったら私の名前を覚えるんだ」


 顔に筋を浮かべてツクヨミは言葉を吐き捨てる。普段から横柄な態度を取る医者だが、手術ができる唯一の人物のため誰も口にしないようにしていた。だがルビィは違う。機嫌を取る必要はない。


「失礼ではございますが……」


ルビィは自力で立ち上がり、ツクヨミに向かって笑んでみせる。天使のような風貌でルビィは言った。


「この――イカレたという――乙波留(オパール)はとても有能でして、“心”で相手を認めるか認めないかを決めるんです」


 ぴく、とツクヨミは頬を引きつらせる。


「……それは私がどうかしていると言いたいのか、“留美依様”?」


 いいえ、とルビィはかぶりを振り、オパールの傍に寄ると歩き出した。

 ただ、とルビィは気が変わったのかツクヨミを振り返り嘲るように笑った。


「汚れているだけだと思いますわ」


 怒りのあまり無言になったツクヨミと気まずそうな表情を浮かべるその他の研究員を残し、ルビィはオパールと共に歩き去る。その時、小声で命じたルビィの言葉をオパールは聞き逃さなかった。


「あいつ、クビにしておいてね」


* * * *

 

 雑音(ノイズ)が邪魔をして何を喋っているのか聞き取れない。同時に映像にも邪魔が入ってそれが誰なのか分からない。だが、ゼロの記憶なのにそれが誰なのか分からないなんて変な話だ、とゼロは思う。


「ほ……はし……!あい……逃げなきゃ……っ!」


 少女だろうか。金色の長いふわふわとした髪が目の前を駆けていく。

 ゼロは自分の腕に視線を落とした。少女のだろうか。白く細い手がゼロの腕を掴んでいる。ゼロは自覚していないが足も動いて走っているのだろう。


 これは夢か? ゼロは思う。この少女とゼロは逃げているのだと。

 でも何から? 何からこんなに一生懸命になって逃げているのだろう。


 目の前から少女の姿が掻き消えた。虚しく空を掻く自分の手を見てゼロは青ざめる。何が起こった?

 ゼロの足が感覚を取り戻す。冷たい、凍るような空気が周りに満ち、ゼロはびくんっと肩を震わせる。びちゃ、と濡れたものが落ちた音が背後でして、ゼロは恐る恐る振り向いた。


 何もない。


 前に向き直ってほっと胸を撫で下ろしたゼロは、今まで見たこともないものを目の当たりにしてしまった。


 ぐずぐずに腐敗した皮膚、虚ろな目、開いた口からは声は出ず呼吸音もしない。まるで生気を感じさせないそれは未だ止まらず、腐り落ちて最早掌しか見えない指先をゼロに向けて助けを求めるかのように動いていた。

 その手はゼロの足首を掴むように触れるが、ゼロは肩を震わせただけでそれ以上は身動きが取れない。ゼロの足を支えにし、それは起き上がろうとする。恐怖とショックでゼロは尻もちをついた。同時にそれはくずおれ、ゼロの方へ這ってこようとする。


 雑音(ノイズ)が消え、画像も鮮明になる。それはまるで現実のような――。


 現実……!?


 ゼロは動けない。それは別にショックのせいではなく、拘束具のせいだった。


「あ……あああす……」


 それは口を開き、ゼロに訴えかけてくる。最早意味のある言葉は形作れないが、それの求めているものは何となく分かるような気がしてゼロは胸を締め付けられる思いがした。しかしゼロにはどうすることもできず、内から湧き上がる恐怖も強く、ただ叫んだ。


「わああああーっ!!」


 すぐに部屋が赤いランプで真っ赤に染まる。ビーッビーッと大音量で警鐘が鳴る中、それとゼロは向き合ったまま硬直していた。


「ゼロ!」


 ルビィが駆け込んでくる。そして何か指示を出し、誰かが部屋一杯にガスのようなものを噴射した。冷気が増し、ゼロは感覚がなくなるのを感じた。気が遠くなっていく。


 しかしゼロが気絶するよりも早く、それがゼロの寝具から落ちた。硝子細工のような脆いものが壊れる大きな音がして、ゼロに何かがかかる。それは冷たくて痛かった。


「燃やしてしまって。早く。ゼロは私が何とかするから」


 慌ただしくゼロの部屋の中を誰かが動き回り、あの正体不明なものを連れて行った。ゼロはその間、視線を惑わせたまま呆けていた。そしてふと、ゼロはルビィを見上げた。ルビィは防護マスクに赤いレンズのゴーグルを目にして立っていた。


「ルビィ……?」


 ゼロのかすれた問いにルビィは息をついて答えた。


「バレてしまったのね。ゼロにちゃんと言わなきゃならないわ……聞く?」


 何についてそう言ったのかは分からないが、ゼロは頷いた。益々ルビィは息をつき、ゴーグルを指した。


「一般的には貴方と違って肉眼で奴らを見ることはできないのよ。だから初めのうち、国民はそれが何かを知る前に殺されていた。

 でも、コレをつければ奴らを見ることが可能になるわ。貴方の眼球は手術によって緋色になったから、こんなものをつけなくても奴らが見えるの」


 ルビィはひょいっとゴーグルを外す。濃い赤色の下から澄んだ青が現れた。それから、とルビィはマスクを指す。


「此処の空気は毒なの。常にマスクをしていないと五分も息をしていられないようなところにいる」


 けれど、と彼女は言葉を続ける。


「貴方は手術によって肺が強化され、マスク(こんなもの)は必要ないの。だから簡単に死ぬ危険性はゼロに近い。貴方は誰よりも期待され、人類最初に生まれた……ううん、生まれ変わったと言うべきかしら?」


 ルビィは手で口元を隠しておかしそうにクスクスと笑った。


「貴方はこの街に蔓延るゾンビ共を狩るために生まれ変わった。ゾンビハンターなのよ」


 ゾンビハンター……?


 ゼロは瞬時に理解できなかった。そんな空想の話など信じられるものか。


「現に見たでしょ? あのゾンビを……C級(クラス)のゾンビだけどね」


「あれがゾンビ……!?」


 あの変な生物はゾンビだったのだ。そしてそれを“狩る”というのが、ゼロ。

 ゼロはあの虚ろな目を思い出した。あのゾンビが腐り落ちた指先を伸ばし、ゼロに求めたものは。


「……無理だよ……俺にはできない……。あんなものを“狩る”なんて無理だ」


 これを恐怖というのならゼロは初めて感じていた。それ以前の記憶がなく、全ての感覚が歯痒い。


「できるわ」


 その無表情すぎる天使の声に、ゼロはカッとかんしゃくを起こした。


「俺にはできないっ!」


「どうして?」


 冷静な声にそう尋ねられるとゼロは何故そうなのか分からなくなった。


「どうしてって俺は……つっ」


「どうしたの?」


「俺は……っ!」


「何?」


「俺は……一体……?」


 ゼロには思い出せなかった。何故そう思うのか。そう感じる理由が過去にあると思うものの、自分の過去が掻き消えるようになくなってしまう。自分が昔どこの誰だったか、誰と住んでいたのか、家族はいたのか、今も生きているのか。そして自分の、名前さえ。


 俺は誰なんだ……?


 ゼロは両掌を見る。その手に自分が何を持っていたのかさえ分からない。大切なものだったかもしれないのに。


「さあ、ゼロ。貴方は私の言うことを聞いてくれるわよね?」


 青い()の“天使”に囁かれ、知らず知らずのうちにゼロは頷いていた。


「ゾンビハンター、第零号、ゼロ。我々Z・Z研究所によって覚醒した試作品(プロトタイプ)。Z・Zでの活躍を期待する。

 明日から能力値測定開始。場合によっては一週間以内に狩らせることとする」


 公式に告げるようにして“天使”は無表情にゼロを見る。しかし、それ以上に無表情な顔でゼロはボーっとしていた。


 言葉さえ、無価値(zero)にしてしまったかのように――。



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