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蒼天の城  作者: 飛島 明
第一部 再興編
9/82

切れた蜘蛛(2)

瘤瀬の里では、夫婦者以外は、少年は少年同士、少女は少女で何人かに別れて住んでいた。

菜をがふと目が醒めたのは……、何故だったか。所在なくあたりを見ると隣で寝ている筈の、こはとがいない。そっと起き出すと、頭領、祖父である時苧の小屋になんとなく向かった。時苧の小屋は灯りがついていた。


「……ようやったの」

時苧のねぎらいの言葉。言葉をかけられた相手は答えない。

菜をは、からりと戸を開けた。途端、押し寄せる血の匂い。戸の隙間から、土間にいた蟋蟀が撥ねていった。

「爺様っ無事かっ」

言葉より目が、囲炉裏の側には時苧と草太が居る事を確認していた。

草太は愛用の短刀を握り締めたまま、足元を見つめたままだ。愛刀からは血が滴っていた。

草太の足元には……衣?人?あれは……あの衣の柄は!


「こはと姉者?!」

たった今斬り棄てたこはとの遺体を前にして、草太の体をどす黒い炎がとりまいているように、菜をには思えた。

「兄者。こはとが……、こはと姉者を……っ、なぜだっ!」

菜をが草太に詰め寄ったが、草太はこはとを睨み付けたまま、動かなかった。

かわりに時苧が答えた。

「あやつは間者じゃった」

「間者?!」

菜をは、血を吐くように叫んだ。


 この瘤瀬は忍ぶ里。

表向きは戦乱で生き延びた孤児たちが集い、懸命に生き延びようとしている里。しかし、生きぬく為とはいえ、体術を叩き込まれ、研磨され。

お互いすら通り名でしか呼び合わないこの里が、単なる里である訳がない。


 髄まで毒を染み込まされた者から、毒を抜き取る術はない。

そして里を率いる時苧が、瘤瀬の頭領が断じる、というのは絶対なのだ。

菜をは、時苧が戸を閉めているのを睨みつけていた。先程もそうであったが、気配を漏れさせない為、封じの術をかけているのだ。


「土雲の丹精込めた、な。いずれ諏和賀に害をなす」

時苧の声は静かで、既に悲しみは滲んでいなかったが、それが逆に菜をの怒りに火をつけた。

「おかしいよ、爺様も、兄者も!二言目には、諏和賀、お家って!!今更、あんな痩せこけた呪われた地を、土雲衆や、他の誰が欲しがるとでも?!ご領主様一族は討たれたし、兄者や姉者、妹や弟達の本当の縁者も死んだ!諏和賀は滅んだんだよ!」



それまで、微動だにしなかった草太の体が、びくり、と動いた。


「奴らの狙いはお前だ」

相変わらず、視線をこはとから外さぬまま、草太が言葉を唇に載せた。

「なんでっっっ?!」

菜をの声はもはや悲鳴だった。

「お前は菜をではない」

どす黒い血が一滴、一滴滴るような草太の声音。いつもの張りのある声とあまりに違う嗄れ声。


「兄者?」

尋常でない草太の様子に、菜をがおびえて後じさる。なにを、なにを兄は告げようとしているのか。

「オレの妹は只一人。お前はまやかしだ」

草太の瞳はあくまでこはとに据えられたままだ。

「お前は、滅ぼされた諏和賀の生き残り、お館様と奥方様の血をひく唯一の者」


「……うそ……っ、」

菜をの足元がふらつく。

草太が菜ををようやく見据えた。幽鬼のような表情のなかに一際目立つ、黒い、深い氷のような瞳。慈しみと厳しさの中に、時折、影のようにゆらめいていた表情。

(その眼)

今まで、気の迷いだと笑い飛ばしていた双眸の色。

気のせいではなかった。その色に、菜をは決定的に今迄のなにかが壊れたことを悟った。


「お前は自分の、本当の名を知っているか」

それは、こはとに時苧がなげかけたのと全く同じ問いだった。

「……っ」

菜をは無意識にかぶりをふった。知りたくもなかった。この先に告げられる何かを、聞いてはいけない。菜をは思わず、耳を塞いだ。

それでも。

「諏和賀の諏名姫」

草太の静かな声が、容赦なく、菜をにつきささる。


「!!」


 物心着く頃には、今の仲間達が揃っていた。

のちに時苧が戦火の城下から集めてきた子供達だと知った。そのなかで、小鷲という兄と自分だけは他の兄姉弟妹と違って、瘤瀬で生まれた時から育ってきたようだった。しかし、それが何か他の兄弟との差異とは思えなかったので、特に気に気にした事はなかった。


みんな、平等に祖父・時苧の孫であり、兄姉弟妹であり、一族であったのだから。

ただ、何人も兄姉はいたが、なかでも草太の後をくっついて回った。

彼に一番甘えもし、わがままも言った。あまりに理不尽な言動であると、即座に鉄拳が跳んでくるか、無視されたが。それでも、草太の後ばかりを追いかけていた。


 性も違う、年も5つも離れていた草太の行動範囲は広く、鍛練も兼ねていたので、ついていくのは容易ではなかった。草太は菜をの我儘でついてきたのだろうと手加減してはくれなかった。かえって、他の弟、妹より厳しい場合すら多々あった。

それでも、草太について行ったのは。

決して菜をを甘やかしも、手助けもしない草太ではあったが、『お前はやり遂げられる』と言っているような草太のまなざしが、あったからだ。


しかし、ごくたまに、近寄ることすら恐ろしい目でみつめられていると、感じることはあった。それは今思い返せば、真実の名前を冗談半分で教えあおうとした時や、素性について思いを寄せる時。ここに埋もれたい、と子供ながらに思った時ではなかったか。


 優しい漂脱した祖父と、誰からも認められる実力の持ち主でありながら、親しみやすく、周囲から慕われ愛されている兄。


菜をの大好きな兄。




 体術を厳しく、叩き込まれた日々。

反発しながらも、疑問すら浮かばない程、刷り込まれた諏和賀への思慕の念。

時折、兄が憎悪ともいえる感情を向けるのを。祖父の瞳に浮かぶ、己れの愛する者を犠牲にすることすら厭わない、悲しいまでの決意を。祖父と兄の言葉のはしにのぼる、亡きご領主一族のこと。その中でも、生きておられれば、自分と同じ年くらいであろう、姫君のことを。




 菜をも感じたことはあった。

そもそも、この里が何の為に作られたのか。だからこそ、この平凡な日々が愛おしくて、考えるのをやめていたのだ。

菜をは、自分が立っているのか、座り込んだのかさえ、わかっていなかった。


「おまえは諏和賀再興の切り札。土雲を倒し、御家再興の日がくるまで、お前を土雲から護る。

主君の姫君であり、諏和賀の希望のお前を」

草太は嵐が去ったあとのように、静かな貌に戻った。

ここには祖父と、妹として接してきた娘のみ。その双眸にはまだ激情が渦巻いていた。

「オレの弟は、お前の兄の『影』として育てられた」

草太はいったん言葉を切った。

「妹も」

菜をは兄の独白を聞きたくなかった。

もうこれ以上、恐ろしいなにかを告げる言葉を聞きたくない。だが。

「オレの妹は、お前を生かす為に身代わりとなって首を城門に晒された」

そして、こはとまで……!

草太の声にならない咆哮は、菜をを打ちのめした。


「父の、叔父達の、弟の、そして妹の命にかけて、お前が逃げることは許さない。そして、諏和賀に流された血にかけて」

草太の冷たい言葉を背に、菜をはふらふらと、彷徨い出て行った。



 小屋の外では、ヨタカが枝に止まり、蟋蟀を嘴に咥えていた。巣で待つ雛に与える為にであろう、喰わずに何処へと飛び去っていった。

時苧も出て行き、一人になって、ようやく草太はこはとの側にくずれ落ちた。



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