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蒼天の城  作者: 飛島 明
第一部 再興編
8/82

切れた蜘蛛(1)

 時苧がすい、と立ち上がった。風に揺れる草のような、自然なしぐさ。あまりに自然だった為、草太は何も不思議に思わなかった。

からり、と障子をあける。草太が振り返った。

「こはと?」

こはとが佇んでいた。呆然としているようだが、珍しく彼女は何も獣も連れていない。否。獣が勝手に彼女についてくるようにも見える。



「どうした、こはと?」

穏やかに時苧が尋ねる。ちらり、とこはとの全身を見遣る。

「あ……」

こはとは身動き出来ないようだった。

「何故ここにいる?」

おだやかな声は崩さないが、普通の者であれば、いや剛の者でも脚が竦むような気を発していた。

「わたし……、わたしは……」

おびえたようにこはとは視線を泳がせる。なにか、糸が切れたような、こはとの表情。



「糸が切れたか。ぬしは今、彼奴に切られたぞ」

時苧の言葉に、こはとと、草太、はたしてどちらの顔に衝撃が走ったのか。

「え」

何を言われたのか、わからなかったのか。こはとの瞳が、救いを求めて、草太を映す。

しかし、こはとの瞳に映ったのは、すでに立ち上がり、一頭の獰猛な獣のような、草太の瞳だった。


--こはとには、草太の、瞳の深い慟哭の色は果たして見えただろうか。



 時苧が淡々と、悲しげにいう。

「ぬしらは、先の戦の折、わしが城下を回って集めた子らよ」

こはとも覚えていた。

焼け焦げた町の中で泣いていたのだ。頭領が彼女を見つけてくれて、涙を拭いてくれた。そして瘤瀬の里の子になった。


「ぬし、本当の名前を覚えておるか」

時苧が静かに、こはとに訊ねる。

「こはと、私はこはとです」

こはとは必死に言った。

「それはわしがぬしに与えた名前よ。ぬしだけよ。この里の者で、一つしか名をもたぬのは」

時苧はこはとの言葉を遮った。言い逃れを赦さない気迫で。


草太も普段は、小鷲という通り名である。真の名を明かさないのがこの里の掟であった。

「それも、お館さまの血筋をみつけさせない為よ」

その言葉に、こはとのなかで、わずかに気配が揺れた。しかし、時苧は気づかなかった。

「わからない……っ、私は……っ!!」

こはとは呻いた。

「親のことは覚えておるか」

時苧は重ねて訊ねた。こはとは首を振った。懸命に振った。そうすれば、全ての厄災が、夢と消えるとでもいうように。

「ぬしはあの時三つか四つ。一番ひどい処にいた童の記憶が曖昧であっても、誰も不審に思うまい」

時苧は痛ましげに呟いた。


「ぬしは、何も色がなさすぎたのよ」


記憶を喪っていても、くせ、は残るものだ。匂い、話し方、歩き方、暮らすやり方。

無論、親を殺された衝撃で、家を焼けだされた衝撃で、ましてや自分が襲われた衝撃で。記憶や、言葉、光を喪った者は多い。果ては現と夢の境がなくなってしまった者もいた。



こはとは思い出した。焼け野原にいる前の唯一の記憶。


『気配を消せ。諏和賀を探り出せ。』


気配を消せ。諏和賀を探り出せ。気配を消せ。諏和賀を探り出せ。気配を消せ。諏和賀を探り出せ。気配を消せ。諏和賀を探り出せ。気配を消せ。諏和賀を探り出せ。気配を消せ。諏和賀を探り出せ。気配を消せ。諏和賀を探り出せ。気配を消せ。諏和賀を探り出せ。


気配を消せ。諏和賀を探り出せ。

気配を消せ。諏和賀を探り出せ


気配を・・・・・・



繰り返される言葉と、目の前に広がる、闇夜よりも昏い瞳がこはとをぐるぐると取り巻く。それがこはとの世界の全てであった。こはとが、言葉と、瞳に押しつぶされる。


「いやあああああああああああっっ」


 我知らず、こはたとは、のたうち回っていた。

いかなる暴虐が、その脳裏で行われていたものか。嗜虐性の思考の者なら、涙をとめどなく溢れ出させ涎を垂れ流し、胸を掻き毟るその姿に、艶めかしさや、興奮を覚えたかもしれぬ。


「あああああっっっ」

草太は微動だにせず、激しい怒りを眸にしながらも冷たい容貌で、こはとの背後の土雲を睨み付けていた。


涙に縁取られたこはとの瞳が草太の瞳を見、凍りついた。

コノヒトハアタシヲスキジャナインダ。


今や、お互いを敵と見出した恋人達を時苧は痛ましげにみつめがら。

「ぬしの事を土雲が放った間者である事はわかっていた。草太とも夫婦にさせてやりたいとも思うていた。だが、諏和賀に害なす者は生かしておけぬ」

鎮痛な声でこはとに、というより、草太に言い聞かせるかのように搾り出した。



「「……」」

草太とこはとの視線が合った。



 二人の間に満ちた闘気が風を呼び、あちこちで衝突してはパシパシ、と軽い音が響く。






 忍ぶでまず、徹頭徹尾学ばされるのは、”どんな姿になっても良いから生きて還る”事だ。事と次第を報告しおえて初めて、任務は全うする。その為、里に辿りついてから死ぬ者も多かった。

そこには、”肉を斬らせて骨を絶つ”という論理はあっても、”死ぬ気で挑む”や”相打ちに持ち込む”という考えはない。


『気力で負けている者が、優位の者に勝つ等、有り得ない』という教えのもと、格上の者と死闘を繰り広げさせられる。


 草太はこはとが己より格下なのを知っている。そして恋人だった女だ。そこに、こはとにも勝機がある。糸の切れた蜘蛛はもう誰の管制下でもない。生き延びる為に、目の前の二人を殺すしか、ない。



と。葉が落ちた。

やがて殺意と凶気が交叉した。

否、草太と小はとの姿が、交叉したのだ。肉を絶つ音と。骨が砕ける音と。それは、一瞬のうちに交わった。

まるで、恋人同士の戯れあっているような動きであった。





りんりんりん。

何処かで鈴の音が鳴っている。

優しく、己をあやす声が聞こえる。

(母様……?)




あなたは、まだ生きていなかった。

わたしも生まれ出でていなかった。



りんりんりん。

愛おしげに私を見降ろしてくれる、母様。



ようやく、わたしはこのとき、孵ることが出来た。

あなたは孵ることが出来るかしら?



りんりんりん。

愛してくれた人との、突然の別離。

私は誰かの手によって、あの人から引き離された。




あなたは、わかっただろうか。

わたしを……、救うことが出来なかった虚しさを。

愛した者を喪う悲しみを。



りんりんりん。

気配を消せ。諏和賀を探り出せ。

気配を消せ。諏和賀を探り出せ


気配を・・・・・・



繰り返される言葉と、目の前に広がる、闇夜よりも昏い瞳。



それから。

わたしの世界は、あなた一色になった。

わたしのことを、あなたは本当に愛していた?



りんりんりん。



あなたの瞳のなかには、わたしがいたけれど。

けれど。


り……。


彼女の体は恋人に抱きとめられることもなく、地に崩れ落ちた。

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