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蒼天の城  作者: 飛島 明
第一部 再興編
6/82

縺れた縁(1)

「じい様は土雲の正体を見切っているのか?」

草太はかねてより考えていたことを、思い切って、口にした。

「うん?」

「オレの弟が若君の『影』として、育てられたのは、まだわかる。だが、生まれた時からご領主の若君ともあろう方が吉蛾で育てられたんだろう?嫌に用意周到だった、てな」

「……」

時苧はじっと草太の顔をみつめた。

「土雲の襲撃は突然だったと覚えているから、腑に落ちない」

草太はそのとき数えで7つ。記憶と勘違いがあやふやになっても不思議な年ではあるまい。

「ふむ」

時苧は煙管からぷかりと煙を吐き出した。

「襲われて、主君の血統を遺す為に、咄嗟に子供を取り替えることは、胆力があれば出来る事だ。だけど、生まれた時から替え玉として育て、本当の若君を隠して育てる、というのは用意していないと……。言い換えれば、予め襲撃を察知していないと、出来ることじゃない。なにか兆候があったのか、それとも、どこまで相手がやるかを知り抜いていたか、だ」

お互いに手の裡がわかる相手。それが土雲を率いている人物なのかもしれない、と。

草太は考えた末なのだろう、慎重に言葉を選んでいた。




やがて時苧はぽつり、ぽつりと言葉を紡いだ。

「もともと太郎一と小篠はお館様と奥方様の護衛というよりは、幼馴染よ」

「?」

太郎一と小篠は草太の父母の名だ。

何を祖父は言い出すのか。草太は固唾を飲んで聞き入った。

小篠こしのと奥方様は姉妹よ。血を分けた、同腹のな」

「母者と、奥方様が?」

初めて聞く話であった。

武士の家の生まれでもない自分の母と、ご領主の奥方が同腹の姉妹であったとは。

身分の低い者でも、妻を何人も娶る風習である。いかに同腹の絆が強いものであったろうか。草太の感慨もよそに、うむ、と頷くと時苧は続けた。

「一郎太と太郎一もな」

「いちろうた」

これも、はじめて聞く話だが。父には二郎次と三朗三の他に兄弟がいたのか?

父と年の離れた2人の叔父達は、よく草太の面倒をみてくれた。

叔父、というより兄として親しんでいたが。

「一郎太と太郎一。そして笹や殿と小篠はよく4人で城に上がって、お館さまが幼きころ、5人で遊んでおったよ」

懐かしそうな時苧の眼差し。

(笹や殿、が奥方様のお名前か)

「月日が経ち、お館様は小篠の姉、笹や殿を奥方にのぞまれてな。小篠は太郎一を選んだ」

「……」

「わしらは二組の縁組を祝福した。一郎太も祝言が決まっておったし。……一郎太が、何故その娘を選んだのか。何故、奥方様と小篠が一郎太をいきなり蛇蠍のように嫌い出したのかは、誰にもわからなかったが、の」

炎に照らし出された時苧の顔に影が揺らめく。

「気づいたのは、一郎太が祝言の決まっていたおはた、というその娘を斬り殺して出奔した後じゃったよ」

それまで昔を懐かしんでいたような時苧の顔が翳った。

「!」




 時苧が紹介された時には既に身重だったおはたは、それ以前から男出入りが激しく、評判が悪かった。それでも一郎太が望んだ娘であれば、と時苧は許したのだ。だが、祝言当日、あろうことか一郎太はおはたを惨殺して吉賀の里を逃亡した。

「わしらが駆けつけたときには、まだ、おはたは息があった。苦しい虫の息の下から、一郎太に斬られた、と告げた。」


(まさか!)

その知らせを聞いた時は、何の冗談かと思った。戦では勇猛果敢な男であるが、一朗太は穏やかで優しい性格だ。

よもやと思ったが。駆け付けて検分した。おはたの躰に残されていたのは。

「確かに、太刀筋が彼奴のものであった。わしが検分したゆえ、誤りはない」

時苧が顔を歪めた。

「……忍ぶが主君もしくは棟梁からの指示以外での殺傷は許されておらぬ。わしは直ちに一郎太を吉蛾衆に取り押さえるように命じたが、一郎太は吉蛾衆すら切り捨て、何処へと消えた」


『申し訳ござらぬっ』

時苧は主君に土下座した。

『死して、この不始末の詫びを致す処でござるが、不肖の息子をこの手で斬り殺さねば死に切れませぬ。彼奴もこのような事を仕出かし、死を覚悟しているかと。どうぞ棟梁の任より解き放ち、野に出て彼奴の捕縛』のお許しを賜りたく……!』

棟梁の息子で、次代の棟梁と目されていた男。誰が犯したよりも厳罰は免れなかった。が、城主は。

『おけ。あの一郎太が、考えなくあのような事をしでかすとは思わぬ。仔細あっての事であろう。探索は許す。だがそれは、訳なく咎を責める為ではない』


幼馴染とはいえ、下人に対しての身に余る厚情であった。




「殿は御赦しくだされたが、一族のものを、息子を従い得なかった不甲斐なさでわしは吉蛾の棟梁を辞した。そして息子たちともども、瘤瀬の里へ蟄居した」

 それで合点がいった。

なぜ、病人でも末期の者や、異形の者しかいない瘤瀬に時苧一家が暮らしていたのか。

年寄りでも頑健な祖父が、年若い二人の叔父達が。そして里人の会話の端々から、吉蛾の次期棟梁と目されていたらしい父も。

ましてや異形の者でない、健やかな子供の自分や菜をですら、里に降りることも許されず、ひっそりとこの里で暮らしていたのか。なにか、科を犯したのであろうかと考えたこともあったが、瘤瀬での暮らしを満喫していた草太にも、不思議であったのだ。




 凶行から暫くして。

お館となられた若君と笹や、そして太郎一と小篠の二組の夫婦たちの祝言が挙げられた晩。

一郎太がおはたに嵌められた事実を、太郎一は小篠から聞きだした。

おはたは、巧みに小篠を誘い出し、一郎太との密会を垣間見させるように謀ったのだ。


『いち兄様があんな女と……っ』

小篠が唇を噛んだ。死して尚、おはたの名は口に出すのも汚らわしいようだった。

それも仕方のないことであった。

おはたという娘の暮らしぶりや性格は、だらしのないものであったし、その評聞は、周囲の娘たちを遠巻きにさせるに充分なものだった。男達にまで届いており、彼女を浮かれ女、遊び女として扱っていたのだから。


 太郎一は兄があのような凶行を起こしたことに納得していなかったし、おはたという娘は、一郎太が伴侶に望むような人柄とは、到底思えず、二人の祝言には甚だ疑問を抱いていた。


小篠の話を聞いて、太郎一は改めて調べる気になった。



 二人の密事を小篠がみせつけられた、その数ヶ月前。

おはたは流れ者と付き合っていたことがわかった。その流れ者とおはたは、人目も場所も構わず、愛を交わしていたと。

太郎一もその男を、幾度か城下で目にしたことがある。

一目でわかった。後ろ暗い生き方しかしてこず、女で甘い汁を啜り、人の生き血を吸い。饐えた匂いがしそうな闇を纏わせ、ろくな死に方をしないだろうということが。

当然のように、その流れ者は、刃傷沙汰で殺された。諏和賀の城下では、滅多に刃傷沙汰はなかったので、太郎一はすぐ、思い至った。


 里では折々、女達の共同作業がある。機織り場にて。

『おはたさんが、”いち兄様を必ず手に入れてみせる”っていつも言っていたわ』

小篠は忌まわしそうに言った。

武芸に秀で、若君の信望厚く、人柄も誠実であった兄弟は、望めばそれこそ、城下の娘の誰とでも縁組できたのだ。

『私達、おはたさんのような方をいち兄様が相手する筈ないって思っていたから……』

忌々しいと思いながらも、色狂いの女の戯言だと誰も本気になどしてはいなかった、ということだ。


しかし、小篠は、それが誤りだったと痛烈なしっぺ返しを喰うことになる。



 一朗太に、笹やから頼まれた弁当を届けに行った、木立の中の炭焼き小屋。

おはたの、歓喜にのけぞった白い頤。その逞しい肉体を、おはたの躯にしがみつかせ、しかし、泣きべそをかいていたのような一郎太の表情。

小篠は居たたまれず、すぐその場を逃げ出したが、一瞬の情景は眼に焼きついた。

そして、間の悪いことに、情事の済んだ一郎太と再び、まみえてしまった。


『私、いち兄様を見たくなかった。だから、あまり目をあわさなかったけれど。ぼーっとしてた。ふらふら、というか、目が空ろで……』

思わず、かっとなり、どうしても一言なじって遣りたくて、一郎太の目を見つめたのだが、焦点が合ってなかったのだという。

『私、絶対おはたさんが薬かなにかを、いち兄様に盛ったんだと思って』

小篠は、物騒なことを平然という勇ましい娘であったが、頭のいい娘だったので、おはたがわざと小篠に情事をみせつけるように仕組んだと勘付き、おはたを問いただしたのだと。


おはたは嫣然と笑った。

『誰かが固唾を飲んで見ていたのは気付いてたけど、小篠さん、あんただったのね。あの人にそう言って、やめようとしたけど、夢中になって気づかなかったみたい』

と嘯いた。

小篠に情事を見せつけたのを逆手にとり、秘め事を盗み見るような女だと、一郎太に告げたというのだ。自分より低俗な女に同等に見られたのが悔しくて、それで今まで口を閉ざしていたのだと。しかし、姉の笹やに秘し通す事は出来なかった。


 おはたは小篠が口を閉ざすのも見越したうえ、人々の口の端にのぼるように、自分で念入りに噂を仕掛けていたのだ。人気者であった一郎太と、鼻つまみ者のおはたとの浮名であったから、瞬く間に広まった。


そして、笹やの耳にも。

『ねえ様に問いただされて、黙っていることは出来なかったわ。だって、いくら、いち兄様がおはたさんに騙されたとしても、真実だったのだもの!わたし、いち兄様を見損なったのよ、ねえ様がいるのにって……!』

小篠は、唇を噛んだ。

彼女は、太郎一を生涯の人、と定めていたのだが、一郎太を兄のように慕っていた。

まして、その憧れの人は大好きな姉の思い人であったのだから。潔癖な娘であれば、仕方のない反応であったろう。太郎一は、姉妹が一郎太を、それこそ蛇蠍であるかのように突然嫌い始めた訳が、ようやくわかったのであった。




おはたは、誰に矢を射掛ければ、一郎太が自分の手に入るのか、周到に計算していたのである。



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