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酸の海に沈む  作者: 飛鳥
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三章 彼女の妹

「なんで、なんでなんですか!なんでおねぇちゃんだったの!?なんでおねぇちゃんが、殺されなきゃ、いけなかったの…っ」

ぼたぼたと大粒の涙が頬を伝い、顎の先から落ちていく。

大きな目は零れ落ちそうなほどに見開かれているし、頬は紅潮し、唇はわなわなと震えている。

つりあがった眉と、吐き出される言葉で、彼女が激昂しているのは容易に分かる。分かるのだが。

「…申し訳ありません、今、調査中です。そのために五十嵐香織さんの妹さんである詩織さん、あなたにも話を聞きに来たのです」

自分に言われても困る、というのが本当のところだ。久瀬は自分の少し後ろで少女の涙と激昂にどうしていいのかわからずおろおろしている。お前は本当に刑事か。落ち着け。

相沢に話を聞いた後、その足で聞き込みに来たのが五十嵐香織の妹、詩織のところだった。

両親には別の署員が話を聞いている中、捜査員の中でも若手に分類される自分と久瀬が難しい年ごろの少女の相手を仰せつかったのだ。

話を聞くべく五十嵐邸へと赴き、応接室に通されたのが5分前。

ソファとローテーブル。出された麦茶を前に待つこと1分弱。

姿を見せるなり開口一番姉が死んだことへの怒りと悲しみを詩織が自分たちにぶつけ始めて4分。

現在、ラストスパートとでも言わんばかりにわんわんと泣きながらののしられている真っ最中だった。

「捜査ってっ、もう、犯人、分かってるじゃないですか、っ!!これいじょ、何調べるン、です!?」

しゃっくりのために何度か声を裏返しながらこちらを睨みつけてくる。

「ええ、もう犯人は分かっていますし、動機も判明しています。今はそれが本当に正しいのかどうかを皆さんに話を伺うことによって確かめているところです」

諭すような声色で発したそれも、自分にしては珍しい困り顔も彼女には通用しないらしい。

依然としてこちらを睨みつけてくる眼光は鋭く、零れ落ちる涙の量も変わってはいない。

そんなに泣いたら目がなくなるんじゃないかと真剣に思うくらいには、彼女の様子は尋常ではなかった。

「お姉さんのことを、詳しく聞かせてください」

「っ…お姉ちゃんは!お姉ちゃんは賢くて、明るくて、やさしくて…っそんな、そんな変な人についていくような人じゃなかったっ…」

唇を噛んで伏し目がちに訴える姿に、得心する。

ああ、なるほど。この子は姉のことを本当に慕っていたのだ。そして、それゆえにテレビや新聞、

ゴシップ誌で言われているようなことが許せないのだ。

曰く「犯人に食された哀れな女性は進んで犯人に食べられた異常者だった」というようなことが。

「…五十嵐香織さんは、とても聡明で快活な人物だったと聞き及んでいます」

ゆっくりと、言葉を選んで話しかける。刺激しないように。混乱させないように。

立てこもりの犯人をなだめすかすときと要領が一緒じゃないかと心中で毒を吐いても、それを表に出さないように。

「…お姉ちゃん、は。いつも、友達に囲まれてて。明るくて。私のこと、本当の妹だって、言ってくれて」

スカートを握りしめた拳が白くなっている。

五十嵐香織と、五十嵐詩織は血の繋がった姉妹ではない。五十嵐香織の本当の父親は、香織が産まれてすぐに亡くなっている。交通事故だった。当時20歳だった香織の母親は両親と義両親の手を借りながら香織を育て、香織が中学に上がってすぐに再婚。その2年後に生まれたのが詩織だった。一回り年の離れた妹を、香織は本当の妹のようにかわいがっていたと聞いている。

「お姉ちゃんは、間違ったことなんて、なくて。宮本さん、だって」

ぐう、と喉の内側でうなり、否定するように強く頭を振る。二つに結わえた長い髪が乾いた音を立ててソファを撫でた。

「お、姉ちゃんに。恋人だって、紹介されたとき。かっこよくて、やさしそうな、人だって。そう思って。お姉ちゃんに話しかけたりするとき、お姉ちゃんが私を見るときみたいな、顔、してたから!だから私!お姉ちゃんをお願いしますって、いったのに。ばか、みたい。ばかじゃない!!!」

息を切らせて、泣きながらその場に蹲る子供にかけられる言葉を、霧島は持っていなかった。


・・・


嗚咽も、鼻を啜る音も聞こえなくなった音のない空間で、不意に久瀬がぽつりと言った。

「お姉さん…五十嵐香織さんは、宮本文哉さんのこと、好きだったのかなぁ…」

まるで明日の天気は何だろう、今日の夕飯は何にしようか、そんなことを呟く調子で落とされたそれに、詩織は静かに膝を抱える。

鼻の詰まった声で、静かに、ささやくように、答えは返ってきた。

「…お姉ちゃんは、宮本さんのこと、好きだったと思う。一緒にいられるだけでいいって。そばにいられることが、こんなに幸せだなんて思わなかった、って」

かすれた小さな声が、ゆっくりと続ける。

「幸せに…してもらうんだって。二人で幸せになるんだって。言ってた。でも…」

じわりと、かすれた声にまた水気が混じる。

「…しんじゃったら、ぜんぜん、しあわせじゃないよぉ…」

ぐすり、ぐすりと鼻を啜る音が静かな部屋に響く。

ゆっくりとした声で、そこにまた音を落としたのは久瀬だった。

「そうかなぁ…いや、うん。…そうかも。死んじゃったらきっと、一人だもんね。でもじゃあだから、宮本さんは香織さんを食べたのかな。死んでも一緒にいられるように」

その内容にぎょっとする。発言は明らかに、宮本の肩を持っている。詩織が激昂するのを想像して、霧島は静かに身構えた。

しかし、飛んできたのは詰る怒声でもモノでもなく、やや不機嫌そうな、しかし理性を持った声だった。

「…なにそれ。死後の世界で、二人は幸せになりました、めでたしめでたし、ってこと?…そんなの」

「僕らから見たら、幸せじゃないかも。でも、本当のことは、分からないよ、誰にも。幸せや、不幸せは、その人じゃないとわからない心の問題だからね」

「久瀬、」

久瀬があまりにも物怖じせずにつらつらと並べるものだから、止めようと口を開いて…そして結局何も言えずに口を閉じた。詩織も何も言わない。抱えた膝頭のズボンの上にできた涙のあとを、じっと睨みつけるようにうつむいている。

名前を呼んでそれきりの霧島を、久瀬は困ったように一瞥し、再びそうっと声を出す。静かすぎるこの部屋に溶けるように、その声は馴染んだ。

「わからないよ、誰も。聞きたくてももう、彼らはここにはいないから。だからね、君が香織さんや、宮本さんは不幸だというのならそうなのかもしれない。マスコミが、彼らのことをおかしいって騒ぎ立てるみたいに。結局は憶測、僕らが勝手に想像してそれを押し付けてるだけだ。詩織ちゃん、君は、どう思う?」

久瀬がそっと冷めたお茶の入った湯呑を手の中に収める。そのままゆらゆらと中身を揺らして眺めているようだ。たぶん、飲む気は、ない。

「お姉さんは、どんな人だった?宮本さんは?君から見た彼らは、どんな人たちで、どんな風に見えた?それを知るために、僕たちはここに来たんだ」

詩織は相変わらずうつむいたままだ。けれどもう、泣くことも、叫ぶこともしなかった。久世は届かないと知りながらも詩織のことをじっと見つめている。

刑事の、顔だった。

「…やさしい、人だった。あかるくて、いつも友達がたくさんいて。本当のお姉ちゃんじゃないってわかったとき、わたし、ひどいこといっぱい言った。でも、お姉ちゃんは私のこと大事だって、本当のお姉ちゃんじゃないかもしれないけど、家族なんだよって。…最後にあったときは、宮本さんと二人で。笑って、手を繋いでて。宮本さんのこと好きだから、一緒に幸せになるんだって。宮本さんも、お姉ちゃんのこと大好きなんだって、笑ってた。幸せそう、だった。しあわせに、」

…なってほしかった。

ふるりと、詩織の薄い肩が震える。

きつく膝を抱える詩織は、きっと、本当に、姉のことが好きだったのだろう。そして、きっと、宮本のことも。二人に幸せになってほしくて、心から祝福して、そして…裏切られたのだ。少なくとも彼女にとって宮本のとった行動は彼女の望んだ幸せからかけ離れている。

こどもだ。十代の半ばにも届いていない。ちいさな。

それが如何に彼女にとって許しがたい裏入りであるかは、霧島には想像し得なかった。

静かに詩織を見ていた霧島は、しかしそれ以上の思考を巡らせることはかなわなかった。不意に、わき腹を突っつかれたからだ。考え込んでいた霧島はびくりと一瞬体を硬直させ、そしてつついてきた人物の方を向いた。言わずもがな、久瀬である。

久瀬は得意の“困っています”という表情を貼り付けている。どうやら、自分で話を振ったはいいものの収拾が付けられないらしい。お前は本当にあほなのかできるやつなのかどっちなんだ、馬鹿か。

つきたくなるため息を胸の奥へ突っ込んで、ようやっと霧島も口を開く。

「突然の訪問で、デリケートなことを聞いてしまい、すいませんでした。…話してくださって、ありがとうございます。今日していただいた話は、捜査に役立てさせてもらいます」

見てはいないだろうがそういってゆるりと頭を下げる。

「混乱させてしまって、申し訳ない。話を聞けて良かったです。それでは、自分たちは、これで」

頭を上げて、久瀬を連れて玄関へ向かう。部屋の外に待機していたのであろう母親と、別の捜査員が気まずげにこちらを見ている。母親の方は表情に苦いものを含ませてすぐにうつむいてしまった。そのしぐさが先ほどまでの詩織を想像させて、苦笑しそうになるのを腹に力を入れて耐える。

「その…詩織が、すいません」

「いえ。彼女には酷なことをしてしましました。こちらこそ申し訳ない」

「ええと、それで。話は聞けたのかな?」

捜査員の渋面に一つ頷いてそうですね、と返す。

「それについては、署で。それでは、ありがとうございました。また何かありましたらお話を聞かせていただくかもしれませんが、その時はよろしくお願いします」

ぴしりと背を伸ばして頭を下げる。返事は返ってこない。いつものことであるのでそのまま靴を履き、久瀬に続いて玄関を出ようとしたとき、背後から扉の開く音としおり、という母親の戸惑った用の声が聞こえた。

振り返ると、目元を真っ赤にした詩織が立っている。

「あの!…あの。さっき」

目線をうろうろさせながら、迷うように声をかすれさせている。服の袖をぎゅうと握りしめて、あれでは手に爪痕が残ってしまうのではないかと声をかけようとした。

「あの。さっきは、ごめんなさい。会うなり、怒鳴って、しまって」

しりすぼみに消えていく語尾と、迷った挙句地面に落ちた視線に今度こそ霧島は苦笑する。彼女は何も悪くないのだ。

「気に、なさらず。むしろ急に押しかけて、まだ心の整理もついていないようなことを言わせたこちらが悪いんですよ。不快な思いをさせて申し訳ないというのは、嘘じゃない。けれど」

子供相手だからか、幾分か饒舌になっている自覚は、あった。

「けれど、私たちは、何も知らないんです。香織さんのことも、宮本さんのことも。どんな人なのか知らなければ捜査のしようがない。…話してくれたことは、今後の調査の参考にさせていただきます。ですから、お互いさま、ということにしておいてくれませんか。詩織さんが怒鳴った分と、私たちが不躾な質問をした分と」

ずるい言い方だ、と自分でも思う。けれど、泣いていてのを我慢してこうして謝りに来るような子供だ。多分、素直な子なのだろうと思う。何か言い訳をあげなければ、きっと気に病んでしまうだろう。後からそれはおかしい、と気づかれたとしても霧島と久瀬と、まあ警察官が嫌われるだけだ。

「お互い…さま。」

「はい。…それでは、失礼しました」

詩織とのやり取りを黙って見ていた母親に向かって黙って一礼し、今度こそ玄関を出る。

家の敷地を抜けたところには、久瀬が相も変わらず困り顔で突っ立っていた。我慢する必要がないので思い切り、それはそれは盛大にため息をついてやった。久瀬が頼もしかったのは本当に先ほどの一瞬だけだったなと思いながら、自然に寄った眉間のしわを右手も親指でもみほぐす。

「署に帰るぞ。ほかの捜査員と情報のつきあわせだ」

「あのぅ…詩織ちゃんは」

「なんでお前のフォローを俺がするんだ。結果を予測しながらものを言えよ、いい加減に…」

説教は後にすることにして久瀬に車を取りに行かせた後、そっと振り返って“被害者”の家をもう一度見る。

何の変哲もない一軒家は、傾きかけた日の光を浴びてオレンジ色に染まっていた。


彼女の幸せ

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