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酸の海に沈む  作者: 飛鳥
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一章 始まり終わり

それは、とある田舎の、ある山中、吐き気がするほどの暑さの夏に起こった。

奇妙な事件だった。常軌を逸している。頭がおかしい。―――おぞましい。

そうマスコミは囃し立て、民衆は狂乱した。

その事件のあらましは、こうだ。

県内のとある山中、人もほとんど入り込まない山奥の一軒の古い民家で、死体が発見された。

第一発見者は地元の猟友会に所属する男性。たまたま近くを通りかかったところ、屋外からでもわかる異臭に気が付き通報。

通報を受けた警察官が声をかけたが反応がなく、また、家屋に鍵もかかっていなかったため異臭の発生源を探ったところ、死体が発見された。

死体は風呂桶に満たされた液体に全身浸かっており、溶けかけていた。

液体は塩酸。市販のものを煮詰めて濃度を上げたもので風呂桶を満たし、その中に浸かったらしい。

そして、現場には溶けかけていた男の手記と思われるものが残されていた。

その内容はとても理解できたものではないが、おそらくこの事件の真相であろうことが綴られていた。

要約してしまうと、こうだ。

「自分は彼女を愛している。そして、それゆえに、彼女のすべてを感じたかった。彼女と一つになりたかった。だからこそ、自分は彼女を食べたのだ」と。

その男の死体は大事そうに頭蓋を抱えていた。

溶けて小さくなっていたものの、女性のものであることが判明。

この奇妙な事件の顛末は、たったこれだけだった。

そしてたったこれだけであるからこそ、その狂気が大きく取沙汰されたのである。

しかし、人喰い心中事などという安易な名前が付けられたそれに、本当の意味で恐怖し、または共感し、同情し、軽蔑し、影響された人間はどれだけいるだろう。

少なくとも自分は、影響されてしまった一人だ。

あの家には、あの手記には、あの事件には、狂気の中に確かに一つの感情があった。

曇りなく、まっすぐに、ただ一人に向けられた―――愛という、感情が。


「霧島さーん」


無意識に開いてなぞっていた手帳の文字を追うのをやめ、静かに息をついてそれを閉じた。

どうやら自分の番だ。行かなくては。

白い壁と、待合に座る無表情の群衆をそっとみて、霧島は立ち上がった。

まったく、感情とは、思いとは、度し難いものだなと思いながら。


霧島の今


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