表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
先生。  作者: Delta
5/14

近くない先生。

ラグビートップリーグの試合中継を観ながら、買ってきた本を開いて座っていると、お風呂上りの和晃が、後ろで声を上げた。

「ええっ??」

「なに。」

「好きだったっけ?ラグビー?」

「最近ね。おもしろそうかなって思って。」

「そうなの??まあ、はるかはスポーツ好きだもんねー」

「うん、観るのがね。ねえ、和晃はラグビー詳しい??」

「いやー・・あんまりわかんないなー。俺は球技はちょっとねー・・苦手だし。」

「そうだった。」

小学生の頃は、身長を伸ばしたくてバスケットボールをやった。高校生の頃はプロ野球を観るのが好きで、学校からそのまま球場へ向かい、試合を観て帰ったりした。冬季オリンピックの中継でアイスホッケーを初めて観て、しばらくはアイスホッケーばかり観ていた。

その反面、和晃はスポーツ観戦には全く興味がない。球技も本当に苦手なようで、学生時代は水泳を、20代始めの頃は、サーフィン、スキー、スノーボードをやっていたようだ。競うものより、自分で楽しむものを好むところは、いかにも温厚な和晃らしい。水泳は学生の頃授業でやった程度で、スキーやスノーボードの経験がない私とは、ことスポーツに関しては、お互いに全く話が合わない。

今まで、ラグビーの試合中継など、ちゃんと観たことはなかったが、やはりイメージ通り、選手は体が大きくガッチリしている。しかし、中には比較的小柄な選手もいて、ポジションで言うスクラムハーフには、そんな選手が多いように思えた。肩を並べ、勢いよくスクラムを組むフォワード、攻撃の要・司令塔となるハーフバック、駿足と呼ばれ、ボールを持ったらゴールラインめがけてトライを狙うスリークウォーターバック、ディフェンスリーダーのフルバック。

前田先生なら、やっぱりスクラムハーフかなー・・という想像と共に、先生と背番号9番が、時折重なって見える。前田先生がやっていたスポーツというだけで、試合を観るのが無条件に楽しくなり、横文字の多いルールやペナルティなども、すんなり頭に入ってくる。


ラグビーを観ている私の隣に、缶ビールを片手に和晃が座った。

「26日のこと、今井さんに言っといたよ。」

「あ、本当?2名で予約してくれた?」

「うん、でも、時間はまだわからないんだよね?」

「んー、25日がまた抜歯なんだ。次の日は消毒に来て下さいって言われるから、ディナーの前にクリニックに行こうと思ってて。そっちの時間次第かな」

「また抜くのー?左もまだ治ってないのに?」

「うん、そうみたい。またあの痛みとの闘いよ。」

「抜いた後が痛いんだよねー」

「抜いたことあるの?」

「あるよ〜。だから痛いのは知ってる。」

「そうなんだ。」

「『ディル』には友達と行くんだっけ?高校のときの」

「うん。友里も夕方までは仕事だから、『ディル』の前で直接待ち合わせする。」

「今井さん、サービスするって言ってたよ。」

「ホント??やったー。」

テレビからホイッスルが聞こえ、黄色いユニフォームのレフリーが左手を高く上げた。

選手がトライを決めた。


翌日、雨は上がっていたが、曇り空で気温も低かった。

誕生日のディナーに着て行く新しい服を買おうと思い、厚手のコートを着て、美容室のあるショッピングモールへ向かった。服を見る前に、美容室を覗いてみた。

「こんにちは。」

「おっ、春日部さん、こんにちはっ!」

牛嶋さんが1人、フロントに立っていた。店内には、他の美容師さんも、お客さんの姿もない。

「あれ、1人?」

「そうなんすよ〜。今日、暇なんす。予約ゼロ。」

牛嶋さんは苦笑いで言った。

「他の人は?」

「今、休憩入ってます。買い物っすか?」

「んー、ちょっと服見に来た。」

「そうすか。」

「うん。」

牛嶋さんが、私の髪をじっと見て言った。

「髪、よかったらまた少し切って行きませんか?」

「え?」

「ん〜、なんか、もう少し短くても似合うと思うんすよ。今もボブスタイルだけど、もうちょい短めのショートボブくらいに」

「切ってからまだ1ヶ月も経ってないよ」

「いいじゃないっすか〜。カット料金、ちょっと安くするんで。」

話をしていても、お客さんは1人も来ない。暇な牛嶋さんが、少し不憫に思えた。

「わかった。じゃあ、お願いします。」

「マジっすか!?ありがとうございます!やー、言ってみるもんすね。」

「安くしてくれるんでしょ?」

「もちろんすよ〜」


美容室を出てから、一度化粧室に向かった。化粧室の鏡で、もう一度ショートボブに仕上がった自分を見る。確かに、牛嶋さんの言う通り、さっきまでよりこっちの方がいい。雰囲気が少し、軽くなった気がする。成り行き任せで切ってみたが、意外に気に入ってしまい、それだけで嬉しくなった。

そのまま服を見て回った。どの店も、新作の冬物が所狭しと並んでいる。

誕生日のディナーに着て行く服を買いたいというのもあるが、どこか前田先生を意識している自分がいる。

ピュアホワイトのボウタイブラウスを買い、家に帰った。


夜、帰宅した和晃が「ただいま」よりも先に言った。

「あれ??また短くなった??」

「あはは。うん、つい流されて、また切っちゃったー」

「流されて??ていうか、どんどん短くなっていくなー・・。学生のころみたいだね」

「あー・・そうだね。あの頃はもっと短かったけど。」

「でも、そうするとなんだか、はるかはやっぱりショートの方が似合ってるかな。はるからしい。」

「そお?」

「んー」


25日。昨日まで晴れていたのに、クリニックに行く日になると雨が降っていた。普段、通勤などをしているわけではない為、傘を持ってバスに乗るというのが億劫だった。

他の歩行者と傘の端がぶつかったり、走行車が歩道に水を飛ばすのを避けたりしながら、ようやくビルにたどり着く。天気が良い日より、幾分遠く感じてしまう。

クリニックの入り口にある傘立ては、他の患者の傘でいっぱいで、今日も忙しいのだろうと予想がついた。

待合室のソファーに座っていると、初めてクリニックに来た日に案内してくれた、50代くらいの女性の助手に名前を呼ばれた。

「春日部さまー・・」

診療室に入ると、前田先生は5番ブースで男性患者の治療に当たっている。その後ろを通り、前回と同じ8番ブースへ案内された。

「荷物をお預かりしますね」

そう言って、女性がバッグを壁のフックに掛けてくれた。診療台に座ると、ブースの入り口から「下山さん」と呼ぶ男性の声が聞こえた。声の方を振り向くと、和晃の担当の、眼鏡の加護先生が立っていた。助手の女性は「下山さん」というようで、仕事のことで何か注意をされているようだった。下山さんは、クリニックの助手や歯科衛生士の中では、数少ない年配の女性だ。加護先生は、かなり厳しい口調で下山さんを叱咤して、ブースから去っていった。

下山さんは「失礼しました」と私に一言いうと、診療の準備を始めた。

医師の技術もそうだろうが、助手として働いている人への厳しい教育があるからこそ、市内NO.1と呼ばれるクリニックが成り立っているのだろう。

「先生が来るまでお待ち下さい。」

そう言うと、下山さんもブースから去っていった。


5分ほど経って、前田先生がやって来た。

「春日部さーん、こんにちは」

「こんにちは・・」と、前田先生を見ると、思わず吹き出しそうになってしまった。何があったのか、いつものさわやかなかんじとは違い、先生の髪はボサボサだった。

「お・・お忙しいんですか??」と、つい聞いてしまった。

「え??なんで??」

「だってあの、髪、グチャグチャです」

「えっ?ああ、うそ?グチャグチャ??」そう言って、先生は照れくさそうに、慌てて髪を右腕で直した。

「ゴーグルを着けたり外したりするからさぁ・・あはは」

先生は、フラットパネルモニターに、私のX線写真のデジタル画像を出し、じっと見ながら、「うん」と何かに納得し、「じゃあ、今日は右上の親不知を抜くからね。」と、いつものように笑顔で言った。

表面麻酔をした後、シリンジで麻酔をする。

これだけはどうしても痛い。

「痛いよね・・ごめんね」

麻酔をしている間、先生の顔がすぐそこにある。でも、前回のように見つめる勇気はなく、目線は洋画の流れるテレビの方を向いていた。

シリンジをゆっくりと抜き、「ちょっと待ってて」と、先生はブースから出て行った。

先生がいなくなると、大きなため息が漏れる。


緊張する・・・。


先生は、前回の麻酔の時より早く戻ってきた。モニターの右下に表示してある時計で時間を確認すると、「ちょっとごめんね」と言って、自分の右手の人差し指を、私の右の頬に乗せた。


わっ・・・


今日は落ち着いていた鼓動がいきなり鳴り始める。

麻酔を早く効かせる為か、指で頬を軽く解している。

先生は真剣に私の顔を見ている。

触れられている、見られている。

鼓動が早くなっていく。

右頬に、先生の指先の体温が伝わってくる。

トクトクトクトク、息も苦しくなってくる。

先生はふっと笑う。

「じゃあ、ちょっと動かしてみようね」

そう言うと、グローブをして鉗子を口の右上奥に入れた。

先生の腕に力が入り、メキメキッと耳に響いた瞬間、激痛が走り、思わず目をかたく閉じてしまった。

「うわっ、痛かった!?」と、先生が慌てて力を抜いた。

声を出せず、ただ少し頷いた。

「ごめん!!大丈夫!?」と、心配そうな表情で聞いてくる。

「だい・・じょうぶです・・」と、なるべく笑って答えた。

「もう抜けてるからね・・、本当にごめん・・」

そう言うと、グローブをした左手で右頬を優しく2回撫でた。

ローラーコットンで止血をする。

「血が止まるまで、もう少しこのままでいてね」

笑顔で言うと、先生はブースを出て行った。

数分経って、下山さんが入ってきた。口の中のコットンを取り出し「本日はこれで終わりです。明日、消毒にいらして下さい。」と、事務的な口調で言った。

8番ブースを出ると、前田先生は隣の7番ブースで、別の女性患者の治療に当たっていた。

心の中に、じわりと嫉妬心が湧いたのがわかった。


私以外にも、女性患者はいくらでもいるのに。

そんなの、当たり前のことなのに。


こんなことで、嫉妬する自分が恥ずかしかった。


先生の後ろを通り、待合室へ向かう。

いつもなら、ここで先生が呼び止めて、その笑顔を向けてくれるはずなのに。


「おつかれさまでした」は   なかった。


治療の時は、その距離10cm。


でも、先生は近くない。

先生は医師で

私は患者。


先生の後姿を横目で見ながら、診療室を出る。


先生の指先の温もりが残る、

右の頬が、ズキズキ痛い。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ