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先生。  作者: Delta
3/14

先生の眼差し。

「歯医者さんどう?」

深夜2時、遅い夕食を食べながら和晃が聞いてきた。

「うん、和晃が言ってた通り、すごくいいところ。」

「だろ?怖くなかったろ?」

「最初は怖かったよやっぱり・・。でも、内装とかすごく綺麗でビックリした。最近の歯医者さんって、みんなあんな感じなのかな?」

「歯医者も今はたくさんあるし、いかに患者をたくさん呼ぶか、いろいろ大変なんじゃないかなぁ・・」

「そうなんだろうねー・・。ねえ、和晃の担当の先生は誰?」

「俺?俺は加護先生って人。」

ふいに、前田先生じゃないことに、なんとなくホッとした。

「ふう〜ん・・どの先生だろう?」

「眼鏡かけてるよ。」

「今度行った時探してみようっと。」

「次はいつ?」

「明日。親不知を抜くって言われた。」

「うわっ!なんか痛そう!」

「プレッシャーかけないでよっ」

「気をつけて行きなさいね。」

「うん、大丈夫よ。」

和晃に紹介してもらったクリニックなのに、クリニックのことを和晃と話すのは、妙に心地悪かった。

「今度の私の誕生日は休めそう?」

「んんー・・26日かぁ・・。ごめん、無理っぽいなぁ・・」

結婚してからは、お互いの誕生日も、結婚記念日でさえも、一度も二人で祝っていない。和晃が忙しすぎて、都合よく休みが取れないからだ。

和晃が休めないと言うのも予測済みで、驚きもしなかった。いつものことだ。

「あ、そう。じゃあ私、友達と外に食事に行ってもいい?」

「うん、いいよー。たまには贅沢しておいでよ。」

「うん、じゃあそうする。『ディル』に行こうかなと思ってるんだ」

「今井さんのところ?」

「うん、いいかな?」

「いいんじゃない?俺が伝えといてやるよ。」

「よろしく。」

今井さんは、和晃の直属の上司だ。和晃が料理長を勤める店は、『ディル』の支店であり、他にも市内に店舗が4つ。今井さんは、その全ての店舗の統括料理長で、基本的には『ディル』本店で仕事をしている。上司と言っても和晃とは同い年で、肩書きに関わらず、二人は仲がいい。『ディル』は、ランチは主にビュッフェスタイル、ディナーではコースとアラカルトが楽しめる、フレンチ中心の洋食レストランだ。

前々から、次の誕生日は『ディル』に行こうと決めていた。


いよいよ、3度目の歯科診療の日。

今日はまた少し、違った緊張感があった。抜歯なんて、子供の時以来だ。

予約は12時。いつも通り、バスで駅前へ向かう。

バスの中で、この前の「大丈夫。痛くないようにするから」と言った、前田先生の顔を思い出していた。


患者を安心させるのも、仕事のうち・・・?


月曜日の正午のクリニックはとても空いていた。待合室に座る患者は一人もおらず、診療室も、いつもの忙しそうな雰囲気はない。

受付を済ませてソファーに座ろうとすると、すぐに診療室の扉が開き、前田先生が出てきた。

「春日部さんっ、こんにちはっ。どうぞ」

笑顔で軽快に名前を呼ばれた。

「あ、はい・・」

薄いグレーのシャツ、シャツに合わせたセンスの良いネクタイ、長い白衣。今日はまだ、マスクはしていない。

診療室に入ってすぐの、2番ブースに案内された。いつもは、診療ブースの殆どが患者でいっぱいで、医師や助手が忙しく動き回っているのに、今日は、助手の姿も2〜3人といったところだ。テレビで流れる洋画はラブストーリーのようで、診療室は、映画の静かなサウンドトラックに包まれていた。

診療台に座ると、前田先生がマスクをつけて、診療の準備を始めた。いつもなら、助手の女の子がやる仕事だ。スカートを穿いている私にひざ掛けをかけ、給水口にはうがい用の紙コップを置く。カチッとセンサーが反応し、水が注がれる音がする。

「じゃあ今日は、左上の親不知から抜いていこうということなんだけど・・・」そう言いながら、後ろからそっと手を回し、淡いブルーのスタイを胸元に掛けてくれる。治療器具をジャラジャラと出しながら、「今日、ご飯いっぱい食べてきた?」と尋ねてくる。

「ー・・?はい・・・。え?」

なんでそんなこと聞くんだろう?

「あ、いや、麻酔するとね、2時間くらい、舌の感覚がなくなっちゃうから、熱いものとかで口の中を火傷したら大変だからね。しばらくは、食べ物を控えたほうがいいんだけど・・」

「ああ、そうなんですね。大丈夫です。」

「大丈夫?うん、よかった。ちゃんと麻酔をして、なるべく痛くないようにするからね。」

先生は優しく微笑む。

わかってる・・。と微笑み返す。


前田先生なら大丈夫。


「じゃあまずは、歯茎の表面を軽く痺れさせるお薬をつけるね。シートを倒しまーす・・」

シートを倒し、口にライトを当てる。

「はい、開けてー・・」

口の中に、ツンとした強い香りと、慣れない味が広がっていく。

不味い・・・・。

「はい、一度うがいをしていいよ。ちょっと待っててね。」

ライトを消し、シートを起こす。

うがいをしても味は消えず、左上の奥に、かすかな痺れを感じる。

天井にあるテレビを見上げる。流れているラブストーリーは、主要登場人物がたくさん出てくる、オムニバスだ。以前、CSの映画専門チャンネルで放送しているのを観たことがある。最後はみんなが幸せになる、ハッピーエンドだったと思う。

数分経って、前田先生が戻ってくる。

「春日部さん、ちょっと痺れてきた?」

先生の方を向いて、コクコクと頷く。

先生は笑って「うん、じゃあ、麻酔をしていこうね。」

シートを再び倒し、ライトを当てる。先生は、右手に麻酔のシリンジを持ち「はい、開けてー・・きもち・・左を向いてくれる?」と言う。

少しだけ、顔を左に向ける。

「うん、そう。ゴメン、薬が入っていくとき、ちょっと痛むかも・・・ゴメンね・・」

そう言って、ゆっくりとシリンジを口の中へ進める。

左奥にチクリと感じ、そのままガキガキと歯茎が凝固していくような感覚と、強い痛みが走る。


「ゴメンね、痛いよね、ゴメンね・・」


そのまましばらく、先生は真剣に針先を見ている。


周りには誰もいない。しん・・と、静かで穏やかな時間が流れる。


先生の真剣な眼差しに、思わず見蕩れてしまう。


先生の視線から、目が離せない。


先生の目。


先生の瞳。


マスク越しに、先生の吐息が聞こえる。


ネクタイ越しに、先生の鼓動が聞こえ、自分の鼓動と重なる。


先生は、私の視線に気付いてか、ゆっくりと、長いまばたきをした。


青いマスクのラインに沿った、切れ長の目が凛々しい。



ああ・・私・・・・



ゆっくりとシリンジが抜かれ、先生はふっと笑う。

「はい、閉じていいよ。口の中が苦いでしょ?一度うがいをしてね。麻酔が効いてくるまで待とうね。」

そう言ってシートを起こし、先生はまたブースを出て行った。


紙コップを持つ手が震えた。


待つ間、ただぼんやりと座っていた。


気付いた自分の気持ちに動揺していた。


ただ動揺していた。



私・・・、この先生のことが好き・・・



グローブをして戻ってきた先生が、シートを倒す。

胸の鼓動が早くなる。

「麻酔は効いてきたかなー・・。少し、動かしてみようね。痛いときは手を挙げてね。」

コクンと頷く。

先生は微笑む。

「うん、じゃあ、開けて・・」

鉗子を口に進める。白衣の袖を肘まで捲った先生の右腕に、力が入ったのがわかる。

左上に、メキッという音が響いた。

「痛い??」

先生は心配そうに聞く。

私は首を弱く横に振る。

また微笑む。

「うん、もう抜けてるからね。出血も少ないから安心してね。しばらくの間止血するから、これを噛んで、横になったまま待っててね。」

白いローラーコットンを口に入れられる。

「抜いた歯、持って帰る??」と、笑いながら聞いてくる。

「い・・いらなひでふ(いらないです)」

「ハハハ・・いらないよね。じゃあ、こっちで処分しちゃいます。血が止まるまでもう少し待ってね。」

ライトが消され、診療台の上でぼんやり待つ。


胸の鼓動は、トクトク鳴りっぱなし。


音を、先生に聞かれるのではないかと思った。


「はい、開けてー・・」

ゆっくりと、ピンセットでコットンを取り出してくれる。

「うん、大丈夫。しばらくうがいはしないでね。シートを起こすよー・・」

起き上がるとき、少し頭がフラッとした。

「春日部さん、明日来られる?」

「あ・・はい・・」

「うん、じゃあ、明日も来てくれるかな。状態を見て、消毒をするからね。」

「はい」

後ろから手を回し、ゆっくりとスタイを外してくれる。ひざ掛けを取り、バッグを手渡してくれる。


そして


「おつかれさまでした。お大事に。」


微笑んでくれる。


微笑み返す。


待合室に行き、ソファーで会計を待つ。

待っている間もずっと、診療室の前田先生を目で追っていた。


視線に気付いたのか、前田先生がこっちを見る。


目が合う。


先生は、マスク越しに笑顔を向ける。



もう・・その笑顔から、離れられない。




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