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先生。  作者: Delta
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笑顔の先生。

和晃とは、19歳の時、アルバイト先の厨房で知り合った。当時、調理師専門学校の生徒だった私は、昼間は学校、夕方からホテルの厨房で働いていた。和晃は私よりも2ヶ月後にアルバイトとして入り、知り合って8ヵ月後に付き合うことになった。和晃は25歳だった。

その頃は、お互いに結婚などは意識していなかったが、付き合って1年後に、職場の近くで同棲を始め、4年後結婚した。

結婚前に、和晃はホテルを辞め、今の職場に移り、間もなく料理長に就任した。和晃はいつも忙しい。朝8時には出勤して行き、帰宅は毎日深夜に及ぶ。それから夕食を摂るため、ベッドに入るのは3時を回るのが普通だ。

初めは共働きだったが、すれ違いの生活が続いていたため、私は退職し家庭に入ることにした。結婚して1年半、一緒に暮らして6年が過ぎようとしていた。


お風呂上り、洗面台の前で髪にドライヤーを当てながら鏡に映る自分を見た。

鬱陶しい長い髪・・・。


「ねえ、和晃」

「んー?」

リビングで料理本を見ている和晃が返事をした。

「髪、切ろうかな」

「え?どうして?せっかく長くなったのに」

「元々結婚式の為に伸ばしただけだし、長いのも鬱陶しくて」

「そう?俺は長いほうがいいけどなあ・・」

と、料理本を見たまま答える。

結局どっちだっていいくせに・・・。

「大変なのは私だもん。切るから」


あの日、歯科クリニックに行ってから、なぜだかおしゃれをしたいと思うようになっていた。ファッション誌を買い、インターネットでヘアカタログを閲覧したりしていた。


翌日、マンションの近くのショッピングモールにある美容室に、予約の電話を入れた。

お昼を済ませてから、自転車でモールに向かう。

11月だというのに、日差しにはまだ暑さを感じる。

美容室の扉を開けると、いつも指名をしている牛嶋さんが、私に気づいて「いらっしゃいませ」と声をかけてきた。

「こんにちはー、牛嶋さんお久しぶりです。」

「ホント、久しぶりっすね。」

牛嶋さんは、私と同い年の美容師さんだ。

「今日はどうします?」

私のバッグを、預かる為に受け取りながら牛嶋さんが尋ねてきた。

「切る。」

「切る。どのくらい??それだけ長ければ自由自在ですよ。」

「このくらい。」

私は自分の首元で手を止めた。

「おっ、結構バッサリいきますね。何かあったんすか?」

「・・・どうして?」

「女性が髪をそんなにバッサリ切るって、何かあるのかなって思うじゃないっすか。」

「別に何もないんだけど、もう、鬱陶しくて。」

「そうっすか。」

それ以上は追求してこなかった。

髪を切ってもらいながら、他愛ない会話をした。最近のテレビドラマ、人気のお店、公開中の映画。牛嶋さんはおしゃべりではないが、無口でもない。程よい会話で楽しませてくれる。

髪は、ボブスタイルに仕上げてくれた。


その日の夜、本当に髪を切った私を見て、和晃はかなり驚いていた。

「本当に切っちゃったんだ・・」と、半ば残念そうでもあったが、「ちょっと若くなったね」と、笑いながら頭をポンポンと撫でていた。

私の頭をポンポンと撫でるのは、付き合う前からの和晃の癖だ。

「若くなったって、若いんですけど。あなたより6歳も。」と、和晃の手を払いのけた。


数日経って、2度目の歯科診療の日がやってきた。最初の診療の時より、身支度に時間をかけた。主婦になってからはそれ程出掛けなくなったため、久しぶりのおしゃれが楽しく感じていた。

バスに乗り、駅前へ向かう。ビルに入り、5階へ。


クリニックの扉を開けると、同じ、特有のにおい。入るとすぐに、前田先生の後ろ姿が視界に飛び込んできた。

一瞬、胸がトクンと高鳴るのを感じた。

診療室に入る扉のガラス越しに見える先生は、患者の治療に当たっている。白衣の襟元から、今日は白いワイシャツが見える。マスクのゴムが耳に掛かり、ゴーグルを装着して、キィーンという音を立てながら、患者の歯を削っているようだ。足元にはグレーのズボン、これはこの前と同じだ。

受付を済ませてソファーに座る。洋画の流れる液晶テレビの方を向いているが、顔の左側で、何気なく前田先生の気配を追ってしまう。

受付にいた事務の女性が、診療室にカルテを持っていく。

「13時ご予約の患者様いらっしゃいました。前田先生の担当です。よろしくおねがいします。」

前田先生の「はーい」という声が聞こえる。その声に、なぜかまた、胸がトクンと鳴る。


なんでこんなに緊張するんだろう?

私はやっぱり、歯医者さんが怖いんだ。

だから、前田先生を見ると胸がドキドキするんだ。


診療室の扉がガラリと開き、前田先生がカルテを持って出てきた。

「春日部さん」

先生の方を振り向くと、マスク越しの笑顔でこっちを見ている。

思わず、笑顔を返してしまう。

「こんにちは。」

「こんにちは・・・」

「奥の、4番に入ってくれる?」と、先生が4番ブースを指差す。

「はい。」

診療ブースに入って座り、続いて先生も右隣に座る。マスクの左耳のゴムを外し、右耳に引っ掛けたまま、カルテを持った肘を太ももについて、少し前屈みになって尋ねてきた。

「この前のところはどう?まだ沁みてる?」

「あ、いいえ、もう沁みなくなりました。」

「沁みなくなった?それはよかった。」と、微笑んで言う。「今日は、口の中全体の写真を1枚撮って、検査をしてから、これからの治療計画を立てようね。」

「はい」

「今、気になってるところとかある?」

「んー・・時々、親不知の歯茎が痛む時があります・・」

「うんうん、親不知かー・・」先生は、頷きながらカルテにペンを走らせる。「それじゃ、とりあえず写真から撮ろう」

前田先生が助手の女の子に指示を出し、X線室に案内され、写真を撮る。4番ブースに戻って座っていると、足音が近づき、前田先生が戻ってきた。

「春日部さん、待たせてごめんね。」そう言うと、診療台に設置してあるフラットパネルモニターとマウスに手を伸ばし、撮影したX線写真のデジタル画像を出した。

「これが、今の春日部さんの口の中の状態。親不知のところの歯茎が痛むのはね、これを見る限り、歯が斜めに生えてきてるからだと思う。うーん・・だからまずはー・・抜いちゃおうか」お決まりの笑顔でさらりと言う。

「えっ?抜くんですか!?」

「うん、抜く抜く〜。抜かないとこれ、絶対虫歯になるもん。歯ブラシ届かないし、磨きにくいでしょ?」

「ー・・・はい・・」

先生は、ふっと微笑んで言う。「大丈夫。痛くないようにするから。」

その優しい表情と言葉に、ただコクンと頷いてしまった。

「他にも小さいけど悪い箇所があるから、徐々に治していこうね。最後に一度、口の中を見てもいいかな?」

そう言って、シートを倒し、ライトを当てる。ミラートップを近づけ、「はい、開けてー・・」と、先生の顔も近づいてくる。

口の中に、ミラートップを冷やりと感じる。

胸がトクトクと高鳴る。先生の、マスクと目元の境界線をじっと見つめる。

「うん、OK。じゃあ、今日はこれで終わりです。次回はまず、左上の親不知から抜いていこうね。」

シートを起こしてもらい、うがいをして、バッグを持って待合室へ向かう。


「春日部さん」と、また背後から呼び止められる。


「はい」と、振り返る。


前田先生はいつも、笑顔で最後にこう言う。


「おつかれさまでした。お大事に。」


笑顔を返し、軽く会釈をして診療室を出た。


ビルを出て、同じ銀杏並木の歩道を歩く。


前田先生って・・、今までに会ったことないような先生だなー・・。


帰りのバスを待ちながら、今日の夕食のメニューを考える。


今日は何にしようかな。



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