いつまでも先生。
洸々と赤く輝くポートタワーの下。
中突堤中央ターミナルに続く階段に、麻耶ちゃんと2人、並んで座り、ネオン溢れる神戸港を眺めていた。
ストラップの付いた携帯を握りしめ、遠くを見ている私の横に、麻耶ちゃんは何も言わず、ただ寄り添ってくれていた。
ペアでしか買うことの出来ないストラップ。
そのうち1つだけを、先生は私にくれた。
神戸に来なければ、わからないままだった事実。
「もう1つ・・」
「・・ん?」
口を開いた私に、麻耶ちゃんは優しく頷く。
「もう1つは・・先生が持ってるのかな・・」
「・・うん・・。きっと、先生が持ってると思うわ」
「・・・」
「そう思ってもええんちゃう?」
「・・・」
「はるちゃん・・ウチ・・」
「・・ん?」
「ウチな、先生は、はるちゃんのこと好きやったと思うわ」
「・・・・」
「何も言わんと、おらんようになってもうたんは、きっと、はるちゃんが結婚しとんの知ってて、はるちゃんには旦那と幸せになって欲しかったんかも」
神戸港が 涙で滲んでいく
「ー・・・・」
「はるちゃんの幸せ、いつまでも願ってるっていう意味なんちゃうかなあ・・」
「ー・・・・」
「もう、先生の気持ちは確かめられへんけど、そう思っとってもええんやない?」
「・・・・・」
「そう思うことにしなや・・はるちゃん・・」
「ー・・・・いいのかな・・」
麻耶ちゃんは、私の肩に手を回し、微笑んでいる。
「ウチが・・はるちゃんの想い・・しっかり覚えといたるわ」
「ー・・・・うん・・・」
前田先生
先生が好きです
先生に会いたいです
でも もう、
気持ちを伝えることも
会うことも出来ない
それでも
先生を想っています
先生の声
先生の眼差し
先生の手のぬくもり
先生のにおい
先生の笑顔
先生の優しさ
これからもずっと
前田先生が好き
会えなくても
先生の幸せを願っています
先生
今、どこですか?
先生のいる場所から
ポートタワーは見えますか?
「部屋、ツインで取ってくれたん?」
「うん」
「助かるわあ。泊まるとこまで考えてなかったんやわ」
「突然だったしね・・」
加納町という標識のある道を、ホテルへ向かって歩く。
「部屋で、またお酒でも飲もか!?」
「・・あ、麻耶ちゃん私・・」
「ん?」
「和晃と・・話してみる・・」
「ー・・うん・・」
「・・・ちゃんと話して・・明日・・帰る」
「ほんまに大丈夫?」
「ー・・うん」
「わかった。ほんだら、ウチ、部屋で待ってるわ」
「ごめんね」
「ええよ、気にせんどって」
ホテルから、少し離れたところにある長い歩道橋に上り、携帯電話を開いた。
22時半。店のラストオーダーは過ぎている。
心臓がドキドキ鳴るのを感じながら、和晃に電話を掛けた。
仕事中の和晃に電話をしたことは殆どない。
どうせ、忙しいときは出てくれない。
今までは、そうだった。
5回ほど呼び出し音が鳴った後、和晃が出た。
『もしもしっ』
「ー・・もしもし」
『・・・うん』
「ごめん、まだ忙しかった?」
『いや、いいんだ』
「・・・明日、帰るから」
『・・・ホントに?』
「うん」
『よかった・・・心配してたんだ』
「・・・」
『今・・どこにいるの?』
「・・・神戸」
『ええっ!?』
「ぷっ」
和晃の驚きっぷりに、思わず吹き出してしまった。
『こっ神戸って・・兵庫県?』
「うん」
『そりゃまた・・随分遠くまで・・』
「前から、一度行ってみたかったから、今朝の早い新幹線で来たの」
『そうか・・』
「麻耶ちゃんも一緒だから、心配しなくていいよ」
『三重の?』
「うん」
『そっか・・だったら安心だな・・』
「うん」
『気をつけて・・帰ってくるんだよ』
「うん」
『待ってるから』
「・・じゃあね」
『あ』
「ー・・なに?」
『何時くらいに着きそう?』
「まだわからない。新幹線に乗る前にメールしとく」
『うん・・わかった』
「じゃあね」
『じゃあ・・』
電話を切って、携帯を閉じる。
「ハア・・・」
歩道橋の手すりに肘を乗せ、車の流れを見ていた。
携帯に揺れる、ラグビーボール。
和晃を
許そうと思った。
許す心を
持ちたいと思った。
和晃ばかりを責められない自分がいる。
前田先生を好きな自分。
麻耶ちゃんが言ったように、前田先生がもし、私を想ってくれていたとして、それゆえに何も言わずにいなくなったのなら、私は和晃と幸せにならなければいけない。
前田先生を
好きだからこそ。
和晃と生きていこう。
和晃と幸せになる努力をしよう。
和晃を
愛していこう。
先生への想いを
胸にしまって。
朝食を済ませてから、チェックアウトしたのは10時を少し回った頃だった。
昨夜は、麻耶ちゃんの彼氏の話を聞きながら、結局深夜まで飲み続け、麻耶ちゃんはひどい二日酔いだった。
「ううー・・歩くと頭に響くわあ」
「麻耶ちゃんだいぶ飲んでたもん。目が腫れてるよ」
「ああーーそれ、言わんどってえぇ。朝、鏡で自分の顔見てびっくりしてもうたわ」
ガラガラガラガラガラガラ
「んん〜キャリーのキャスターがうるっさいわあ」
「あはは。私が麻耶ちゃんの分も引いてあげるよ。貸して」
「いやいや、ええのんよお」
最後にもう一度ポートタワーを見ようと、メリケンパークを目指した。
中突堤の広場では、賑やかにフリーマーケットが開かれていた。
それを眺めるように、中突堤中央ターミナルの横の階段に座った。
「大丈夫?麻耶ちゃん」
「んー・・大丈夫やに」
「さすがにフェリーに乗るのは無理だね」
「うわあ勘弁してえ・・吐いてまうわ」
「あはは」
深い青空によく映えた、赤いポートタワーを見上げる。
正面にはキラキラと輝く海。
「本当に、素敵な街だね」
「・・・来てよかったなっ、はるちゃん」
「うん」
「うん。はるちゃんが元気になって、ウチも嬉しいわあ」
「・・・ありがとう。麻耶ちゃん」
「ふふっ、ええのんよお〜」
前田先生に出会わなければ、来ることはなかったかもしれない。
「よしっ!じゃあ、最後は、中華街で食べ歩きして帰ろな」
「え?大丈夫?食べられるのお?」
「当たり前やわ。せっかく来てんから、吐いてでも食べて帰ったるわ」
「ははっ。でも、中華街は確かに見て帰りたいな」
「そやな。はるちゃん、中華の調理師やってんもんな」
「うん・・」
「旦那にお土産買うてったらええやん」
「うん」
キャリーバッグを持ち、歩き出す。
ポートタワーを振り返り、目に焼き付ける。
ここは前田先生が住む街。
でも、先生との思い出は、自分が暮らす街にしかない。
帰ろう。
自分の街へ。
「はるちゃん?行くで」
「あ、うん」
19:10新神戸発・博多行きの新幹線に乗った。
外は暗く、景色はもう見えない。
シートに揺られながら、神戸のガイドブックを開いた。
あ・・明石海峡大橋・・見に行けなかったな・・
今度は和晃と行こう。
中華街は、和晃も楽しめるにちがいない。
帰りは2時間40分かかった。
人の疎らなホームに降り立ち、キャリーバッグを引く。
駅からバスに乗るのも、疲れた体にはいささか面倒に感じ、タクシーで帰ろうと考えながら改札を出た。
3〜4歩、歩いて、足が止まった。
改札口の前に、和晃が立っていた。
真剣な顔で、私を真っ直ぐ見ている。
周りを歩いている人の足音、話し声、全ての雑踏が消音になる。
ゆっくりと、和晃の前へと歩く。
「・・・おかえり」
パンッ
乾いた音に、近くを歩いていた人が振り返る。
和晃の左頬を、右手で叩いた。
「ー・・・」
和晃は、それでもなお、私の目から視線をずらさない。
真っ直ぐに、私を見ている。
「・・・和晃のしたことは、私にとっては浮気と同じ」
「・・うん」
「仮想でも、恋愛してたって言ったでしょう?」
「・・うん」
「・・・私との結婚生活で、浮気はこれっきりにして」
「・・はい」
「・・・次は許さないから」
「・・はい」
和晃が、目に涙を滲ませている。
「うん・・じゃあ、もういいよ」
和晃に笑顔を向けた。
と、同時に、右腕を引かれ、和晃の胸に抱き寄せられた。
和晃は私を強く抱きしめ、小さく震えながら泣いていた。
「ふふっ・・どうして和晃が泣くの?」
「ー・・・」
和晃の背中に手を回し、ポンポンと優しくたたいた。
時折、改札を出た人が、じろじろと横目で見ながら通り過ぎていく。
「帰ろ?和晃」
和晃の、涙で濡れた顔を手で拭う。
「仕事は?」
「・・・早番、代わってもらった」
「早番?」
「うん・・いつもは・・俺は料理長だから早番なんてないんだけど・・他の社員は早番あるから・・今日だけ・・」
「そう」
駅を出て、和晃が車を置いたという駐車場まで歩く。
書店やコンビニが立ち並ぶ通りを進むと、聞き覚えのある曲が流れている。
すぐそこのCDショップからだ。
忘れもしない。
前田先生と2人で行ったラグビーの試合。
帰りの車内で流れていたDelta Goodremの曲だ。
「また、春に会おうね。はるかさん」
前田先生の笑顔がよみがえる。
「はるか?」
和晃が私を呼ぶ。
「ん?」
「大丈夫?」
「・・・うん」
先生
先生
前田先生
いつまでも
先生が好きです
会えなくても
いつまでもずっと。
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
感想など、短いコメントでも頂ければ幸いです。
続編もよろしくお願いします。
−この物語を、歯科医師M・S氏に捧ぐ−