20. こうならなかったら二度と出会わなかった
結局ジルの敬語は直らなかった。毎回恥ずかしそうに言い直す姿を見ていると、無理やり呼ばせようとは思えない。まあ、それならそれでいいか。
旅に出立するまでの期間は実に充実していた。一般公務員×二年分の給料をゲットしたので、それで旅に必要な道具や装備を整えた。
街での買い物は長年の夢だったのでかなり楽しめた。
活気のある街でみんなが一生懸命働いている姿を見れば、頑張った甲斐があったと思う。
買い物ついでに、街で働くアンドレイの仕事ぶりを見に行ったり、バーレスクにいるミランダやアイドル達に会いに行ったりもした。もちろんファンとしてね。そこでジルがモテモテだったが本人は女の子には全く興味がなさそうだった。
普通の生活がこんなにも楽しいものだったんだと改めて認識し、これから行く旅への期待を募らせた。
……しかし。なかなか上手くいかない事を今までの経験上学んだはずなのに、私はすっかり忘れていた。
* * *
旅へ出る前日となり、すっかり旅の準備を整え後は体調を崩さないように寝ればOKという状態だったのだが、どうもジルの様子がおかしかった。何やら難しい顔をして何かを確認にしているようだった。
「どうしたの?」
「何者かがこちらに向かっています」
「何者か?」
「はい」
ジルは目を閉じて意識を集中させたが、大して問題はなさそうだった。
「……王の近衛兵です。慌てたように走っています」
「何か問題が起きたのかな?」
「恐らく」
しばらくするとドタドタという足音が聞こえてきて、急いでドアを叩く音がした。
「どうぞ」
「し、失礼します!」
重そうな鎧をつけた騎士は一礼すると、さっと部屋に入り頭を下げた。
私が人間でエンプティである事を知っている数少ない人物である、騎士のアルドーさんには、いつもの大らかさはなく険しい顔をして荒く呼吸をしている。
「お、お寛ぎの最中、この様に無様な入室を、お許し下さい! しかしっ火急の用にございますので、そちらの報告をさせて頂きます!」
「わ、分かりました……。それで、要件とは一体なんですか?
アルドーさんは荒い息を少し整えてから、真面目な顔つきになった。
「ヒノマル国の勇者が、クローダ様にお会いしたいと、急遽城に登城されました」
「……はあ? 勇者?」
「はい……」
そんなファンタジーな存在がこの世界には存在していたのか……。
私が尋ねる前にジルが教えてくれた。
「勇者とはこの世界のパワーバランスが崩れた時に現れる存在です。黒虎様の御力が弱まった時分にヒノマル国に召喚されました」
「ヒノマル国、ね……」
聞きなれた言葉の国は、以前にサイクがもらった壺の生産国だ。
一応この世界の事は色々調べたけど、ヒノマル国は魔物の多く住む土地に突如人間が国家を築いて出来た国だ。
国の3/4が魔物であるにも関わらず、仲違いする事もなく共存している。魔物の力と今までにない発想で急激なスピードで国力を蓄えているというのは知っていたが、まさか勇者までいるとは思わなかった。
とりあえず長くなりそうだし詳しい事を聞きたいので、アルドーさんに水とソファを勧めた。
やはり緊張と疲れのためか、コップいっぱいの水をがぶ飲みしていた。
アルドーさんも落ち着いたようで話に戻った。
「……グリオールとヒノマル国はほぼ反対の位置にあるので、情報が入ってこないのは仕方のない事です。それに勇者は活動する時が限られているようなので余計に情報はありません」
「ふーん。勇者って何するの?」
「主に敵の排除ですね。勇者のおかげでかつてヒノマル国を支配していた魔物の長を退ける事が出来たと言われています」
「じゃあ勇者も聖獣みたいな役割なのかな?」
「いえ、勇者にあるのは自身に対する加護と強大な戦闘力のみで、聖獣の様に大地に直接影響を及ぼす程の力を持ち合わせてはおりません。良くて霊獣程度でしょう」
「まあ、それはそれですごいよね」
「ですが、ヒノマル国とグリオールは何ら関係はありません。それが唐突の訪問となるとは、いくら勇者ととはいえ無礼が過ぎます。それに極秘事項であるキョー様の存在を知っているなど、只者ではありません」
「確かにそうだけど……。召喚って事は勇者も異世界人って訳よね?」
「はい。クオマーダ・タコーミーという名なのですが、ご存知でしょうか?」
「……いや、全く。名前の発音で考えても国籍すら分からないわ」
「そうでしたか……」
私とアルドーさんと肩を落とすとジルが何かに反応した。
「……何者かの強力な魔力を感じます」
ジルは目を閉じて耳を澄ませて様子を伺っている。煌めく髪と神秘的な角を持つ霊獣のその様は芸術的な彫刻の姿によく似ていて神々しく感じる。
けどあの角から電波が出てますとかだったら可愛いな。
私のくだらない想像など露知らず、ジルは探り続けていた。
「……国王と、強大な力を持つ者、それから魔者がこちらに近付いてきております」
「サイクはともかくその2人は何なの? 魔者とか危なくない?」
「理性ある魔者ならば問題はありません。今までに感じたことのないような魔力を身に宿し、その大きさは霊獣並です」
「恐らくその方が勇者です! 女性型の魔者と共に来ていました! 陛下が押し留められるよう、尽力していたのですが……」
「じゃあ、私が呼ばれるのを待ち切れず直接来た訳か……」
なかなか気の短い勇者だな。うーん、これは会うべきなのか会わざるべきか……。
「アルドーさん、勇者の目的は聞いてないの?」
「いえ、ただクローダ様に会いたいとしか申しておりませんでした」
「うーん、一体何の用件なんだ?」
「……気付かれました」
「え?」
ジルは閉じていた目を開き、立ち上がると私の越しに手を回すとクロークの中へ移動させた。
「私の魔力に気が付いたようです。こちらへ向かってきます。キョー様は隠れて下さい。キョー様には魔力はほとんどないので気付かれないはずです」
「え! それってジルは大丈夫なの?」
「はい。敵ならば排除しますのでご安心ください」
ジルの事が心配だったが、すごく良い笑顔で言われると何も言えなず
、その間にジルによってドア静かに閉められてしまった。仕方なく私はクロークのドア近くで中の会話を伺う事にした。
今までジルが私に送られてきた刺客の撃退具合を見ると、恐らく容赦なく戦うだろう。
ジルは顔に似合わずけっこう武闘派だ。やり過ぎるようなら止めなくては。
耳を澄ませていると、ノック音と声が聞こえてドアが開く音がした。
「失礼する」
「し、失礼します!」
固い男の声がと可愛らしい萌え声の女の子が聞こえてきた。
勇者達は部屋に入ろうとしたのだろうが、ジルによって断られていた。
「無礼者」
「きゃっ!」
「くっ!」
「のわぁ〜!! イタッ!」
「へ、陛下! 大丈夫ですか!?」
「う、うむ……」
ジルの冷淡な一言と、ぶわっと風の吹く音がした。冷たい魔力がクロークのドアの隙間から入り込んできたので、恐らく正面にいる勇者はもっと寒いんじゃなかろうか?
サイクはもろ食らったのか、マヌケな声で吹っ飛んだっぽい。
ていうかジルさん、怖いっす。こんなジルは初めてなので心中穏やかじゃなかった。
「誰が部屋に入る事を許可した? 不躾な招かれざる客よ」
「……すまない。お前が輝燐か?」
勇者というから、てっきりラノベの様な中高校生くらいの年齢かと思っていたけど、大人びた男性の声だった。聞いたことあるような声だけど、くぐもっていて聞き取りにくい。
「礼儀無き者に語る名などない」
張り詰めた冷たい空気に思わず私は両腕を組んだ。ジルの霊獣らしい態度に少し驚いた。私のなんちゃって聖獣よりもよっぽど重みがある。
「……気分を害させてしまい大変申し訳ございませんでした。つい焦ってしまい、無礼な態度をとってしまった事をお許し下さい」
態度変わるの早いな! いやいや、それが大人の対応だからね。最初からそうしてればジルの怒りも買わずに済んだのに。
「貴様は何者だ?」
「私はヒノマル国の勇者、狛田隆臣と申します」
「……えっ?!!」
懐かしい名前に思わず声を出して驚いてしまった。
狛田隆臣って言ったら…… 元 カ レ だ !!!
クロークの扉を思いっきり開いて入り口の方を見れば、日に焼けたこんがり肌で無精髭を生やしたアジア人男性がいた。
あれ? あいつはもっと肌の色は白かったし、爽やかでこんな疲れた空気なんか発しないようなやつだった。
高校時代はバスケをやっていたのでそれなりに筋肉質だったが、ここまでがっしりとした体型でもなかった。
よく似てはいるけど、もしかして人違い?
頭を傾げながらも勇者をよく見よう思って近付くと、勇者は目を見開き唇を震わせていた。
涙を堪えるような険しい顔をして私の名前を呼んだ。
「恭子……」
「そうだけど……。え?? 本当に隆臣なの!? 何でこんなところに?! ていうか、その」
「恭子!!」
私が言い終わる前に感極まった隆臣は私の元へ突撃してきたが、ジルが半径1.5mの円形の防護壁を張ってしまったので、隆臣は思いっきり後ろへ吹っ飛んだ。
「た、隆臣!! ちょっとジル何やってるの?!」
「キョー様に危害を加えるかと思い……」
「彼は敵じゃない! これを解いて!」
「……」
ジルは少し顔を歪め、かなり渋々といった様子で防護壁を解くと、私は倒れている隆臣の元へ駆け寄った。
隆臣はうさ耳女性に支えられていたが、私がしゃがみ込むと隆臣はすぐ様抱き締めた。
隆臣に凭れかかる体勢は少しキツイが、力強く抱きしめられているのと、弱々しく私の名前を掠れた声で何度も呼びながら泣きじゃくる彼に、何か文句を言うのは憚られた。
仕方ないので、落ち着かせる様に背中を優しく叩きながら好きにさせた。
それに久しぶりに会う懐かしい人の香りは、私をひどく落ち着かせた。
もう二度と会う事がないと思っていた元の世界にいた人だ。自然と心が温まる。
「恭子……恭子……」
「うん、恭子だよ」
「恭子…」
「大丈夫、大丈夫だよ。私はここにいるよ」
「うぅ……!」
より力が篭ったので、一瞬息が詰まった。流石にこれはキツイ。
「た、隆臣。ちゃんといるんだから、そこまで抱き締めなくても平気だよ」
呻きながら言えば抱きしめる力を緩めてくれたが離してはくれなかった。
「……去年の秋、連絡しても電話に出ないから、お前の実家に行ったら行方不明とかいうし、一年経って帰って来ないから、死んだかと思った……。だけどお前が『探さなくていい』とか言う変な夢を見て、魔力を感じからもしかしたらこっちで生きてるんじゃないかって思ってずっと探してた。生きててくれって心の中でずっと願ってて……ようやく会えた」
そこまで熱心に探されていたとは……。相変わらず優しいな。もう付き合ってないのに関わらず、ここまで探してくれる人なんてなかなかいないと思う。そしてちょっと気恥ずかしい……。
じっとされるがままにしていれば、隆臣は少しは冷静になったのかゆっくりと力を緩めて私と向きあった。
隆臣は赤い目に浮かぶ涙を指で拭ってやり、ハンカチで鼻を拭ってあげた。
「顔、真っ赤。ひげも髪もボサボサ。良い男が台無しだよ?」
「……うるへー」
へらりと笑いながらちょっと乱暴に鼻を摘むと、少し嫌そうに顔を歪めたが、私が笑うと隆臣も笑った。
だがすぐに真面目で切なそうな顔に戻ってしまい、左手で私の頬を包み、右手で真っ白な髪の毛を梳いた。
「こっちの世界とはいえ、恭子が生きてて良かった。けど、何でこの世界にいるんだ? しかもエンプティになってるし……。それに何で輝燐と一緒にいるんだよ? あいつ俺に向かって殺気放ちっぱしなんだけど」
隆臣はちらっとジルの方を見てコソッと私の耳元で囁いた。囁いてもジルは地獄耳だから聞こえてるよー。
ていうか、気付いてくれて良かったよ。いい加減背中が寒くて仕方なかった。そして前……隆臣のすぐ後ろにいる魔者の女性から発せられる嫉妬の視線がジリジリきてるのもヤバいんだよ!
褐色の肌とうさ耳の女の子は、大体18歳くらい。本来なら垂れ目だろうがそれを釣り上げて私を睨みつけている。その燃える様な嫉妬の睨みがキツく、じわじわと私を責めているのだ。
隆臣はその事に気が付いているか微妙だけど。
とりあえず、これ以上二人の怒りを買いたくない。
「私も聞きたい事は沢山あるから、立ち話もなんだし座って話をしよう」
「そうだな」
隆臣から離れて、ソファに案内しようと後ろを向いたら、隆臣に手を繋がれた。その目は離れたくと語っていて、今までに見たことがないほど熱い視線だった。
別れたとはいえ、流石に照れるわ! 隆臣はそれなりのイケメンだ。高校の時なんてスポーツをしてたから余計に。
何でこんなにこいつは熱い視線を送ってくるの? もう別れてるのに。
久しぶり会って恋しくなったのか?
頭の中が疑問符で埋まっていると、深い眉間の皺を携えたジルが、私の手を掴んでいる隆臣の手に向かって高速のチョップを振り下ろした。
「うわっ!」
「きゃっ!」
風が巻き起こる程々勢いのあるチョップなんて初めて見た。
流石に腕が千切れると判断した隆臣は手を離してバックステップで強力なチョップを避けた。
部屋は一瞬で重い沈黙が訪れた。
私が呆気に取られながらも、ジル抱き寄せていてくれたおかげで事なきを得た。
ジルはお気に入りのおもちゃを取られまいとする子どもの様で少し可愛らしかったが、いかんせん成人男性型だ。つまり力加減は可愛くない。
「ジル…!!痛い!」
文句を言えば力を緩めてくれたが離してはくれない。一応まだ完全に暴走せずに私の意思を優先させてくれているので助かった。
「おい恭子。これは一体どういう事だよ?」
「貴様こそ何様のつもりだ。軽々しくキョー様に触れるな」
隆臣は剣に手を掛け、ジルは魔法を使おうと手を翳すという一触即発な空気に溜め息を吐きたくなった。
「隆臣、剣から手を離して。ジル、手を下げなさい」
互いに睨み合いながらも臨戦態勢を解いた。
「詳しい話は座りながら落ち着いて話しましょう。隆臣とお連れの方はそこのテーブルの側にあるソファに座って」
「……」
「は、はい!」
「ジル。離して」
全身から不機嫌を発しているジルにやんわりとお願いすれば、しゅんとしながらも名残惜しそうに手を離してくれた。
「ありがとう。早速だけど、4人分のお茶淹れてくれない? ちゃんと隆臣の事は説明する」
「……分かりました」
分かりやすいくらいに落ち込んだジルの頭を撫で撫ですれば少し持ち直したらしく、4人分のお茶の用意をしに行ってくれた。
その間にサイクには悪いが席を外してもらった。身内話だしね。
先に座って待っていてくれた二人は、私を見てぽかんとしていた。
「何?」
「おまえ、輝燐の頭を撫でるとか……」
「剣を向けようとした人に言われたくないんだけど」
「霊獣の中でも特に高位な輝燐様を従える事が出来るなんて……貴女は一体何者なんですか!?」
「一応人間です。それに私はジルを従えている訳ではありません。ただの友達です」
「友達って頭撫でるのか?」
「あー、あれは子供が喜んで側に来たら頭の撫でたくなるのと一緒かな。こっちに来てから保育士さんになった気分だったよ」
「保育士って……」
「お茶をお持ちしました」
「あ、ジル。お茶ありがとう。ジルも座って」
ジルが魔法で素早く淹れてくれたお茶をそれぞれに渡すと、隆臣とうさ耳女性、その向かいに私、ジルは私の隣に腰を降ろした。
そして不機嫌そうに私の腰を引き寄せ隆臣を威嚇し、不機嫌続行中だ。
「おい、恭子から離れろ」
「断る」
「えーと、お気に入りのおもちゃを取られまいとする子どもの様なものなのでお気になさらず」
「キョー様はおもちゃではありません」
「分かった分かった。取り敢えず話がややこしくなるから離れようね?」
適当に言ったのが悪かったのか、ジルは離してはくれなかった。
「良い子にしてたらシャンプーとヘアトリートメントやらせてあげるから」
「分かりました」
「本当にどんな関係なんだよ!」
私達のやり取りに隆臣は頭を抱えていた。
人間に戻ってから体も髪も自分で洗ってるをだけどジルはやりたくて仕方がない様で、偶に髪だけは洗ってもらってる。
ただ、服を着て洗ってもらうのが面倒なのでそんなに洗ってはもらってない。
それにご褒美として使えるのならそうすべきかとも思う。
あ、そういえばうさ耳女性に挨拶するのを忘れてた。
うさ耳女性の体を向ければ、うさ耳女性はうさ耳をピンッ!と立てて警戒した。
「挨拶が遅れましたが、私は黒田恭子です。挨拶もなく騒がしくしてしまい失礼しました。隆臣に付き合い、遠方よりお越し下さり有難うございます」
挨拶として頭を下げれば、うさ耳女性は急に慌てた。
「あの、その、大丈夫です! わたしはミツキです! わたしが勝手にオーミに着いてきただけなのでお気になさらず!」
あわあわしているミツキさんはとても可愛かった。やっぱり可愛いものは癒されるなぁ。
ちらりと隆臣を見ると、気まずそうに顔を顰めていた。
「オーミって隆臣の事?」
「ああ。俺の名前をうまく呼べないからまだ言いやすいらしいオーミにしてもらった」
「やっぱりそっか。私も同じだよ。言いにくいみたいだからキョーって呼んでもらってる。ミツキさん、私の事はキョーって呼んでください」
「あ、はい! 分かりましたキョーさん!」
「キョー様と呼べ」
「ひっ!!」
「ちょっとジル! 魔力を込めて睨まないの! ミツキさんお気になさらず! 様付けじゃなくていいです!」
「は、はい! ……キョー様……!」
ミツキさん分かってないよ!
涙目でぷるぷるしているミツキさんを見ると、弱いものいじめをしているみたいで罪悪感が湧き上がってくる。
私がやった訳じゃないのに……。
ジルが睨んだせいで様付けになってしまったが、今のところ直りそうにない。
まあ、とりあえずいいや。それよりもやらなきゃならない事がある。
「それでは、話し合いを始めましょうか」




