10. こういう思いを抱えていたんです
話し合いの結果、交易の延期のみという案で落ち着きた。こちらの思惑通り進んで本当に良かった。
外交官が帰った後、謁見をしたみんなで軽く会議をした。
今回はバカ国王の変わり具合にクラウスと外務大臣は感激したようだった。バカ国王を絶賛し、バカ国王も満更ではなさそうだった。
実際、バカ国王の成長は目覚しいものがある。
初期の豚と比較すると分かると思うが、人に敬意を払えるようなっただけでも嬉しい。それに、バカ国王が外交官に伝えた事は嘘ではないと思う。ちゃんと国の事を愛し始めているのだ。
自然と顔が緩むと、バカ国王はちらりと私を見てから偉そうに踏ん反り返った。
「こ、黒虎! 今日の余は素晴らしかったであろう!」
【ええ、そうね。すごく王様らしかったわ 】
「そうであろう! 少しは余を見直したか?!」
【ええ。見直したわ】
素直に認めると、バカ国王は嬉しそうに頬を染めて無邪気に笑った。
大人とは思えない純粋な笑みに私も笑顔を返すと、バカ国王はハッと思い出すようにして顔を険しい表情に戻した。
「それよりも、黒虎が外交官を威圧した時は冷や汗が出たぞ! 貴様は何を考えているのだ!? 外交官が気を損なったら国の存亡の危機なのだぞ?!」
【貴方は外交官の気を損なう事はしちゃ駄目だけど、私は恐れられた方が良いのよ】
「何故じゃ?」
【……相変わらずの平和ボケね】
バカ国王のこの一言は、彼以外満場一致で呆れていた。
その事に気が付いたバカ国王は、顔を真っ赤にして怒ってきた。
「よ、余はただ穏便に済ませて仲良くしたいだけじゃ!!」
【仲良くするためには何か認め合う物がなくちゃいけないの。聖獣の庇護下である事を見せつけなきゃ、愚王の納める潰れかけた国なんか相手にされないわ】
「ぐっ! た、確かにその通りだが……」
【私はこの国にとって最大の武器なの。どういう始まりであれ、私というものをきっかけにして今後友好関係を育んでいけばいいわ】
「そ、そういうものか?」
【ええ。言っておくけど、あくまでもそれはきっかけに過ぎないからね? 私はいつか帰ってからの交流は貴方の裁量次第よ】
「帰る? どこに?」
【え、自分の世界だけど?】
「は?」
当然の事を言ったまでだが、何故だかみんなピンと来ていないらしい。
【え、もしかしてみんな忘れてた?】
みんなを見渡すと、シーンと黙り込んでいる。正にその通りだったらしい。えー……。
「こ、黒虎が……帰る? この国から去るということか?」
【ええ、最初に言った筈だけど】
「な、何故だ?! 別に帰らなくてもよかろう!! 貴様だって今、頑張って国を建て直しているではないか?!」
【そりゃ、国が復興しなきゃ私は帰れないし……】
「貴様はその為だけに国のために尽くしてきたというのか?! 余や、民の為ではないのか?!」
バカ国王はすごい剣幕で怒りをぶつけるので、流石の私も少し戸惑った。
【その為だけにって聞こえが悪いわね。帰りたいのは事実だけど、みんなが頑張っている姿を見て私も頑張ろうと思ったのも事実よ】
「なら帰らなくても良いではないか!」
【あのね、応援してるけど最終的な目標は帰る事って言ってるでしょ?】
「じゃあ、黒虎がいなくなったらこの国は一体どうなるというのじゃ!?」
バカ国王は取り乱して必死で私に言い募る。折角見直したのに、こんな事で取り乱すなんて、また評価が下がったよ。
クラウスも外務大臣も焦り滲ませながら私を一身に見つめていた。……どうやら、この国の根本的な所はまだ解決出来てないようだ。
【みんな忘れてるかもしれないけどさ、黒虎って国を滅ぼさないためにいるのよ? 何故私がここにいるのかって言ったら、この国が滅びそうだからよ。だから私が居なくなったら、この国は安泰だという証拠になるでしょうが】
「でも……」
【それに最初に言った筈よ。わたしはこの国を助けにきたの。この国と、バカ国王がまともになるまで教育するのが私の役目。私が国を治めるんじゃないの。貴方達が治めなきゃ意味ないのよ】
「だが……黒虎がいなくなったら、寂しいではないか……」
私がキッパリと言い切るも、バカ国王の寂しげな表情と、か細く震える声に私も少し胸が締め付けられた。
私だってこれだけ頑張って共に働いていたら寂しくない訳ない。
だけどそれじゃあ駄目なんだ。
【だが何もない。いつまでも甘ったれないでよ。黒虎は有難い存在だけどね、本来は居ない方が良いってことをしっかり覚えておきなさい】
「黒虎……」
【さて、私はまだやる事があるから仕事に戻るわ。貴方達も仕事に差し支えないようしなさい。ジル、行くよ】
「はい」
何か言いたそうだが、言葉にならないのかバカ国王は何も言わなかった。
クラウスと外務大臣は神妙な顔をしながらしっかり口を閉ざしていた。
彼等はきちんと再認識してくれたようだ。
この国は、私の国ではない。彼等の国なのだから彼等が治めなければならない。
私は一瞥をくれるとジルを伴い部屋に戻った。
***
部屋に戻り外交に関する資料を漁っていると、ジルが少し不安そうに声を掛けてきた。
「キョー様」
【ん? なに?】
私はいつもの様に資料から目を離さずに返事を返した。
「キョー様は、そんなに御自分の元いた世界に戻りたいのですか?」
【うん、戻りたいよ】
「何故ですか?」
【だってここは、私の居るべき世界じゃないし】
「キョー様の居場所なら、私の側にあります。だからどうか、私の側から離れないで下さい」
ジルの切な気な声に私も切なくなってきてジルの方を向くと、絶世の美女が目を潤ませて憂いた表情で懇願しているではないか。
バカ国王の時よりも断り辛い!! 少しどころか切なくてかなり胸が締め付けられる!!!
私は今までの人生の中で一番の罪悪感に苛まれた。
本当に、何でジルに好かれているのか分からない……。納得してくれるか分からないけど、ちゃんと説得しよう。
私は力無く苦笑しながら、ジルに近付いて優しく諭した。
【ジル、私の事をそんなに好きでいてくれてありがとう。私もジルの事は大好きだよ。ここまで頑張れたのは、ジルの助けがあったからだと思う】
「だったら、側にいて下さい……!」
【ごめんね、それは出来ないの】
「何故?」
不安気に揺れるジルの瞳に、無表情な虎が映る。これでも苦笑してるつもりなのだが、虎だから表情が分からない。
そう、今の私は虎なのだ。そんなの私じゃない。
【前にも言ったけど、私は元は人間なのよ。二本の足で立って二本の腕で物を持ち、肌はこんなに毛で覆われてないからお洒落な服を着て、美味しいご飯も食べるし、眠らないと辛くなる。もちろんちょっとは性欲もあったりしたわ】
過去の事を思い出して、くすりと笑った。何の変哲もない当たり前だった事だったのに愛しく思えるなんて不思議だ。こんな風になるなんて思わなかったんだもの。
視線を地面に落とすと、艶やかな黒い毛に覆われた虎の足が目に入った。
【今の私にはそれがないの】
「…………」
【4本足で地を歩き、手足には肉球。この手では物は持てないし、身体は毛で覆われているから服は着ない。お腹は好かない代わりに穢素を食べて魔素を浄化するし、本当の本当に精神的に辛くならなくなるまでほとんど眠くならない。もちろん性欲なんて感じた事なんかない……それって、生物なの? 】
「けど、キョー様はここにいます!」
【うん。けどね、人間の暮らしをしていたから動物の姿で生活をするのは最初は嫌で嫌で仕方がなかった。今はもう仕方がないから割り切ってるけど、やっぱり元の姿に戻りたい。人間の生活をしたい。その為に、私は今まで死に物狂いで頑張ってきたの。本当はみんなの為じゃない。私の為に頑張ってきたという気持ちの方が強いわ。軽蔑した?】
私は穏やかというより、淡々と素直な気持ちを述べて微笑んだ。
これが今まで蓋をしていた気持ちだった。だけどあまり考えたくなかったから、わざと忙しくしていた節もある。
だけどそんな強い目標がなかったら、私は今ここで立っては居られなかったと思う。
だからこそ私は軽蔑をされたかった。ジルが、皆が妄信的に崇め讃える私はそんなすごい奴じゃない。自己中心的な汚い存在なんだ。
一番私を思ってくれているジルが見放してくれたら、私もこの世界を見放してもいいと思える。
だから、ジルには嫌われたい。彼女が傷付くと分かっていても、そんな浅ましい思いを抱えている最低な奴だ。
ジルは何も言わずに俯き、緩やかに首を横に振った。
「軽蔑なんて、しません……」
【……何で?】
望まなかった返事に、少し冷たく返してしまった。いけない、これじゃあただの八つ当たりになってしまう。
ジルが言い淀んでいる間、努めて冷静を装った。ジルは私と違って、いつもの無表情を崩して苦しそうに顔を歪めた。
「私は、キョー様の頑張りの殆どが、元の世界に帰る事だと言う事を分かってました」
【え?】
「私、これでも人の気持ちに敏感なんです」
「…………」
うん、知ってる。……と言って良いものか悩んだ末にやめた。空気を壊しちゃいけない。
「だけどキョー様が言い出さないのをいい事に、それを無視して側に居ました。そして此処に居るうちに、この世界の事を好きになってくれたらといつも考えていました」
【…………】
「だけどこの世界を好きになっても、絶対に帰る事を目標に死に急ぐように頑張るキョー様はとても痛々しく見え、私も辛かったです」
軽蔑されても良いと思っていたけど、こういう思いがバレてるって恥ずかしいな……。泣きたくなる。
ジルは顔を上げて、潤んではいるが強い意志を持った瞳で私を見つめた。
「キョー様」
ジルの白くて美しい両手が、私の顔をそっと掴んだ。
「愛してるんです」
【…………】
ジルが私を愛してる? え? それ恋愛対象? いやいやいや! 私は虎だからね! 彼女はきっと家族とか友達としてとかケモナーの親愛であって、ズーフィリアではない!! ないはず!! そして私はレズじゃない!!!
「お願いです。帰らないで下さい……」
突然の告白に何も言えず、私が必死で言い訳を考えている間に目の前の美少女は涙を流して懇願していた。その涙はまるで緻密に研磨された宝石の様に輝いて見えた。
何なんですかこれは? 傾国の美女がここに在らせられる…!!
ジルは美しい。それは容姿だけじゃなく内面的にもだ。いつも私を思ってより過ごしやすい様に努めてくれている。そんな美少女が献身的に私だけに尽くしてくれている環境も、まるで現実感がなくて、夢のような出来事に感じてしまう。
ただ、軽蔑されたいと願っていたけど、ここまでくると傷付けたくない気持ちと愛されたいという気持ちが強くなってくる。それは勿論、親愛という意味でだけど。
自分の中で生まれた矛盾に苦笑が漏れる。
【ジル、泣かないで。綺麗な顔が台無しだよ?】
「泣き止んだら……帰るのを止めてくれますか?」
【うーん、ちょっと無理かな】
「なら泣きやみません!」
素直に断ったら、ジルの涙の量がぶわっと一気に増えた。……不謹慎ながらちょっと面白い。
【ジルが一生懸命止めてくれるは嬉しいんだけどさ、何も今帰る訳ではないし、どの程度が復興として成り立つのか分からないし、どうやって帰るのかも分からない】
仕事の合間にこの国に残る古文書を読んでいるが、この国の神話や逸話ばかりで帰る方法は書いてない。
そもそも当時召喚されたのは恐らくあの黒猫であって、あの猫が私の様な異世界人なのかも分からない。
まだ古文書の全てを読み終えていないので何とも言い切れないが、取り敢えず今はこの国の復興を進めるしかない。
【まだここにいるんだからさ、その間だけでもジルやみんなと楽しく過ごしたいと思ってる。ジルはどう?】
「私も、キョー様と楽しく過ごしたいです」
まだ目がうるうると潤んでるが、一応涙が止まったジルが私の思いに賛同してくれた。
【じゃあこれからもよろしくね。私の可愛いお世話係兼秘書兼大切な友達のジルさん?】
「は、はい! よろしくお願いします!」
【うん、頼りにしてるよ】
偉そうになってしまったが、ジルが嬉しそうにしてるからこれで良しとしよう!
【それにしてもさ、私が男だったらジルに落とされてたよ。こんな美女に愛されてるなんて男冥利に尽きるね。まあ、女だし虎だから無理だけど。ハハハ】
冗談で笑い飛ばしてるのに、ジルはほんのりと顔を染めて、泣きそうになりながらぎこちない微笑みを返した。
……確実に私への愛の理由を聞きたくなくなったのだった。
繰り返し言うけど、私はレズじゃない!!!




