第一章 目覚め
第一章 目覚め
「ガコン」
自販機の出すその無機質な音に、山野正は目を細めた。真冬の工事現場で、缶コーヒーの暖かさは何物にも替え難い。寒さに凍える手を温め、少しぬるくなった缶コーヒーを飲むことが、休憩時間の日課となっていた。
東北出身の山野は、この現場に来る前、九州といえば冬でも暖かいように思っていた。
生まれ故郷の町は、一晩に1M程雪が積もることも珍しくなかったし、真冬は最高気温が氷点下ということもあった。冬は活動がどうしても制限されてしまう。そんな生活が嫌で、高校卒業と同時に上京し、建設会社へ就職した。
三十才になるころ、会社を辞めフリーとなって、様々な現場を渡り歩いた。そんな中、九州に行ってみようか。と軽い気持ちで、福岡にやってきたが、福岡県民の暖かさに触れるにつれ、この場所が気に入り気が付けば五年の月日が流れていた。いまの会社から正社員にならないかとの誘いもあり、いっそ福岡に永住するのも悪くないと思い初めていた。
ただ、一点だけ予想外のことがあった。福岡の冬が寒かったことだ。海風がきつく、雪は降らないものの体感温度は低かった。12月にもなると日が落ちると、気温は急激に下がってくる。現場作業は、18時までと決められていたが、17時を過ぎると、日も落ちてきて、途端に寒さが増してくる。
休憩室に入り、缶コーヒーを開け飲もうとした時、不意に休憩室の扉が開き、同僚の秋野が息を切らせながら駆け込んできた。
「山ちゃん! 大変だよ!」
山野は内心舌打ちした。秋野がこういう風に入ってきたときは、ロクなことがない。前の現場では、遺跡がでてしまい調査のために、工期を半年も遅らせるはめになった。
ここ藤崎では、銅鐸や土器といったものは地下を掘ればすぐみつかったし、遺跡が見つかることもままある。
前回の件で、会社は大きな損失を被っただけに、今回はぜひともそれは避けたかった。
「なんだよ。少しは落ち着けよ。遺跡なら見なかったことにして埋めればいい」
山野がそういって、もう一口缶コーヒーに口をつけると、秋野は首を大きく振って、それを否定した。
「違うんだよ! とにかく来てって!」
秋野はそういうと、扉も閉めずに外に出て行った。
「チッ。コーヒーが冷めちまう」
山野がぶーたれながら、地下へ掘り進めている場所に向かうと、異様な光景が目に飛び込んできた。
「こいつぁ、いったい……」
そこには、地下から掘り出され土にまみれた物体が横たわっていた。山野が手を触れると、泥の一部が剥がれた。その下には文字が書かれた紙らしきものが見える。
「お札……」
山野は気味が悪くなり、思わず後ずさった。
「やまちゃん、これなんだと思う……」
秋野の声は震えている。
「こりゃ棺桶だよな……」
山野は、さすがに手で触る気になれなかったが足でこびりついた泥をそぎとっていく。すると、その下にはびっしりとお札が貼られていた。
「うへっ。お札だらけじゃねえか」
それをみた秋野は、歯をガチガチとならしている。
「山ちゃん。こええよ。もうやめとこうよ」
「何言ってやがる。ここによんどいてそりゃねえだろう。こりゃどう見ても棺桶だ。となると警察をよばなけりゃならん。調べられる間は仕事になんねえんだから、話の種に中を拝んどこうや」
山野はそういうと、止めようとする秋野の言葉には耳をかさず、スコップを手に持つと、棺の蓋の間にねじ込んだ。
もっと力がいるかと思っていたが、大した抵抗もなくあっけなく蓋は開いた。
「何だこれは……」
棺の中には、びっしりとお札でくるまれた、人型の何かが入っていた。
工事現場からの110番通報により、現場に急行した井上巡査は狼狽した。どう見ても人型のそれは、死体である。それなのに、ここの作業員ときたら、誰かが置いていった粗大ごみと言って譲らない。
(やっかいもの払いか)
作業員達は、井上がまだ若いと見てあなどっているのだ。井上は、腹立たしさで、いらいらとしている内面とは裏腹に、少しも動揺してない風を装い、こう宣言してみせた。
「開けてみればわかるでしょう」
それまで、威勢のよかった作業員達は、井上のその一言で沈黙した。
(よほど怖いと見える)
井上は若いとはいっても、警察官となって5年目になる。お札にくるまれたような不気味な死体はみたことはないにしても、交通事故死の現場には、何回も立ち会っている。何回見ても気持ちの良いものではないが、それでも一般人よりは耐性がある。
「では」
井上は、尻込みする作業員達にはかまわず、死体にみえるその塊のお札をはがしにかかった。しめった紙特有の、何ともいえないぬめりを感じながらも、手を動かしお札らしきものを次々とはぎ取っていく。
はじめに見えてきたのは、毛髪だった。思った通り死体であることは間違いないらしい。
しかし、この棺桶の状態をみると、かなり年代がいっているようにも見える。
(貴重なものだったらどうしようか)
文化的な価値がある即身仏の可能性が頭をかすめたが、何とも気持ちの悪い感触から解放されたい気持ちの方が強く、井上は乱暴にお札をはがしていく。
額がでてきたとき、井上は変だと思った。干からびたミイラがでてくると予想していたのに、額の肉は、白くすべらかな皮膚に見えるのだ。
(おかしい。何か変だぞ)
そして、次に手を動かした時、井上は信じられないものをみた。死体と思っていたその物体の目が、ぱちりと開き、白目が真っ赤に充血した目と視線があったのだ。
「おい! 生きてるぞ! 生き埋めにされてたんだ!」
井上は、後ろの作業員達に声をかける。
「そいつぁ、事だ!!」
それまで、遠巻きに見ていた作業員達も、加勢してお札をはがしにかかる。次々とお札は破られ、次第に姿が見えてきた。全てのお札をはがした時、一同は息を飲んだ。
そこには、長い髪を衣装のように体に巻きつけた、全裸の若い女性が現れたからだ。
肌は雪のように白く、透き通っている。
〝ごくり〝
山野が生唾を飲む音を耳にして、井上も自分の股間がいつのまにか、硬くなっていることに気付いた。
「いかん。いかんぞみんな」
「何言ってやがる! こいつは救助活動! 心臓マッサージだ!」
「そうだ! そうだ! 警察は引っ込んでろ!」
静止する井上の声も届かず、いつのまにか作業員達は、股間を膨らませながら、女にとびかかって行った。
その模様を眺めながら、秋野がつぶやいていた。
「そんなわけないって……。この上にはビルが建ってたんだぞ……」
「で、犠牲者は何人なんだ?」
警視庁、捜査一課、課長の早野は、部下の山口に聞いた。
「犠牲者と言いますか……」
「なんだ? はっきり言いたまえ」
「全員がショック状態で、口がきけないんです」
「ショック状態? 私は片腕の女が4人の作業員と1人の警官を殺したと聞いたぞ?」
「いえ、全員その女に触れただけで、口もきけなくなっているわけでして」
「はぁ? 警官もか? で、目撃者はなんといってるんだ?」
「女に触れなかった秋野という作業員なんですが、作業員たちが女に触れた瞬間、ばたばたと倒れたというんです」
早野は、山口の返答にどうにも納得できず、取り調べ室へと急いだ。マジックミラー越しに石井が取り調べている様子が見える。
「だんまりは無いだろう? なあ、お嬢ちゃん」
イスに座っているのは、16、7歳ぐらいの女性である。Tシャツにジーパン姿。発見されたときは全裸であったらしい。
艶のある黒い髪は、床まで達しており、対して肌は抜けるように白い。そして、異様なのは、右手が肘から無いことだ。
早野がイスに座ると、その少女は不意にこちらを向いた。
「おい、そこのお前。少しは話ができそうだな」
(うっ。俺をみている)
「何を言っている?」
いままで、何を言っても反応がなかった少女が、突如として発した言葉に、石井は事態が呑み込めない。
石井には目もくれず、少女は立ち上がると、マジックミラーの方へ歩いてきた。小女がマジックミラーの間近に迫った時、突然マジックミラーは砕け、その場に落ちた。
あまりのことに早野は椅子から崩れ落ち、部屋から出ようと後を向くと、同じタイミングで、少女は早野の首を掴んだ。
「どこへ行く? 死に急ぐにはまだ早いぞ?」
逆らえば殺される。早野の本能はそう告げている。
身動き一つできない早野の耳元で、少女はささやく。
「いまは目が覚めたばかりで、状況が掴めない。お前の主のもとへ連れて行け」
早野は言葉に従うしかなかった。
「どういうことだね?」
野口首相は、秘書官の鳥居に尋ねた。消費税増税法案、老人介護保険、中国との軋轢と問題が山積みになっているこの時に、予定を変更して、一人の人物に会わねばならないという。
鳥居はいつものごとく抑揚のない口調で、淡々と説明を続ける。
「人ならざる者です。人知を超えた能力を有しています。容姿は若い女性のそれですが、外見に惑わされてはなりません。協力体制が築けたならば、総理の政権は盤石のものとなるでしょう」
「人ならざる者?」
野口首相は、納得がいかなかったが、鳥居の言葉に従うことにした。
鳥居は、人間味はなく、人としての魅力はあまり感じないが、情報処理能力や分析力は高く、その点においては、一目おいていた。その鳥居が重要な案件を後回しにしても、会っておかねばならないというのだ。会わないわけにはいかなかった。
応接室に入ると、若い女性が窓の近くに立っていた。年の頃は高校生ぐらいだろうか。髪が長く床に届きそうである。野口首相が、近寄るとその女性は、こちらを向いた。
(片腕が無い……)
はじめに野口首相が注目したのは、手であった。右手の肘から先がない。自分の娘と年が近いと見えるこの女性に何があったのか。野口首相は、鳥居の〝人ならざる者〝という言葉も忘れ、痛ましい感情を抱かずにはいられなかった。
「はじめまして、野口です」
政治家特有のにこやかな笑顔を作り、握手のために左手を差し出し目があった瞬間、血の気が引いた。心臓の鼓動が早くなり。全身に汗がふきでてきた。
白目が赤く充血しているその目は、人の温かさをまるで感じさせない。射抜くような鋭い視線は、すべてを見透かされているような気がする。
少しでも間違った選択をすれば、即座に命が奪われる。本能がそう告げている。そのことを感じとって、野口首相の緊張感は途端に高まった。
同時に、秘書官の鳥居が言っていたことが理解できた。
外見は若い女性のそれであるが、中身は全く違う。
首相になるまでに、様々な人物を見てきた。一声で数千億を動かすような投資家や、実際に人を殺めたことがあるやくざの大物、大臣を歴任してきた政治家たち。
その誰もが、常人とは違うオーラをまとっていたが、この目の前にいる若い女性は、その誰とも違う異質なオーラを出している。
恐怖に身を固くし、片手を出したまま固まっている野口首相を鼻で笑うと、少女は目をそらした。
「ぶはーっ」
緊張から呼吸することすらできなかった野口首相は、やっと生きた心地がした。
「ふん。取って喰おうというわけではない。安心するがよかろう」
ネクタイが締める首がいつも以上に窮屈に感じて、指でネクタイと首の隙間を広げながら、野口首相が問うた。
「あなたのことを聞かせて、もっ、もらえませんか? どうやら、あなたは普通の人ではないようだ」
「そうだな。お前を待っている間に、だいぶ今のこともわかってきたことであるし、今度は、私のことを話すのもいいだろう」
部屋の隅で静観していた鳥居が駆け寄り、少女にサングラスを手渡した。
「ん?」
サングラスを手渡された少女は、いぶかしい表情を浮かべたが、野口首相の様子を見て、合点がいったのかサングラスをかけた。
「ふむ。すまんな。目覚めたばかりで、力がうまく制御できない。しかし、今は便利なものがあるな。このサングラスというやつは、なかなかに具合がいい」
「サングラス越しだと、あなたの目を見て話せそうです」
野口首相は、ほっと一息つくと、ソファに腰かけた。それをみて、少女は野口首相の対面のソファに腰を下した。
改めて見ると、少女は先ほどとは印象がまるで違う。美しい黒髪に、白い肌。しなやかな手足。モデルと見間違うようなプロポーションをしている。
(どういうことだ? 先ほどと見た目が全く違って見える)
加えて糖尿病のために、ここ数年男性機能が失われていた股間が、まるで10代のそれのように、痛い程そそり立った。野口首相が戸惑っていると、女が口を開いた。
「私の外見が違って見えるのだろう? 気にするな。見た目など、大した問題ではない。さて、何から話そうか」
少女は右肘を撫でながら、窓の外に目をやった。