表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放された無能王女、実は「自分と手を繋いだ相手」と一緒に【セーブ&ロード】する権能を持っていました。  作者: タルタロス


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

45/45

第45話:泥土の晩餐と遠雷

 地下の空気は、腐敗と豊穣が混ざり合った独特の重みを持っている。

 肺に吸い込むたび、喉の奥に湿った膜が張り付くような感覚。

 私は温室のうねの間に立ち、足元の黒い土を見下ろしていた。

 かつて王族が愛でた薔薇ばらの園は、今や生存のための泥臭い生産工場へと変貌を遂げている。

 私の視線の先には、土中から頭をもたげた青々とした葉があった。

 大根の葉だ。

 本来ならば、この凍てつく季節に芽吹くはずのない命。

 それが今、不自然なほどの生命力で、地下のよどんだ空気を呼吸している。


 私は膝を折り、その葉に触れた。

 指先に伝わる、産毛の硬い感触。

 微かに温かい。

 それは地熱のせいではない。

 この土壌に含まれる「肥料」――2000人の排泄物と、砕かれた10人の骨――が発酵し、熱を生み出しているのだ。

 そして何より、部屋の中央で唸りを上げるボイラーから供給される、兄の命の熱。

 それらが凝縮され、この緑色の葉脈を流れている。


「……育ちましたね、エリーゼ様」


 背後で、リリアナがささやいた。

 彼女の声には、植物への慈しみなど微塵もない。

 あるのは、私の計画が滞りなく進行していることへの、盲目的な肯定だけだ。

 彼女は腰の剣に手を添え、油断なく周囲を警戒している。

 この温室には、私と彼女、そしてボイラーに繋がれた兄以外に誰もいないというのに。


「ええ。……予想よりも早かったわ」


 私は根元を掴み、一気に引き抜いた。

 ブチリ、という繊維が断裂する音。

 土屑つちくずと共に現れたのは、私の小指ほどの太さしかない、白くひ弱な根だった。

 まだ成長しきっていない。

 だが、贅沢を言える状況ではなかった。

 上の世界では、備蓄庫の底が見え始めている。

 民衆の目は飢えで血走り、理性の堤防が決壊する寸前だ。

 この細い根の1本が、彼らを繋ぎ止めるくさびとなる。


 私は懐からハンカチを取り出し、根についた泥を拭った。

 完全には落ちない。

 黒い土が、白い肌に染みのように残っている。

 私はそれを口元へと運んだ。


「エリーゼ様!?」


 リリアナが制止しようと手を伸ばす。

 毒見をしていないものを、主人の口に入れさせるわけにはいかないという、忠犬の反射。

 だが、私は構わずにかじりついた。


 カリッ。

 硬い音と共に、口の中に強烈な刺激が広がる。

 辛味。

 そして、土の香り。

 その奥底に、微かな鉄錆の風味が混じっているように感じたのは、私の記憶が作り出した幻覚だろうか。

 第650回目のループで、飢餓に耐えかねて靴の革を煮込んで食べた時の、あの絶望的な味に比べれば、これはご馳走ちそうだった。

 生きている味がする。

 誰かの死を吸い上げて育った、罪深い生の味が。


「……食べられるわ」


 私は飲み込み、残りをリリアナに差し出した。

 彼女は迷わずそれを受け取り、私が口をつけた部分に自分の唇を重ねるようにして齧った。

 咀嚼そしゃくする彼女の喉が動く。

 彼女にとって、味などどうでもいいのだ。

 私が毒を食めば、彼女も毒を食む。

 私が人を殺せば、彼女も剣を振るう。

 その共犯関係だけが、彼女の栄養源なのだから。


「……泥の味がします。けれど、貴女あなたの味がします」


 リリアナは恍惚こうこつとした表情で、指に残った土まで舐め取った。

 その姿は、聖女のようであり、同時に食人鬼のようでもあった。


 その時だ。


 ズゥン……。


 腹の底に響くような、重く鈍い振動が地下室を揺らした。

 天井からパラパラと土埃つちぼこりが落ちてくる。

 地震ではない。

 もっと鋭角的で、破壊的な衝撃の余波。

 私は顔を上げ、天井の彼方――地上の方角をにらんだ。

 この振動の正体を、私は知っている。


「……始まったわね」


 私は立ち上がり、ドレスの埃を払った。

 リリアナも瞬時に「騎士」の顔に戻り、私の前に立って守りの体勢をとる。


「敵襲でしょうか?」

「いいえ。……自滅よ」


 私たちは早足で温室を出た。

 ボイラー室の前を通り過ぎる際、中を覗く。

 カイルは、先ほどの振動にも反応せず、ただ虚ろな目で宙を仰いでいた。

 彼の指にはめられた指輪が、狂ったように明滅し、ボイラーの圧力計が危険域を示している。

 外で起きた「現象」と共鳴しているのだ。

 彼から吸い上げられた魔力が、遠く離れた場所で、殺戮さつりくの引き金を引いている。


 私たちは長い螺旋らせん階段を駆け上がった。

 肺が冷たい空気で満たされ、心臓が早鐘を打つ。

 1階の広間を抜け、城壁の上の見張り台へ。

 扉を開けた瞬間、猛烈な吹雪が襲いかかってきた。

 視界が白く染まる。

 風の音が鼓膜を叩く。

 だが、その轟音ごうおんの向こう側から、確かに聞こえてくるのだ。


 ドォン……ババリィン……!


 断続的な爆発音。

 私は手すりに身を乗り出し、西の平原を見下ろした。

 雪のカーテンの向こう、数キロメートル先。

 そこには、赤い蓮華れんげの花が咲いていた。

 一つ、また一つ。

 黒煙を上げて燃え上がる炎の塊。

 帝国軍の野営地だ。

 彼らが誇る最新鋭の魔導戦車部隊が、次々と内側から破裂しているのだ。


 第400回目のループで、私をき潰した鉄の塊。

 その圧倒的な質量の前に、私はなす術もなく肉片に変えられた。

 だが今、それらは自らの動力を制御できず、搭乗員ごと吹き飛んでいる。

 私がヴォルコフ大佐に渡した「星の錬金術」の設計図。

 あれは、魔力変換効率を極限まで高める代わりに、冷却機能を完全に無視した欠陥理論だ。

 欲に目がくらんだ彼らは、検証もせずに自軍の兵器に組み込んだのだろう。

 そして、最初の斉射の瞬間、魔力回路が融解し、弾薬庫に引火した。


「……綺麗ですね」


 隣で、リリアナが呟いた。

 彼女の銀髪が風に乱れ、炎の照り返しを受けて赤く染まっている。

 人の死を「綺麗」と言ってのけるその感性。

 けれど、私も同感だった。

 あれは花火だ。

 私たちの生存を祝う、祝砲だ。


 私は手すりを握りしめた。

 凍りついた鉄の冷たさが、てのひらの皮膚を焼く。

 その痛みだけが、これが夢ではないことを教えてくれる。


「これで、しばらくは静かになるわ」


 帝国軍は大混乱に陥っているはずだ。

 原因不明の自爆。

 疑心暗鬼。

 指揮系統の崩壊。

 彼らが態勢を立て直すには、数週間はかかるだろう。

 その間に、私たちは地下の作物を育て、城壁を直し、生き延びるための算段を整えることができる。


 ふと、喉の奥から乾いた笑いが漏れた。

 ざまあみろ、とは言わない。

 ただ、胸の奥につかえていた黒い塊が、少しだけ溶け落ちた気がした。

 これは勝利ではない。

 ただの遅延工作だ。

 けれど、この数日間の猶予ゆうよが、1000回の死のふちを歩いてきた私にとっては、黄金よりも価値のあるものだった。


「戻りましょう、リリアナ。……寒いわ」


 私が背を向けると、リリアナは名残惜しそうに炎を一瞥いちべつし、すぐに私の後を追った。

 彼女の手が、私の冷え切った手を包み込む。

 指と指を絡ませ、痛いほどに食い込ませる。

 その拘束感。

 逃げ場のない密着。

 それが今の私には、どんな防寒具よりも温かかった。


 城内へ戻る廊下で、すれ違った兵士たちが、遠くの爆音に怯えたような顔をしていた。

 彼らは知らない。

 あの爆発が、自分たちの王女が仕掛けた毒の結果であることを。

 知らなくていい。

 彼らはただ、与えられた餌を食べ、与えられた仕事をし、私の手駒として生きていればいいのだ。


 私は口の中に残る、大根の苦味を反芻はんすうした。

 泥と、鉄と、血の味。

 それは、私たちがこれから歩む道の味そのものだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ