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追放された無能王女、実は「自分と手を繋いだ相手」と一緒に【セーブ&ロード】する権能を持っていました。  作者: タルタロス


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第41話:泥濘の外交

 雪は、世界の不都合を隠す死化粧だ。

 王城の窓から見下ろすアステリアの廃都は、昨夜までの汚濁が嘘のように、純白の静寂に包まれていた。

 だが、その白さの下で何がうごめいているかを、私は知っている。

 地下水路を流れる排泄物と死肉のスープ。崩れた石壁の隙間で凍えるネズミたち。そして、わずかな熱を求めて身を寄せ合う2000の「労働力」。

 美しいのは表面だけだ。

 その皮を1枚剥げば、そこには腐臭漂う現実が脈打っている。


 コン、コン。

 乾いたノックの音が、私の思考を現実へと引き戻した。

 入室してきたのは、元商人のゲパルトだ。

 彼は擦り切れた毛皮のコートを羽織り、寒さで赤くなった鼻をこすりながら、卑屈な笑みを浮かべていた。

 その手には、泥で汚れた封筒が握られている。


「へへ……エリーゼ様。予想通り、客人がお見えですぜ」

「早いわね。……どこのどいつ?」

「西のヴォルガ帝国、第3機甲師団のヴォルコフ大佐と名乗っております。『アステリア王国の保護および治安維持』という名目で、正門前に陣取っておりますが……まあ、実質的な降伏勧告でしょうな」


 ゲパルトは封筒を机の上に滑らせた。

 ろうで封印された紋章は、双頭の鷲。

 力と略奪を象徴する、あの忌々しい帝国の紋章だ。

 第188回目のループで、私はこのヴォルコフという男に、和平交渉の席で指を1本ずつ折られた記憶がある。

 彼は軍人というよりは、嗜虐しぎゃくを好む拷問官に近い。


「数は?」

「先遣隊として、重装歩兵が500。後続に3000といったところでしょう。……正直、今の我々の手駒コマでは、正面からぶつかれば30分でミンチです」


 ゲパルトの声が微かに震えている。

 商人の勘が告げているのだ。これは取引ディールではなく、一方的な捕食であると。

 私は封筒を手に取ることなく、ペーパーナイフでその端を突き刺した。

 切っ先が紙を裂く、ジャリという不快な音が響く。


「通しなさい。……応接室ではなく、ここへ」

「えっ? こ、ここでですか? まだ掃除も終わっていない、この瓦礫の山に?」

「ええ。最高の『おもてなし』をしてあげるわ」


 私が口角を吊り上げると、足元で微睡まどろんでいたリリアナが、弾かれたように顔を上げた。

 彼女のすみれ色の瞳が、獲物を見つけた猛獣のように細められる。

 彼女は私の意図を瞬時に理解したのだ。

 言葉はいらない。

 ただ、私の殺意の波長に共鳴し、その喉を低く鳴らした。


 数十分後。

 重厚な軍靴の音が、廊下に響き渡った。

 ガチャリと乱暴に扉が開かれる。

 入ってきたのは、熊のような巨漢だった。

 ヴォルガ帝国軍の軍服に身を包み、腰には無骨なサーベルを吊るしている。

 ヴォルコフ大佐。

 その顔には、隠そうともしない侮蔑と、勝者特有の傲慢さが張り付いていた。

 部屋に入った瞬間、彼は鼻にしわを寄せた。

 消毒用アルコールと、染みついた古い血の匂い。そして、暖炉の灰の匂い。

 優雅な王族の香水など、ここには存在しない。


「……ここが王の執務室か。豚小屋の方がまだマシな匂いがするな」


 ヴォルコフは挨拶もなしにそう吐き捨て、私の前の椅子にドカと座り込んだ。

 革張りの椅子が、彼の体重で悲鳴を上げる。

 彼は私を値踏みするようにジロジロと眺め、下卑た笑い声を漏らした。


「お前が噂の『無能王女』か。……なるほど、顔だけは上玉だ。帝都の娼館なら、一晩で金貨3枚は稼げるだろう」

「過分な評価を感謝いたします、大佐。……それで? 私の身体を買いに来たのですか? それとも、このゴミ溜めを掃除しに来たのですか?」


 私は表情を凍りつかせたまま、事務的に問い返した。

 ヴォルコフの眉がピクリと動く。

 怯えも媚びもしない私の態度が、彼の神経を逆撫でしたようだ。


「単刀直入に言おう。降伏しろ。この国はもう死に体だ。我が帝国の属州となれば、最低限の食料と安全は保証してやる。……もちろん、王族であるお前には、それなりの『奉仕』をしてもらうがな」


 彼は舌なめずりをし、太い指で机を叩いた。

 典型的な脅迫だ。

 力による支配。恐怖による隷属。

 それが彼らのやり方であり、これまでの世界で私が屈してきた暴力の形だ。

 だが、今の私にとって、それは退屈な茶番劇に過ぎない。


「お断りします」


 短く、切り捨てる。

 ヴォルコフの顔から笑みが消えた。

 部屋の空気が一瞬で張り詰める。

 私の背後で、リリアナが柄に手を掛ける気配がした。カチリ、と鯉口が鳴る音が、静寂の中で雷鳴のように響く。


「……何だと? 状況が分かっていないのか? お前たちに拒否権などない。今すぐここで、お前の首をへし折ることもできるんだぞ」

「ええ、できるでしょうね。……ですが、それをすれば、貴国は『未来』を失うことになります」


 私は引き出しから、1枚の羊皮紙を取り出した。

 そこには、複雑怪奇な魔法陣と、独自の魔導式の計算式が記されている。

 これは、アステリア王国が秘匿してきた国宝級の技術。

 魔石の純度を極限まで高め、通常の10倍の出力を生み出す「星の錬金術」の設計図だ。

 ……もちろん、真っ赤な偽物だが。


「これは……?」

「我が国独自の魔導精錬技術の『断片』です。……大佐、貴国の魔導戦車は燃費が悪く、故障が多いと聞いております。この技術があれば、その欠陥はすべて解消されるでしょう」


 ヴォルコフの目が釘付けになった。

 軍人である彼なら、この技術の軍事的価値を瞬時に理解できるはずだ。

 喉が鳴る音が聞こえた。

 食欲、性欲、そして権力欲。

 それらが混ざり合った濁った欲望が、彼の瞳をギラつかせている。


「……これを、我々に提供すると?」

「取引です。我が国は『不可侵条約』と『食料支援』を求めます。その対価として、この技術の独占使用権を譲渡しましょう」


 私は羊皮紙をちらつかせ、彼の目の前でふわりと揺らした。

 餌だ。

 飢えた獣の鼻先にぶら下げられた、極上の毒肉。


「……フン、よかろう。だが、これが本物だという証拠はあるのか?」

「証拠? ……試してみればよろしいのでは?」


 私は机の上の呼び鈴を鳴らした。

 チリン、と澄んだ音が響く。

 すぐに扉が開き、おずおずと1人の男が入ってきた。

 薄汚れた作業着に身を包み、手にはモップを持った男。

 カイルだ。

 彼は顔中を煤と糞尿で汚し、虚ろな目で床を見つめている。かつての王の威厳など、欠片も残っていない。


「おい、掃除係。……お茶を」

「は、はい……ただいま……」


 カイルは震える手で、ワゴンのお茶セットを運び入れた。

 その光景を見て、ヴォルコフは訝しげに眉をひそめた。

 まさか、この薄汚い下男が、昨日までこの国の王だったとは夢にも思わないだろう。


「この掃除係に、試作品を使わせています。……見ての通り、魔力を持たない無能な男ですが、この技術を応用した指輪をつければ、岩をも砕く怪力を発揮します」


 私はカイルの指にはめられた、粗末な鉄の指輪を指差した。

 それは、ヴィクトールが死体操作用に作った、リミッター解除の呪具だ。装着者の生命力を強制的に魔力に変換し、身体能力を向上させる代物。

 ただし、その代償として激痛と寿命を削り取る。


「おい、掃除係。そのモップをへし折ってみろ」

「ひっ……! わ、わかりました……!」


 カイルは怯えながら、太いかしの木の柄を握った。

 次の瞬間。

 バキィッ!!

 乾いた破砕音と共に、頑丈なモップの柄が飴細工のように粉砕された。

 カイルの手から血が吹き出し、彼は「あぐっ……!」と悲鳴を上げてうずくまった。


「ほう……」


 ヴォルコフが身を乗り出した。

 カイルの痛みなど目に入っていない。彼が見ているのは、ただの棒切れを粉砕した「力」だけだ。


「魔力なしのくずでも、これほどの力が出せるのか。……素晴らしい」


 彼はニタリと笑い、私の手から羊皮紙を引ったくった。


「交渉成立だ。……ただし、食料支援は半分だ。文句はあるまい?」

「……承知しました。では、契約書にサインを」


 私は引きつった笑みを浮かべ、羊皮紙を差し出した。

 ヴォルコフは上機嫌でサインをし、羊皮紙を懐にねじ込むと、足早に立ち上がった。

 早く本国に持ち帰り、自分の手柄にしたいのだ。

 その背中を見送りながら、私は心の中で冷たく呟いた。


 ……持っていけ。

 それは、使用者の魔力を暴走させ、最終的には魔導回路を焼き切って自爆させる欠陥理論だ。

 帝国軍の戦車に組み込めば、最初の試運転で兵器庫ごと吹き飛ぶだろう。


 扉が閉まる。

 部屋に、再び静寂と冷気が戻ってきた。


「……エリーゼ様。あいつの首、刎ねなくてよかったのですか?」


 リリアナが不満げに剣を納めた。

 彼女にとっては、私の前に座った豚を生かして帰したことが我慢ならないらしい。


「ええ。死体にするよりも、伝書鳩として使った方が有益よ」


 私はカイルの方を見た。

 彼は血まみれの手を押さえ、床にうずくまって泣いていた。

 自分の指輪が呪われていることも知らず、ただ痛みに耐えている。


「痛いか、兄上?」

「うぅ……い、痛い……指が、焼けるようだ……」

「それは『労働の喜び』よ。……さあ、床が血で汚れたわ。舌で舐めとって綺麗になさい」


 私が冷たく命じると、カイルはビクリと震え、這いつくばって床の血を舐め始めた。

 チュパ、チュパという水音が、部屋に響く。

 その光景は、外交の勝利よりも、私の暗い愉悦を満たしてくれた。


 窓の外では、雪が激しさを増している。

 帝国の脅威は去っていない。ただ、爆発までの時間を稼いだだけだ。

 だが、それで十分。

 この冬さえ越せれば、私の手駒たちは、雪の下で芽吹く毒草のように育つだろう。


 私は熱の冷めた紅茶を一口啜った。

 泥のような味がした。

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