第32話:歯車仕掛けの神殿
城砦の地下深くに位置する動力室。
かつては冷たい石の壁に囲まれただけの空間だったそこは、今や異様な熱気と、紫色の魔力光、そして油と錆の混じった匂いに満たされていた。
「……信じられん。本当に、この理論で動くのか?」
腐敗した皮膚を包帯で覆った魔導師、ヴィクトールが、目の前の巨大な魔導炉を見上げて呻いた。
彼の震える指先が、空中に投影された複雑怪奇な設計図をなぞる。
それは私が、第450回目のループで帝国軍の開発局から盗み出し、第780回目のループでドワーフの工匠と共に改良を加えた、この世界には存在しないはずの「魔力循環システム」の設計図だ。
「動くわよ。……理論上の欠陥は、既に私が50回ほど爆発させて修正済みだもの」
私は日傘を畳み、作業台の隅に腰掛けた。
地下特有の湿った空気が肌に張り付くが、不快ではない。むしろ、この機械油の匂いは「進歩」の香りがする。
「爆発させて修正、だと? ……お嬢さん、あんた一体何歳だ? この計算式一つ解くのに、普通の魔導師なら一生かかるぞ」
「女の年齢を聞くなんて無粋ね。……さっさと接続なさい。貴方の体への『魔力点滴』が切れて、鼻が落ちても知らないわよ?」
「ヒッ、ご勘弁を!」
ヴィクトールは慌てて作業に戻る。
『赤竜の心臓』から抽出された膨大な魔力が、彼が構築したパイプラインを通って城全体へと送り出されていく。
ブォン、という重低音が響き、城砦の血管に血が巡り始めた。
「……エリーゼ様。この男の背中を刺してもいいですか? 何だか楽しそうで不愉快です」
私の隣で、リリアナが能面のような顔で囁く。
彼女の手は私の腰に回されており、その指先がドレスの布地越しに食い込んでいる。
ヴィクトールが私と「知識」という共通言語で会話しているのが、彼女の独占欲を逆撫でしているのだ。
「我慢なさい。……彼は今、私たちの『家』をリフォームしてくれている大工さんよ」
私はリリアナの手の甲を撫でて宥める。
彼女の機嫌を取るのは、精密機械のメンテナンスより骨が折れる。
***
数日後。
エリュシオンの風景は劇変していた。
ヴィクトールが調整した魔導具により、地下水脈から汲み上げられた水は、温水となって城内の水路を巡り、居住区の暖房と生活用水を賄っている。
荒野の厳しい寒さは遮断され、城壁の内側は常に春のような陽気に包まれていた。
さらに、城壁の外周には自動防衛式のゴーレムが配置され、近づく魔物を無言でひねり潰していく。
「おお……! なんという奇跡だ……!」
「蛇口を捻るだけでお湯が出るなんて、王都の貴族街ですらありえないぞ!」
城下に集まった難民たちが、涙を流して喜んでいる。
彼らは手を合わせ、城の最上階――私の部屋がある方角に向かって、祈りを捧げ始めた。
「エリーゼ様万歳! 我らの救世主、銀の魔女様に栄光あれ!」
「神よ、感謝します! この楽園をお与えくださり……!」
広場は熱狂の渦だ。
彼らにとって、私はもはや「領主」ではない。「現人神」だ。
虐げられ、飢えていた彼らにとって、衣食住と安全を与えてくれる存在は、どんな教会の説法よりも尊い信仰の対象となる。
「……気持ち悪い光景ですね」
テラスからその様を見下ろし、リリアナが冷たく言い放つ。
「あいつら、貴女を崇めていますが、その目は欲望で濁っています。……『もっとくれ』『守ってくれ』という乞食の目だ」
「いいのよ、リリアナ。……信仰とは、突き詰めれば『依存』だもの」
私は冷めた紅茶を含んだ。
彼らが私を崇めるのは、私が彼らを愛しているからではない。私がいないと、この快適な生活が維持できないと本能で理解しているからだ。
「私は彼らに奇跡を与え、彼らは私に労働力と忠誠を捧げる。……とても健全な『取引』だわ」
「取引……。主様らしい、冷たい割り切りですね」
「それに、この熱狂は使えるわ。……見ていて」
私はテラスの手すりに立ち、群衆に向かって手を振った。
それだけで、ワァァァッ!! と地鳴りのような歓声が上がる。
涙を流して崩れ落ちる者、失神する者。
集団ヒステリーに近い状態。
「……ルミア」
私が呼ぶと、背後の影から白いドレスの少女が現れた。
「なーに? お姉様」
「少し『演出』をしてちょうだい。……彼らの信仰心を、より強固な鎖に変えるために」
「うん、わかった。……キラキラさせればいいの?」
ルミアが無邪気に杖を振る。
聖魔法『祝福の光雨』。
空から黄金色の光の粒子が降り注ぎ、人々の疲れや軽い怪我を癒やしていく。
演出効果としては満点だ。
広場は完全に狂乱状態となり、「奇跡だ!」「聖女様も味方につけたぞ!」と絶叫が響き渡る。
「……これで、彼らはもう二度と、私を裏切れない」
私は満足げに頷いた。
この光景を見れば、帝国のスパイも、王国の密偵も、うかつには手出しできないだろう。
ここはただの都市ではない。狂信者たちによって守られた、巨大なカルト教団の総本山となったのだから。
「……ふふ。貴女は本当に、人を壊すのがお上手ですね」
リリアナが背後から抱きついてくる。
その吐息が耳にかかる。
「ですが、忘れないでください。……貴女の最初にして最後の信者は、私です。あんな有象無象と一緒にしないでくださいね?」
彼女の手が、私の首筋に這う。
爪が皮膚を少しだけ傷つけ、チクリとした痛みが走る。
それは警告であり、マーキングだ。
「わかっているわ。……貴女は信者じゃない。私の『共犯者』でしょう?」
私が囁くと、リリアナは恍惚とした表情で、私の首筋に唇を押し付けた。
眼下では数千の民衆が私を神と崇め、背後では一人の狂騎士が私を悪魔として愛している。
歪な楽園。
だが、この閉塞した空気こそが、今の私には最も呼吸しやすい環境だった。
「……さて。次は『教育』の時間ね」
私は民衆の歓声をBGMに、執務室へと戻る。
ヴィクトールの技術で防衛力は整った。民心も掌握した。
次にするべきは、この集団を「軍隊」としても機能させるための洗脳教育だ。
休む暇はない。
楽園の管理人は、いつだって重労働なのだから。




