第23話:仮面舞踏会の夜
夜の帳が下りた王都アステリアは、異様な熱と静寂に包まれていた。
スラム街の方角からは、衛兵と暴徒が衝突する怒号と、何かが焼けるきな臭い煙が漂ってくる。だが、貴族街に通じる大通りだけは、魔法の灯りで煌々と照らされ、豪奢な馬車が列をなしていた。
「……滑稽ね。足元で火がついているのに、天井でダンスを踊るつもりかしら」
私は、貴族街を見下ろす時計塔の梁の上に腰掛け、眼下のパレードを見下ろしていた。
黒いドレスに、顔半分を覆う漆黒の仮面。それは喪服であり、死刑執行人の衣装でもある。
「本当に。……あの馬車の中にいる豚たち、今すぐ串刺しにしてやりたいです」
隣でリリアナが、嫌悪感を隠そうともせずに吐き捨てる。
彼女もまた、夜会用のドレス――ただし、動きやすさを重視したスリットの深いミッドナイトブルーの衣装を纏っている。太腿には愛剣アイリスに加え、投擲用のナイフが数本仕込まれていた。
「お姉様、あの建物、キラキラしてる。……壊していい?」
反対側では、ルミアが王城を指差し、無邪気に首を傾げていた。
彼女は純白のドレスに、白い仮面。見た目は深窓の令嬢だが、その指先には既に破壊の魔力が集束しかけている。
「まだよ、ルミア。……今夜の主役は、あくまで父上たちだもの。私たちは最前列の『観客』に徹しましょう」
私はルミアの手を握り、魔力を霧散させた。
今夜、王城で開催されているのは「星降る夜の仮面舞踏会」。
表向きは建国記念の祝賀だが、実態は、私のプロパガンダによって動揺する貴族たちを懐柔し、「王家の権威は健在である」とアピールするための茶番劇だ。
「行きましょう。……招待状はないけれど、裏口なら知っているわ」
私たちは時計塔から闇夜へと身を投げた。
風魔術による滑空。音もなく王城の庭園に着地する。
そこは、厳重な警備が敷かれているはずの場所だ。
だが、私の脳内には、第520回目のループで潜入した際に把握した、衛兵の巡回ルートと魔導センサーの死角が完璧に描かれている。
「3秒後に右の茂みへ。……次は左の石像の影」
私の指示に従い、リリアナとルミアが影のように移動する。
数分後、私たちは誰にも気づかれることなく、大広間のテラスへと通じる通用口の前に立っていた。
扉の向こうから、優雅なワルツの旋律と、貴族たちの空虚な笑い声が漏れてくる。
「……腐った香水の匂いがします」
リリアナが鼻を覆う。
「我慢して。……さあ、パーティーの始まりよ」
私は重い扉を押し開けた。
***
大広間は、シャンデリアの光と宝石の輝きで埋め尽くされていた。
仮面をつけた数百人の貴族たちが、グラスを片手に談笑している。話題の中心は、もちろん「北の魔女」と「聖女の失踪」についてだ。
「聞いたかね? 聖女様は王家に殺されたという噂を」
「まさか。下賤な民の妄想だろう。……だが、陛下のご機嫌が悪いのは事実だ」
「カイル殿下も、最近は姿を見せないとか……」
不安を隠すように声を張り上げる彼らの間を、私たちは悠然と歩く。
異質な三人組。
だが、奇妙なほどに周囲は私たちを「見て見ぬふり」をした。
私の『認識阻害の魔道具』の効果もあるが、それ以上に、私たちの放つ空気が、あまりにも貴族社会のそれとは乖離していたからだ。触れてはいけない猛獣が紛れ込んだような、本能的な忌避感。
「……あそこにいるわ」
私はホール最奥の玉座を見据えた。
そこには、黄金の仮面をつけた肥満体の男――国王グスタフと、その横で青白い顔をしてワインを煽るカイル兄上が座っていた。
「父上、楽しそうね。……自分の椅子に爆弾が仕掛けられているとも知らずに」
私は近くを通りかかった給仕から、ワイングラスを3つ掠め取った。
「乾杯しましょう。……アステリア王国の、最後の夜に」
チン、と軽い音が響く。
その時、カイル兄上がふらりと立ち上がり、大声を張り上げた。
「静粛に! ……静粛に願おう!」
音楽が止まり、視線が玉座に集まる。
カイル兄上は、焦点の合わない目で広間を見渡した。
「巷では、我が王家を中傷するビラが撒かれているようだが! ……あんなものは全て、追放された愚妹エリーゼの妄言である! 聖女ルミアは病気療養中であり、決して行方不明などではない!」
必死の弁明。
だが、その声の震えが、逆に真実味を帯びさせていることに気づいていない。
「……ふふっ」
静まり返った広間で、ルミアが声を漏らして笑った。
それは鈴の音のように可憐で、そして背筋が凍るほど無慈悲な響きだった。
「だーれだ?」
ルミアが仮面を外し、その素顔を晒した。
サファイアから堕ちた、深淵の瞳。
「な……ッ!?」
カイル兄上の目が、限界まで見開かれる。
貴族たちがどよめき、悲鳴に近い声を上げた。
死んだはずの、あるいは幽閉されているはずの聖女が、今ここに立っているのだから。
「ル、ルミア……!? 貴様、なぜここに……!」
「迎えに来たの、お兄様」
ルミアは無邪気に手を振った。
その背後で、リリアナが抜剣し、私が扇子を開いて口元の笑みを隠す。
「ごきげんよう、父上、兄上。……招待状が届いていなかったようですけれど、勝手にお邪魔してもよろしくて?」
私が仮面を外すと、広間の空気が完全に停止した。
悪役令嬢の帰還。
きらびやかな舞踏会は一瞬にして、処刑台への階段へと変わった。
「衛兵ッ! 衛兵は何をしている! こいつらを捕らえろォッ!」
グスタフ王の絶叫が響く。
だが、遅い。
既にリリアナの殺気とルミアの魔力が、この空間の主導権を完全に掌握していた。




