第21話:不協和音のティータイム
城砦の最上階、執務室兼私の私室。
そこは今、大陸で最も危険な火薬庫と化していた。
「ねえ、エリーゼお姉様。……私、ここがいい。ここの床で寝る」
ふかふかのソファでも、用意された客室のベッドでもなく、私の足元の絨毯に寝転がり、猫のように頬を擦り付けている少女。
元・聖女ルミアだ。
洗脳が解けた反動で、彼女の精神年齢は著しく低下し、私を「新しい神様(依存先)」として認識して片時も離れようとしない。
「……あの。エリーゼ様」
私の背後で、紅茶を淹れていたリリアナの声が、絶対零度まで冷え込んでいる。
「この白い物体を、窓から投げ捨ててもよろしいでしょうか? ……先ほどから貴女の足に触れています。汚らわしい」
リリアナの手にある銀のポットが、握力で歪み始めている。
彼女にとって、私に触れていいのは自分だけという不文律がある。ルミアの存在は、その領空を侵犯する敵機以外の何物でもない。
「駄目よ、リリアナ。彼女は貴重な『対空砲』なんだから。……壊したら弁償できないわ」
私は書類(ゲパルトから届いた王都の情勢レポート)に目を落としたまま、足元のルミアの頭を軽く撫でた。
「んぅ……。お姉様の手、冷たくて気持ちいい……」
ルミアがとろんとした瞳で私を見上げ、さらに強くしがみつく。
その瞬間。
ガガンッ!!
リリアナが、紅茶のカップをソーサーごとテーブルに叩きつけた。
陶器が悲鳴を上げ、ヒビが入る。
「……調子に乗るなよ、欠陥人形」
リリアナが抜剣した。
アイリスの切っ先が、ルミアの喉元に突きつけられる。
「その薄汚い手を離せ。……さもなくば、その首を切り落として、教会の祭壇に投げ返してやる」
殺気。
部屋の空気が一瞬で凍りつき、窓ガラスがビリビリと共鳴する。
常人なら失禁して逃げ出すほどのプレッシャー。だが、ルミアは虚ろな瞳で剣先を見つめ、小首を傾げただけだった。
「……お姉様。この人、うるさい」
ルミアが指をパチンと鳴らす。
カッ!
リリアナの足元に、黄金の魔法陣が展開された。
聖魔法『拘束の鎖』。
光の鎖が蛇のように床から飛び出し、リリアナの四肢を縛り上げようとする。
「ッ……! なめるな!」
リリアナは魔力を爆発させ、物理的な衝撃波で光の鎖を粉砕した。
剣閃が走る。
ルミアもまた、即座に光の障壁を展開する。
近接最強の騎士と、魔法最強の聖女。
二つの才能が、私の執務室という狭い空間で衝突しようとしていた。
「――お座り」
私は静かに、しかし有無を言わせぬ重さで告げた。
ピタリ。
二人の動きが同時に止まる。
「……私の部屋を壊す気?」
私は書類を置き、ゆっくりと二人を見回した。
怒鳴りはしない。ただ、温度のない瞳で射抜く。
それだけで、二人の背筋に電流が走るのがわかった。
「も、申し訳ありません……! つい、殺意が抑えきれず……」
「ご、ごめんなさい……。お姉様、怒らないで……」
リリアナは剣を収めて跪き、ルミアは縮こまって震えだす。
二人とも、私が「捨てる」ことを何よりも恐れているのだ。
「リリアナ。貴女の忠誠心は嬉しいけれど、嫉妬で目を曇らせるのは三流よ。……貴女は私の『剣』でしょう? 剣が勝手に鞘から抜けてどうするの」
「……ッ、仰る通りです。私は、騎士としてあるまじき失態を……」
リリアナが悔しげに唇を噛む。
「そしてルミア。……貴女も、私の許可なく魔法を使わないで。ここは戦場じゃないわ」
「うん……。いい子にする……。だから、捨てないで……」
ルミアが私のスカートの裾を掴む。
やれやれ、と私はため息をついた。
王宮や教会への復讐劇を描く前に、まずはこの「家庭内不和」を管理しなければならないとは。
「いいこと? 私たちは全員、世界からはじき出された『壊れ物』同士よ。……仲良くなんてしなくていい。ただ、私のために機能しなさい」
私は二人の頭に、同時に手を置いた。
リリアナには左手を、ルミアには右手を。
リリアナがビクリと肩を震わせ、恍惚の表情で私の手に頬を寄せる。
ルミアもまた、安心したように目を閉じて呼吸を整える。
歪な三角形。
だが、このバランスこそが今の城砦を支える柱だ。
「……さて。お茶が冷めてしまったわね」
私はヒビの入ったカップを指差した。
「リリアナ、淹れ直してちょうだい。……ルミア、貴女はリリアナの手伝いをなさい。お茶請けのクッキーを皿に並べるくらいはできるでしょう?」
「ええっ!? 私が、あいつと……?」
「うん……。お姉様が言うなら、やる……」
二人は互いに殺意に満ちた視線を交わしながらも、しぶしぶと動き出した。
キッチンの方から、「皿の並べ方が汚い」「うるさい、犬」といった罵り合いが聞こえてくるが、魔法が飛んでこないだけマシだろう。
私は窓の外、広大な荒野を見下ろした。
聖女の「失踪」を知った王都は、今頃ハチの巣をつついたような騒ぎになっているはずだ。
次の一手は向こうから来る。
それまでに、この不協和音だらけのオーケストラを、完璧に指揮できるようにしておかなければ。
(さあ、忙しくなるわよ。……次は、王都の民衆を味方につける『プロパガンダ』の時間だもの)
私は書きかけの書類――『聖女誘拐の真実』と題した怪文書の草案に、再びペンを走らせ始めた。




