第2話:玉座に座る人形
玉座の間を支配していたのは、呼吸音すら憚られるほどの死ごとき沈黙だった。
床には無惨に切断された鋼の残骸が散らばり、近衛騎士たちは自らの喉元に突きつけられた「死の幻影」に凍りついて、身動き一つ取れずにいる。
彼らは理解してしまったのだ。
目の前で抱き合う銀髪の少女たちが、その気になれば瞬きする間に自分たち全員を肉塊に変えられたのだという事実を。
(……412回目のループでは、この騎士団長に心臓を貫かれたわね。705回目では、そこの副団長に四肢を落とされた)
私はリリアナの体温を感じながら、恐怖に顔を歪める騎士たちを冷めた目で見やった。
かつて私を殺した男たちが、今は怯えた羊のように震えている。
ああ、なんて滑稽で、つまらない光景だろう。
「……あ、あ、ああ……」
腰を抜かしたカイル兄上が、魚のように口をパクパクと開閉させている。
王族としての威厳も、次期国王としてのプライドも、リリアナの一撃で粉々に砕け散っていた。
「さあ、行きましょうか、リリアナ」
私は用済みとばかりに兄から視線を外し、腕の中の共犯者に声をかける。
リリアナは、まだ熱を帯びた瞳で私を見上げていた。
「はい、エリーゼ様。……この者たちは、処理しなくてよろしいのですか? 貴女の視界に入るだけで、空気が汚れる気がするのですが」
彼女は本気で言っている。
私の許可さえあれば、彼女はこの場の全員を「掃除」することに、1ミリの躊躇も抱かないだろう。
「ええ。生かしておきなさい。死体が増えると歩きにくいもの」
「承知いたしました。貴女がそう望むなら、彼らは石ころと同じです」
リリアナは満足げに頷き、細剣を優雅な動作で納刀した。
その瞬間、ジャリッという微かな音がして、私の手を握る彼女の指に力がこもる。
彼女の手のひらは汗ばんでいた。平然としているように見えて、彼女の精神は限界に近いのだ。1,000回分の死の記憶が、剣を抜くたびにフラッシュバックしているのだろう。
(早く、二人きりになって抱きしめてあげないと)
私がそう考え、踵を返そうとした時だった。
「――待て」
重く、腹の底に響くような声が玉座から降ってきた。
それまで沈黙を守っていた父――国王グスタフ・フォン・アステリアだ。
実の息子が不正を暴かれ、醜態を晒しても眉一つ動かさなかった冷血漢。
彼は頬杖をついたまま、品定めをするような目で私を見ていた。
「帝国との内通、そして近衛騎士団の制圧。……魔力ゼロの無能を装っていたにしては、随分と手際が良いな、エリーゼ」
父の声には、怒りではなく「好奇心」が混じっていた。
有能な駒であれば、娘だろうと敵だろうと利用する。それがこの男の統治哲学だ。
(12回目。父上は私の処刑書に、あくびをしながらサインをした。500回目。父上は私の死体を解剖して、魔力欠乏の原因を探らせた)
私にとって、この男は「父親」ではない。
この世界というシステムが生み出した、最も巨大な歯車の一つに過ぎない。
「装っていたわけではありませんよ、陛下」
私は「父上」と呼ぶのをやめ、他人行儀な敬称を使った。
「私はただ、貴方たちが勝手に押し付けた『無能な王女』という役を、1,000回ほど演じ続けてあげただけです。……でも、もう疲れました。この三文芝居には」
「1,000回、だと? 気が触れたか」
「ええ、狂っていますとも。この国も、貴方も、そして私自身も」
私は薄く笑う。
父の眉間がピクリと動いた。
彼は玉座の肘掛けに埋め込まれた宝石に指を這わせる。
あれは王城の防衛結界を発動させるスイッチだ。あの宝石を押せば、この広間に強力な重力魔法がかかり、私たちを圧殺する仕組みになっている。
(知っているわよ、その仕掛けも)
父が指に力を込めるより早く、私は告げた。
「無駄ですよ。その結界石、中身の魔力回路は既に焼き切ってありますから」
「……何?」
「昨晩、私が寝室を抜け出した時に細工をしておきました。修理には王宮魔導師総出で3ヶ月はかかるでしょうね」
父の顔から、初めて表情が抜け落ちた。
彼は数度スイッチを押そうとし、それが反応しないことを悟ると、苦々しい顔で手を引いた。
「……何者だ、貴様は。本当に私の娘か?」
「さあ? 少なくとも、貴方が望んだ『従順な家畜』ではないことは確かです」
私はリリアナの手を引き、扉へと向かう。
騎士たちが道を開ける。誰も、私たちを止めようとはしない。
「逃がすと思うか! 全軍に令を出して、貴様らを――」
「おやめなさい」
私は振り返らずに、冷たく言い放った。
「もし追っ手を差し向けるなら、次は『裏帳簿』だけでなく、父上が王妃様を暗殺した際の『毒の入手ルート』を示す証拠を、街中にばら撒きますよ?」
広間が、凍りついたように静まり返る。
それは王家にとって最大級のタブー。墓まで持っていくはずの暗部だった。
「……ッ」
背後で、父が息を呑む気配がした。
これでいい。
彼は合理主義者だ。自分の玉座が危うくなるリスクを冒してまで、たかが追放王女を追うような真似はしない。少なくとも、体勢を立て直すまでは。
私たちは巨大な扉を押し開け、廊下へと出る。
朝日が眩しい。
1,001回目の世界で初めて吸う、外の空気だ。
バタン、と重厚な扉が閉まり、玉座の間が完全に遮断された瞬間。
「……はぁ、ぁ……ッ、エリーゼ、さま……!」
緊張の糸が切れたリリアナが、崩れ落ちるように私に抱きついてきた。
彼女の全身から、大量の冷や汗が吹き出している。
騎士としての殺気を保っていた仮面が剥がれ、ただの「怯える少女」に戻った瞬間だった。
「怖かった……怖かったです……また、貴女が殺されるかと……あの男の声が、貴女の死刑を宣告する声に聞こえて……!」
彼女は私のドレスを握りしめ、子供のように嗚咽を漏らした。
最強の剣士が、たかが言葉一つに怯えている。
その弱さが、その脆さが、どうしようもなく愛おしい。
「大丈夫。もう終わったの」
私は彼女の背中を、一定のリズムで優しく叩く。
1回、2回、3回。
これは過去のループで彼女が一番落ち着いたリズムだ。
「よくやったわ、リリアナ。貴女のおかげで、私たちは自由よ」
「自由……? 貴女といられるなら、そこが牢獄でも構わないのに……」
彼女は涙に濡れた瞳で私を見上げ、うっとりと呟く。
「でも、貴女が笑ってくれるなら……私は、地獄の果てまでお供します。……ねえ、エリーゼ様。今は、手を繋いでいてくださいますか?」
「ええ、もちろん」
私は彼女の冷たい指に、自分の指を絡ませる。
恋人繋ぎ。
脈動が重なり、二つの心臓が同じリズムを刻み始める。
「さあ、行きましょう。まずは、この国から『退職金』をいただかないとね」
私はリリアナの手を引き、王城の地下――王家の宝物庫へと続く隠し階段へと足を向けた。
そこには、私たちが生き延びるために不可欠な、そして父が最も惜しがるであろう「あるモノ」が眠っている。
1,001回目の逃避行は、まだ始まったばかりだ。




