第19話:聖女という名の爆弾
王都アステリアの心臓部、国王執務室。
そこには、高級な紙が破かれる乾いた音と、王の怒号だけが響いていた。
「……奪われた、だと? 『竜の涙』が全て!?」
国王グスタフが、報告書を床に叩きつける。
絨毯の上には、ゲパルトから届いた「悲劇的な報告書」が散乱していた。
――『輸送中に正体不明の凶悪な盗賊団に襲撃され、積荷は全損。護衛は全滅。私だけが命からがら逃げ延びました』と。
もちろん、真っ赤な嘘だ。
だが、今の王宮にそれを確かめる術はない。
「はい……。ゲパルト商会からの報告によれば、犯人は『銀色の巨大な魔獣』を使役していたと……」
側近が震える声で告げる。
「おのれ、エリーゼ……! 魔導師団を消し炭にした次は、余の財布まで握り潰す気か!」
グスタフは頭を抱え、執務机に沈み込んだ。
宮廷魔導師団の再建には、あの魔石が不可欠だった。それが失われた今、城砦を攻める物理的な手段は絶たれたに等しい。
何より、王都の食料価格がじわじわと上がり始めている。ゲパルトが裏で操作しているからだ。
「ち、父上! どうするのですか! このままでは、あの女の思い通りに……!」
部屋の隅で爪を噛んでいたカイル王子が、ヒステリックに叫ぶ。
彼の顔色は土気色で、かつての美貌は見る影もない。
「……カイル。お前が提案した『魔導師団による速攻』は失敗した。……もはや、手段を選んでいる場合ではないな」
グスタフは顔を上げ、血走った目で部屋の扉を見据えた。
そして、重々しく告げる。
「教会へ使いを出せ。……『聖女』を呼べ」
その言葉に、室内の空気が凍りついた。
カイルさえもが、息を呑んで後ずさる。
「せ、聖女ルミアを……!? 本気ですか父上! あいつは制御不能な『兵器』だ! 解き放てば、城砦どころか周辺の土地ごと浄化されてしまう!」
「構わん。エリーゼが生きて恥を晒し続けるよりは、荒野ごと地図から消滅した方がマシだ」
王の決断は、狂気じみていた。
だが、それほどまでにエリーゼという存在は、王家の権威を蝕む毒となっていたのだ。
***
数時間後。
重厚な扉が開き、一人の少女が執務室に入ってきた。
年齢は16歳ほど。
新雪のように白い肌、黄金の髪、そして宝石のように澄んだサファイアの瞳。
彼女が歩くだけで、室内の淀んだ空気が清められ、甘い花の香りが漂う錯覚を覚える。
アステリア王国が誇る、生ける奇跡。
聖女ルミア。
「お呼びでしょうか、陛下」
鈴を転がすような美声。
彼女は完璧なカーテシーを見せ、無邪気な笑顔でグスタフを見上げた。
その瞳には、一点の曇りもない。
そして――「知性」の光もまた、欠落していた。
「ルミアよ。……穢れが見つかった」
グスタフが地図上の『忘れられた城砦』を指差す。
「北の荒野に、邪悪な魔女が住み着いた。……神の威光を汚す、排除すべきシミだ」
「まあ、穢れですか? それはいけませんね」
ルミアは小首を傾げ、困ったように眉を下げた。
まるで、衣服についた泥汚れを見つけた時のような軽さで。
「わかりました、陛下。……綺麗にすればいいのですね?」
「ああ、そうだ。徹底的にだ。灰すら残すな」
「はい! お任せください。……神様もきっと、お喜びになります!」
ルミアは花が咲くように笑った。
その笑顔の裏には、殺人への忌避感も、命を奪うことへの躊躇も存在しない。
彼女にとって「浄化」とは、部屋の掃除と同じ感覚なのだ。
***
同時刻。城砦のテラスにて。
「……来るわね」
私は王都の方角を見つめ、苦々しい茶を飲み干した。
肌にまとわりつくような、不快な悪寒。
これは「天敵」が動き出した時の感覚だ。
「エリーゼ様? どうなさいましたか、顔色が……」
リリアナが心配そうに覗き込んでくる。
「最悪の客が来るわ、リリアナ。……『聖女ルミア』よ」
その名を出した瞬間、リリアナの表情から感情が抜け落ちた。
彼女も覚えているのだ。
第900回目までのループにおいて、私たちが最も多く殺された死因(相手)。
無自覚な正義。純粋培養された狂気。
私の「アンチ・マジック」ですら防ぎきれない、規格外の「聖魔法」の使い手。
「……あの、白痴女ですか」
リリアナが吐き捨てるように言った。
アイリスの柄を握る手に、血管が浮き出る。
「前回は、彼女の『広域浄化』で貴女は……視力を失い、私は……」
「ええ。酷い目に遭ったわね」
私は立ち上がり、風に煽られるドレスを押さえた。
「でも、今回は違う。……彼女が『神の愛』を振りかざしてくるなら、こちらは『人間の悪意』で迎え撃つわ」
私は不敵に笑う。
聖女ルミア。彼女は確かに最強の兵器だが、致命的な「バグ」があることを、私は知っている。
1,000回の死は、伊達ではない。
「準備なさい、リリアナ。……今度は私たちが、あの清らかな聖女様を『汚して』あげる番よ」




