第18話:黄金の首輪
城砦の戦力が整うにつれ、新たな問題が浮上していた。
それは、どんな組織にもつきまとう、極めて現実的で退屈な悩み――物資と資金の不足だ。
エルフたちが作った畑は収穫まで時間がかかるし、獣人ヴォルフのような大食漢の胃袋を満たすには、備蓄していた干し肉だけでは到底足りない。魔法の研究に必要な触媒や、武器のメンテナンス用オイルなど、城内では生産できない物資も山積みだ。
「……城と領民は手に入れたけれど、肝心の『お財布』が空っぽというのは笑えないわね」
私は執務室で、何も書かれていない出納帳を閉じ、深いため息をついた。
王城を出る際、私は金貨の一枚も持ち出さなかった。重いし、逃走の邪魔になるからだ。
だが、ここは荒野のど真ん中。気の利いたよろず屋もなければ、注文した品を翌日に届けてくれる便利な飛竜便もない。
「エリーゼ様。近隣の街を襲撃し、物資を奪い取りましょうか? ヴォルフを走らせれば、半日でキャラバン一つは壊滅できます。金品も奪い放題かと」
リリアナが極めて物騒な提案を、お茶を淹れるような気軽さで口にする。
彼女の辞書に「交易」という文字はない。「略奪」か「貢納」だけだ。
「野蛮なことはしないで。……私たちは盗賊団じゃないわ、国家よ。必要なのは略奪ではなく、持続可能な『物流ルート』ね」
私は地図の一点を指差した。
荒野の南端を通る、王都へと続く主要街道だ。
「……今日のお昼頃、ここを一人の『死の商人』が通るわ。彼を招待しましょう」
「商人、ですか?」
「ええ。名前はゲパルト。表向きは王家御用達の武器商人だけど、裏では敵国に情報を売り、違法な魔法薬を貴族に流しているハイエナよ」
第350回目のループ。私は資金稼ぎのために彼と手を組んだことがある。
その時は、私が稼いだ金をすべて持ち逃げされ、最後には奴隷商人に売り飛ばされた。
あの時の、脂ぎった顔で「金のない王女に価値はない」と笑った彼の顔は、今でも鮮明に思い出せる。
「……なるほど。貴女を不快にさせた害虫リストのランカーですね」
リリアナが察し、アイリスの柄に手をかけた。
「殺しますか?」
「いいえ。殺すのはいつでもできるわ。……今回は、彼に『元手ゼロ』で商売をさせてあげるの」
***
荒野の街道を、豪奢な装飾が施された馬車が進んでいく。
護衛には屈強な傭兵が10名。荷台には、厳重に封印された木箱が積まれている。
馬車の主、ゲパルトは、車内で葉巻をくゆらせながら、今夜の王都での接待について考えていた。この荷が無事に届けば、カイル王子から莫大な報酬が入るはずだ。
「おい、止まれ!」
突然、御者の悲鳴と共に馬車が急停車した。
ゲパルトは不機嫌そうに窓を開ける。
「何事だ! 遅れたら商品の鮮度が――」
言葉は、喉の奥で凍りついた。
馬車の前には、二つに引き裂かれた護衛の傭兵たちが、物言わぬ肉塊となって転がっていた。
そして、その中央に立つのは、銀色の巨大な狼男と、返り血一つ浴びずに微笑む銀髪の騎士。
「……ひッ、魔物……!? いや、あれは……!」
「降りてきなさい、ゲパルト。……招待状は送っていないけれど、歓迎するわ」
頭上から声が降ってきた。
見上げれば、岩の上に日傘を差した少女が座っている。
この世のものとは思えない美貌と、背筋が凍るような冷たい瞳。
「お、お前は……手配書の、追放王女エリーゼ!?」
ゲパルトは叫び、懐から護身用の魔導銃を取り出そうとした。
だが、その指がトリガーにかかるより早く、リリアナの細剣が彼の鼻先数ミリで停止していた。
「その玩具で、私の主を狙うつもりですか? ……指を切り落とされたくなければ、地面に這いつくばることをお勧めします」
殺意の塊のような視線。
ゲパルトはプロの商人だ。損得勘定に関しては天才的と言っていい。
彼は瞬時に「抵抗=死」と計算し、銃を捨てて地面に額を擦り付けた。
「お、お助けください! 金ならあります! 積荷も全部差し上げます! だから命だけは……!」
「話が早くて助かるわ」
エリーゼは岩から優雅に降り立つと、ゲパルトの顔を靴先で上向かせた。
「貴方の馬車の積荷。……『竜の涙』ね? 王宮魔導師団の杖に使われる、最高純度の魔石」
「な、なぜそれを……! これは極秘任務で……」
「カイル兄上の差し金でしょう? 私の城を攻略するために、新しい魔導杖を大量発注した。……違って?」
すべてお見通しだ。
ゲパルトは脂汗を流しながら頷くしかない。
「この積荷、私が買い取るわ。……ただし、私はいま一文無しだから、支払いは『信用』でさせてもらうわね」
「し、信用……? 王家への裏切り行為になりますぞ! そんなもの、何の得にも――」
「得ならあるわ」
エリーゼは懐から、一枚の羊皮紙を取り出した。
そこには、ゲパルトが過去10年間に行ってきた脱税、横領、そして敵国への武器密輸の証拠が、日時と金額入りで詳細に記されていた。
「こ、これは……裏帳簿の写し!? なぜ貴女がこんなものを……!」
「私の記憶力はいいのよ。……さあ、商談をしましょうか」
エリーゼは羊皮紙を彼の目の前でヒラヒラと振った。
「この証拠を王家の監査局に送りつければ、貴方は明日には絞首台行きよ。……でも、私の専属商人になるなら、この紙は燃やしてあげる。そして、私の城で採れる希少な魔物素材の『独占販売権』を貴方にあげるわ」
「独占……販売権……?」
「そう。死の森の魔物素材は、王都では高値で売れるでしょう? 私たちは狩りが得意なの。貴方はそれを運び、代わりに食料と日用品を持ってくるだけで、莫大な利益が出る。……王家の使い走りをするより、ずっと儲かると思わない?」
脅迫と、甘い蜜。
破滅か、それとも未開拓の市場か。
ゲパルトの商人としての本能が、激しく計算を弾き出した。この王女は恐ろしいが、ビジネスパートナーとしては、あの無能なカイル王子などよりも遥かに「優秀」だ、と。
「……承知、いたしました。このゲパルト、今日から貴女様の忠実な犬となりましょう」
彼は震える手でエリーゼの靴に口づけをした。
「賢い選択ね。……ああ、それと」
エリーゼは馬車の荷台を指差した。
「契約成立の記念に、その『竜の涙』はいただくわ。……リリアナ、これをヴォルフに運ばせて。城の動力炉の予備バッテリーにするわ」
「はい、エリーゼ様。……おい駄犬、運べ。落としたら晩飯抜きだぞ」
巨大な狼男が、貴重な魔石の箱を軽々と担ぎ上げる。
ゲパルトはその光景を呆然と見送った。
自分の全財産よりも価値ある積荷が、ただの電池扱いされている異常さ。
こうして、エリーゼは一銭も払うことなく、物流ルートと莫大な資産を手に入れた。
王家が喉から手が出るほど欲しがっていた魔石は彼女の城を潤し、逆に王宮魔導師団の再建は大幅に遅れることになる。
略奪とは、ただ奪うことではない。
敵の力を削ぎ、自らの力へと変換する、最も効率的な経済活動なのだ。




