毒と恐怖
「もし翌日、私が死ねば――呪いは本物だ。その後は通常通り捜査を続ければいい。だが、もし私が生きていたなら……呪いは虚構にすぎない。以上だ。」
IPDAアリフは身を乗り出した。
「つまり……君は囮になりたいということか?」
レイジは薄く、平然と笑みを浮かべた。
「ええ。なぜなら私は確信している。これは呪いでも霊的現象でもない。『毒と恐怖』を最も効果的な武器として利用しているだけだと。」
「これまで我々は誰がブログを書いたか、誰が手紙を送ったか、誰が何を知っているか……そこばかりを探っていた。だが、呪いが虚偽であると証明できれば、捜査の方向は一変する。」
「毒は何か?」
「どう作用するのか?」
「誰が投与したのか?」
彼は周囲を見渡し、冷静に言い放った。
「それは、加害者にとって大きな不利となる。なぜなら“物語の支配”を失うからだ。」
レイジは会議机に歩み寄り、室内の空気がさらに張り詰めた。
「――私は推測する。この事件には三つの層がある。」
誰も口を開かないまま、彼の言葉を待つ。
「第一層は、恐怖のドクトリン。」
「“シンボクと虐げられた者たちの正義”というブログ、そしてエズラのロッカーに置かれた呪いの手紙……これらは単なる怪談ではなく、潜在意識に恐怖を植え付けるための装置だ。肉体が弱り始めたとき、幻覚や声、追われる感覚が現れる。つまり被害者は、肉体的にも精神的にも同時に蝕まれていた。」
彼は短く間を置き、言葉を沈める。
「第二層は、被害者自身の習慣。」
「エズラは朝、他人のビタミンC飲料を奪い、昼には食堂で他人の料理を取る――これは日常的な行動だ。そこに“第三の物質”が仕込まれていた。つまり彼自身の習慣が、自ら毒を体内に取り込む仕組みになっていたのだ。」
「第三層は、物質の組み合わせ。」
レイジは未開封のビタミンC飲料を机に置いた。
「第一の物質は高濃度のビタミンC――それ自体は無害。
第二の物質は加工肉に含まれる亜硝酸塩。ビタミンCと酸性下で反応すれば、発がん性物質ニトロソアミンを生成する可能性がある。
そして……核心は第三の物質だ。」
室内が水を打ったように静まり返る。
「“Neurotoxic-E”。仮の呼称だが、説明には十分だ。合成された神経毒で、中枢神経を直接狙う。初期症状は知覚の歪み――極度のパニック、幻聴、幻視、被害妄想。免疫機能は急速に崩壊し、やがて死に至る。」
レイジは瓶を静かに下ろし、声を低めた。
「エズラは呪いで死んだのではない。彼の習性を熟知した者が、それを利用した結果だ。」
IPDAアリフは小さく頷いた。
「……なるほど。理屈は通っている。だが問題は一つ――犯人をどう特定するかだ。」
レイジは呼吸を整え、皆を見渡す。
「犯人を炙り出すには――新たな囮が必要です。」
教師たちは顔を見合わせる。
「囮は、この学校でよく知られた人物でなければならない。もしその人物が“呪いの手紙”を受け取ったと宣言すれば、学校全体が信じるでしょう。」
「そして公式に発表するのです。“学校は安全だ、恐れる必要はない”と。これで犯人は再び行動せざるを得なくなる。なぜなら、呪いの物語が崩壊してしまうからだ。」
レイジは言葉を区切り、鋭い目で言った。
「その瞬間を捕らえるのです。」
場の空気が張り詰める中、彼は一歩踏み込み、低い声で続けた。
「本当なら、その囮は私がやるのが一番早い……」
教師陣と遺族が驚愕する。
「だが、私は目立ちたくない。普通の生徒として、学び、帰る日常を守りたい。だからこそ……」
レイジは全員を見据えた。
「学校関係者の誰かに、囮を引き受けてもらう必要があります。」
重苦しい沈黙の後、黒いスーツの男が立ち上がった。
エズラ家の弁護士、ロベルト・フリオだった。
「……おかしいとは思わないか?」
彼はレイジを指さし、冷たい声を投げた。
「入学初日からここまで真剣に子供たちの命を守ろうとするのは、この少年だけだ。教師たちはどうした? 誰が彼と同じ覚悟を持っている?」
怒りと悲しみが交じる言葉に、母親はすすり泣く。
「息子はもう死んだ! なのに、あなた方は会議室に閉じこもって理屈を並べるだけか!」
沈黙が落ちる。教師たちは互いに目を伏せ、答えられない。
そのとき、一人の声が静かに響いた。
「私がやりましょう。」
全員の視線が集まる。
副校長のサティヤが立ち上がっていた。
「……私が囮になります。」
彼は落ち着いた口調で続けた。
「長年この学校に身を置きながら、子供たちを見過ごしてきた責任がある。もし“悪い子供”にだけ呪いが降りかかるのなら、私はその資格があるでしょう。」
「もし呪いが本物なら、私が受ければいい。だが、もし単なる偽装殺人なら――囮として犯人を誘い出す役を担います。」
室内に重苦しい静寂が広がる。
レイジは長く彼を見つめ、一度だけ頷いた。
「……必ず、あなたを犠牲にはしません。」




