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森の湖 《妖精の片思いを成就させる最高のタイミングをぶち壊したのはあたしです》

 その日もシャーリーは、暇を持て余していた。


 両親と二人の兄は王都のタウンハウスで暮らしていて、田舎の領地にはめったに帰ってこない。

 今日はシャーリーの7歳の誕生日だというのに、贈り物どころか手紙さえ届かない。使用人が気を使ってささやかなお祝いをしてくれたが、そもそもシャーリーは家族から顧みられないことを気にしていなかった。何しろ、もの心のついた頃には、領地にひとり置き去りにされていて、家族の顔さえろくに覚えていないのだ。両親たちも、年に数日は領地にやってきたが、シャーリーが食事に同席するのを認めず、家族団らんの中に彼女が迎えられることはなかった。


 なぜシャーリーがそんな風に家族から蔑ろにされているかというと、シャーリーの腕と頬に大きな傷があるからだ。貴族の令嬢として、美を損ねたそれは致命的な欠陥だった。シャーリーが2歳になったばかりの頃、敷地内に入り込んだ野犬が彼女を襲い、嚙みついた。柔らかい幼児の肌は簡単に食い破られ、醜い傷跡を残した。嫁ぎ先をなくしたに等しい娘を、両親はもはや顧みることをしなかった。兄たちも、醜い妹など可愛がるはずもなかった。


 そんなシャーリーだが、領地の皆が優しかったので、変にひねくれた子供にはならなかった。とはいえ、周りの子供たちからは、領主様の子供と言うことで一線を引かれ、親しい友だちはいなかった。子どもたちの本音を言うと、傷跡があまりにひどくて、正視するのが怖かったのだ。


 というわけで、誕生日に招く友だちもおらず、中庭のテーブルで誕生日ケーキをひとりで食べたあと、シャーリーはすることがなくなってしまった。

 椅子の傍らには、大きなゴールデンレトリバーが伏せていて、シャーリーと退屈を分け合っていた。

「暇だね、レト」

「くう」

「退屈だね、レト」

「くう」


 シャーリーが野犬に襲われてから、番犬にと飼われたレトは、常にシャーリーに付き従った。最初、周りから、『犬に襲われたのに、お守に犬を配するのは怖がらせてしまうのでは』と危惧されたが、穏やかで笑ったような顔のレトは、シャーリーにそっと寄り添い、ふさふさの尻尾で彼女を慰めた。シャーリーとレトは、主従というより、もはや親友のようだった。


「散歩にいこっか、レト」

 シャーリーは、レトと森に向かった。


 実はシャーリーには、前から試してみたいことがあった。領主館の書庫にこっそり忍び込んだ時、いちばん奥の書棚の後ろに、薄い絵本が挟まっているのを見つけた。それは古めかしくて、絵本だというのにとても子ども向けとは思えない薄気味悪い色合いをしていた。


 怖いもの見たさで読んでみると、森の中の神秘の湖の話だった。その湖の水につかると、年寄りは若者になり、ケガをしたものはケガがきれいに治るというのだ。


 挿絵の湖は、シャーリーの良く知る森の湖とそっくりだった。湖の周りにはどんぐりを落とす木が立ち並び、木々の奥には年中雪をいただいた山が見えた。湖の真ん中あたりに小島があるのも同じで、シャーリーは、あれこそが絵本の湖なのだと信じた。そしていつか、あの湖につかってケガを治そうと思っていた。


 シャーリーはレトを連れて、意気揚々と森の湖までやってきた。今日から7歳、そろそろ難しいことに挑戦してもいい頃だとシャーリーは思った。


「レト、あたしはこれから大事なミッションをこなすから、見ていてね」

 そう言って、ゆっくりと湖の中に進んだ。


 レトは呆れた。

『何をする気だ。濡れるぞ。待て待て、溺れるだろうが。7歳はそんな大人じゃないぞ』

 そう言いたかった、中途半端なところで止めると、何度もやらかしそうだから、危なくなる直前で救い出そうと思った。


 レトは犬のなりをしているが、実は犬ではない。聖獣というのは言い過ぎだが、森を守る神様の眷属だ。かつて2歳のシャーリーを襲ったのは、余所からこの森に迷い込んだ野犬で、レトの守りをかいくぐって、領主館の庭まで入り込んでしまった。だからシャーリーが襲われたのは、自分のせいだとレトは思っている。それで、森の神様に頼んで、シャーリーの安全を今度こそ付ききりで守ろうとしているのだ。


 シャーリーが膝上まで湖につかったところで、レトはそろそろシャーリーを連れ戻そうと思った。


 その時、湖が急に渦を巻き始め、シャーリーは流れに翻弄された。見る間に胸まで水につかり、渦に呑み込まれそうになった。レトは慌てて湖に飛び込み、シャーリーの体の下に潜り込んだ。


 レトはシャーリーを背中に乗せ、犬かきでしばらく泳ぎ、中央の小島に上がろうと考えた。


 ところが、水は予想外に激しく暴れ、レトとシャーリーは、数十秒間、上下も分からないほどの波に揉まれた。レトは、シャーリーが首にしっかりとしがみついているのを確認し、なんとか体制を立て直して水面から顔を出した。


「無事か?シャーリー」

 思わずレトは言葉を発しながら、振り向いた。


「お?」「え?」


 レトと背中のシャーリーが、お互いの顔をまじまじと見た。


「レト、しゃべった」

「シャーリー、赤ちゃんになってる」

「ちがう、シャーリーは、7さい」

「どう見ても、ちっこいぞ。傷もないが、確かにシャーリーだ」

「キズなくなった。うで、きれい」

「顔にも傷がない」

「みずうみのえほん、ほんとうだった」

「ああ、あれは傷が治るんじゃなくて、傷を負う前まで若返るんだ。だからシャーリーは2歳に戻った。犬に襲われる前のシャーリーだ」


 二人で水に浮かびながら話をしていると、湖畔が騒がしくなった。


 シャーリーは、きょろきょろと周りを見渡した。

「あれ?ここ、いつものもりとちがう」

「ふむ、どこぞに迷い込んだか」

 シャーリーとレトは、水につかったまま、辺りを観察した。


 ざわざわと人の声が近づいてくる。


「アドルフ様!危のうございます。妖精のふりをした魔物かもしれません。近づいてはなりません!」

「じいは心配性だな。あんなに可愛い魔物がいるものか」


「あれ、だれ?」

「分からぬ。ここが、どこかも」


「ようこそ、我が領地へ。君のことはお告げで聞いたよ。僕に会いに来てくれたんでしょう?可愛い妖精さん。こっちにおいで、聖獣様も一緒に」


「あたし、ようせいとちがう。シャーリー」


「妖精さんのお名前はシャーリーちゃんか。よろしくね、僕はアドルフだよ」


 湖畔でニコニコしている10歳くらいの男の子は、妖精に会いに来たアドルフ君というらしい。


「レト、どうしよう、だれかのおじゃまをしたみたい」

「帰りたいが、帰り方が分からんぞ」

 シャーリーとレトがぼそぼそとしゃべっていると、ざばりと水が盛り上がり、背中に透明の羽が生えた華奢な女の子が現れた。シャーリーの半分くらいの大きさだ。


「ちょっと、あなた誰なの?私のふりをしてアドルフ様の気を引こうだなんて、許せない!今日の出会いを綿密に仕組んでアドルフ様と恋に落ちようと思ったのに、あなたのせいで台無しよ。アドルフ様は、あなたのことをお告げのあった妖精だと勘違いしちゃったじゃないの」


 すごい剣幕で怒りながら、彼女はポロポロと泣き始めた。


「ごめんね、ごめんね」

 シャーリーは一生懸命謝った。


「私、アドルフ様に認められたら、妖精から精霊に進化できるって言われたの。こんな森の奥の湖で運命的に出会ったら、誰だって恋に落ちるでしょう?」


「そうかなあ」

「水の中から急に、ざばぁ、って現れたら、まず魔物を疑うよ」


 妖精の女の子は、レトをキッと睨みつけ、

「ちょっと、あなたこそ魔物じゃないの?なんで犬のクセにしゃべるのよ」

「オレは、神様の眷属だ。シャーリーを守るためにいる」

「そうなの?レト。はつみみなんだけど」

「あなたも赤ちゃんのクセによくしゃべるわね」

「シャーリー、あかちゃんじゃない、7さい」

「そんな7歳がいるもんですか」


 シャーリーと犬と羽の生えた小さな生き物が、こそこそと揉めているのを、アドルフと老人は湖畔から眺めていた。


「アドルフ様、やはりあれは妖精などではありません。犬がしゃべるなどありえませんし、人の子が水の中で暮らしているはずもありません。羽の生えた子どももいますが、おおかた悪魔の化けそこないでしょう。お告げなど、ただの夢です。さあ、帰りますよ。旦那様も奥様も、アドルフ様に会えるのを楽しみにしていらっしゃいますからね。そろそろ屋敷に到着なさる頃です」


「そうか、可愛かったのにな。残念だ」

 そう言って、アドルフとその侍従らしき老人とお付きの者たちは去っていった。


「うわああああああん、アドルフ様が、行っちゃったあ」

「かわいそう」

「なによ、あなたのせいでしょう。私の初恋だったのに。もう精霊になれない~~」


 小さな妖精はべそべそと泣き続けた。


「あのな、妖精は、精霊にはなれないぞ」


「嘘よ、私聞いたのもの。初恋が叶った妖精は、精霊になれるって」

「おもしろがって遊ばれたな」


「う、うわあああああん」


 また大粒の涙を流して、妖精は激しく泣き出した。


 シャーリーとレトは、妖精の慰め方も分からず、かといって、どこに行ったらいいのかも分からず途方に暮れた。



 いい加減、妖精の泣き声も収まってきた頃、湖の中から光があふれてきた。

 来た時と同じように水が渦を巻き、レトとシャーリーをぐるぐると巻き込み始めた。


「シャーリー、しっかりつかまってて!」

「うん」


 再び、上下も分からない波に揉まれ、レトとシャーリーは目が回りそうになった。


『そのまま、流れに身を任せなさい。元の湖にあなた方を送り届けます。わたくしの妖精が、迷惑をかけました。謝罪いたします。お詫びに、あなたの姿を、7歳に戻します』


 どこからか、優しく澄んだ声が話しかけてきた。


「まって!またキズのからだになっちゃう!」

 シャーリーが叫んだ拍子に、口の中に水が入ってきてむせこんだ。


『大丈夫よ、傷は治したままにするから、心配しないで。あちらの湖の性質を少し変えておくわね』


 それを聞いて安心したシャーリーは、レトに必死につかまって、流されるままになっていた。


 どれほどたっただろう。いつの間にか水は凪いでいて、シャーリーとレトは、森の湖のほとりにたどり着いていた。


「シャーリー、大丈夫か」

「うん、平気」

「7歳に戻ったな」

「うん、傷もない」

「じゃあ、戻るか。体も冷えただろう?」

「うん、あたし、眠い」

「いいよ、オレの背中で寝てな」

「ありがとう、レト」


 湖から上がるとすぐに、シャーリーはレトの背中で眠ってしまった。


 領主館に戻ると、品の良い老夫妻と執事が、シャーリーとレトを待っていた。


 ずぶ濡れで眠っているシャーリーに驚いて、急いで風呂に入れさせ、髪を乾かした後、ベッドに寝かしつけた。


「あの子、傷が治っていたわ。なら、どうして王都に連れて行かずに、こちらに留め置いているのかしら。我が子が可愛くないのかしら。たとえ傷があったとしても、一人だけ放置して会いにも来ないなんて薄情すぎるわ。ねえ、この子を私たちで引き取りましょうよ。傷が治ったのを知ったら、たいした教育も施さずに、政略結婚を押し付けるに決まっているもの」


「そうだな、儂らも国外に暮らしていたから、シャーリーの現状は知らなんだ。こんな扱いを受けているとはな。明日にでも連れて行こう。事後報告で構わん。どうせ厄介払いができたと喜ぶだけだろう」


 老夫妻は、シャーリーの父チャールズの両親だった。

 

 シャーリーのベッドの脇に控えていたレトは、

「くうん」

と鳴いて、シャーリーの祖父母を見上げた。


「レト、お前も来るか?いつも、シャーリーと一緒にいてくれたんだろう?お前がいないと、シャーリーは寂しがるだろうからな」


「くうん」

 レトは何度も頷いた。


 夜中、レトは館を抜け出し、森へ駆け出した。森の神様に、シャーリーについて国外に行きたいとお願いするためだ。


『いいでしょう。一生、シャーリーを守ると誓ったあなたです。使命を全うしなさい』


 神様の許可も得て、レトは館に戻った。


 翌日、シャーリーは祖父母とレトと一緒に、馬車で旅立つことになった。

 お世話をしてくれた使用人たちに別れを告げると、彼らはシャーリーの傷が治ったことと、大旦那様たちと暮らせることをとても喜んでくれた。


 住み慣れた領地から離れることは少し寂しかったが、これからはたくさん遊んだり勉強したりしましょうね、という祖母の言葉で、シャーリーは胸がいっぱいになった。足元にお座りしているレトの頭を撫でながら、シャーリーは幸せをかみしめた。



 シャーリーは、祖父母の元で、きちんと教育を受け、同じ家格の子たちとの交流も始めた。ダンスもマナーも最初は慣れなかったが、2年もたつ頃には、淑女として恥ずかしくない振る舞いが身についていた。



 その頃になって、シャーリーの両親は、シャーリーが傷跡もない美しい娘に成長していることを知った。


「どういうことだ。あの傷跡は、どんな医者にも完治は無理だと言われたんだぞ。外国にその治療技術があったのか?治療の跡さえない、まっさらな肌だというではないか。人間の技ではない」


「まさか、あなた。あの森の湖では・・・」


 シャーリーの母イザベラは、森の湖の伝説を思い出した。その湖につかれば若返り、傷は跡形もなく消えるという。たしか、義両親がシャーリーを訊ねてきた時、シャーリーは湖に落ちてずぶ濡れだったと聞いた。その時、傷が治っていたとは聞かなかったが、それ以外考えられない。


 シャーリーの両親であるチャールズとイザベラは、自分たちの美貌が自慢だった。息子二人も美しかった。末の娘だけが、美しく生んであげたのに、野犬に噛まれて醜くなったのが許せなかった。だから、我が子とは認めず、ろくに顔も見せなかった。それがイザベラの若い頃以上に美しいと褒めそやされているらしい。


「あなた、私たちも、あの湖につかりましょう。若さを取り戻すのよ」


 チャールズは、最近、イザベラの小さな皺が気になっていたし、自分の腹回りの締まりのなさからも目を反らしていた。だから、湖につかるだけでそれが解消されるのならと、二人で夜半に森に入った。


 月夜に照らされた湖は、神秘的で、これなら魔法がかかっても不思議ではないと思われた。

 ゆっくりと、チャールズとイザベラは湖につかった。頭のてっぺんまで若さを取り戻そうと、体を完全に水に沈めた。


「さあ、どうかしら」

 うきうきと声を上げたイザベラだったが、その声はしゃがれていた。

「ひいっ」

 イザベラが自分の手を見ると、血管が浮いた老婆のような手の甲だった。


「お前は誰だ!」

 チャールズの声も聞き苦しいだみ声だった。


「あなたなの?まるでお義父様じゃない。二十も年をとったみたいだわ」

「イザベラこそ、その姿はどうしたのだ」


 二人は悄然と館に戻ったが、門番に、なかなか領主夫妻だと信じてもらえなかった。執事や使用人たちが呼ばれ、チャールズが大旦那様にそっくりであること、伝説の湖が最近では逆の現象が起きていることから、ここにいるのが湖につかったせいで年をとったチャールズと妻のイザベラであると認められた。


 あの日、シャーリーを7歳に戻すために、湖の女神は、シャーリーのところの湖の効果を、年をとるように変えたのだった。

 地元の人たちは、湖に来ていた動物たちが元気をなくしたり老いていくのに気づいて、決して湖につからないようにとお互いに教え合っていた。しかし、めったに領地に戻らない領主夫妻には、そのことを知らせなかった。シャーリーを放っておいた両親に良い感情を持っていなかったせいもある。


 美貌が自慢だったチャールズとイザベラは、それ以降、社交の場に姿を見せることはなかった。

 成人して後を継いだ息子も、シャーリーを長いこと領地に放置し、家族として扱わなかったことが知られ、あまり良い印象を持たれなかった。家門は緩やかに衰退していった。



 一方、シャーリーは、祖父母の元で年齢相応の様々な経験をして、賢く美しく成長した。

 そして二十歳の時に、領地に湖を持つ子爵家のアドルフと結婚した。レトは、あの時のアドルフだと気づいていたが、シャーリーはその時2歳の姿だったので、アドルフはシャーリーに気付かず、シャーリーも一時的に2歳児の記憶力しかなかったので、あの時の少年の名前も覚えていなかった。

 二人は友人を介して知り合ったが、初対面なのに懐かしい気がすると言い合って、意気投合した。レトだけが初対面ではないことを知っていたが、野暮は言わず黙っていた。


 こうしてシャーリーは、領地にいた頃には想像もできなかった豊かな人生を送った。そのそばには、常にレトがいて、すべての悪意からシャーリーを守る騎士のようだと噂された。




召喚ものではない短編をはじめて書きました。

読んでいただき、ありがとうございました。


サブタイトルが本当に必要だったのか悩むところ

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― 新着の感想 ―
妖精ちゃんの必要性は謎ですが、主人公と長生きなレトが幸せになって良かった。
(;ω;)どちらにしてもその恋は成就しなかったんだろうけど妖精ちゃん可哀想に……
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