涼夕
三題噺もどき―ななひゃくじゅうろく。
窓を開けると、心地のいい風が吹いていた。
少しばかり強くはあるが、その分体感温度は下がっているのだろう。
日が暮れ始めているのもあって、余計に涼しい。
「……」
網戸を開けて、半身ベランダに出ると、まだまだ明るい空があった。
太陽が沈む方の山は、もみじでも広がっているのかと思う程に赤く染まっている。
反対側には白い三日月が浮かんでいるのに、夜と言えるまでになるには時間が掛かりそうだ。しかし案外気づけば真っ暗なんてことになっているから、不思議なものだ。
「……」
それでもまだ、私には眩しいくらいの時間。
冬になればこの時間は真っ暗になっているのに、まだまだ夏真っ盛りだ。むしろこれからが本番なのだろうか……。もうすぐで7月も終わり、8月を迎える。
9月くらいになれば、今は太陽で赤く染まっているあの山も、もみじの赤でいっぱいになるのだろう。今は染められているとしても、自ら染める日が来るのだろう。
その頃には多少涼しくなっていればいいけれど、果たしてどうだろうか。
「……」
今年は早いうちに暑い日が続いて、今も続いて……これからさらに暑くなるのだろうか。考えるだけで恐ろしいな。
その中でもスポーツをしたり、大勢集まってみたりするのだから。よくそんなことができるなぁと感心してしまう。
去年は夜になれば比較的涼しくなっていたのに、今年はあまり涼しいとも言えなくなってきているから、比べ物にならないくらい暑いだろうに。
先日の祭りは会場に行っただけでも暑かった……アイツが居たからぎゅうぎゅう詰めにはされなかったが、そうでなくても暑かったからな。
「……、」
ヒュウ―と、さらに強く風が吹いた。
まだ少し寝ぼけていた頭を起こすには充分な風。
ほんの少しだけ深く呼吸をして、置いてあるサンダルに足を通してベランダに立つ。
「……」
端に寄せたカーテンを、窓で挟まないように気を付けながら閉める。
その隙間からふわりと漂ってきたコーヒーの香りに、腹がきゅうと鳴いた。
起きて早々腹が空くことはあまりないのだけど、珍しいこともあるものだ。
「……」
手に持っていた煙草を口に咥え、その先に火をつける。
ぼ、と一瞬強い赤が視界を支配する。
その赤を忘れるように、日が暮れていく街を見る。
「ふ……」
住宅街を、子供たちが駆けていく。
夏休みを迎えている彼らは、どんな日々を過ごしているのだろう。
一日中遊んだり、勉強をしたり、親に怒られたり、しているのだろうか。
または親戚の家に行ったり、普段は行かないようなところに行ったりしているんだろか。
きっと、どれもこれも、この夏だけの思い出になるのだろう。
「……」
走り抜ける子供たちをよそに、手を繋ないで歩く親子がいた。
小さな子供は、その体が隠れるほどに大きな花束を抱えている。
中身は百合に菊に小さな向日葵のようなもの……今から墓参りにでも行くのだろう。花束がいかにもな組み合わせだ。それに足の向いている先には、あの墓場がある。
「……」
あの子はきっと、墓参りの意味はあまり分かっていないのだろう。
どこか楽しそうに、ただ母と手を繋げることが嬉しいのだと言うように、にこやかに笑っている。歩調も軽いようだし、花束さえなければ、穏やかな散歩にしか見えない。
手をつなぐ母の表情は見えないが。
「……」
この国の夏は。
賑やかなだけでなく。
どこか少し寂しい。
「……、」
先の削れた煙草を、灰皿に押し付ける。
さて、私も腹が減ってきた。
今日の朝食もきっとパンだろう……確かジャムがあったはずだが。
ガチャン―!!
「……」
いつものことだが……。
いつの間に鍵をしたんだか。
「……ジャムがないんだが」
「え……あぁ、昨日で使い切りましたよ」
「そうか……」
「今日買ってきますから、何がいいですか」
「……もも」
「桃なら……作りましょうかね」
お題:もみじ・コーヒー・百合