9.二人でお出かけ
あれから三か月、エレオノーラはヒューバートと順調に交際を続けていた。
近衛騎士という職務上、ヒューバートには決まった休日がなく、事前にわかることはよほどのことがない限りない。
それでもヒューバートは少しの時間ができれば、エレオノーラに会いに来る。外に出かける時間があれば、街中を歩いたり、公園を散策したり。訪問できない日はメッセージカードと小さな花束や菓子が届けられた。
最初の頃、ヒューバートは仕事が忙しいのもあり、あまり交流する時間はないと思っていた。だけども、彼は会えなくてもこまめにメッセージを届けてくれる。
だから会えなくて寂しい、という気持ちはあまりなかった。会えない時に送られてくるメッセージカードはとても嬉しくて、新しく用意した箱の中に仕舞われる。枚数が増えるごとに、彼のエレオノーラへの気持ちが募っていく。
エレオノーラもヒューバートにメッセージを届けた。出かけた後はお礼を、会えない時には気持ちの籠った一文を。そんな二人のやり取りもまた楽しい。毎日がふわふわしていて、ヒューバートと出会えなかった時にはどうやって時間を過ごしていたのか忘れてしまうほど。
今日も届くメッセージを楽しみに、頼まれていた刺繍を終えてしまおうと道具を広げた。
機嫌よく刺繍を刺していると、ノックの音が聞こえる。顔を上げて、入出の許可を出せば、カレンが手紙を持って入ってきた。
「先ほど届きました」
そう言って差し出されたのはヒューバートからの手紙。
ヒューバートは休憩時間にメッセージを書いて送ってくれている。いつもよりも早い時間に、思わず時計を確認してしまう。
「いつもより早いわ」
「何かご用件でもあるのではないでしょうか」
カレンの言葉ももっともで、何だろうと不思議に思いながら手紙を封筒から取り出した。
飾りのない白い便箋に、力強い文字が並ぶ。
さっと文を読んで、エレオノーラは慌てて立ち上がった。エレオノーラの唐突な動きに、カレンが目を丸くする。
「どうしました?」
「今から一緒に出かけないか、ですって。今日の午後、お休みを貰ったようなの」
「まあ、では急いで支度をしないと」
カレンも驚いてすぐさま動き始める。
手紙には街に出るからと簡素なドレスを指定されていた。手持ちのドレスを思い出しながら、どれにしようかと悩む。
「街に行くということは飾りが多いドレスよりもシンプルなデザインがいいわよね?」
「先日、作られた外出用のドレスはどうですか?」
カレンが勧めたのは、作った時に姉のアマンダが質素すぎると渋っていたドレスだ。落ち着いたデザインで形は気に入っている。ただアマンダが普段は選ばない明るい色で注文していた。普段はどちらかというと寒色系のドレスを着ることが多いので、なかなか選ぶことがなかった。
「そうね、まだ一度も袖を通していなかったわね」
カレンが衣裳部屋から真新しいドレスを持ってきた。外出用のドレスはスカートのふくらみが抑えられ、装飾も少ない。色はピンクが少し混ざったような明るいクリーム色だ。思っていたよりも落ち着いていて、可愛らしい。
あれこれとカレンと相談して急いで身なりを整える。
少しうねりのある長い髪を緩くまとめ、お気に入りのリボンをつける。化粧は控えめに、唇に色を少しだけ乗せた。
「ねえ、おかしくない?」
「よくお似合いです」
何度も何度も、鏡を確認する。じっと自分自身を観察しているうちになんだかとても野暮ったく見えてきた。普段着ない色を選んだのがいけなかったのかもしれない。なんだかしっくりしない。
「やっぱり違う色のドレスを……」
「お嬢さま」
ノックの音とともに家令が入ってきた。家令はあれこれ悩んでいるエレオノーラを見て微笑まし気に目を細めた。
「ヒューバート様がお見えです」
「え? もう?」
「はい。下で待っておられます」
家令に呼ばれて慌てて玄関ホールに行けば、彼が所在なさげに立っていた。今日はとても簡素な格好をしていた。白いシャツに黒いズボン、足はブーツ。そして外套を纏っている。どうやら仕事が終わってすぐにこちらに来てくれたようだ。
「お待たせしました」
「いや、俺こそいつも突然ですまない」
彼はじっと目の前に立つエレオノーラの目を見つめたまま、手を取りキスをする。指先に彼の温かい唇が触れた。その熱に思わず頬が熱くなった。普通の挨拶だと言うのに、最近は意識してしまって胸がドキドキする。
「よく似あっている。綺麗だ」
「ありがとう」
「では、出かけようか」
「はい」
エレオノーラは差し出された彼の手に自分のを預けた。
◇◇◇
二人が向かった先は、貴族街にある繁華街だ。王都でも一番治安が良いと言われていて、貴族令嬢が侍女だけで歩いても問題ないほど。
エレオノーラは普段からカレンを連れて買い物をするし、友人やアマンダとも連れだってやってくる。だからそれなりに知っている店も多いのだが、ヒューバートが案内してくれる店はいつも入ったことのないところばかりだ。今日も初めての場所で、エレオノーラは周囲を興味深く眺める。可愛らしい雑貨を扱った店や、食器を取り扱う店などあり、見ているだけでも楽しい。
「エレオノーラ、こっちだ」
雑貨につられて道を逸れたエレオノーラに、ヒューバートは慌てて手を繋いだ。大きな手に包まれて、驚いて顔を上げる。今までも一緒に出かけてきたが、エスコート以外で手を繋いだのは初めてだ。予想外の出来事に、顔が火照る。
エレオノーラの変化に、ヒューバートは目を細めた。どこか嬉しそうな顔に、エレオノーラはどきりとした。
「どうした?」
「ううん。ヒューバート様は無表情だとお義兄さまが言っていたから……とても意外で」
アマンダの夫であるリックは渋い顔をしながら、ヒューバートのことを色々と教えてくれた。
ヒューバートは女嫌いで有名だそうだ。というのも、積極的な女性たちによって、随分と振り回されていて、犯罪まがいのことも多かった。だから幼いころから女性に必要以上近寄らないと。精神的に追い詰められた時期もあって、一時期はセロン侯爵家の別邸で暮らしていたこともあるらしい。
そして何よりも、無表情なことが多い。王子の護衛ということもあって、話せないこともある。もしかしたらエレオノーラはその態度から疎外感を感じて辛く思うかもしれないと。
リックがヒューバートとの婚姻を喜んでいない理由を聞いて、納得してしまった。
ちらりと周囲に目をやれば、ヒューバートに見とれる女性たちがちらほらいる。中には隣に立つエレオノーラを値踏みして、嘲るような顔をする人も。
エレオノーラの容姿は悪くないが、目が覚めるほどの美人でもない。それにとても印象が薄い。そんな彼女にヒューバートは言葉も態度も惜しむことなく、好きだと伝えてくる。
「余計なことを吹き込まれていなければいいが」
「ふふ、悪い話は一つもなかったわ」
「本当かな?」
余りにも不安そうにするので、一つだけ教える。
「時々セロン侯爵家の別邸に預けられていて、一緒に遊んだと聞いたわ。年の離れた弟のようで、可愛いと」
「可愛いは余計だ」
渋い顔をするので、思わず笑ってしまった。
「変な女性に付きまとわれやすいタイプだから、わたしのことを心配してくださっているのよ」
「……否定できないところが辛い」
その言葉に、拡大解釈でもなく本当の事なのだと納得する。そんな他愛もないことを話ながら、目的の店に向かう。
「もう少し先のはずだ」
「そのお店も殿下が教えてくださるの?」
「そう。殿下はお忍びの名人だからな」
ヒューバートは何か嫌なことを思い出したのか、やや表情を歪めた。感情を露にした彼を見て、思わず笑ってしまう。
「ヒューバート様も一緒にお忍びで行くのですか?」
「いや。殿下は大抵俺がいない時に抜け出すな」
そう言いながらもちゃっかりと紹介してもらっているのだから、やはり仲が良いのだろう。ヒューバートに案内されて向かった店は大きなガラス窓を使った洒落た感じの店構えをしていた。少し混んでいるようで店の外に並んでいる人がいる。
「予約をしなかったのはまずかったな。ちょっと待っていて。入れるか、聞いてくる」
「そうね。でも、無理なようなら」
別の場所でも構わない、と言おうとする前に声を掛けた人がいた。
「ヒューバート」
驚いて顔を上げれば、やや長めの癖のある金髪を無造作に一つにまとめた騎士がいる。ヒューバートの美貌も神々しいが、それに負けずとも劣らない美しい騎士にエレオノーラは目を丸くした。
ヒューバートの知り合いなのか、彼の顔を見た途端、凄まじいほど嫌そうな顔をしている。騎士はにやにやと笑うと、エレオノーラに向かって丁寧に挨拶をする。
「初めまして。私はヒューバートの同僚です。私どもの主人が是非一緒に食事を、と」
低めの声であったが、明らかに女性。
エレオノーラは自分が性別を勘違いしたことに驚き瞬いた。その反応を面白そうに彼女は見る。いつの間にか距離を詰められて、両手を握られていた。エレオノーラの視線を捕らえたまま、笑みを浮かべる。その勢いに押されて、エレオノーラは固まった。
「すごく新鮮な反応だ。あなたのことをもっとよく知りたい。どうだろうか。今度、一緒にお茶でも」
「ローサ先輩、そこまでです。彼女にちょっかい出さないでください」
「いいじゃないか。間違いが起こるわけでもあるまいし。私のことを初対面で女性と見抜いた人間は貴重なんだ」
ヒューバートがイライラとした声を出したが、ローサはどこ吹く風。
目を白黒させて、エレオノーラはどうでもいいことを正直に告げた。
「いえ、初めは男性かと思いました」
「それよりも。ローサ先輩は仕事中ではありませんか」
「そうだった。ヒューバートのことだから、きっと予約なんて気の利いたことをしていないだろうと主がおっしゃってね。個室を押さえておいた」
断る選択肢はないのだな、と心で思いつつ、ローサに案内されるまま店へ向かった。