8.夜会での出会い
無言で馬車に乗り込み、夜会会場へ向かう。シルビアと話すつもりはないため、窓の外に目を向けていた。外の景色は薄暗い街灯の光に照らされ、静寂が漂っていた。シルビアはその静けさを破るように、何度も話しかけてくる。
「ねえ、どうして黙っているの? 少し話しましょうよ」
シルビアの声は少し高めで、期待に満ちた響きを持っていた。ヒューバートはその問いかけを無視していたが、シルビアは構わず一人話し続ける。次第にシルビアの声が耳障りに感じられるようになってきた。
ため息をつき、思わず向かいの席に座るシルビアへ目をやる。彼女の顔は、期待と不安が交錯した表情を浮かべていた。
「シルビア、このままエスコートされたいのなら、黙っていろ」
「どうしてよ。話すぐらい、いいじゃない」
「気軽に会話して、勝手に話を捏造されても困る」
過去のことを当てこするように言えば、流石にシルビアも口をつぐんだ。
シルビアを夜会会場に連れて行ったあとは、適当に時間を潰すために庭へ出た。庭は恋人たちの楽園になっており、色々なところから睦言や甘い吐息が聞こえてくる。夜会が始まって間もないのにうんざりした。こんなところで盛り上がるよりは、用意されている休憩室へ籠ってほしいものだ。
行く当てもなく暗い庭を彷徨っていれば、前方にこの場からかなり浮いた雰囲気の令嬢がいた。何やら考え事をしているようで、恐らく気がつかないうちに庭の方へやってきたのだろう。
迂闊だな、と思いつつ彼女の行動を何気なく見つめていた。そのうち、木々に隠れている男女の声を聞いたのか、足が止まった。狼狽えながら、引き返そうとして音が鳴る。
何かを考えたわけではない。ただ慣れない夜会の庭で嫌な思いをするのは可哀そうだと思った。だから咄嗟に抱きしめた。急に抱きしめられて恐慌に陥った彼女はヒューバートから体を離そうとする。その仕草が不思議と可愛らしく思えて、そっと耳元で大丈夫だと囁いた。
彼女は大きく息を吸いながらも落ち着こうと頑張っていた。じっと見降ろした彼女のうなじが嫌に白くて暗い夜でも弱い月の光を反射して浮かび上がっていた。少し視線をずらせば彼女の顔がわかる。派手な美しさではないが、とても整っていて清楚な雰囲気があった。ヒューバートの周囲にはいないタイプの女性だ。
子供をあやすように優しく彼女を抱きしめていれば、次第に彼女の体温を感じるようになってきた。その熱を嫌だと思わなかった。その場限りの割り切った付き合いはしたことがあっても、恋人を作ったことのないヒューバートにしたら珍しい反応だ。そのうなじに唇を寄せたらどんな反応をするだろうか、と変な想像をする。恥ずかしさで真っ赤に染まったところを見てみたいと心で思いつつ、紳士的な態度に見えるように気を付けた。
そうしている間にも彼女が覗いてしまった恋人たちが姿を現す。顔を上げてそちらを向けば、げんなりした。一番会ってはいけない人だった。本当に運がない。
「ははは、邪魔をしたのはこちらの方か」
「ああ、閣下でしたか」
すました顔で対応したが、王弟であるマシューのニヤニヤに腹が立って仕方がない。ということは、今日の相手は愛人である高級娼婦だ。二人は愛人関係で、マシューは彼女に館までも下賜している。こんな外で盛る必要もないだろうが、と内心罵る。そんなヒューバートの心の声が分かったのか、彼が低く笑った。
彼の気の済むまで付き合うしかないと諦めながらも、不躾な視線から彼女を隠す。マシューはヒューバートのその仕草に驚きつつ、揶揄う気満々の笑みを浮かべた。
それに愛人までも乗っかってきた。ヒューバートとは顔を合わせたこともあるのだが、初対面のふりをしてくる。舌打ちをしないように気を付けながら会話して、ようやく解放された。
彼らが見えなくなってから、大きく息を吐く。知らないうちにきつく抱きしめていた彼女を少しだけ離した。温もりが離れて行くことを惜しみながら、顔を上げないようにと告げた。
「でも……」
きちんと躾された令嬢なのだろう。こんな場所で逢引きのような出会いは考えていなかったに違いない。ヒューバートの指示通りにうつむいたままの彼女を見下ろし、すぐに会場に戻るようにとだけ告げた。
先に夜会会場へ入り、給仕から酒を受け取ると一気に仰いだ。
何故、彼女が気になったのか。
ヒューバートはその容姿から女性に迫られることが多く、さらには罠にかけた女のことがあって以来、なるべく知らない貴族女性とは接触しないようにしていた。未婚の貴族令嬢からは結婚相手として優良だとみられているのを自覚しており、同じ罠にかからないように細心の注意を払っていた。徹底して女性を寄せ付けなかったことで、今では女嫌いだとまで言われている始末。それでも、身勝手な令嬢達に纏わりつかれるよりはいい。結婚も全く考えていないのに、彼女が気になって仕方ない。
自分の気持ちを持て余しながら、庭に接した窓を見ていれば、彼女が保護者らしい男女に付き添われて入ってきた。
「まいったな」
一緒にいる男性を見て、大きく息を吐いた。母方の従兄のリックだ。文官と騎士と進んだ道が違うため、今は付き合いが薄い。だが、幼い頃は弟のように可愛がってもらっていた。
明るいところで、先ほど助けた彼女をじっと観察した。
茶金色の髪に青を基調としたドレス。
低くなく高くない身長。華やかな顔立ちではないが、整った顔にとても優しい目をしていた。
そんな彼女を連れて、彼女の姉が男と引き合わせる。彼女の困惑ぶりを見ていればきっと無理に連れてこられたようだった。だが、それも初めのうちだけで、話しているうちに彼女から緊張が取れてきている。
彼女が他の男に微笑むのを見ていられなくて目を逸らした。
◇◇◇
「なんだかいつもと感じが違う」
仕事をきりのいいところまでやり終えたオーランドが顔を上げた。護衛として執務室にいるヒューバートは凝視されて、首を捻る。
「そうですか?」
「無自覚か」
「無自覚と言われても」
何を言われているのかさっぱりわからず困っていると、オーランドがにやりと笑う。
「叔父上から聞いたんだが、意中の女性がいるんだって?」
「……それは」
舌打ちしたくなる気持ちを抑え込み、言葉を濁す。どうやらオーランドは夜会での出来事をマシューから聞いたようだ。
「清楚で控えめな女性だったと言っていた。派手で自己顕示欲の強い令嬢は嫌いなのは知っていたけど、探せばいるものなんだな」
オーランドはあれこれとマシューから聞いた話を披露するが、ヒューバートは無言を貫いた。下手なことを言ってしまえば、そこから話が大きくなることは間違いない。とはいえ、マシューに色々と誤解させていることを考えると、ここで家名を知っていても名前は知らないとも言えなかった。
「へえ。随分と守るんだね。まあ、言いたくないなら別にいいさ。気になる女性がいることが重要なんだ」
「……」
だんまりを貫いていれば、オーランドは話題を変えた。一枚の書類を取り出すとそれをヒューバートに渡す。反射的に受け取り、書類に目を落とした。
「叔父上がこの孤児院へ視察に行って来いと言っていた。大叔母が院長をやっている孤児院だ。私は一度も視察したことがない」
渡された書類には孤児院の名前と関係する貴族の家名が記されていた。その家名が彼女の家の名だとわかると思わず口元が引きつる。どうやらマシューには彼女が誰であったか、バレているようだ。しかもわざわざ視察など……! 下手をしたらオーランドにもバレてしまう可能性がある。
「知っているのか?」
訝し気に問われて舌打ちしたい気持ちだった。内心を気付かれないように、意識して平坦に答える。
「コルトー子爵家は従兄が婿入りした家です」
「どの従兄だ?」
「セロン侯爵家三男のリックです」
「ああ。宰相補佐官か」
何とか納得してくれたようでほっとしながら、さり気なく話題を変えた。
何も行動しないと決めていながら、もしかしたらもう一度会えるかもしれないと思うとその日がひどく待ち遠しかった。