33.穏やかな日常
夜会が終わった後、ヒューバートは本当に三カ月、休暇を取った。
もうすでに二人は結婚しているので、新生活を二人きりで過ごした。婚約してからの会えない状態から、一日中一緒に過ごす。
初めはどうなることかと思っていたが、二人で過ごす時間はとても楽しくて、あっという間に過ぎて行ってしまった。親族と親しい友人たちを呼んだお披露目もつつがなく終わり、ヒューバートは職場に復帰した。
仕事に行く前、ものすごく嫌がっていて大変であったが。
毎日、仕事に行く彼を見送り、彼の帰りを待つ。
生活も随分と落ち着いていった。
エレオノーラもそろそろ小さなことでもいいから、自分の自信につながることを始めようと探し始めた。家で待っているだけの妻でいても、ヒューバートは許してくれるだろう。でもそれではいつまでも寄りかかったままになっているような気がしていた。それに、あまりにも自立心のない妻だと、もしかしたらまた変な女性が湧いてくるかもしれない。
そんなエレオノーラの意気込みとは異なり、結婚のお披露目をした後、ヒューバートに秋波を送る女性はぱたりといなくなった。その差に驚いてしまったが、ない方がいいので特に文句はない。ただただ、不思議だ。
そんなことをたまたま家に立ち寄ったローサに話した。
ローサは二人の新居に時折やってくる。そしてお茶をしながら、仕事や上司の愚痴をこぼしていくのだ。
ヒューバートがいる時間に来ることもあるが、いない時に来ることも多い。ローサは王族女性の警護につくことが多いためか、話題が豊富で聞いていて面白かった。エレオノーラにとっても、貴重な友人だ。
ローサは面白そうに笑う。
「あれだけ人前でイチャイチャされたら、わざわざ割って入ろうとは思わないだろうよ」
「イチャイチャ、ですか?」
特別イチャイチャしているつもりはない。三人の姉たちも、夫婦仲が非常にいい。
だから仲良く過ごすのはとても普通。独身時代と変わったところは、夜会があれば短時間であっても参加することだろうか。
結婚前、エレオノーラも、ヒューバートも最小限の参加しかしていなかった。結婚後も変わらないと思っていたのだが、騎士団の繋がりの夜会が意外と多かった。長い時間参加することは少ないが、主催者に挨拶し、ダンスを一曲踊って帰る。これを繰り返していた。これは他の騎士たち夫婦も同じ。好きな人は最後まで参加しているし、好ましく思っていない人たちは繋がりを持つために、少しだけ参加する。人それぞれで許された。
ヒューバートは氷の騎士と言われていたのに、エレオノーラと一緒にいるとその表情は緩みっぱなしだ。見つめる視線は熱いし、いつもどこか触っている。人の目がないと思っているのか、わざと見せつけているのかわからないが、時折、頬や耳にキスをした。
初めのうちは恥ずかしくて、顔も上げられないほどだったがそれも次第に慣れてしまった。軽くキスをされたら、エレオノーラもキスを返すようになった。
「そんなにいちゃついてはいないと思います。キスだってちょっと触れるぐらいだから」
「すっかり慣らされてしまって……」
エレオノーラが首を傾げれば、ローサがため息を付いた。
「また来ていたんですか」
「おかえりなさい」
まだ夕方前であるが、ヒューバートが帰ってきた。慌てて立ち上がろうとするが、ヒューバートが座っているようにと告げる。
「エレオノーラと話すのが楽しくてね。私と対等に話せる相手なんてそんなにいないんだ」
「シェリー殿がいるでしょう」
「シェリーと一緒にいると噂がひどくて、マシュー殿下が嫉妬する。だからあまり会えないんだ」
ローサはそう言って肩をすくめる。エレオノーラの隣に腰を下ろしたヒューバートが嫌そうな顔をした。
「エレオノーラとの外出は許可しませんよ」
「ちょっとぐらい、いいじゃないか。女同士で軽食を食べに行くのが夢なんだ」
ローサはにやにやしながら、ヒューバートに言う。彼は途端に機嫌が悪くなった。二人のやり取りを困ったように見ていた。
「……そういえば」
ローサがふと思い出したように話題を変える。
「コンスタンス王女は修道院へ、バイオレット嬢はどこぞの貴族の後妻に入ったようだ」
久しぶりにその名を聞いて、ローサを見た。ローサはいつもと変わらない噂話をしているような穏やかな表情だ。彼女の顔から何も読み取ることはできなかった。
「そうですか」
「バイオレット嬢が手紙を」
手紙、と聞いてヒューバートが怒りをあらわにする。
「ローサ先輩!」
「もちろん手紙の内容はこちらで確認している」
そう言いながら、ローサは内ポケットから手紙を出してエレオノーラに差し出した。
封が切られた、何の変哲もない封筒。
表に宛名も書いていない。
「わたしに、ですか?」
「受け取っても受け取らなくても、どちらでもいい。ただ単に彼女が自分のために書いたものだ」
自分のため。
恐らくそうなのだろうとは思う。直接会話を交わす機会はなかったが、彼女の存在にはモヤモヤしている。エレオノーラも色々な感情を知ることになり、自分自身も見つめなおすことになったきっかけでもある。
エレオノーラが手紙を受け取らないので、ローサはテーブルの上に置いた。
「気が向いたらでいい。読む必要がなければ、そのまま捨ててほしい」
ローサはそれだけ言うと、カップに残ったお茶を飲み干した。
「では、今日は帰るよ」
「お見送りします」
ローサはカレンだけでいいよ、と言って出て行った。残されたのはやや機嫌の悪いヒューバートとエレオノーラの二人だ。隣に座るヒューバートへ顔を向けた。
「手紙、読みました?」
「ああ」
「読んでほしくないの?」
そう尋ねてみれば、ヒューバートはしばらく考え込んでから、大きく息を吐いた。
「どちらでもいい。罵詈雑言が書かれているわけでも、恨みつらみが書かれているわけでもない」
「だったら読んでもいいのでは?」
何を心配しているのかわからない。エレオノーラは不思議そうに隣に座る夫を見た。
「……そうだが」
「それほど嫌ならば、後で一人の時に読みます」
「それもまた」
どうもはっきりしない。ため息を吐くと、立ち上がった。
「少し庭を散策しましょう?」
「手紙はどうする?」
「あとで考えます」
ヒューバートの腕を引っ張り、立たせると二人で庭に向かって歩き始めた。日は傾き始めているが外の空気は温かく、散策するには丁度いい。
ヒューバートが手を差し出してきたので、その手を取る。
正直手紙はどうでもよかった。彼女がどうなったかもあまり興味はない。幸せになったのならそれでいいとは思うが、その程度だ。これからも関わらないでいてくれるなら、それでいい。
彼の隣をゆったりと歩いていたが、足をとめた。
「ヒューバート様」
「なんだ?」
「わたし、幸せです。ですから、どんな言葉が書いてあっても大丈夫だと思います」
ヒューバートがじっとエレオノーラを見つめた。その目を静かに見返せば、彼は大きく息を吐いた。
「そうだな。気が向いたら目を通してくれ」
「わかりました」
にこりと笑えば、彼も笑った。少しだけ体を屈め、唇を合わせた。温かな口づけはすぐに解かれた。
「愛している。何があっても、それだけは疑わないで欲しい」
「ええ。わたしも愛しています」
エレオノーラがそっと気持ちを返せば、ヒューバートは強く抱き込み、深く口づけをした。エレオノーラも力の入らない体を彼に預け、夢中で彼の口づけに応えた。
これからも大変なことがあるかもしれない、ないかもしれない。
でも二人で歩いていけるのなら、大丈夫だと、エレオノーラは感じた。
Fin.