28.思わぬ警告
単調な日々を過ごしていたある日、祖国の外交官が面会を求めてやってきた。
コンスタンスの滞在している離宮には、バイオレットの他、護衛が数人いる。会議室とかなり場所が離れているということもあり、コンスタンスと一緒にやってきた外交官たちはこの離宮には滞在していない。堅苦しいクーパー伯爵は苦手で、よほどのことがない限り声をかけることはない。なので、この滞在中、数度しか顔を合わせていなかった。
何の用だろう、と不思議に思いながらクーパー伯爵を待たせている部屋に入っていった。部屋に入れば、クーパー伯爵は立ち上がり、頭を下げる。
「クーパー伯爵、元気そうね。今日は何の用かしら?」
外交官の代表であるクーパー伯爵はコンスタンスの疑問に頷いた。
「そろそろ買い物を控えて頂きたく、お願いにまいりました」
予想外の内容に、コンスタンスはすぐに呑み込めなかった。教育が進んでいないので、もっと努力するようにと小言を言われるのかと思っていたのだ。
「何故?」
「最小限の荷物でしたので、ある程度は許容しておりましたが、つい先日、予算を使い切りました。なので、今後何か購入する場合は誰でもいいです、外交官へ申請してください。そして必要であれば、購入いたします」
「外交官に申請? どうしてそうなるの? 満足に物を揃えられないなんて、恥ずかしいじゃない」
買い物が制限されることに驚く。
「仕方がありません。この国の物価は祖国よりも高いのです。祖国にいた時のように使われたら、すぐに予算を超えます」
「予算なんて聞いていない。ねえ、本当にオーランド殿下が買い物を控えろと言っているの?」
コンスタンスの勘違いに気が付いたクーパー伯爵は苦笑した。
「オーランド殿下は関係ありません」
「だったらいいじゃない。オーランド殿下が止めるまで放っておけば」
それほどお金を使っている意識のないコンスタンスはそれで話を終わりにしようとした。だが、クーパー伯爵は違う。コンスタンスの勘違いに気が付いて、苦々しい顔になる。
「コンスタンス殿下は勘違いしておられますが、オーランド殿下が負担したのは、最初の一枚目のドレスだけです。その後、バックリー男爵が宝石、それ以降は我が国が負担しております」
「どういうこと?」
「コンスタンス殿下は確かに婚約者でありますが、こちらの王族ではありません。生活にかかる費用はオーランド殿下が負担していますが、王女殿下の支度は含まれていません」
コンスタンスはすぐに何を言われているのか、理解できなかった。唖然として、目の前にいるクーパー伯爵を見つめる。
「笑えない冗談はよして」
「冗談ではありませんよ。婚約の誓約書を読みませんでしたか?」
婚約の誓約書と言われて、口をつぐんだ。婚約できたことに舞い上がっていて、ほとんど目を通すことなくサインしたのだ。流石に読んでいないとは言えず、コンスタンスは歯切れ悪く答える。
「あんな、細かいこと、全部覚えていないわよ。それにお父さまも見ていたわ。ちゃんと精査されているでしょう?」
「もちろんです。でもコンスタンス殿下にとっても重要なことが沢山書いてあったのです」
「そんな……」
誓約書の話が出てくるのなら、コンスタンスの買い物はすべて祖国が支払っていたのだろう。
想像すらしていなかった現実に愕然として、言葉が出ない。そんなコンスタンスにクーパー伯爵は追い打ちをかけた。
「ああ、オーランド殿下におねだりはしないでくださいね。昨日、釘を刺されましたよ。散財する妃はいらないと」
コンスタンスは先回りされ、文句を呑み込んだ。そして、頭の中で忙しく考える。
オーランドは無理でも、まだバックリー男爵がいる。彼にこれからは強請ってみようと心に決めた。だがすぐに、それもクーパー伯爵によって止められる。
「バックリー男爵もダメです。彼をいいように使っているようですが、それも控えて頂きたい」
「いいように使ってなんか」
「そうでしょうか? ありもしない噂を立てて、何やら画策をしている様子ですが」
噂と言われて、コンスタンスはまあ、と目を細めて笑った。
「噂は噂。わたくしは関係ないわ」
「笑い事じゃありません。このままオーランド殿下に嫁ぎたいのであれば、余計なことはしないでください」
「しつこいわね。関係ないと言っているでしょう!」
コンスタンスはむっとして声を荒げた。
「本当ですか? まあ、そう言い張るのであればそれでいいです。ただし、噂が変質しているので気を付けてください」
「変質ってどういうことよ?」
「妄想が独り歩きしたような内容なので、コンスタンス殿下が連れて来た侍女の痛い勘違いした話として広まりつつありますよ。これ以上広がれば、その主である殿下の管理能力が疑われます」
コンスタンスは驚いたように目を見開いた。一緒に聞いていたバイオレットも顔色を悪くする。
「妄想だなんて、そんなわけ」
「妄想ですよ。オーランド殿下の護衛騎士殿は仕事でずっと城に詰めています。これは城に勤めている人間なら誰でも知っている情報です。そんな中、アルメスト嬢と二人で仲睦まじく城下に出かけているなんて、あり得ない」
コンスタンスの言葉に被せるようにして、クーパー伯爵は強く言った。流石のコンスタンスもこれに焦った。
「でも、ちょっとした時間ぐらいあるでしょう? その時にきっとバイオレットと」
「ちゃんと聞いていましたか? 噂の護衛騎士殿は一人になる時間など、ないのですよ。きっと陥れられないように自衛しているのでしょう。しかも殿下の耳に入らないようにしている。下手をすれば、外交問題にまで発展します」
クーパー伯爵はきつい言葉を告げ、じろりとコンスタンスを睨んだ。
警戒されたのは、きっとオーランドにヒューバートとの外出をおねだりしたからだ。コンスタンスはそんなことになっているなんて気が付いていなかった。そもそもコンスタンスの情報源は少ない。城の様子など、ほとんど手に入らない。
反論ができずにコンスタンスはようやく口を閉ざした。
「それから、もう一つ」
「何よ」
「王太子夫妻が主催する夜会が催されます」
「まあ! ドレスを新調しないと!」
夜会と聞いて、コンスタンスは目に喜色を浮かべた。そんな彼女に、クーパー伯爵は厳しい眼差しを向けた。
「きちんと最後まで話を聞いてください。コンスタンス殿下の教育が終わっておらず、王妃陛下とのお茶会もまだだと伺っています。今の状態では、婚約者としてエスコートできないそうです。一人で参加させるのも人の目があるだろうから、今回の夜会は遠慮してほしいとのことでした」
「何ですって!」
信じられない気持ちでクーパー伯爵を見つめる。彼はため息をついた。
「そもそも国の違いによる細かな差を直すだけだったはずです。何故二か月も経っているのに、教育が終わっていないんですか」
まさか、語学力と歴史が弱すぎて、とは言えなかった。コンスタンスは祖国にいた時、ごく初歩的な内容だけを学んできた。初歩の範囲であれば、優秀には間違いない。
だが、蓋を開けてみれば、流暢に会話ができることを求められ、歴史も友好国の歴史を話題にされても受け答えできるほど身につけなければならなかった。初歩しか学んでいなかったため、覚える量は膨大だ。勉強が特に好きではないコンスタンスがすぐに覚えられるものではない。
「だって」
「夜会の件は決定事項なので、言い訳は結構。私が怒るべきことではありませんから。正直、本気で嫁ぎたいのか疑問はありますが」
クーパー伯爵は用件はこれだけだと告げ、立ち上がった。
「ちょっと待ってちょうだい!」
慌てて彼を引き留める。聞いてしまったからには夜会には絶対に参加したい。そんな気持ちだけで、彼を引き留めていた。クーパー伯爵は不愉快な気持ちを隠すことなく、しかめ面をしている。
「何でしょうか?」
「この国のことをもっと知りたいから、夜会に参加したいわ。オーランド殿下にうまく取りなしてくれないかしら?」
「無理ですね。コンスタンス殿下の存在はまだ公にできないのですよ」
「だったらエスコートは無理でも我慢するから。毎日勉強勉強で、息が詰まるの。少し気晴らしがしたいのよ」
一人で参加するのは屈辱だが、大国の夜会は興味があった。こっそりとでもいいから覗きたい。
クーパー伯爵はため息をついた。彼はコンスタンスがいかに華やかな場が好きなのかを知っていた。拒絶して、暴走されても困る。ここは他国で、自国ではない。何かやらかせば、洒落にならないほどの外交問題になる。
「わかりました。お話だけはさせてもらいます。ですが、期待しないでください」
「わかったわ」
コンスタンスは神妙に頷いた。
◇◇◇
後日。
オーランドのエスコートはなし、目立った行動はしない、ドレスは新調しない、指定した護衛騎士と常に一緒にいる、などいくつかの条件を付けられて許可が下りた。