27.夜会の準備
シェリーが挨拶に来た翌日、彼女は大量の荷物と共にエレオノーラを訪ねた。
「ごきげんよう」
彼女は挨拶もそこそこに馬車から次々と荷物を運び出させ、応接室はドレスの箱でいっぱいになる。持ち込まれたドレスの量にエレオノーラはただただ驚いた。
「ちょっとスペースを取ってもらえるかしら?」
シェリーは連れてきた使用人に指示して、応接室をすっかりドレスルームにしてしまう。エレオノーラが呆気にとられているうちに、整えられ、シェリーの使用人たちは屋敷を去っていく。
「シェリー様、これは一体」
「エレオノーラに似合いそうなドレスを見繕ってみたの」
「それにしては量が……」
ずらりと並んだドレスはすべて異なるデザイン。もちろんドレスだけでなく、ネックレスやイヤリングなどの宝飾品も数多くそろえられている。
エレオノーラは子爵家の娘として身分に合った物を両親に誂えてもらっており、質のよいものも見慣れていた。そんな彼女が見ても持ち込まれたドレスはデザインも布も格別で、普段それほど興味を持っていないエレオノーラでも心が沸き立つ。
「量が多くなったのは、あの面倒な男が口を出すからよ」
「えっと、それはヒューバート様でしょうか?」
「そうよ。どのドレスもあの男が最終的に選んだものよ。センスは良いことは間違いないわ」
ヒューバートが選んだと聞いて、エレオノーラは嬉しさに頬を染めた。
「わたしとしては、エレオノーラはまだ若いんですもの、華やかなドレスがいいと思うの」
そう言って、シェリーは吊るされたドレスを手に取り、色を確認するようにエレオノーラに当てる。今までに手に取ったことのない、目の覚めるような赤いドレスだ。ドレスの生地はとても軽やかで、重苦しさはない。不思議と似合うような気がするが、この色を纏う勇気はなかった。
「少し、華やかすぎます」
「そう?」
シェリーは軽く頷くと、別のドレスを手に取った。シェリーはかわるがわるドレスをエレオノーラに当て、そのたびに好き嫌いを確認していく。その中で、気になったのが三枚のドレスだ。
裾に向かうほど青の色が濃くなるドレス、薄いグレーとピンクを組み合わせたドレス、重厚な色を使ったドレス。
エレオノーラの持っているドレスよりも斬新なデザインだ。
どのドレスもデザインは違うが色合いは同じ。濃い色と淡い色の薄絹を合わせており、布を重ねることで、色が少しだけ透けて元の色と違った色を見せている。ドレスの動きに合わせてその濃淡の浮き上がりが変わるのだ。その色の変化がとても不思議だ。
「面白いでしょう? 素材の違う布を重ねてると、光と影の具合で色が変わって見えるのよ」
「これほど薄い布、初めて見ました」
「国外から取り寄せたものだから、珍しい布なの。でも、これからは増えていくと思うわ」
「確かに、人気が出そうですね」
「人ごとのように言わないの。貴女が広告塔になるのよ」
広告塔、と聞いてエレオノーラは呆気にとられて、シェリーを見た。彼女は悪戯が成功したように、にっこりと笑う。
「贔屓にしている商人がいてね。彼がこの使い方を考えたのよ。ドレスにするのはこれが初めてよ」
思わぬ情報に顔が引きつる。エレオノーラは自覚があるように、あまり目立つことは好きではない。大人しめの彼女が新しいものを身に着けるなど、精神的に難しい。そんな彼女の気持ちなどお構いなしに、シェリーはカレンにまだ空いていない箱を開けるように指示する。
「こういうドレスが好みなら……カレン、その箱からドレスを出してちょうだい」
「まあ!」
箱を開けたカレンが感嘆の声を上げる。シェリーは思わず上がった声を咎めず、満面の笑みを浮かべる。
「とても素敵でしょう?」
カレンが慎重な手つきで取り出したドレスを見て、目を見張った。
一枚の淡い青色のドレスの上にもう一枚濃い目の藍色のスカートが巻き付いているのだ。左わきから中の柔らかなドレスが見えるように斜めにカットされ美しくドレープが作られていた。二色の濃淡がとても目を引く。
「今はどこに行ってもフリルたっぷりのドレスが主流だし、重めの刺繍も人気よね。どんなに凝った作りをしていても特別の日に皆と同じようなものを着たら印象に残らないけど、こうした新しいものなら印象に残るわ」
印象に残る、と言われて動揺した。
「わたしは貴族籍から抜けてしまうので、よほどのことがない限り夜会には参加しません。ですから印象に残らなくても……」
「印象に残らないと、変な勘違いする女が沢山出てくるのよ。思いっきり印象付けて、ヒューバート様といちゃついてみなさいな。割り込めると勘違いする女がぐっと減るわ」
驚きの解釈に言葉が出ない。
「最初が肝心よ? 初めに舐められたら、何度も同じことを繰り返すのだから」
ヒヤリとした物言いに思わずたじろいだ。シェリーはいつでも柔らかく、楽しげだったのだ。だが、目の前にいる彼女は笑みを浮かべているにもかかわらず、どこか冷たく遠い。
「シェリー様?」
「控えめに生きることもいいでしょう。だけど一歩引いたことによって、一生が変わってしまうこともあるわ」
エレオノーラはこの時初めて彼女がどんな過去を持っているのか、知らないことに気がついた。
王弟の寵愛を一身に受ける、娼婦上がりの愛人。
それが彼女を表す言葉だった。だけど彼女の立ち振る舞いや気品、それらがただの娼婦ではないことを示している。高級娼婦になるためには高い教養が必要なのだ。その教養を身につけるにはかなりの時間とお金、そして素質と努力が必要になる。それを楽々とこなして行くのだから、生まれが自ずと知れた。
貴族令嬢が娼婦になるということ、悲しい出来事しか思い浮かばない。
「シェリー様は……貴族だったのですか?」
シェリーはエレオノーラの問いには答えなかった。答えは貰えなかったが、シェリーの満足そうな笑みを見て、正しいことを知る。
「一つだけ教えてあげる。わたくしも家族にとても愛されて、とても甘やかされた末娘だったの。貴女よりももう少し若い頃ね。本当に何も知らなかったわ」
だからこそ、貴女を見ていられない。
そんな言葉が続きそうだった。だけどシェリーはそれ以上言わず、気を取り直すかのように明るい声を出した。
「このドレスを作っている商会はわたくしのご用達なの。一目でわかるから、貴女の後ろに誰がいるのかもわかるのよ」
「そこまでしてもらっていいのでしょうか?」
「いいのよ。大体、王族がしっかりしていれば、あなたがこんな苦労をしなくてもよかったのだから。きっちり補填してもらわないと」
よくわからなくて、目を瞬いた。
「ヒューバート様に関しては、王族の方も関係ないのでは?」
「……確かにそうね。彼の美貌のせいだったわ」
シェリーが気持ちを落ち着かせるためなのか、大きく息を吐いた。
「カレン、これをエレオノーラに着せてあげて」
「わかりました」
カレンはエレオノーラに近寄ると、手早く着ているドレスを脱がす。
「あら?」
下着一枚になったところで、シェリーがとても面白そうに目を輝かせた。揶揄うような眼差しに意味が分からず、首をかしげる。
「どうかしましたか?」
「その宝石」
シェリーが自分の胸元に手を当てる。エレオノーラは不思議に思って自分の胸元に同じように手を当てた。そこにはヒューバートから贈られたネックレスがある。
小指の爪ほどの大きさの緑の宝石に、花を模った薄青の宝石が守るように添えられている。
普段使いに、と言われて、エレオノーラは贈られてからずっと身につけていた。
「嫌だわ。普段あんなにも無表情なのに。独占欲が強いのかしら。いい年した男が初恋をこじらせると大変ね」
「え?」
独占欲とは思っていなかったため、目を丸くした。
「その緑の宝石も薄青の宝石も、二人の目の色でしょう? 随分とよく似た色の石を探してきたものだわ。しかも、緑の宝石を守るように囲っているなんて。二人を知っている人が見れば、ああそうなのね、とわかるわよ」
そう言われて、コルトー子爵夫人とアマンダの生ぬるい笑みを思い出した。何故そんな顔をするのかわからなかったが、きっとこの宝石を見たからだろう。
「は、恥ずかしい」
「いいじゃない。新婚なのだから。でもこれなら心配はいらなそうね」
心配と言われて、瞬いた。何か心配なことがあっただろうか。
「夜会で愛情たっぷりな対応を期待できるわ」
「……ヒューバート様、公の場では無表情のままかと」
「本気で言っているの? あなた達、二人でいるといつも甘々な雰囲気でいちゃついているじゃない」
「そんなことは……」
思わずカレンを見てしまう。カレンはその通りだと頷いていた。思わぬ認識の違いに、エレオノーラは両手で顔を隠した。