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26.訪問客

 エレオノーラは落ち着かない気持ちで、応接室を何度も何度も確認する。窓も綺麗に磨かれ、曇り一つない。花も今日活けたばかりで、瑞々しい。用意したお茶も人気のある茶葉で、そのお茶に合った菓子をセロン侯爵邸の料理人に頼んで用意してもらっていた。


 何も心配いらないと思いながらも、不安で胸が押しつぶされそうだ。


「エレオノーラ様、落ち着いてください。大丈夫ですから」


 見かねたカレンがうろうろするエレオノーラに声をかける。


「だって! ヒューバート様がお客様を連れてくるのよ? きっととても大切な方に違いないわ」


 そもそもこの屋敷に招待すること自体があり得ないことだった。二人は貴族の生まれであるが、受け継ぐ爵位はない。そのため社交に呼ばれることはあっても、この屋敷に親しくない誰かを招くなどないと思っていた。


「大切なのでしょうか? 随分と渋い顔をしていましたが……」


 カレンは今日のことを頼むヒューバートの苦々しい表情を思い出し、首をかしげる。エレオノーラもあまり気乗りのしない彼の様子は気になってはいた。でも連れてくるのだから、最高のおもてなしを目指したい。彼の妻として恥ずかしくないように。

 そんな気持ちでいれば、家令が声をかけてきた。


「ヒューバート様がお戻りです」

「今、出迎えるわ」


 エレオノーラは自身の身なりをさっと見直してから、慌てて玄関ホールへと向かう。


「え?」


 玄関ホールには妖艶な美しさを持つ女性がヒューバートと寄り添うように立っていた。

 豊満な胸は形よく盛り上がり、ドレスから零れ落ちそうだ。胸元を飾る大きなダイヤが胸の谷間をさらに強調している。肌は抜けるように白く、思わず触ってみたくなるほど。燃えるような赤い髪は緩くまとめられ、計算して作られたおくれ毛が柔らかな印象を作り出していた。透明感のある濃い緑の瞳はとても強く、目を逸らすことができない。


 正直に言えば、エレオノーラはその存在に圧倒されていた。固まって挨拶すらろくにできずにいるエレオノーラに彼女は柔らかな笑みを浮かべて一歩前に出た。


「初めまして。シェリーですわ。お招きありがとうございます」

「は、初めまして。ヒューバートの妻、エレオノーラと言います」


 彼女の少し後ろに立つヒューバートをちらりと見れば、無表情だ。無表情ながら、とてつもなく機嫌が悪い。シェリーは艶やかな笑みを消すことなく、エレオノーラの視線を追ってヒューバートを見つめた。

 美男美女が視線で語り合う姿に胸がきゅっとなる。


「まあ、怖い顔」

「……」

「もっとにこやかな笑みを見せてもらいたいのに……酷い方」


 シェリーは辛そうな表情を見せる。ヒューバートの機嫌がさらに悪くなった。彼のあからさまともいえる冷たい態度に、雰囲気に飲まれていたエレオノーラも次第に冷静になっていく。


 二人並んだ姿があまりにも美しく、場違いにも割り込んでしまったような居心地の悪さがある。でも、彼の拒絶するような態度に決して仲がいいわけではないということが分かった。彼女の気安い態度や言葉こそ親密な何かを感じさせるが、彼からはその空気が一切ない。エレオノーラと一緒にいる時の穏やかで優しい眼差しが全くなかった。


 大きく息を吸い、落ち込む気持ちを振り払うとぎこちなく笑みを浮かべた。


「ここではお話しできませんから……中へどうぞ」


 シェリーはヒューバートが連れてきたお客様だ。応接室に通すのが正しい。ヒューバートの眉が不愉快そうに少し動いた気がするが、何も言わないのでそのまま中へと案内する。


「ありがとう。お邪魔させてもらうわね」


 緊張するエレオノーラに、楽しそうなシェリー。そして不機嫌なヒューバート。

 一体何を話したらいいのか、とエレオノーラは内心頭を抱えていた。できればヒューバートに彼女をもてなしてもらいたいとちらりと視線を送るが、ヒューバートは特に反応を示さない。エレオノーラの視線の意味を分かっているようだが、そんな気はさらさらなさそうだ。


 広くもない屋敷なので、いい案が思いつく間もなく応接室についてしまう。応接室に入れば、シェリーが頬に手を当てて、ほうっと息を吐いた。


「とても居心地の良いお部屋ね。素敵だわ」

「ありがとうございます。どうぞ、お座りになって」


 カレンに指示して、お茶を用意させる。シェリーは勧められるまま腰を下ろした。ヒューバートは彼女の向かいに座る。シェリーの隣に座られたらどうしようと思っていたので、隣を選んでもらえてほっとした。

 シェリーはお茶を飲むと、嬉しそうな笑みを見せた。


「とても美味しい」

「お口にあってなによりですわ。早速で申し訳ありませんが、ご用件は何でしょうか?」


 ヒューバートが対応してくれそうにないので、シェリーに素直に訊ねた。単刀直入に聞かれたことに驚いたのか、シェリーは目を何度か瞬いた。


「あら? 貴女、わたくしをなんだとお思いになっているの?」

「何というのは……」


 少し言いにくくて言いよどめば、シェリーは何を言ってもいいからと促してきた。好奇心なのか、瞳がきらきらと輝いている。エレオノーラは少しだけ息を吐いて、気持ちを落ち着かせた。


「正直に話しますと、距離も近いし、気安さもあったので初めは婚約前の恋人かと思ったのです」

「そうでしょうね」

「ですが、ヒューバート様の態度を見ると違うようなので……どんな繋がりの方かわからずに、とても困っております。家名も名乗られなかったので、貴族としてここに来たわけではなさそうですし」


 自信なさげに声を小さくしながら答えれば、シェリーは大きな目を丸くして盛大に噴出した。


「うふふふふふ、そう! 貴女、困っているのね」

「おい」


 ヒューバートが機嫌悪く、シェリーに注意をする。シェリーはとてもおかしそうに涙まで流していた。


「ごめんなさい、あまりにも予想外で。できればあの夜にお知り合いになりたかったわ」


 あの夜、と聞いて固まった。


「え?」

「ふふ、あの夜会の庭でヒューバート様に抱きしめられていたでしょう?」


 夜会の庭、と聞いて急速に彼女が誰であるか理解し始める。あの夜聞いた、とても艶やかな甘い声が脳裏に蘇る。

 声だけでも、香る匂いだけでも男の欲をそそる、あの夜の女性。

 そして、その相手は。

 目を大きく見開いて、シェリーを凝視した。エレオノーラが気がついたことに、満足げに頷いた。


「わたくしはね、あなたを誰にも負けないように磨くようにと指示をされているの」

「指示、ですか?」


 よくわからなくて、首を傾げた。


「王太子夫妻主催の夜会よ。旦那様は貴女を社交界で認めさせて、余計なちょっかいを出させないようにしたいの」


 旦那様と聞いて、はっとした。彼女が旦那様と呼ぶ人は一人しかいない。


「王弟殿下のご指示ですか?」

「そうよ。自信を持たせてやってほしいと頼まれたわ」


 自信を持たせて、と聞いてよく見ているなと感心してしまった。あの短時間で把握できるのだから、観察力が優れているのだろう。


「余計なことは言わなくていい。エレオノーラはそのままでも十分美しい」


 ヒューバートが釘を刺した。シェリーが目を細めた。


「なんて、女心の分からない人なのかしら。愛する人に綺麗な自分を見てもらいたい気持ちは女性なら誰でも持っているものだわ」

「他の奴らにエレオノーラの良さなんて知らせる必要はない」

「狭量な男ね。大人しい妻だと判断されたら、それこそ大変なことになるわ」


 ヒューバートと関係を作りたい令嬢たちは沢山いる。自分こそは、と思う令嬢がどのような行動に出るのか。少し考えればわかることだ。


「この屋敷にいる限りは大丈夫だ」


 ヒューバートが不機嫌に否定する。シェリーはわざとらしくため息を付いた。


「貴方はここに奥様を閉じ込めておくつもりなの?」

「それは」

「戦い方を知らずに傷つくのは彼女よ」


 ズバリと言われて、ヒューバートも反論できなくなった。重い空気が部屋を支配する。エレオノーラは険悪な空気を感じ、二人の顔を交互に見た。


「戦い方、ですか?」

「そうよ。何も嫉妬に狂った令嬢だけを相手にするわけではないのよ。王族の……社交界のいやらしさは知っているでしょう?」


 社交界は苦手だ。褒め合っていても、褒めているわけではない。言葉の奥にある意味をくみ取って、無難に乗り越えていく必要がある。エレオノーラはそういう腹芸ができず、必要以上に近づいてこなかった。今まで両親に甘えて鍛えてこなかった部分を指摘されて、唇を噛みしめる。貴族から離れるからいい、という言い訳はもう通用しない。


「あなたは王子付きの近衛騎士の奥方なのよ。滅多にあることではないけれど、巻き込まれる覚悟をしないと」

「巻き込まれる覚悟?」

「近衛騎士の妻になりたい女性は多いの。少しの失敗でも足を引っ張ってくるわ。だから苦手だろうが、社交界を上手く渡っていかなくてはいけない」

「……」


 シェリーの問いに答えることができなかったが、表情に出ていたのだろう。彼女は励ますように目を細め、微笑んだ。


「今回は彼がガチガチに護っているから、この程度で済んだの。でも、あなたに乗り越えられる力があれば、もっと自信に満ちて、心穏やかでいられたはずよ」


 エレオノーラは彼女の言葉を聞きながら、隣に座るヒューバートへ顔を向けた。彼も苦虫を嚙み潰したような表情をしているがシェリーの言葉を否定しない。否定できないのだと思う。


「……目的がこれなら、夜会の準備の手伝いはいらない」

「もう伝えたいことは話したから、後は夜会の準備だけよ」


 シェリーが悪気なく笑う。どうやら彼女はマシューからエレオノーラへ注意喚起をするように言い含められていたようだ。エレオノーラは大きく息を吸ってから気持ちを整えた。わざわざこの屋敷にまで来てくれたのだ。何かあればシェリーを頼ってもいいということだと受け取った。

 どうしてここまでしてくれるのか、わからない。だけど、エレオノーラとしてはとてもありがたいことだった。


「これからもお願いします」

「ええ、もちろんよ。また明日、準備を整えて来るわね」


 今日は挨拶だけだから、とシェリーは席を立つ。見送りはいらないと一人で部屋を出て行った。

 ヒューバートと残されて、言いようのない沈黙の中にいた。

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