17.コンスタンス王女2
十分なもてなしを受けたコンスタンスは仕事を終えて部屋を下がる侍女を引き留めた。
「何でしょうか?」
引き留められた侍女は不思議そうに首をかしげる。彼女の役割は寝支度の手伝いのため、用事を言いつかる立場ではなかった。それはこの離宮に入る時にも説明されていたはずだ。コンスタンスは侍女の様子を気にすることもなく、要望を告げる。
「この国に早く馴染みたいから、この国のものを身につけることから始めたいわ」
「身につけるものですか?」
「そうよ」
「ええっと……」
彼女は困ったように言い淀んだ。コンスタンスは反応の悪い侍女に苛立ちを感じ、もっとわかりやすいように言い直した。
「まずはこの国のドレスを用意してちょうだい」
「……ドレスのデザインはあまり変わらないように思いますが」
ドレスと言われて、侍女はますます困惑の表情になる。
「察しが悪いわね。黙って商会に連絡しなさい。あとはこちらでやるから」
「……ここは離宮です。商会を勝手に呼ぶことはできません」
「だったら、オーランド殿下にお願いして。きっと許してくださるわ」
はあ、と気のない返事をして侍女は部屋を退出した。残されたコンスタンスはイライラして爪を齧る。
「コンスタンス様、爪を齧ってはいけません。美しさが損なわれてしまいます」
「そうね、バイオレット」
四歳年上の、専属侍女であるバイオレットに注意されて、コンスタンスは慌てて指を口から外した。
「これからオーランド殿下と交流会が始まります。持ってきたドレスだけでは足りませんのに。若いからでしょうか、配慮が足りませんね」
「文化の違いというものかしら? いちいち言葉にしないと伝わらないなんて」
コンスタンスは素直に気持ちを吐露する。祖国にいた時は、こうしたいわ、と言えば、満足する状態に周囲が整えてくれた。だから、身につけるもの、と言えば、宝石やドレスなどを扱う商会がすぐに呼ばれたのだ。なのに、この国の侍女は察しが悪い。
「でも、オーランド殿下に伝わったのなら、すぐにでも手配してくれるでしょう」
「そうあってほしいものだわ。ああ、ついでに宝石もお願いしなくては。手持ちでは心もとないもの」
バイオレットは気分を調えるために、コンスタンスの好きなお茶を用意した。いつもの香りが部屋に満ちると、コンスタンスは体から力を抜く。
今、この部屋にはコンスタンスとバイオレットの二人。
祖国にいた気安い態度でバイオレットに話しかける。
「ねえ、それよりも、バイオレットはオーランド王子の後ろにいた騎士が好みなの?」
「え!」
バイオレットは驚いたような声を上げる。先ほどまでの澄ました侍女の顔ではなく、やや取り乱している。
「ふふ、顔が真っ赤よ」
「それは」
「バイオレットは面食いだったのね。でも、確かに彼、はっと目を引くほどの美形ね」
黒髪に薄青色の瞳。
背が高く、近衛騎士の制服を着た上からでも鍛えられた体だとわかる。動きに無駄がない上に、神が作ったのではないかと思うほど整った顔立ち。
王族であるオーランドと何の遜色もない容貌にバイオレットは釘付けだった。
「滅多に見ない美しさですので……目を引いただけです」
「そうなの? オーランド王子の護衛騎士ですもの。きっとバイオレットとはお似合いだと思うけど」
「コンスタンス様」
バイオレットは困ったような顔をする。だけども、否定しないことからコンスタンスはにこりと笑う。
「わたくしの侍女とオーランド王子の護衛が恋に落ちるなんて素敵じゃない?」
「そうでしょうか。わたし……もう結婚は」
バイオレットは自信なさげに呟く。彼女は専属侍女としてずっと仕えている。そのせいで婚約者とすれ違いが起こってしまい、婚約破棄されているのだ。そのことが尾を引いて、いつまでたっても自信が持てない。
「もちろんよ。バイオレットはわたくしにずっと忠誠を誓ってくれているもの。あなたの気持ちはとても嬉しいし、感謝しているの。だから、わたくしはあなたの幸せな結婚を望んでいるわ」
初めて告げるいたわりの言葉。
バイオレットは感動のあまり、目を潤ませた。
「とても……ありがたいですわ」
「そう思うのならこれからもずっとよろしくね。頼りにしているわ」
「お任せください」
バイオレットは改めてコンスタンスに忠誠を誓った。
◇◇◇
オーランドとの交流が開始したのは、コンスタンスがこの国に到着してから十日過ぎだった。ドレスの手配や小物の手配を行っていたコンスタンスと、公務をこなしているオーランドの時間が合わなかったのだ。
ようやくゆっくりとした顔合わせをすることになって、コンスタンスはやや緊張していた。直接顔を合わせるのは、受け入れの時の挨拶以来である。
離宮の応接室に行けば、すでにオーランドは腰を下ろして待っていた。コンスタンスの姿を認めると、立ち上がった。
「やあ、少しは休めたただろうか。なかなか時間が合わなくて申し訳ないね」
「いいえ。お気になさらず。おかげで、納得のいく準備ができました」
コンスタンスは新しく作ったレースとフリルをあしらった上品なピンクベージュ色のドレスを身に纏っていた。
長い栗色の髪は複雑な形に結い上げられ、首には瞳と同じ青の宝石を使ったネックレスを飾る。
「ああ、とても素敵なドレスだね」
「ありがとうございます」
オーランドの褒め言葉に気をよくしたコンスタンスは笑顔だ。オーランドはコンスタンスを席にエスコートする。二人が腰を落ち着けると、静かにお茶が用意された。
「遅くなったけど、ようやくめどがついた。これからについて説明する」
コンスタンスにつけられる教師は三人。
マナーの講師は王妃の侍女で、前公爵夫人。王族に近い血を持つ伝統的なことをすべて知っていると言われている。
残りは歴史の講師と語学の教師。
「語学、ですか?」
オーランドの説明に、不満をにじませた。オーランドはコンスタンスの不本意な態度を咎めることはなかった。子供に言い聞かせるような優しさで説明する。
「そう。王族は他国へ出向く機会が多いんだ。特に私の妃となると主な公務は外交になる」
「わたくし、語学は堪能でしてよ。語学の講師などいりませんわ」
むっとして言い返せば、オーランドはにこりと笑った。
「それは頼もしい。すでに三か国語以上、習得しているのなら問題ない。どちらにしろ、十分だとわかればどの教科もすぐに完了になる」
三か国語、と聞いてコンスタンスは唖然とした。自信満々で堪能だと言い切ったが、彼女が辛うじて習得したのは二か国語だ。
「二か国語ではなく?」
「そうだよ。君の国の外交官にも伝えている。昔から交流のある国の言語はやはり覚えている必要があるからね」
顔色を悪くしたコンスタンスに気が付かないのか、オーランドは軽い口調で言う。
「……あの、王太子妃殿下も語学は堪能なんですか?」
「もちろん。義姉上は五か国語できるよ。これは我が国の王子の妃になる最低限の条件なんだ」
最低限の条件と言われて、コンスタンスは嫌だという言葉を呑み込んだ。黙ったコンスタンスを見て、オーランドはさらに続ける。
「それから、最初の数か月はマナーを重点的に学んでもらう。国が変われば、所作も変わる。我が国のマナーを始め、友好国のマナーも学んでもらいたい。マナーの講師から合格点が出た後、実践として母上とお茶会をするから」
「貴族との交流はどうなるのでしょう?」
「マナーを学び終わるまでは必要ないよ。そのための期間なんだ。貴族たちも理解している」
それはマナーを身につけないで茶会に参加したら、白い目で見られるという事。言外に含まれた意味に、コンスタンスは気が付かなかった。ただただ不満げに頬を膨らませる。
「わたくし、こちらに友人がいないのです。そのような制限を設けられたら、人脈を広げられませんわ」
「面白いことを言うね。マナーがすでに備わっていたらすぐにでも交流できるだろうし、マナーが備わっていないのなら恥しか広がらないよね」
コンスタンスはあまりの常識の違いにようやく口を閉ざした。オーランドは癇癪を起しそうになっている彼女の様子に、ため息を吐く。
「ここは君の祖国じゃない。理解していると思っていたけど……無理なら無理と言ってくれていいから」
「どういうことですか?」
「君との婚約もまだ仮だということだよ。この国の習慣に慣れず嫁いでくるのは辛いだろうからね。今なら、傷一つ付くことなく白紙に戻せる」
コンスタンスはこの時初めて婚約が成立していないことを知った。驚いた顔をしたのだろう、オーランドが不審そうに見つめる。
「知らなかったのかい? この国に他国から嫁いでくる女性は一定期間、この国の勉強をして、十分学んだと判断されてから公に紹介されるんだ」
「え?」
「何代か前にね、他国の王女がこの国の勉強が多すぎて、婚儀の場で婚約破棄して護衛騎士と駆け落ちしたんだ。そんな醜聞を避けるために、ある程度、慣らす期間が設けられている。だから、婚儀よりだいぶ早い訪問になっただろう?」
そんな説明をされた気もするが、自分には関係ないと全く覚えていなかった。
「聞いたような気がするわ」
「そう。君は大丈夫かもしれないけど、特にこの王族の立ち居振る舞い、考え方はよく理解しておいてほしい」
「わかっています」
コンスタンスは曖昧に微笑んで頷いた。