16.コンスタンス王女1
長い旅が終わり、馬車が止まった。祖国からこの国まで一か月ほどの旅。旅慣れないコンスタンスのために、一日の移動距離は短く、宿泊するのは高級宿。出迎える従業員の教育も素晴らしく、居心地は悪くなかった。王城までの距離が近づくにつれて、コンスタンスの期待は膨らんでいく。
「オーランド王子はどんな人かしら」
「姿柄では王族らしい容姿でしたね」
そんな会話を唯一連れてきた侍女のバイオレットと楽しむ。そしてとうとう王城に到着した。
祖国の使者に促されて馬車から降りれば、そこにはオーランドと護衛たち、その後ろには侍女たちがずらりと立ち並んでいた。あまりの大人数にコンスタンスは驚いてしまった。王女と言ってもこれほどまでの使用人はいなかった。
盛装姿のオーランドが一歩前に出た。
「ようこそ、コンスタンス王女。オーランドです」
オーランドはコンスタンス王女の目を見つめ、ふわりと微笑んだ。その笑顔に釘付けになりながら、コンスタンス王女は腰を低くして、挨拶を返す。
「初めまして。第二王女のコンスタンスです。どうぞ良しなに」
「ここはコンスタンス王女の国とは違うところが多いでしょう。少しずつ慣れてほしいと思います」
「はい、ありがとうございます」
やや緊張気味に頷けば、オーランドは少しだけ表情を緩めた。
「長旅でお疲れでしょう。離宮に案内します」
「よろしくお願いします」
オーランドにエスコートされて、離宮への道のりを歩く。コンスタンスにあてがわれた離宮は王城の敷地内にあったが、独立した建屋だった。豪奢な造りで、柱の彫刻も飾られた絵画や焼き物も、どれもが芸術品のような美しさ。圧倒的な財力を見せつけられて、コンスタンスの目は輝く。
ようやくここまで来た。
コンスタンスは心躍って仕方がなかった。
◇◇◇
コンスタンスの母国は本当に小さくて、常に隣接している大国の顔色を見ている。
大国にしたら、大貴族と変わらないような規模の国。軍事力も自国を最低限守る程度のもの。万が一、大国が侵略してきた場合、何もせずに投降しろとまで言われて育てられる。幸いなことに、大国にとって特に旨味のない土地であるがゆえに、過去、侵略されたことはない。
コンスタンスは生まれ育った祖国が大嫌いだった。
大国との差を知るたびに、どうして自分は大国の王族ではなくこの国に生まれたのだと運命を呪う。
もちろん、いいところがないわけではない。
雄大な自然が美しく、気候も暖かいため過ごしやすい。海にも面していて、海の幸は中々なものだ。
だが裏を返せば自然しかない、つまらない国だった。
広がるのは美しい海と香辛料や麦を育てる畑。
商人が行き来する道でも持っていれば、また違ったのだろうが、最悪なことに大陸の端にあるこの国にはどんなに頑張っても商人の通り道にならない。品質の良い香辛料を手に入れようとする商人が定期的にやって来るが、すでに決まった量しか流通しない。困窮はしないものの、経済を活性化することもなかった。本当に緩く、のんびりとした国。
香辛料の売り上げがこの国の国庫の大半を賄っているが、この国だけの特別なものでもない。他の地域に行けば、似たような種類の香辛料はあるのだ。
この国の水準からしたら十分贅沢な暮らしをしていたコンスタンスであったが、不満は常に持っていた。我慢ができたのは自分が王女で、この国では誰よりも上に立てる立場だったからだ。
ずっとこのままでいられると思っていたのが、勘違いだとわかったのは十四歳の誕生日だった。
「早いものね。コンスタンスももう十四歳だなんて。そろそろ婚約者を見つけないと。誰か、あなたに相応しい令息がいないかしら」
「え?」
「心配しなくても大丈夫よ。あなたが幸せになれる人をお父さまに探してもらうから」
母である王妃はコンスタンスの戸惑いを、成人前の子供の戸惑いだと解釈した。そんなことを思ったわけではない。コンスタンスはいつまでも自分が王女として暮していくのだと思っていたのが、勘違いだと気が付いて戸惑ったのだ。
「わたし、結婚なんてまだ」
「まあ、怖がることはないわ。結婚は幸せになるためのものなの。あなたは末娘だから、政略も考えなくてもいいから幸せよ」
王妃の勘違いをコンスタンスは否定しなかった。だが、コンスタンスの心の中は怒りで渦巻いていた。
「先日、伯爵家の令息に会ったのだけど。とても気持ちの良い性格だったわ。あなたの相手にどうかしら?」
そう言って進めてくるのは、一つ年下の伯爵家の嫡男。領民にも評判のいい令息で、国王夫妻はとても前向きに縁談を考えていた。コンスタンスは自分の縁談だと気が付かず、適当にその場を過ごしていた。
「伯爵家ですって!?」
「伯爵家と言えども、建国から王家を支えてくれている名家よ。とてもいいと思うの」
「お姉さまは公爵家だったわ」
嫌いな姉や従姉達が公爵家や侯爵家に嫁いでいるのに、格下の伯爵家なんて許しがたい。彼女達の勝ち誇った顔を想像するだけで、コンスタンスの中にふつふつと怒りがこみあげてくる。コンスタンスよりも可愛げがなく容姿も劣るくせに、伯爵家にしか嫁げなかったのかと哀れまれるなんて屈辱でしかない。
「そうね。公爵家の嫡男はあなたの姉と同じ年だったから」
「わたしももっと高位貴族と結婚したいわ」
「まあ、そうなの? 困ったわね」
「わたしが嫁ぐんですもの、陞爵できるでしょう?」
少ない知識から、王女が嫁いだ時に陞爵する過去の事例を引っ張り出してきた。王妃は困ったように首をかしげる。
「無理ね。侯爵家の数は法によって決められいるし、今は空きがないわ」
「じゃあ、王族に残るわ!」
余りの否定する様子に、王妃は少しだけ険しい表情になった。
「王族に残った場合、二十五歳で修道院に行くことが定められているけれども。あなたに敬虔な信仰心があるとは思えない」
「修道院」
この国の修道院は清貧が尊ばれていて、不自由な生活が容易に想像できた。コンスタンスは八方ふさがりで、言葉に詰まる。王妃はため息をついた。
「身分が大切ではないとは言わないけれども。あなたは少し拘り過ぎよ。幸せになれることをまず考えなさい」
「……はい」
王妃に何を言っても無駄だと悟ったコンスタンスは、渋々頷いた。だが、姉たちよりも上の身分の相手と結婚することを諦めたわけではない。
一人部屋に戻ってきたコンスタンスは、部屋の中を行ったり来たりしながらぎりぎりと爪を齧った。
「何かあるはずよ。わたしに相応しいのは伯爵家の令息なんかじゃないわ」
何かないかと探している中、隣接している大国の貴族から技術提供を持ちかけられていることを小耳に挟んだ。この国には香辛料の栽培にはノウハウがあり、高品質を保っている。手法自体が取引材料になるとは思っていなかったので、目から鱗だ。ただし、国の中では栽培のノウハウを提供するなんて、と貴族たちの反対も多いようだ。
ということは、どちらの国にとっても価値のあるもの。
一か、八か。
コンスタンスは大臣たちを集めて会議をしている中にするりと入り込み、甘やかしてくれる父王に近づいた。大臣たちは突然入ってきたコンスタンスに驚いて、皆口を閉ざす。
「お父さま、香辛料のノウハウを提供する代わりに、わたしが嫁ぐのはどうでしょう」
「は?」
びっくりしたのは国の大臣たち。
あり得ないと言わんばかりに、目と口を開けている。
「この国の重要な情報を教えるんですもの、王女との縁組を条件にしてもいいのでは?」
「し、しかしですね。すでに大国の王太子には正妃がいて、子供が二人います。側室として嫁ぐにしても」
「第二王子はまだ結婚していないでしょう?」
大臣が言い終わる前に、言葉を被せる。
王太子がすでに妻子持ちであることは知っていた。コンスタンスは大国の側室になるつもりはなかった。
大国の側室など、いくらでも捨て置かれてしまう。しかも側室の手当ては実家からの援助となる。大国に嫁ぎながら十分な資金がなく惨めな暮らしになることは想像に難くない。
狙うは第二王子の正妃だ。
第二王子はいずれ臣籍降下するだろうが、この国と違って新たに家を興すことになる。同じ臣籍降下でも、祖国で嫁ぐよりも大国の貴族の方が身分は上だ。絶対に大国の方がいい。
それに万が一のことがあれば、第二王子が未来の国王になることだってあり得る。その時に正妃であったなら、コンスタンスは大国の王妃になることができるのだ。
最悪でも公爵夫人、もしかしたら王妃。
どちらに転んでも小国にしがみついているよりは、はるかにいい。
「第二王子も仮婚約がなされていると聞いたことがあります」
外務大臣が眉を寄せて呟く。
「仮婚約?」
「ええ。国の事情でそのような形になっているそうです。詳しいことは入手できませんでした」
「国の事情なら、こちらも国の事情で押し切れるのではないかしら?」
にこにこして言うだけ言ってみた。どの大臣も何を言っているんだという青い顔になっている。下手をすれば、内政干渉と言われかねない。
「コンスタンスの言い分ももっともだ。一度でいい、交渉してみてくれ」
「しかし……」
外務大臣が難しい顔をして、ちらりとコンスタンスを見た。彼女はにこりと笑う。
「わたしでは力不足ですか?」
「そういうわけではありませんが」
「では何か心配事でも?」
「この国では考えられないような大国独自の慣習が多くあります。それと自国の貴族だけでなく友好国も多いので、社交も大変だと聞いています。すべてを身につけないといけなくなりますが、大丈夫ですか?」
外務大臣の心配がよくわからなくて、首をかしげる。
「勉強は嫌いじゃないわ。語学は得意よ」
「そういうことではないのですが」
言いたいことが分からずに困っていれば、父王が添えを遮った。
「もうよい。一度でいい、交渉してくれ」
「……畏まりました」
その一言で、大臣たちは誰も反対しなくなった。
結果として、コンスタンスは第二王子と婚約を結ぶことになった。