15.隙間時間の逢瀬
エレオノーラはヒューバートに聞いてもらいたいことを色々と手紙に綴る。ローサとのこと、それからセロン侯爵夫人との茶会の様子など。新居の準備の状況についても簡単に認めた。
最後に、彼の健康を気遣う言葉と会いたいという気持ちを添えた。そして封筒へと手紙を入れる。
「あら、封が閉じないわ」
あまりの枚数に、どうやら普通の封筒では入りきらない。今日は沢山報告することがあって、枚数が多くなってしまったのだ。
ヒューバートと婚約してからもう少しで半年。
婚約前と変わらず短い時間ができれば会いに来てくれたけど、ここ二か月ほどは仕事が忙しいのか、メッセージカードだけが届いていた。しかも文字が乱れていて、隙間時間に書いてくれていることがわかる。
メッセージは一言二言が多い。ただ、「今すぐ会いに行きたい」だったメッセージが、最近では「今すぐ抱きしめたい、キスしたい」となっている。
「キスしたい」と直接的に書かれた要求に、エレオノーラは恥ずかしさに悶えた。だけども、ヒューバートの愛を感じられて、やめてほしいとは思わない。会うことがままならなくなってしまったが、それでもこの言葉だけで幸せに浸れる。
「お嬢さま、流石にそれは内容が多いのでは」
「わかっているわ。会って話せば大したことではないのだけど、その時間が取れそうにないから。やっぱり報告しておいた方がいいと思って」
結局、ヒューバートが新居の準備に関わることはできなかった。一人で準備ができるだろうかと心配だったが、セロン侯爵夫人が一番大変な使用人や護衛を手配してくれたので、何とかなった。元々、セロン侯爵家に仕えていた人たちだ。信頼度も高いし、何よりもヒューバートが知っている人たちを選んでくれた。
調度品はそのままに、カーテンやベッドカバー、テーブルクロスなど小物を中心にエレオノーラの好みのものに入れ替えている。
どれもこれも伝えたいことばかりで、今から手紙の内容を変えることもできない。カレンは小さく頷いた。
「では、大きめの封筒を探してきます」
「待って、わたしも行くわ」
手紙を持つと、一緒に部屋を出た。
「ああ、お嬢さま。丁度いいところに」
廊下を歩いていれば、家令が慌ててやってくる。その様子に足を止めた。
「どうしたの?」
「今」
家令がいう前に、階段を駆け上がってくる音が響いた。
「エレオノーラ!」
「え、ヒューバート様?」
近衛騎士の制服のヒューバートがそこにいる。びっくりしていれば、力強く抱きしめられた。柑橘系の香りが鼻孔を擽る。
抱きしめる強い腕と彼の香りにヒューバートが確かにいることを実感した。そして、そろりと彼の背中に腕を回す。温かい体温に、嬉しさがこみ上げてくる。
「ようやく会えた」
「わたしも会いたかったわ」
ヒューバートは腕の力を抜くと、少しだけ体を離す。そしてエレオノーラの顔を覗き込んだ。
「ずっと会いに来られなくて、すまない」
「ううん。その代わりに毎日メッセージを貰ったから」
あのメッセージが無かったら、不安で仕方がなかっただろう。たった一言でもメッセージがあったことでエレオノーラは待つことができた。
「そうだ」
ヒューバートはエレオノーラから手を離すと、ポケットから何かを取り出した。何だろうと見ていれば、エレオノーラの腕にそれを嵌める。
「え?」
「遅くなってしまったけど……」
腕を上げて、自分の左手首を見る。
緑とアクアマリンの宝石を使ったラインブレスレット。
婚約して三か月には男性から女性に贈る慣習がある。貴族でもする人もしない人もいて、必ずしもしなくてはいけないことではない。人それぞれであったが、エレオノーラは幼い頃から憧れを持っていた。ただヒューバートが仕事で忙しいことを知っていたから、余計なことで煩わせたくなかった。愛する人から贈られたいという気持ちを心の底に沈めた。
それでも、ふとした瞬間に贈ってほしい気持ちが顔をのぞかせては、奥底に沈めることを繰り返してきた。
「綺麗……」
そっとブレスレットに触れる。胸に喜びが込み上げてくる。ヒューバートはエレオノーラの嬉しそうな顔を見てほっとした。
「気に入ってくれてよかった。もっと流行のデザインにした方がいいと言われたんだが……これが一番綺麗だと思ったんだ」
「ありがとう。とても嬉しい」
「本当は婚約者らしくちゃんとした場所で渡したかった。でも、時間が取れなかった」
どうやらヒューバートには何か計画があったようだ。
そう申し訳なさそうに言うので、エレオノーラは笑みを見せた。何度も何度もブレスレットに触れながら、聞いた。
「今日、時間は?」
「仕事は終わった。今日は戻らない予定だ」
「では、時間はあるのね。わたし、話したいことが沢山あるの」
エレオノーラは自分の持っていた手紙を見せる。その分厚い手紙にヒューバートは目を見張った。
「話したい内容ってこれ?」
「そう。ずっと短いメッセージのやり取りだったから。でもそろそろ準備について、報告をしておかないとと思って」
「ああ、任せっきりで済まない」
新居のことだとわかったのか、ヒューバートは再び顔を曇らせた。エレオノーラは首を左右に振る。
「セロン侯爵夫人が手を貸してくださって。わたしはとても楽にやっているわ」
「後でお礼に行かないと」
「ふふ、一緒に行きましょう」
そんな会話をしているうちに、自然と体が寄り添う。少し上を向けば、ヒューバートがじっと見つめていた。ヒューバートは目を細めると、そのままエレオノーラに覆いかぶさるように前にかがむ。
キスされる。
ドキドキした気持ちでエレオノーラは目を伏せた。
「そこまでよ」
キスまであと少し、というところで、コルトー子爵夫人の声が響いた。はっとして顔を上げれば、コルトー子爵夫人が困ったような様子で立っている。エレオノーラはキスをしようとしたところを見られて、顔を真っ赤にした。
「お、お母さま」
「気持ちはわからなくもないけれども、ここは廊下よ。恥じらいを持ちなさい」
「申し訳ございません」
ヒューバートも流石に不味いと思ったのか、頭を下げる。コルトー子爵夫人はやれやれとため息を吐くと、笑顔を見せた。
「お仕事が忙しいと聞いていたので心配していたのだけど。大丈夫そうね。今、サロンにお茶を用意するから、エレオノーラ、彼を案内してあげて」
「はい」
「ヒューバート様、ほんの少しの時間だけですよ。カレンはこちらで手伝ってちょうだい」
コルトー子爵夫人はカレンを呼ぶ。カレンは意味ありげにエレオノーラに微笑むと、コルトー子爵夫人の後をついていった。どうやらコルトー子爵夫人は二人だけにしてくれたようだ。ただし、常識ある範囲で、ということなのだろう。
「あう」
流石にこれは恥ずかしい。エレオノーラは頬を真っ赤にして顔を手で覆った。
「気を利かせてもらったようだ」
「お母さまったら……恥ずかしい」
ヒューバートはエレオノーラの額にキスを落とした。驚いて手を離せば。ヒューバートの綺麗な瞳が覗き込んでいた。余りの近い位置に、エレオノーラは息を呑む。
「好きだ」
「……わたしも」
囁かれた気持ちに、エレオノーラも応える。好き、と続ける前に言葉はキスで呑み込まれた。
唇に触れるだけだけども、それでも強く押し付けるようなキス。
躊躇いがちに彼の背中に腕を回す。ヒューバートの抱きしめる力が強くなった。
初めての唇へのキスに、エレオノーラは恥ずかしさと喜びに気持ちが忙しい。そんな彼女を現実に引き戻したのはヒューバートの囁きだった。
「サロンを案内してほしい」
「そうだったわ」
はっとして表情を改めると、彼をサロンへと案内する。二人で肩を並べて歩きながら、ヒューバートは今の状態を説明した。
「もう少しで王女がやってくる。そうしたら、忙しさは多少解消するはずだ」
「多少?」
「実は、人が集まらなくて苦戦している」
そんな情報を交えながら、二人はサロンへと入る。扉を閉めると、すぐにヒューバートはエレオノーラを抱き寄せた。先ほどとは違い、ふんわりと包み込むような抱擁。その温かさにエレオノーラは息が上がる。
「ヒューバート様」
「少しこのままで」
言われるままじっとしていた。