14.セロン侯爵夫人とのお茶会
新居が決まった後、エレオノーラの日常は大きく変わった。
ほぼ毎日、セロン侯爵家へと向かう。新居の準備もあるが、それだけではない。セロン侯爵夫人が近衛騎士の妻としての心構えを教授してくれる。
残念ながらコルトー子爵家は文官になる人が多く、騎士とは無縁の家系。騎士の家族として当たり前のことを知らないので、とてもありがたい。
「あら、今日はローサも一緒なのね」
「ごきげんよう、セロン侯爵夫人。今日も朝咲きの薔薇のように美しい」
エレオノーラと一緒に訪問したローサはすぐさまセロン侯爵夫人を褒めたたえた。ローサとセロン侯爵家にやってくるのはこれが初めてではない。それでも毎回、素晴らしい褒め言葉を口にする。そのスマートな女性への対応を見ていると、本当に女性なんだろうかと思う時もある。
セロン侯爵夫人は楽し気にくすくすと笑った。
「ご苦労様。エレオノーラはわたくしにとって可愛い娘のようなもの。お目付けがなくても大丈夫よ?」
「そのような心配はしておりません。ただ、ヒューバートの時間を奪ってしまっているので、彼の代わりをするようにと主の願いです」
「そうだったのですか?」
初めて聞く理由に、エレオノーラは目を丸くした。ヒューバートが忙しいのはわかっている。婚約を前倒しにした理由も、オーランドの婚約者がこの国に滞在するからだ。だから、一緒に結婚準備ができないことは納得していた。寂しい気持ちはあっても、不満など持つはずもない。
「ローサ、エレオノーラにわざと黙っていたでしょう?」
「申し訳ありません。理由を話してしまえば、断られるでしょう。それは私にとってあまり喜ばしくない」
ローサに意味ありげに微笑まれて、頬が赤くなった。まるでエレオノーラに会いたいと言われているようで、恥ずかしくなる。変な声を漏らし、熱くなる頬を押さえた。
「あう」
「やっぱり反応が可愛い。ヒューバートにはもったいないなぁ」
「ローサ、そのぐらいにしてちょうだい。エレオノーラが恥ずかしさのあまり、帰ってしまうわ。さあ、二人とも座って。今日は他国から取り寄せたお茶を用意したのよ」
セロン侯爵夫人に促されて、二人は席に着いた。
侍女が静かにお茶の用意をする。とても甘い香りが辺りに漂った。エレオノーラは大きく息を吸って気持ちを切り替える。お茶会ではあるが、今は勉強の時間なのだ。お茶一つでもたくさんの情報がある。淑女は情報に敏感でなければいけないというのがセロン侯爵夫人の意見だ。
「この香り……薔薇のお茶でしょうか?」
自分が感じたことを告げれば、セロン侯爵夫人は頷く。
「正解よ。お茶の葉にバラの花びらをブレンドしているの。今回取り寄せたこのお茶に使われている薔薇がこの国では生息していない特別なものなのよ」
飲んでみて、と言われて、ゆっくりと口に含む。甘い香りと、すっきりとした味わい。とても飲みやすい。
その様子を見ていたローサは感心したように頷いた。
「なるほど。セロン侯爵夫人はエレオノーラに淑女教育を施しているのですね」
「近衛騎士の妻といえども、どんな場所に連れ出されるかわからないでしょう? 意地悪な人はどこにでもいるものよ」
セロン侯爵夫人が一番最初にエレオノーラへ告げたのは、淑女教育のやり直し。エレオノーラは子爵令嬢としては合格点であったが、高位貴族の目からすればまだまだ十分ではなかった。
動き一つにしても、優雅さが違う。無意識のうちに出てしまう癖を注意され、所作を見直している最中だ。
エレオノーラの姉アマンダもリックと結婚する時に、セロン侯爵夫人から半年ほど教育を受けたと言っていた。子爵家では手に届かない教育を受けさせてくれることに感謝しかない。
「ヒューバートはエレオノーラを表に出すつもりはないと思いますが」
「使わないのと使えないのでは意味が違うのよ。近衛騎士は皆高位貴族出身よ。当然、妻も似たような身分の者も多い。身につけておいて損はないわ」
エレオノーラは高位貴族と同等の振る舞いが必要だと言われていただけで、セロン侯爵夫人が何を想定しているのかがわからない。
「ヒューバート様の立場上、王族と過ごすことが多いのはわかります。妻としても何か役割があるのでしょうか?」
「普通はないと思うわ」
「そうだね、わたし達近衛騎士は基本王族の護衛だから、夜会に参加しないね」
どちらも必要ないのではないのかという回答。エレオノーラは首を傾げた。
セロン侯爵夫人は普段エレオノーラに対してはそれほど遠回しな言葉遣いはしない。でもこうしてなんだかすっきりしない物言いをするということは、何か気が付かなくてはいけないことがあるのだろうかと、じっと彼女を見つめた。
だが、セロン侯爵夫人は何事もないようにお茶を飲んでいる。
答えをくれないとわかると、エレオノーラはローサを見た。彼女はセロン侯爵夫人が心配していることがわかっている。ヒントぐらい教えてほしいという気持ちを込めてみれば、ローサが困ったような笑みを浮かべた。
「ヒューバートの妻の座を熱望している人が多いんだ」
想像していた内容とは違う話が出て、目を見張った。ローサはため息をついた。
「ヒューバートの女性運の悪さは相当でね。もしかしたら、つるし上げるために君を表に引っ張り出す可能性がある」
「エレオノーラ、ローサがコルトー子爵家へ会いに来るのは牽制よ。ちゃんと王族に認められていると周囲に示しているの。それで随分と守りになっているはずよ」
全く予想していなかった話に、エレオノーラは困惑した。ローサとの付き合いがあれば下手な貴族は突っかかってこないだろうとアマンダも話していた。ヒューバートの父であるエイル伯爵も女難について心配していたので、そういうこともあるのだろう。
ただ、話は聞いているものの、実感がなかった。ヒューバートが女性に絡まれているところを実際に見たことがない。
「ある程度のおかしな令嬢は排除しているから、早々にはないはずだけども。何かあったら、セロン侯爵夫人を頼ってほしい。自分だけでどうにかしようと思っても、やはり子爵家では少し弱いから」
「わかりました」
女性がらみで何が起こるかさっぱりであったが、二人が心配するぐらいなのだ。手に負えない事態はすぐさま頼ろうと心に決める。
「エレオノーラに何かあったら、ヒューバートが手に負えなくなる。暴れられると困るんだ」
「流石にそれは」
ヒューバートは真摯に仕事に向き合っている。エレオノーラが理由で、冷静さを欠くとは思えない。
「少し前の彼だったら私もそう思っただろうね。だけど最近は本当にイライラしていて」
ローサは思い出しながら楽しそうに笑った。
「私がエレオノーラに会いに行けるのに、自分がいけないのはおかしいと詰め寄られたんだよ」
「まあ」
申し訳ないと思いつつも、それが嬉しくて頬が緩む。
「だからね、今度会った時には少し甘えてあげてほしいな」
「甘える、ですか?」
エレオノーラにしたら妻として相応しく成長したところを見せたい。彼を支えられるだけの力があると。
そんな気持ちを見透かして、セロン侯爵夫人が諭す。
「あなたの寂しさを伝えるのはとても大切よ」
「でも」
「頼りになる妻はいざという時に示せばいいの」
「それでいいんでしょうか?」
寂しい気持ちはある。毎日メッセージは届くし、時間ができれば会いに来てくれる。それでも前のようにお茶をしている時間はなく、本当に顔を見せてすぐに行ってしまう。最近は抱きしめてくれるようになったけれども、それでも。きちんとした会話をする時間はない。本当に顔を見るだけ。
でも、彼の疲れた顔を見れば、わざわざ会いに来てくれることも大変なことで。エレオノーラに話せないことも沢山あるのを知っているから、聞いてあげることもできない。
「いいのよ。だって夫婦になるのよ。お互いに遠慮していたら結婚する意味がないじゃない」
セロン侯爵夫人の言葉はもっともで。
エレオノーラは肩から力を抜いた。