12.新居探し
母と姉に散々脅されたエレオノーラは新居について、急いでヒューバートに相談した。内容が内容だけに、ヒューバートはすぐさま仕事を抜けてエレオノーラのもとにやってきた。すぐさま動いてくれたことにほっとしながら、母と姉の話を簡単に説明する。
「……まだ早いと思っていたが」
その内容がとても現実的で、後回しすることができないと彼も頷いた。彼は伯爵家の次男で、今は寮住まい。それほど住まいに困ったことがない。エレオノーラとは違う理由で、急がなくてもいいと思っていた。
「新居を決めてから、その大きさに合わせて揃えると言われてしまうと」
「当たり前すぎて、反論できない」
ヒューバートは難しい顔をしていたが、しばらくすると小さく頷いた。
「父上に相談しよう。オーランド殿下に頼るよりはよっぽどましだ」
こうして新居についてはエイル伯爵を頼ることになった。すぐに連絡が行き、訪問日が決まる。ヒューバートは忙しいながらも、時間を作り出し、エレオノーラを連れてエイル伯爵家へと戻った。エイル伯爵家につけば、温かく迎え入れられた。
「二人とも、待っていたよ。さあ、座ってくれ」
挨拶もそこそこに、薦められるままソファーに並んで座る。
「それで、今日は新居についての相談と聞いているが」
「ええ、少し困っています。近衛騎士の場合、条件として王城に近い場所であること、警備に問題がないこと、この二つが条件になるそうです」
「ああ、なるほど。警備のことまで考えると、市井に屋敷を借りるのは難しいだろうな」
ヒューバートの簡単な説明で、エイル伯爵は頷いた。
「最悪な場合、ここに間借りすることはできませんか?」
「ここに? 二人に問題なければ、それでもいいが……」
ヒューバートの説明に頷きながらも、難しい顔をしている。エイル伯爵家はヒューバートの兄スコットが後継だ。今は家族で領地に暮らしていて、滅多に王都にはやってこない。とはいえ、弟夫婦が先に住んでいるのも具合が悪いのかもしれない。
ヒューバートもそう感じたのか、エイル伯爵に疑問をぶつける。
「何か気になることでも?」
「正直、ヒューバートの女難を考えると、いささか心もとない」
女難という言葉に、エレオノーラは目を丸くした。
「そこまで心配することですか?」
「あまり甘く見てはいけない。最近はほとんどなくなっているが、あれほど女嫌いで通していたヒューバートが結婚するのだ。自分の方が相応しいとか言い出す令嬢が出てくる可能性がある」
真面目な顔をしてそう言われてしまえば、少し不安になる。ちらりと隣に座るヒューバートを見た。
確かに類を見ないほどの美貌。無表情でにこりともしないのに、うっとりとする令嬢が多いのだ。ほんの少しでも笑みを浮かべれば、どれだけの令嬢の心を鷲掴みにするのか。
ヒューバートはため息をついた。
「そういう視点で考えれば、この家に住むとシルビアが突撃してくる可能性ありますね」
名前だけ知るヒューバートの妹。
エレオノーラの嫁いだ姉二人も王都にいないため、ヒューバートと顔を合わせていない。なので、シルビアと顔合わせしていないこともあまり気にしていなかった。だが、どうやら違う理由があったようだ。
「そうだな。ここにエレオノーラ嬢がいると知ったら、嫌がらせをしに来るかもしれない。家の者に屋敷へ入れるなと指示は出せるが、絶対とは言い難い」
幼いころから面倒を見ているお嬢さまだ。どうしても甘い対応をする使用人が出てくる。
「……それはお兄さま大好きな妹ということ?」
不思議に思って聞けば、うーんと二人は悩んだ。
「大好きというのとは絶対に違う」
「娘であるが、全く理解できない思考をしている。先日、余計なことをすれば縁を切ると言っておいたからしばらくは接触しないと思うが」
そこで初めて出会った夜会のエスコート相手が分かった。仲が悪いことで、婚家で肩身が狭いということで渋々エスコートしたそうだ。
「そうだ、セロン侯爵家を頼るのはどうだろうか。ヒューバートが女性につき纏われた時も預かってもらっていたから、警備は完璧なはずだ」
「頼ってもいいものでしょうか」
「セロン侯爵はお前の母の兄であるし、エレオノーラ嬢の義兄リックは彼の息子だ。親戚になるのだから、聞いてみるだけでも、聞いてみよう」
駄目ならすぐに断ってくるだろうから、と打診だけでもすることになった。
◇◇◇
エイル伯爵と会った数日後、ヒューバートとエレオノーラはセロン侯爵家に招待されていた。二人そろって訪問すれば、すぐさまセロン侯爵夫人のサロンへと案内される。
「ようこそ、ヒューバート。それにエレオノーラも。歓迎するわ」
「ごきげんよう、セロン侯爵夫人」
優しい笑みを浮かべるセロン侯爵夫人にエレオノーラは挨拶をした。彼女はとても嬉しそうにエレオノーラにお祝いの言葉をかける。
「婚約おめでとう。二人が一緒になるなんて、とても嬉しいわ」
「ありがとうございます」
「ふふ、エレオノーラはとても綺麗になったわ。ちゃんと心が通じあっているのね」
エレオノーラは恥ずかしさに頬を染めた。
「ヒューバートもちゃんと大切にできているのね。あなたのことだから、仕事優先じゃないかと思って心配だったのよ」
「まだまだ足りないですが、できる限りのことはしています」
「そのようね。さて、いつまでもお喋りしていたいけれども、先に用件を済ませてしまいましょう」
セロン侯爵夫人に座るように促されて、席に着く。ヒューバートは姿勢を正すと、改めてお願いを口にした。
「成人前、お世話になっていた別邸をお借りできればと」
「あら、あの別邸だけを考えなくてもいいのよ。この敷地内にはいくつか別邸があるから、気に入ったところを使ってちょうだい」
セロン侯爵家の先代には惚れ込んだ建築士がいた。彼の作る屋敷が好きすぎて、趣向を凝らした別邸をいくつも建てたそうだ。当時は季節ごとに使っていたそうだが、今ではそのほとんどが使われていない。きちんと管理されているが、悩みの種になっているようだ。
「誰かが住んでくれた方が建物は傷まないのよね。うちの子供たちは気に入った屋敷にずっと住み続けているから、使っていない屋敷が多いの」
困ったものよね、とセロン侯爵夫人はため息を漏らす。
「誰にでも貸せるわけでもないから、貴方たちが住むのは大歓迎よ。家令に案内させるから、遠慮しないでね」
二人は家令の案内で別邸を巡ることになった。
ヒューバートが幼い頃に避難していた別邸からはじまり、いくつも見て回る。どの別邸もセロン侯爵家の本邸から程よい距離にあり、独立性が保たれていた。それぞれが違う雰囲気を持っている。見るからに豪華なものから、保養地にあるような洒落たものまで、非日常的な建物たち。ヒューバートの使っていた別邸は落ち着いた佇まいであったが、やや小さめで家族で暮らすには部屋が足りない。
エレオノーラはあまりの華やかさに不安に思い始めた。物珍しいうちはいいが、そのうち落ち着かなくなるのではないかと心配になる。
「もう少し落ち着いた雰囲気の別邸はないだろうか」
ヒューバートも同じように思ったのか、家令に聞いた。家令はにこにこと笑う。
「やはりお好みではありませんでしたか。もしかしたら、と思って紹介したのですが」
「パーティーや人を集めるのであれば華やかでちょうどいいだろうが、住むにはどうも落ち着かない」
「そうですか。残念です」
さほど残念そうでもない様子で頷き、違う別邸へ向かう。
向かった先は小さすぎず大きすぎない屋敷。
コルトー子爵家の屋敷よりもやや小さめの間取り。先ほどの華やかさはなく、とても落ち着いた雰囲気だ。
「このお屋敷は先代様が隠居した後に暮らしていました。客室が二部屋しかありません。家族で住むにはちょうどいいかと」
中に入れば、一階には玄関ホール、応接室、食堂、書斎と最低限の部屋があり、二階には寝室が四部屋と客室。それぞれにバスルームが付いている。半地下と屋根裏部屋には使用人たちの使う部屋がある。本当に最低限の間取りで、それでも平民にとっては高級な造り。
まずは二人で暮らすのだからこの程度でちょうどいい。数人家族が増えたところで、さほど狭くは感じない。爵位がないので、この屋敷で大規模な茶会や夜会を開くこともない。せいぜい親しい人を数人、茶会や晩餐に招待するぐらいだろう。
「思っていたよりも状態がいい」
「とても丁寧に手入れされているのね」
「ああ。人が住んでいないとは思えないほどだ」
人の住んでいない家はたとえ手入れしていてもやはり痛んでくるものだ。それを感じさせないところに、管理人の仕事ぶりを知ることができる。
一通り、部屋を案内されて最後に応接室へ入った。
内装は明るくとても気持ちのいいものだった。優しく暖かな雰囲気を壊さない素敵な調度品が置かれている。
家令に薦められるまま長椅子に座った。家令は窓を開けてから、お茶を用意し始める。
明るい色の壁に、柔らかな光が入る。時折、薄いレースのカーテンが風に揺れた。座り心地の良い椅子は緊張をほぐす。
ゆったりとした空気が流れ、エレオノーラは自然と笑みを浮かべた。
「とても素敵なお屋敷ね。居心地がいいわ」
「そうだな。この屋敷を借りようか」
ヒューバートも同じ意見だったようで、頷いた。家令はお茶をそれぞれの前に置く。
「奥様はエレオノーラ様のお好みに合わせて内装を変えてもらいたいとおっしゃっていました」
「このままでも十分じゃないかしら?」
「そうですね。ですが、ヒューバート様のお仕事柄、エレオノーラ様がここで過ごす時間は長くなります。少しでも自分の居場所として整えてもらいたいとのことです」
セロン侯爵夫人の心遣いに嬉しくなる。
「ではお言葉に甘えて。少しづつ整えていくことにするわ」
こうして二人の新居は決まった。