10.美味しいタルトとお茶と王子
「やあ、待っていたよ。久しぶりだね」
案内された店の個室に入れば、にこにことしたオーランドがいた。エレオノーラは顔をひきつらせながら、ドレスを少しつまみ、足を後ろに引いて挨拶をする。
「王子殿下にご挨拶申し上げます」
「今日はお忍びだよ。そういう堅苦しいことはナシで。んー、そうだな。君の義兄リックと話しているような感じでいいよ」
エレオノーラは困ってしまった。確かにリックはセロン侯爵家の三男で、高位貴族出身だ。初めの頃は緊張していたが、今は本当の兄のように親しく接している。その彼とオーランドを同じように扱えるかと言えば、無理だ。
情けない表情で隣に立つヒューバートを見た。彼はごっそりと表情が抜けていて、オーランドを睨んでいる。それもまたびっくりして、これはまずいのではと内心慌て始める。
「あ、あの」
「殿下、流石にそれは無理がありますよ。ご令嬢が困っています」
この場を収集してくれたのは、ローサだった。ローサに感謝の眼差しを向ければ、ウィンクされた。
「わたしはいつだって女性の味方でありたいからね」
「ありがとうございます」
何の味方なのか不思議に思いつつも礼を述べた。
「ほら、ヒューバートもいつまでも殿下を睨んでないで。ご令嬢をエスコートして。今日のおススメを頼んである」
そう促されて席に着けば、お茶とフルーツがたっぷりと乗ったタルトが運ばれてきた。三人分のタルトがテーブルに並べられる。タルトの上には、いくつかの種類のベリーが色とりどりに散りばめられ、白いクリームがその周りを優しく包み込んでいる。クリームはまるで薔薇の花びらのように形作られ、見る者の心を和ませる可愛らしさだ。
エレオノーラは、その可愛らしいタルトに目を輝かせた。タルトの香りがふわりと漂い、彼女の心をさらに高揚させる。
「素直に嬉しさが伝わってくるのは嬉しいね。こういうところがヒューバートも気に入ったのかな?」
エレオノーラは恥ずかしさに頬を染め、俯いた。
貴族令嬢はあまり感情を揺らさない。嬉しさも感情的なものではなくて、控えめな表情を浮かべるに留める。
エレオノーラには少し苦手な表現だ。
「殿下、これ以上は楽しめそうにありません。失礼させていただきます」
ヒューバートはエレオノーラの気持ちを読み取ると、立ち上がった。オーランドが慌てて引き留める。
「悪い意味ではなかったんだ。ちょっと新鮮で……懐かしかったんだ。エレオノーラ嬢、申し訳ないね。食べながらでいい。私の用件を話すよ」
「用件ですか?」
ヒューバートが渋々といった様子で腰を再び下ろす。
「エレオノーラ嬢はヒューバートとこのまま結婚しても問題ないだろうか?」
何を問われているのかわからなくて、首をかしげる。二人は今、交流期間中で、問題がなければそのまま婚約する。そんな当たり前のことを答えて問題ないのだろうか。でも、二人の婚約はオーランドが認めている。そのことを踏まえての回答をと考えると、違うことを聞かれているように思える。
「殿下」
「ヒューバートは黙って。彼女の気持ちを知る上で、必要な話だ。彼は近衛騎士で、私の専属護衛だ。よほどのことがない限り、これからも変わらない。当然、貴女に知らされないことも多く、任務によっては数か月、留守にすることもある。優先すべきは職務になる。それをきちんと理解しているかということが聞きたい」
真面目な問いかけに、エレオノーラは背筋を伸ばした。一度、ヒューバートを見つめてから、オーランドへ視線を戻す。
「もちろんです」
「では、すぐにでも婚約をしてほしい」
「それは今の話と繋がっているのでしょうか?」
「そうだ。実は半年後に私の婚約者がこの国へやってくる。きっと今以上に忙しく、休みもままならない」
その話を聞いて、首を傾げた。
オーランドの婚約者が隣国の王女であることは知っている。王女が成人したら、結婚するのだろうという程度の知識。だが半年後に結婚するという話は聞いたことがなかった。茶会に参加していなくとも、重要なことは母であるコルトー子爵夫人やアマンダが教えてくれる。
「殿下。彼女は王族の結婚について知らないようです」
「え、ああ。そうか。ごめん、他国の王女が嫁いでくる場合、公表せずに一年ほどこちらで勉強してもらうんだ」
「そうなのですか?」
「王子と結婚すると突然豹変する王女が過去にいたんだ。そのための見極めの時間になる」
非公式のため、貴族たちは交流会や夜会などに招待しない。王妃が主催する茶会だけが交流になるそうだ。
王族特有のルールにエレオノーラは素直に頷いた。そして、オーランドが言いたいことも。
「ヒューバート様は王女の護衛になるということですか?」
「いいや、王女の護衛にはしない。女性王族の護衛は女性しかならないんだ。ただ、王族付きの護衛が割り当てられるから、必然的にヒューバートも休みがなくなる」
「忙しくても、予定通りで問題ないはずです」
難色を示したのはヒューバートだった。
「もちろん婚約式をする時間はとれると思うよ。君たちは継嗣じゃないからね。でも、今婚約しておけば先に新居の用意とか、色々なことに二人の時間が取れるだろう?」
「新居」
「そうだよ。結婚するんだ。準備はすごく時間がかかる。それに女性にとって結婚は特別だ。色々とヒューバートに相談したいはずだよ」
どうやら気を遣ってくれているらしい。オーランドは結婚するにあたって、どれぐらい大変な準備がいるか力説した。初めは胡乱な顔をしていたヒューバートであったが次第に納得した顔になっていく。
話はだんだんと逸れ、とても楽しい話になっていった。エレオノーラはローサに薦められ、タルトとお茶を楽しむ。そして、十分に時間が過ぎたところで、オーランドがにこりと笑った。
「色々話したけれども、私としては二人にはすぐに婚約してほしい」
「エレオノーラと話し合ってからでも?」
ヒューバートが確認すると、オーランドは鷹揚に頷いた。
「もちろんだ。確かこの先に薔薇園があったな」
「今、満開だそうです」
オーランドがローサに確認すると、ローサは如才なく答える。
「少し散策してくればいい。私はこれで城に帰るよ」
二人はオーランドを見送った。
◇◇◇
オーランドに薦められた薔薇園は満開の薔薇で埋め尽くされていた。色とりどりの花は可憐で、とても美しい。ヒューバートに誘われるまま小道を歩けば、甘い香りに包まれる。好きな人に手を引かれ、美しい薔薇とその芳醇な香りに気持ちが次第にほぐれていく。先ほどの不安な気持ちは小さくなり、好きな人と一緒に歩いている、そのことだけで胸がいっぱいだ。
「殿下の説明だと、急いだほうがいいように思えるかもしれない」
どれくらい歩いただろう。四阿が見えてきたところでヒューバートが口を開いた。エレオノーラは彼の心を見極めようと、エスコートする彼の横顔を見つめる。彼はエレオノーラの眼差しに気がついているはずなのに視線を前に向けたまま、話しだした。
「だけど、それは殿下の都合であって。エレオノーラはゆっくりと時間をかけて考えていい」
「ヒューバート様」
エレオノーラはつながった手を強く引っ張って立ち止まった。立ち止まったことで自然と彼女の方を向く。その目を真っすぐに見つめた。
約束の交流の時間は半年、まだ三か月しかたっていない。だけど彼と一緒にいる居心地の良さを十分知っている。彼は忙しい中、エレオノーラのために時間を作ってくれた。
そのことがとても嬉しくて。
できることなら、ずっと一緒にいたい。
それがエレオノーラの心からの気持ちだった。ぎゅっと彼の手を握りしめる。彼の手は緊張のためか、いつもよりも冷たかった。
「わたしはヒューバート様が好きです」
「エレオノーラ」
「ですから」
結婚してほしいと言おうとしたところ、彼の指で唇が封じられた。ヒューバートはひどく真面目な顔をしてエレオノーラを見下ろした。
「その先は俺が言いたい」
そっと指が外されて、ヒューバートが膝をついた。彼はエレオノーラの両手を自分の手で優しく包み込んだ。
緊張しているのか、表情が少しだけ硬い。エレオノーラは彼を見下ろし、まっすぐに視線を合わせた。いつも以上に熱のある視線に、息が詰まるほど胸が高鳴る。
「エレオノーラ、君が好きだ。俺と結婚してくれないだろうか。近衛騎士という職業柄、あまり側にいてやれず苦労をするかもしれない。今日だって、せっかくの二人の時間だったのに、殿下が余計なちょっかいを出してきている。だが俺は君と一緒になりたい」
あまりにも真剣に見つめられ、呼吸が苦しい。
握られた手が徐々に熱を持つ。ヒューバートの目が不安そうに揺れた。ほんの少しのサインをエレオノーラはきちんと受け取った。自分だけが不安なわけではない、彼だってエレオノーラの気持ちがわからず不安に思っている。
「返事は?」
「お受けします。末永くお願いいたします」
まっすぐに見つめられる視線が恥ずかしくて、頬が熱くなる。ヒューバートは立ち上がるとそっと抱き寄せた。少しだけ屈むと彼は唇に優しいキスをしてすぐに離れた。驚いて目を見開いていれば、彼は笑う。
「目を閉じて」
「でも」
「もっとキスしたい」
そう言われてしまえば、目を瞑るしかない。エレオノーラは恥じらいながらそっと目を伏せた。
先ほどとは違う、独占欲を主張する情熱的なキスはエレオノーラを幸せな気持ちにした。