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8 今日こそ同僚と日常会話を!

 みんなにとって挨拶ってどういうものだろう。

 息をするように自然なこと?

 人がするから自分もするような、流れ?


 僕の中で挨拶って、普通の人から見たエベレスト登山みたいなハードなことなんだよ。


 専用の登山道具揃えて何ヶ月もかけて知識と体力をつけて、ようやくチャレンジできるような難関。


 今日は隣の席の田中さんが先に来ていたから、思いきって声大きめで挨拶した。


 

「おはようございます!」

「おはよう、倉井さん。なんか昨日から元気だね」


 田中さんーーフルネームを田中日向(ひなた)という。

 学生時代は運動部だったんだろうなってわかる、よく日焼けした筋肉質な体格をしている。

 短い黒髪が似合う、爽やか青年である。


 もしかしてこれは日常会話をするチャンス!

 口下手克服のため、なんて言って笑われかねない。

 迷ったけど、素直に言ってみよう。


「口下手、克服したくて」

「そっかー。オレの妹もあんま喋るの得意じゃないから、倉井さん見てると妹を思い出すわ」


「妹さんが、いるんですか」


 田中さんはいつも陽キャグループの中心にいる感じだから、妹さんが口下手って意外だ。


「そ。高校でイジメられて、中退して以来、ひきこもってんだ。友だちでもできれば、少しは外に出られるようになるかもしれないけど……」


 三年、隣の席にいたのに、僕は何も知らなかった。

 

「あ、悪かったな。朝から湿っぽい話して」

「いえ。僕も、他人事じゃないので」


 人に会うのが怖い、傷つくのが怖い。

 それが極限にまで達して家から出られなくなった。


 僕もその道を選んでいたかもしれないから、他人事と思えなかった。




 それから仕事をして、一段落したところで昼休憩に入る。


 僕が働いている会社には社食がないから、それぞれお弁当だったり、町に出てレストランに入ったり。好きな形で昼食をとる。


 このあたりはビルに入っている会社が多いから、ファストフード店が多く軒を連ねている。


 女性陣はレストラン街からちょっと離れた、小道にある小洒落たカフェをよく使うようだ。たまに弁当を買いに出ると見かける。


 僕?

 コンビニでパンと牛乳を買ってあるから、そのままデスクでお昼に入る。

 


「おつかれ」


 田中さんが牛丼屋の袋を下げて、隣の席に座った。


「おつかれさまです」


 彼が弁当を買ってきて席で食べるのは珍しいことではないから、僕はあまり気にせず焼きそばパンをかじる。

 ああそうだ、アプリに今日の配信予定を出しておかないと。


 セットすると、このライバーは何日の何時から配信予定です、と表示される。

 フォロワーにも配信予定と配信開始の通知が行く仕組みだ。


 パンを食べながら右手で予定を打ち込んで閉じると、田中さんが僕のほうを見ていた。


「今のアプリは……」

「え、どのアプリですか」


 田中さんは画面右下にある、星形アイコンを指した。


「これ、この星のアプリってなに? 妹のスマホ画面にもこれがあるの、この前ちらっと見えたんだ。一瞬だったから名前まではわからなくて」

「えと、これは……【スタリー】っていうライブアプリです。ブイライバーの配信を視聴したり、自分が配信したりできます」


【スタリー】は自分だけの推し(スター)を探そう、誰かのスターになろう、がコンセプト。

 僕もそれに惹かれたひとり。ライブアプリは数あれど、スタリーが一番僕に合っていた。


「ありがと、ええと、スタリー……」

「妹さんも、これ使ってるんですか」

「たぶん。ここ最近じゃご飯すら部屋でとるようになっちゃったから、ほとんど顔を合わせられなくて。なんか話すきっかけがあれば、せめて悩みを聞いてやれると思ってさ」


 同じアプリを使って、共通の話題をみつけて話したい……なんて優しいお兄さんなんだろう。


「使い方でわからないとこあったら、倉井さんに聞いてもいい?」

「あの、僕でなく、妹さんに聞くのがいいのでは」


 せっかく僕に聞きたいって言ってくれたのに、バカなことしたかな。


 おまえに聞いたのに妹に丸投げするのかって言われたらどうしよう。


 でも妹さん、お兄さんが親身に聞いてくれたら部屋から出る勇気になるかもしれないし……。


 田中さんは大きく瞬きして、手を打った。



「そっか、そうだな。ありがとな倉井さん。妹に聞けば話すチャンスになるよな」

「いえ……」


 あいまいに笑って、僕は残りの牛乳を飲み干す。

 こういうのほんと、正しい返答集みたいな本があったら丸暗記したい。

 なんて返事するのが正解なんだろ。


 僕はベコベコにへこんだ牛乳パックとパンの包装フィルムをゴミ箱に入れて、椅子の背もたれによりかかった。



 帰り道は、なんだか足が軽い。

 入社してはじめて、挨拶以外でまともに会話した気がする。


 僕の言葉がなにか役に立てていたら良いな。

 田中さん、妹さんにうざがられて険悪になって相談を聞く所じゃなくなった……なんていうマイナス効果にならないことを祈るのみだ。

 

 いつも通りにライブ配信を開始すると、おなじみのメンバーがすぐに入室してくる。

 ゆっちにタケ、えびのしっぽに天使。


 挨拶をして歌い始め、10分くらい経ったところでもう一人、常連のリスナーが入室した。


たなかかな?[ごきげんようクライスー。]


「ごきげんよう、たなかかな。今日は良い日だった?」


たなかかな?[いいのかな]

たなかかな?[兄がスタリーはじめたんだ。クライスの枠、布教しといたからもうすぐ来ると思う]


「わー、まさか布教してくれるなんて。ありがとう」


 こんなふうに、他のリスナーに紹介されて新規さんが聴きに来るというのは珍しくない。

 僕も最初、お勧め一覧から飛んだり、同じ事務所所属の子なんだよーって紹介していたりでいろんな配信を聴きに行った。


タケsub[クライス! キンカンの夏物語うたってー!]


「おっけい、タケ! 夏物語いくよ!」


 ノートパソコンで夏物語のカラオケを選択して、歌い始めようというところで新しく人が入室した。


たなか兄《初見》[ええと、ごきげんよう?]


 なんてわかりやすい名前だろう。この人がたなかかなのお兄さんなんだな。


「ごきげんよう、たなか兄さん。ようこそ! 僕はクライス。歌が大好きな執事です。歌えるアーティストはプロフィールにリストを載せているので、リクエストがあったら遠慮無く言ってくださいね。それじゃ、今日の一曲目、タケのリクエスト夏物語!」


 みんなが弾幕をしてくれる中、たなか兄さんも戸惑いながらみんなと同じサイリウム顔文字を打ち込んでいる。

 兄弟で聞いてくれるなんて嬉しいね。


 最後の一説を歌い終えると、みんなが拍手を送ってくれる。


ゆっち[88888888]

えびのしっぽ[888888]

タケSub[あり10! 88888888]

たなかかな?[88888888]

たなかかな?[たなかかな?がギフト【アンコール!】を贈りました]


たなか兄[すごいじょうずですね]

【たなか兄がライバーをフォローしました】


アルミ缶の上にあるミカン[ないふぉろ!]

ちゃん天使[ちゃん天使がギフト【ないフォロ!】を贈りました]

ゆっち[ナイフォロ! そしてお二人ともナイギフですー(*^▽^*)]


「たなかかな、ちゃんさんギフトありがと! たなか兄さんフォローありがとう! じょうずって思ってもらえて嬉しいです。歌のリクエストがあったら遠慮無くどうぞ!」


 歌を聴いた上でフォローしてくれたなんて、すごく嬉しい。

 プロフィールを読んできたのか、たなか兄さんは東京ミステリーを希望した。



「はい、東京ミステリー承知しました! それじゃあ次の曲は東京ミステリーにしましょう」


 2時間の配信を終えて、時刻は午後9時。

 あとはシャワーを浴びて寝るかな……。東京ミステリー、サビの転調をもっとうまくやりたい。明日、カラオケで練習しておかないと。

 手帳にメモして、衣装ケースから着替えを引っ張り出す。


 日曜ゆっちに、初日よりはまともに話せたんだって報告するのが楽しみだなあ。

用語解説

あり10→ありがとう

配信アプリだと絵文字も打てるので、本来ならアリの絵文字

ないフォロ→ナイスフォロー!

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