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98_下世話な立ち聞き


 馬車による旅程は極めて順調に、優雅に進んだ。

 もちろん王都の中ほど道は平坦でないものの、街道は大筋で綺麗に整備されており、ぬかるみや窪んだ(わだち)に車輪を取られ、立往生するような場面も全くなかった。


 道ばかりでなく、経由する宿泊地もみな、なかなかの街並みだった。

 これまでは王都だけが特別に発展しているのだとばかり思っていたが、その洗練された技術や文化はその周辺にも及んでいるらしい。

 旅の中で俺はいかに自分がアークレギスの外の世界を知らなかったのかを思い知らされた。

 ジョゼが俺のことを田舎者呼ばわりして、からかった気持ちも今なら分かる。

 王都が特に凄いのではない。アークレギスが特に世間から取り残された(わび)しい山村なのだ。


「しかし、これだけ道が開けていると、ひとたび敵軍の侵攻を許せば、その進軍速度が王都にとって大変な脅威となり得ますね」


 その逆もまた然り。

 王都や周辺地域からの兵の結集も迅速にいくはずだから、いざ砦に敵襲があっても俺たちは僅かな期間持ちこたえるだけで増援を見込めるというわけだ。

 だから、整備された道路はおそらく圧倒的に利の方が多いのだとは思うが、砦村とその後方の国土を守るという意識が強かった自分からすると、どうしても不安に感じてしまう。


「確かに。肝に銘じておかなければなりませんね」


 セドリックはそう言って頷いたが、声や表情などから、そんなことは容易に起こらないと考えている印象を抱いた。

 そう考える理由を詳しく尋ねてみたかったが、あえて語らずとも自明のことであるような雰囲気であったため、次期女王に相応しい者として綻びを見せないようにと、その話題はそこまでにしておいた。

 想像するに、ブレーズ王権下の外交と治世がよほど優れていて、周辺国との情勢がよほど安定しているといったところだろう。

 ミザリストは本当に良い王に恵まれたものだ。

 迎え撃って敵を撃退するは次善、とおっしゃっていた父上の言葉を思い出す。

 本当の最良は、敵に攻める気も起こさせぬことである。


  *


 アークレギスへの旅程もすでに終盤に差し掛かるはずだが、王都を大分離れてからもなお、旅は至って順調に進んでいた。

 毎日予定どおりの街や村に入って、その地の貴族や有力者の屋敷で寝泊りすることができたので、野営が必要となる気配などは全くなかった。

 俺にはアンナと、そして後続の馬車が運んできてくれる日用品があるお陰で、王宮の中と大差のない生活を送ることができていた。


 強いて問題を挙げるなら、どんなにフカフカな椅子が(しつら)えてあるとはいっても、さすがに一日中馬車の中に座って揺られているのは尻に堪えるということぐらいか。


 その日はまだ陽のあるうちに、今日の宿泊地である地方貴族の屋敷に到着した。

 俺は座り疲れた身体を癒すために、エミリーとプリシラを連れた三人で、敷地の中の散策を楽しんでいた。


 少し入り組んだ庭で迷いながら屋敷に戻る道を探しているときのこと。前方の高い生垣の陰に人の気配を感じて立ち止まる。

 貴族の屋敷の敷地の中なので滅多なことはないと思うが、こちらは女性ばかりの三人組だ。

 一応警戒し、二人に手で合図を送って気配を窺っていると、その生垣の向こうから立って用を足す下品な音が聞こえてきた。


 俺たち三人は互いに顔を見合わせ、気まずい思いでじっと待つ。

 そうするうちに、その音の主が後方にいると思しき連れの男と会話を始めた。


「なあ、俺たちもご相伴(しょうばん)に預かれると思うか?」

「飯の話じゃないよな?」


「野暮言うなよ。例の高級娼館の話だよ。王侯貴族御用達の。ここまで来て何もせずに帰ったとあっちゃ男の名折れだぜ」

「今回の警護役を募ってた奴の話だと、当然それも報酬の内に入ってるみたいな口振りだったけどな」


「本当か!? よっしゃあ」


 俺たちが屋敷の中に戻るためには、おそらく今話をしている二人の男たちの前を通っていくしかないのだが、最初に出ていくのをためらったせいで、余計に出づらい雰囲気になってしまった。

 出ていくにしても、今の会話が途切れた頃を見計らって行きたいところだが……。


「そもそも、わざわざ王都からこんな遠くまで来る理由なんて、あの娼館目当てしかあり得ないだろ」


「ジョセフィーヌ様とご一緒の旅行でか?」

「いや、なんでも姫様は、セドリック様のお目付け役で急遽同行を決めたらしい」


「ああ、あの男前の元婚約者……」

「可哀そうに、あの御方だけはここまで来てお預けってこったな」


 俺は物陰で交わされるその品の無い話を盗み聞きながら、ローランが休暇願いにやって来た日のことを思い出していた。

 どうりで。目的地の話になると歯切れを悪くしていたわけだ。

 ふさぎこんでいるセドリックを慰めて元気付けようと、ローランたちが企画した方法が娼館に女を買いに来ることだったのか……。


 有無を言わせぬ物言いで、セドリックたちと一緒に行くと言い出したジョセフィーヌの様子を見て、アンナやその周囲が憶測を捗らせた……。その話の構図がまた違った様相を帯びて感じられた。

 避妊薬が用意された理由も今なら分かる。

 彼女らにとって、それは万が一どころではない、極めて現実的にありえそうな展開に思えていたに違いない。


「ジョセフィーヌ様は向こうに着いたら、夜中じゅうずっと、セドリック様が出歩かないように見張っているつもりなんだろうか……?」


 そんなわけがあるか。

 一晩中見張るとなったら、同じ部屋にいるぐらいしか……。


「…………」

「…………」


 男たちの沈黙。

 彼らがその沈黙の中でどんな想像をしているのか。

 きっと今の俺なら正確に言い当てることができる。

 そんなことは絶対に起こらないと、ここから飛び出して行って強く否定したいくらいだった。


「あっ、待てよ……? それでさっきの話の意味が分かったぜ」

「ん?」


「あの大柄な男が明日の昼に、女性陣を舟遊びに連れ出すって計画を話してたんだよ。あの御人、自分一人で女性たち三人を相手にしなきゃならないってんで、大層渋ってたけど」

「あ……? そりゃ大胆だな。婚約者を舟で遊ばせといて、自分は真昼間から娼館でよろしくやろうって魂胆か?」


「だな。バレたら()りを戻すどころじゃなくなるぞ?」


 男たちの立ち話が俄然盛り上がりを見せたところで、遠くから呼ぶ声がした。


「飯だぞおっ。先に俺たちだけで食っていいってさー」


「おお、助かる。腹が減って死にそうだったんだ」



 男たちの立ち去る音がして、俺たちはようやく詰めていた息を戻した。


「……なんか、マズい話聞いちゃった? ジョゼ、あんた顔真っ赤よ? 大丈夫?」


 プリシラに言われて、俺は思わず自分の顔を触って確かめる。


「ショウカン……とはどういった場所なのでしょう? 何やら良からぬ印象を抱きましたが」

「エミリーは知らなくて良いのです」

「ってことはジョゼはちゃんと分かってるんだ。今の話」


 プリシラがニマニマと笑いながら探りを入れてくる。

 俺は分かるが、果たしてジョセフィーヌが知っていてもおかしくないことなのだろうか。

 “解説求ム”の合図は掌を広げてジッと見つめる、なのだが、うら若き乙女に堂々と問いただして良い話題とは思えなかった。


 しかし、貴族御用達の高級娼館とはな……。

 そんなものがアークレギスの近くにあったとは驚きだ。

 最近できたのだろうか。

 規模の小さな物は砦村の中にもあるが、俺は自分にはミスティという決まった相手がいるからと言って、他の男連中の誘いを断り続けていた。

 だから、そのうちそういった話題は俺の耳には入ってこなくなっていた。

 いや、そもそも貴族向けの高級娼館なら、貧しい砦村の男たちには縁遠い存在であっただろう。


「どうする? 邪魔するの手伝ってあげようか?」

「結構です」


「いやしかし、セドリックが婚約者とはねぇ。貴族や王族は自分で相手を選べないっていうけど、ご愁傷様。アタシだったらあんなデリカシーのない男は勘弁だわ」

「元、です。セドリック様とは、そういった関係ではありませんので、くれぐれも邪推などされぬようにお願いいたします」


「そうですよ。プリシラさん。まったく悪い冗談です」

「じゃあ、行かせてあげるんだ」

「え……、ええ。私が咎める筋合いのものではありませんし。行きたいのであれば、邪魔立てをするのは可哀そうです……」


 正直、金銭を代価に女性と関係を持つということにあまり良い印象はない。

 だが、伴侶を持たぬ男たちが発散できる場がなければ、好ましからぬ結果を招くであろうことは想像に難くない。

 ……あ、そうだ。ジョセフィーヌの貞操のことを思えば、是非そうしてもらった方がありがたいではないか。


「今ここで聞いたことは忘れましょう。舟遊びに誘われたら、何も気付かぬ振りをして素直に誘いに乗ってあげるのです」


 そう言いながら俺は、自分が男の身体でいた頃に感じていた、あの身内がたぎるような衝動のことを懐かしく思い返していた。


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