96_いざ故郷へ
昼前に王宮を出発した馬車は、エリシオン邸でエミリーとプリシラを拾ってから王都を離れた。
馬車の中にはジョセフィーヌとエミリー、プリシラの女性陣三人。
男性陣三人は、そのうち一人が馬車の中で、それ以外は馬車の御者と、別の馬に騎乗する者に分かれ、それを持ち回りで担うことになっていた。
そうしてたった六人のお忍びで王都から遥々アークレギスを目指す……、わけもなく、この馬車の前後には大分距離を開けて目立たないようにしながら、王宮の警備兵で編成された別の馬車が走って警戒に当たっていた。
ちなみに、宿泊地で俺の身の回りの世話をするため、アンナも後続の馬車に乗って付いてきている。
「本日は、あまり見慣れないお召し物でいらっしゃいますね」
出発してからしばらく経ち、馬車に同乗したセドリックが話し掛けてきた。
さほどふさぎ込んでいるふうにも見えない気軽な感じで。
「はい。長旅ですし、動きやすい物を用意していただきました」
今日の俺は、いつもの優美なドレス姿ではなく、男がはくようなズボンに、ピリっと糊の効いたシャツという出で立ちだった。
本当は今日の朝までは、普通のドレスが用意されていたのだが、前日夜のアンナとのやり取りを思い出し、恥ずかしながらも駄々をこねて、急遽身持ちの固そうな服に替えてもらったのだ。
「流石、ジョセフィーヌ様は何をお召しになってもよくお似合いですね」
「え、ええ。どうも……」
俺はその世辞を適当にあしらうことができず、ぎこちなく目線を逸らす。
かつてジョセフィーヌが王宮内で好んでしていたというこの服装は、確かに肌の露出こそないものの、ピッチリと身体のラインが浮き出て見えるため、男の俺の目には、ある意味こちらの方が煽情的にすら映っていた。
セドリック相手にその姿を見られているのだと思うと、どうしても要らぬことを意識してしまう。
こんなことなら普段どおりのドレスの方がマシだった。
「セドリック様。わたくしのお姉さまをあまりジロジロと見ないでくださいませ。不敬ですわよ?」
エミリーが俺の身体に半分覆い被さるようにして、セドリックの目からジョセフィーヌの身体を守ろうとする。
間に入ってくれるのはありがたいのだが、これはこれで、なんというか……。
ふと、エミリーの頭越しの視界に映ったプリシラの顔が、信じ難いものを見た、というような表情で固く強張っていることに気づく。
視線の角度からしてこれは、エミリーの手が俺の太腿の内側をまさぐっているのを見て衝撃を受けている顔に違いない。
俺は同乗している三人全員から、目で、体で、心で、それぞれに責め立てられているかのような感覚に陥っていた。
正確に言えば、俺と視覚を共有し、この一部始終を観察しているジョゼも含めての羞恥であるが。
俺はひとまずエミリーの手を取り、それをエミリー自身の膝に乗せてやる。
「ところで、その頭のお怪我は大丈夫なのですか?」
「これですか? 実はもう腫れも十分引いているのですが、怪我をしている振りをしていた方が姫様に労わってもらえるからと、ローランたちがうるさく言うので……。御見苦しくして申し訳ありません」
セドリックは包帯が巻かれた自分の頭をさすりながら照れ臭そうに笑った。
『なによ。全然元気そうじゃない』
長旅に出ようというのだから、元々体の心配はしていなかったが、心の方はこれでもジョセフィーヌに心配させまいとして無理している可能性はある。
「それを本人に言ってどうすんのよ? 頭打って馬鹿になったの?」
相変わらず貴族相手に全く物怖じもせず、プリシラが毒舌を吐く。
初対面の印象が最悪だった二人を隣り合わせに座らせてしまったが、これからの長旅は大丈夫だろうか。
「構いませんよ。この旅が私の傷心を癒す旅行というのは、周囲を欺くためのかこつけに過ぎないのですから」
しれっとそう言ってのけ、俺に向かって意味深な目配せをするセドリックに、俺は一瞬ギョッとさせられた。
直接そう説明したわけではなかったが……、まあ、考えてみればセドリックならそれくらいの深読みはするだろう。
なにせ精霊魔法の専門家であるプリシラをわざわざ同行させているのだから。
彼が一目置くジョセフィーヌがその地に赴くことが、単なる物見遊山ではあり得ないと勘繰るのも無理はない。
もっとも、周囲にはプリシラのことをエミリーの親戚筋の人間だと言って誤魔化してあった。
プリシラは、おそらくエミリーに御粧ししてもらったのだろう。いささか幼い雰囲気は否めないが、綺麗に髪を整えられ、高価な衣装に身を包んだ今の彼女は、十分貴族の令嬢と言って通用する見目麗しい姿に仕上がっていた。
「心配していたのは本当ですよ? あれ以来、お元気がないとお聞きしておりましたから」
「お気遣い痛み入ります。あの夜は遅れを取りまして、面目次第もございません」
「まあまあ、セドリック様。気に病まれることはありませんわ。相手が悪うございます。王都中の男性が束になっても、あの御方に敵うはずがございませんもの。ねぇ、お姉さま?」
エミリーは、賊の手からジョセフィーヌを救出し、かつ、オースグリッド邸で二度目撃されている謎の男の正体が、俺であることを知っている。
この場合の俺、とは彼女が姉のように慕うジョセフィーヌのことだ。
ややこしい話だが、エミリーは男の姿になったジョセフィーヌがセドリックを打ちのめしたという話が嬉しいのだろう。
エミリーは周囲からジョセフィーヌとの恋仲を噂されるセドリックのことを快く思っていないのだ。
お姉様よりも弱い殿方はお姉様の相手には相応しくない、ぐらいのことは思っているかもしれない。
しかし、セドリックの傷心を癒すどころか、傷口を広げ、そこに塩を塗りたくるような真似をしてどうする。
「えっと……。不慣れな得物相手だったのでしょ? 経験の差はきっと稽古で埋まりますよ」
他の二人がこんな様子なので、自然と俺がセドリックをフォローする立ち位置に回ることになる。
「いえ。相手の技量が度を超していたのです。全く……、歯が立ちませんでした。到底埋められない力の差を思い知りました」
『あーあ。ユリウスの言葉が一番えぐってるっぽいよ? 自覚ある?』
「…………」
しまった。
確かにジョゼの言うとおりだった。
エミリーに煽られても平然として見えたセドリックの顔が、十分気を遣ったはずの俺の言葉によって明らかに悲痛なものへと変わっていた。
「……そこまでの力量差があるとは思えませんが。紙一重のところだったと……」
話の途中で、それがあくまでユリウスの目線でしか言えない発言であることに気づく。
「いえ。思うにあの男は、何か密命を帯びて動いているのでしょう? どうしても彼はあそこで私たちに捕まるわけにはいかなかった……。それが、ローランとは木剣で相手をし、私と対したとき、一旦は退こうとした理由です。確実に勝てる状況でしか戦おうとしなかった。彼があそこで槍を見つけて立ち止まったのは……、つまりはそういうことなのです」
実際は、走っている最中に記憶の混濁を起こしたためであり、そのとき近くに槍があったのはただの幸運に過ぎない。
過大に評価されたユリウスの呪縛を解いてやりたいが、下手なことを言うと墓穴を掘ることになりかねない。
「セドリック様は剣の道を志す者とお見受けしておりましたが、一度の敗北でそれを諦めるのですか?」
伏し目がちだったセドリックの目が正面を向いた。
「よもや、自分が一番であることを確認するために剣を振るっていたわけではないのでしょう?」
それは砦村の稽古で常勝であった自分を戒めるため、常日頃、自分自身に言い聞かせていた言葉だった。
「……当然です。ですが、確かに私の心が曇っておりました。どこかで容易には負けまいという驕りがあったのかも知れません。だから、挫折を感じた……」
「そうです。私が知る武芸者であれば、己の敵わぬ相手とまみえ、敗れたなら、より高みを目指せる糧を得たと感じ大いに喜び、それまで以上に励むことでしょう」
「ああ、そうです。そうあるべきでした。ありがとうございます。ジョセフィーヌ様」
たった一言二言声を掛けただけで、セドリックはすっかり元気を取り戻してしまった。
もとより高みを求める純粋な心は持ち合わせている男なのだ。
少しの気付きさえあれば容易に立ち直れる。




